(八) 

 三日ばかり経った。
 一は居酒屋の一隅で、手酌酒をやっていた。まだ陽のあるうちから一刻半ほどずっとそうしている。昨夜のことを思い返していた。試衛館に行き、そのついでに旗本屋敷の周辺をうろついて思索に耽ったあと、帰途につこうとしたのが八つ過ぎだった。
 ところが市ヶ谷を過ぎるかどうかという辺りで、闇の中から突然、四、五人の男に襲い掛かられたのである。恐らくは佐分利の手の者と思われた。覆面を被っているところからして、身分を知られてはならないのだと判る。
 斬りこんで来る太刀筋から、恐らく北辰一刀流あたりではないかと思われた。中でも突きを入れてくる大柄な男がいて、所謂手錬とも思えなかったが踏み込みが深く、あやうい場面もあった。若党ども三人の内であるなら、やはり佐分利の息子だろう。一は国重を抜かず、半身で交わしていたのだが、埒があかないので結局その男の手首を傷付けて、やっと逃げ遂せた。
 ただ確実に言えることは、今度は一自身が狙われているということ。ゆくゆくは、一の周辺にも危害が及ぶやもしれないということだった。
 そうなる前に手を打たねばなるまい、と一は温燗をちびちびと飲りながら考えた。
 すっかり暗くなり、土間のほうに仕事を終えた彫職人や商人がどやどやと押し掛けてきた頃、一の前に初老の男が現れた。
「山口様でございますか」
 ああ、と一は男の顔も見ずにぶっきらぼうに答えた。初老の男は丁寧に頭を下げて言った。町人髷を結っているが、いやに物腰がゆかしい。と、よく見ると男は会津藩下屋敷で一を門前払いした男だった。
「あんたは」
「吉左と申します。織江様の使いでやって参りました」
 偽名なのだろう。町人風なのも人目を忍ぶ姿である。
「御本人は?六つに此方へ来られると仰られたが、もう七つ半は過ぎている。もうじき帰ろうかと思っていたところだ」
 一は少々不機嫌そうに、じらすように言った。吉左は顔色を曇らせる。
「それが。まことに申し訳ございません。織江様は此方に伺うことが出来ません」
「どういうことだ」
 一は本気でむっとした。
「呼び出したのは其方ではないか」
「ええ。山口様には申し訳ないということで、屋敷まで御足労願えれば、とそのことをお伝えしに参りました次第です」
 呼び出しておいて、なおかつ都合で来られなくなったとはどういう了見なのか、と一は腹立たしくもあった。しかし、屋敷に出向くとなると、織江の正体もしかと知れるやもしれん、と思い直した。一は居酒屋を出て、吉左の後を歩いて行った。
 行き着いた先は、やはり三田の高台にある会津下屋敷であった。何が何だか訳がわからない。やはり織江は澤崎主馬の娘なのか。
 一が通されたのは、表門ではない。吉左は忍びのごとく音も立てずに玉砂利の上を歩き、奥の離れまで一を案内した。ますますもって奇怪である。よもや、と一は事あらば今にも抜刀せんという覚悟で周囲を見回しつつ随った。
 離れの廊下に上がった時、吉左は此方にございます、と障子の前に正座した。
「織江様、山口様をお連れいたしました」
 お入りください、という許可の声が返ってきた。障子を開けると、一は言葉を飲んだ。織江は床に伏せっていたのだ。だが、気丈に半身を起こして、一に頭を下げる。
「如何いたしたのですか?」
 織江は白い寝間着の上から包帯で左腕を吊り上げていた。顔色も蒼褪めている。あまり矢継早に問い詰めるのも酷かと思い、一は視線を逸らせた。
「徳蔵という男のことですが―やはり、治之助でした」
 えっ、と織江は瞠目した。だが、一が次ぎに言った言葉で、織江の表情は暗澹たるものになった。
「死にました。佐分利とやらいう直参の息子に斬られて」
 一は一言いちごん切るように織江に言った。
「一足遅れました。申し訳ない」
 と、一は畳に額づいた。こうするより他はない。
 織江は暫く茫洋とした目付きで一の方を見詰めていた。一はといえば、喉に引っ掛かる唾を飲下すのも憚られるような沈静の中、まともに織江を見ることが出来なかった。てっきり、咎めを受けるものと覚悟していたのだが、織江はややあって長い溜め息を吐くと、蒲団の上に正座した。そして、一に向かって右手のみ床につき、深々と頭を垂れた。
「お手をわずらわせて申し訳ございませんでした、斎藤様」
 えっ、と一は思わずのけぞってしまった。織江が額づいたことにも驚愕したが、それよりも自分でない誰かの名を呼んだことである。
「な、何を仰る。おれは山口一ではありませんか」
 熱でもあるのかと訝り、一は膝で織江ににじり寄った。だが、織江は頭を下げたまま一の言葉を否定した。
「斎藤様です。あなたは間違いなく、斎藤一様なのです」
 面を上げた織江の双眸に、力強い光が籠もっていた。

 弘化三年(1846)の春である。江戸の会津藩邸から高須藩邸へ使者が正式に遣わされた。
 美濃高須城主、松平義建(よしたつ)の六男・_之允(けいのすけ)を会津藩主、松平容敬(かたたか)の養子に迎えたいという書状を持った使者である。
 かくして養子縁組はまとまり、_之允は四月、和田倉門を潜った。数えで十二歳。のちの松平容保である。
