(四) 天は奇才を与ふ

 久方振りに己が牛麿だった頃のことを思い、夢に見た。
 恐らくは源太という少年の存在の所為だろう。
 やえが語るには、源太はやえの息子ではない。血のつながりはない、という。
 平野屋という旅籠はやえの亡夫の物で、やえ自身は後妻である。
 元々は平野屋の住み込み女中だった。先妻が病を得て亡くなり、三年前に後添いとなったが、その夫も今年初めに死に、残ったのはやえと源太のみだった。年老いた女中が、昼間は旅籠の手伝いに通って来る。
「旦那様が亡うなって、お弔いの最中に借金取りが来よったんです」
 雑巾がけしながら、やえが言った。
 陽之助は取り立てて、やえ等の身上を訊くつもりはなかった。
 女の語る身上話など、何処まで本当なのか怪しい。
 しかし、源太という子のことは、多少この気難しい男も気になったのだった。
「珍しくもないが」
「けど、知らん間に三百両も借りとったんですよ、金貸しから」
 やえは憤然として立ち上がった。
 やえの夫が作った借金というのは、実に他愛のない理由からだった。
 旧知の男に貸したものである。
 その男というのは、そもそも職人の家に生まれた幼馴染で、近頃流行の志士になって活動している。
 或る日、数年振りに平野屋までやって来て親しげに話をしていき、それっきりちらとも顔を見せていない。
「思えばその時やと。旦那様が金策してはったんは、うちも気が付かなんだんですけど。皮肉なことに、こないだの連中が真っ先に言うてくれました」
 やえの夫は旅籠に金がないので、両替商の大和屋という店へ借りに行った。その時に洩らした理由によると、
「知己が商売をするので借りたい。何でも米国商人から銃器を購入して転売するのだとか。手付金としてまず三百両ということだ」
 陽之助は黙ってにやにやと笑った。
「そいつあ、よくある手でね、おやえさん」
 尊攘志士と嘯いて肩をいからせている連中がよく使う手口なのは、間違いない。
 無論、外国貿易だのは勝手放題にしてよいものでもなく、一個人の動かせる商いでもないので、でまかせだ。
 そのでまかせを真に受けてしまう方も世間知らずで、陽之助の目から見ればどっちもどっちなのである。
「騙される方も迂闊なんだよ」
 と、言っては毒になる言葉をつい口走ってしまうのが陽之助の軽挙なところでもあった。
 やえは、俄然むっつりしてしまった。
 死んだ亭主の悪口を言われたようで、さぞかし気分も悪かろう。
 言ってしまってから陽之助は「しまったかな」とほんの少し思ったが、悪気があってのことではない。何の遠慮が要るものか、と鼻毛を抜く始末だったので、やえにとっては其の方が不快だったろう。
「ま、いいか」
 陽之助は、やえが不干渉になったのをいいことに我関せずで過ごすことにした。
 海援隊本来の常宿である四条室町の沢屋旅館が根城であるので、わざわざ此方に泊まる必要もない。坂本からの連絡なども、沢屋宛だ。
 ただ、物騒な御時世ゆえに洛中で何かあった時、咄嗟に逃げ込める場所は多い方がいい。飲み歩きの後は、平野屋の位置は便利で他客も少ないので利用させて貰うことには変わりない。
「おれにとっては、この方が好都合」

