(五) ピストルとぶぶ漬け
いったい此の頃は京の遊び場といえば、島原よりも祇園新地のほうが賑わっていた。
禁色を纏った気高い太夫よりも、敷居の低い手間のかからぬ芸妓らを好む連中が増えたというべきか、或いは懐具合に丁度よいということか。
何にせよ、長州藩関係者をはじめとする尊攘派の金離れのよい男達がひいきにしたので、繁盛した。
陽之助はもてる。
何しろ、言うことなすこと水際立った美男子だ。
金のない十代の時分から、遊女が放っておかない。
今晩も、新地の鶴乃井という揚屋に居た。
陽之助が海軍操練所に入る前から、ちょくちょく通っていたところである。貧窮したという割には、遊びに使う金作りには巧みなのである。
「細魚
(さより)は美しいが身が吝い。鮟鱇は不細工だが身は旨い――のと同じで、気位が高うて腹の中が見えん京の芸妓より、あけっぴろげな大坂の妓の方がなんぼかいいけどな」
とか何とか文句を言いながら、遊ぶ時は遊ぶ。
「ねえ、陸奥様。なんしてお前様のお腹は固いのん?」
芸妓が意味ありげに含み笑いしながら、陽之助にしなだれかかるのを、
「はは。男子たるもの腹の据わらんふにゃふにゃで如何いたす」
と茶化して押し退ける。
実際、帯の下にはピストルがあった。回転式弾倉のやつで、坂本から譲り受けた物だった。
「まさか。こんな物要りませんよ。幾らおれでもまだこいつは錆びさせちゃいませんぜ」
陽之助が大刀のこじりを叩きながら言うと、坂本は、
「うむ。そいつは大分痩せとるじゃろう。今度新しいのをやるきにピストルも持っておけ。まあ、いざっちゅう時には役に立つのよ」
と言うので、陽之助は何度か試し撃ちしてみた。
「確かに先に斬られたら損だからな」
以来、携帯することにした。
一々、坂本の言うことには一つの真理がある。
揚屋を出て坂を上る。平坦に見えて、京の街中は起伏が大きい。
四条通に出ようとしてつと振り返ると、提灯の灯が揺れた。風もないのに、と思って立ち止まると、やって来た。
男が三人である。
如何様、陽之助を挟撃するのではないかという具合に、後ろから二人、前から一人やって来た。
「平野屋に来た借金取りとは様相が違うな」
そう感付いたのは、単純に男達の所作が素人離れしていたことに拠る。一言でいうなら、隙がない。
平生、滅多なことでは刀の存在をそびやかすことのない陽之助は、「力ずくだけの阿呆に付き合うのは面倒ゆえ、三十六計逃げるにしかず」と通している。
「やれやれ。おれのような小者を付狙うなんて、余程の暇人か酔狂者か。幾ら何でも妻仇
(めがたき)になった覚えは無いし」
陽之助はかまわず進んだ。
そうして、身を翻した時、提灯の灯ではない青白い光が音もなく飛んだ。
「覚悟せいよ」
野太い声が恫喝した。
顔は見えない。三人が三人とも、頭巾を被っていた。
暗い路地で頭巾を被ったまま刀を抜くとは、余程腕に覚えがあるのだろう。幾ら頭巾から目を出していても、布がちらつく分、視界は限られる。
陽之助は、黙って後退った。口をきくまでもない。抜いておいて後から覚悟しろ、というのは不条理だ。
見廻組か新選組か。或いは、と思ったがやはり思い当たる節もない。
さりとて、むざむざ斬られるつもりはない。
「坂本竜馬の次に才覚のある陸奥陽之助宗光を失うのは、日本の損失である」
というとんでもない自負があるからだ。
陽之助は刀は抜かず、懐の中からピストルを抜き出した。左手に提灯、右手に回転式拳銃である。
引き金に指を掛けつつ、さっと提灯を捨てた。
捨てて両手で銃身を支えねば、実は回転式拳銃を放つのは難しい。握力もさることながら、発射の反動に耐える力が要る。女子供には扱えない。
シングルアクションの引き金は重く、下手がやれば親指の股を裂く。
ずん、という重い爆音とともに硝煙が散る。
陽之助が二度目の引き金を引くその隙に、前方から刀が閃いた。
避けながら後退し、陽之助はそのまま走り去った。
「全く以ってかなわん」
鴨川を越えても、早足のまま陽之助は独りごちた。
まるで、陽之助が揚屋から出るのを見計らっていたという具合だ。これではおちおち女の膝枕さえ愉しめん、というものだ。
沢屋まで戻らず、木屋町の平野屋に戻ると、戸は意外にも開いていた。もう深更の子刻に近いというのに。
「物騒だな。女子供しかおらんというのに」
ぶつくさ呟きながら入ると、やえがやって来た。
「陸奥様」
やえは、陽之助の姿を見て息を呑んだ。袷の袂がずたずたになっている。脇腹もぺろりと布が裂けていた。
「知らん間にやられたな」
陽之助は悄然となった。しかも、火薬の臭いがぷんぷん漂う。
「さァ、お脱ぎんならはって」
そう言って陽之助を座らせると、寒い板間で半裸にした。火鉢と行灯を引き寄せながら、
「お早いお帰りやと思うたら――浅手ですなァ」
「出たか京女のいけず」
陽之助は言いながら、肋の下を見た。片仮名のノの字に三寸程浅く刃がかすめたらしい。
斬られた気はしなかったが、考えてみるとぞっとした。
やえは焼酎を持ってきた。
「いけずちゃいますえ。てっきり朝帰りやと合点してましてん。夕餉の用意はしてませんえ」
「貧乏旅籠に豪勢
(ごうせ)な夕餉などよう言わん」
陽之助もつい紀州訛りが出た。
やえは焼酎を含んで、陽之助の脇腹に噴き掛けた。
「それに、うちは京女とちゃいます。紀州の田辺ですねん。田舎の山出しやわあ」
へえ、と陽之助は傷口がしみるのを堪えて言った。
田辺といえば、父・宗広が流されていた地である。
だが、やえは陽之助の紀州訛りには気付かなかった。南紀と和歌山では違う。一寸聞いた分には、紀州訛りは土佐や阿波訛りにも似ている。だから、陽之助も己の出自を言わないことにした。
山出しという割には、やはりやえは垢抜けた女で、成る程女中にしておくには勿体無い。手際もよく、頭も悪くない。
何より陽之助は、愚鈍の癖に己の利にばかり敏い女には閉口する。やえがそういう類の女なら、金だけ置いてとっとと立ち去っていただろう。
やえは、斬られた事情も何も聞かないのだ。幾ら旅籠の女将でも、そうそうこういう客もいまいに。それとも、実は陽之助みたいなきな臭い客が多いのか。
「おぶ漬けくらいしかないんですけど」
やえは無愛想に言った。
「飯はいい」
「先程から、陸奥様のお腹の無視がえろう鳴いたはるのが気になりますのんや。虫養い
(むしやしない)なさったらよろし」
虫養いというのは、京言葉で腹の虫を黙らせる為、当座に小腹に入れる食物を言う。
やえは台所へ向かって行った。
塩昆布と茶漬けが陽之助の目前に供される。胃の腑を中心に、冷えた体に染渡る温もりだった。
「これ、お古で悪うおすけど」
袂を切られた袷の代わりに、とやえが出してきた紬の小袖を羽織ると、陽之助の気分もだいぶ和らいできた。
小袖の丈は、長身で四肢の長い陽之助には如何様つんつるてんで、
「しかし。この格好を海援隊の他の連中に見られたら、物笑いの種になるな」
と思ったのだった。
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