 本来、陽之助は大坂にずっと逗留するつもりだった。
 大坂は第二の牙城のようなものである。
 海軍操練所が、「禁門の変」の関わりからあらぬ嫌疑をかけられて解散の憂き目に遭い、勝安房守も海軍奉行並の任を解かれてしまった時、坂本のつてで操練所の塾生は薩摩の西郷吉之助を頼った。
 大坂の薩摩屋敷に半年ほど食客生活を余儀なくされたことがある。
 その時以来、陽之助は大坂に縁を持った。
 それだけではない。
 今回の在坂は、主として海援隊における、ある計画を進める為だった。
 陽之助は実に海援隊が亀山社中として長崎で発足した頃から、隊長坂本竜馬の腹心として商務の責任を負っていた。
 先月、「商法の愚案」と称して西洋の同盟商法の原理を用い、海援隊を長崎を本拠に大坂、兵庫、下関、ほか北陸などの港を有する地に支所を作り、運輸事業を拡張する計画を坂本に話した。
「コンペニーコンメントというやつです。海援隊はコンペニーとなる」
 陽之助はやや得意気に、英単語を発音した。
「こんぺいと、みたいじゃが、成る程なあ」
 と、坂本は近眼の目を細めた。
「日本が外国列強に比肩するには、ちまちまやっていたのじゃあ駄目です」
「どこでそういう知識を手に入れたか知らんが、さっすが陸奥大先生じゃ。何やら世界に近付いた気がするぜよ」
 もともと陽之助の頭の中にあったものではない。
 二年前、「ジャパンタイムス」という横浜から出ている英字新聞の記事に、「英国策論」というのがあった。
 これが日本語訳となって、全国の諸大名も目にした。無論、陽之助は英字は読める。
 「英国策論」が明らかに英国による日本の流血革命を促した激論であることは、明らかであり、この原稿に関わっているのは恐らく英国公使ハリー・パークスに違いないと、陽之助は思った。
 パークスは表向きは幕府に対して親和的だが、その実英国の意向としては日本の革命、開国さえ可能になれば道程は問わないのだろう。それに、日本滞在のイギリス人の中で実際彼等を掌握し動かしているのは、外商トーマス・グラバーであった。
 グラバーの下には、薩摩の志士をはじめ、勝海舟や坂本も出入りした。
 そうして巧く彼等を抱き込んで、情報を集める。
 陽之助は、イギリス人のそうした傾向を長崎時代からよくわかっていた。
 彼は大坂から長崎に渡った当初、宣教師の家でボーイをつとめたことがある。その時宣教師の妻に気に入られ、英語を習得した。
 また、パークス公使の下官である通訳官のアーネスト・サトウも見知っていた。
「イギリス人にはダブル・スタンダードがある」
 二枚舌外交だ。それが良いか悪いかではなく、諸外国の常識はそうなのだろう。
 日本が開明するには、決して追随という意味ではなく、まずイギリスの内外体制を手本にするのがよい、と陽之助は思った。
 とまれ、
「よし、やろうや」
 という坂本の鶴の一声で、隊士は芸州に行く者、兵庫に行く者、とおのおの四散した。
 そして、その先月九月末に、陽之助は坂本らとともに土佐に入った。
 例の田辺藩の商談がらみである。
 田辺藩は土佐藩に保証人になって貰い、外国商人から金を借り、藩内の産品を輸出しようと計画していた。長崎経由である。
 打診を受けた海援隊で、坂本の代理として商務責任者の陽之助が長崎在留の土佐藩士にして土佐商会の会計責任者・岩崎弥太郎と交渉した。
 それが、海援隊の日頃の行いの悪さから決裂した。普段から、隊士らが土佐商会に無心を繰り返していたという経緯もある。
 やむを得ず別の策として、土佐藩に直接、武器購入の商談を持ち込むことにしたのである。
 この案は、陽之助が捻り出したものだった。
「ライフルを売り付けた利益で田辺藩に金を貸す。さらに、同藩にライフルを斡旋する」
 坂本は、即同意した。
 出島のハットマン商会から千三百挺のライフルを買い受け、半ば強引に千挺土佐藩に持ち込む。
 坂本が膝を叩いたのも、「恐らくはじきに幕府方と朝廷側の衝突がある。そうなれば、武器はあるに越したことはない。土佐も断るまい」という発想からだった。
 実は既にこの時、坂本が後藤象二郎に下駄を預けた「大政奉還」案が老公・山内容堂に献策されており、実現は時間の問題だった。
「気掛かりは、ライフルの支払なんですがね」
 と陽之助が言うと、坂本は不敵に笑った。
「薩摩から借りるんじゃ。足りん分はおんし、何とかして来い」
「何とか、ってそう簡単にいきますかね」
 ぶつくさ言いながら、陽之助は早速その通りにした。
 薩摩藩の為替金五千両を借り、内金をハットマン商会に払い、残額は長崎の商人に保証人になって貰った。
「おんしでなきゃ、でけんからのう」
 坂本はからから笑う。
 というのも、保証人というのが油商の大浦お慶という女傑で、陽之助は殊の外この女に可愛がられていたゆえにである。
 仲間内から陽之助が良く思われていなかったというのも、この辺に一因がなくもない。
 男妾のように己の色を使っているのが「士らしからぬ」と、睨まれたのだろう。
 気難しい才子だが、その中に女心をくすぐる脆さがあるのを、陽之助自身が流浪の生活で利用することを覚えたようだった。
 とまれ、薩長につながりを持ち、大政奉還の立案者たる坂本に押し切られ、土佐藩はライフルを購入した。首尾は上々。
 平野屋を出た陽之助は、
「さて行くか」
 暇があれば繰り出す処は一つ。遊里である。

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