 だが、この養子縁組は傍目には非常にきらびやかかつ円満なものと見えたが、それまでに多少の波乱を含んでいたのである。
 会津松平家の当主である容敬は、第六代容住(かたおき)の次男、第七代容衆(かたひろ)の弟ということになっている。しかし、それは表向きのことであって、実は水戸藩主、徳川治保(はるもり)の次男、義和(よしなり)の子である。義和は、高須松平家に養子に行くことになっていたのだが、その直前に水戸の奥女中に手をつけ、子供を産ませた。子がなかった会津藩では、水戸家の子ならばと、密かに生まれた子供を貰い受けた。そうして、容住が亡くなったあとで、侍妾が懐胎していたと幕府に届けだのである。
 こうした画策が、果たして幕府に知られていなかったかどうかはわからない。
 込み入った事情があるにもかかわらず、容敬は成人して何の横槍もされずに第八代藩主となった。
 ところが、どういうわけかまたしても会津松平家は子に恵まれない。
 苦肉の策を弄してまでお家を守ったというのに、ここで子がなければ取り潰しも免れない。今度は幕府も目を瞑ってくれるかどうか。
 容敬の正室は脆弱で子をなさぬまま早世した。継室もまた子を生めなかった。
 「会津家に子がないのは、お江與の方の執念ではないか」という埒も無い噂さえ広まるばかりで、首脳陣は頭を抱えてしまった。
 親戚にあたる、上総飯野藩主、保科正丕(まさもと)から照姫を養女に迎え、いずれ婿をということになったが、それでは心許無い。どうしてもお膝元で帝王学を学び、藩祖・保科正之のたてた十五条の家訓を貫徹出来る男子が欲しい。
 候補が幾つか挙げられた。やはり容敬と同じ水戸家、讃州高松松平家、そして美濃高須松平家。
 高松は既に他家との縁組が決まっていると、とはじめに断ってきた。残る二家のいずれかで、家臣らは揉めた。
「容敬様の時は水戸家の名目と会津藩の逼迫した事情を折衷して何の貸し借りもなく済んだのである。今いちど水戸家に頭を下げるのは当家が借りを作るということ。この慌しい情勢に、それは罷りならん」
 と、声を上げたのは新家老の山川家、横山家らの面々だった。実は、これらの家老は保科正之つまり土津公(はにつこう)以来の旧家老ではなく、容敬が登用した家老たちである。その中に、中老・島田九太夫の姿もあった。
 というのも、黒船来航以前に北海にはロシアの軍艦が姿を現しており、択捉島に上陸して火を付けたという事件が起っている。幕府はこの時、南部、津軽、秋田、庄内、会津の五藩に蝦夷地警備の命を下している。
 その後も東インド艦隊が江戸近海に出没した折、房総警備を命じられた。これらの費用は膨大であり、経費を切り詰めることに、ここのところの藩政はずっと悩まされている。
 それに、水戸は今過激派の動きが活発になっていて、かかわり合いになりたくないというのが本音であった。
「ならば尚のこと、御三家とは内密に通じ合っておけばよいではないか」というのが、旧家老らの意見である。
 水戸家からは、水戸斉昭の七男、高須松平家からは松平義建の六男という候補を立てたまま、二派は暫く対立していた。
 「七郎麿様は偏屈者で利に敏い。我が家風に合うとは思いませぬ」といえば、「_之允様の蒲柳の質では剛健を誇る会津の軍を指揮できかねまする」という。「そもそも幕府に評判のよくない斉昭公の御子息を頂戴しては、ますます我が藩は中央と疎遠になりまする」といえば、「高須藩とて尾張の分家ではないか。何の後ろだてもないようなものだ」といい、まだ見ぬ養子や実家にあれこれと難癖をつけて張り合う。
 遅々として養子縁組の話は進まなかった。
 ところが。
 時間を無駄に潰している間に、このことが幕府に洩れ聞こえかねない、という事態が起った。
 御聞番(おききばん)という役職がある。
 幕府は隠密を使って各藩の情勢を探っている。御家騒動の火種や不祥事があれば、即刻配置換えや取り潰しを行うためである。所謂隠密の中でも、さらに奥深く潜って職務を遂行するのが御聞番であった。
 御聞番はたいがい、身分の低い藩士や足軽などに扮して、譜代家、有力な外様を渡り歩く。その御聞番が既に会津松平家に入り込んでいて、今回の養子縁組の件を探っているというまことしやかな噂が、家臣の間を巡っていた。かくなる上は、一刻も早く結論を出さねばならない。
「その最中でございます。島田九太夫様が建白書を奉ろうとなされたのは」
 織江は言った。
 首脳陣の中では、既に旧家老派が水戸家と話を通じていた。
「島田様は辛うじてそれに先んじ、高須松平家よりの使者の返事を頂いておりました。封書は山川様に渡る筈でした」
 その返書が途中飛脚が暴漢に襲われ、奪われてしまったのである。
 明日にも水戸家に使者が発つという矢先にだった。島田は、かくなる上は、と我が身を投げ打つ覚悟で建白書を出すことにした。旧家老らの横槍にも憤りを覚えていた。
「当日になって寝返った者の為に、島田様はご自害なされました」
 織江は静かに語った。一には、そこまでする何かが漠然とわからなかった。藩士とはそういうものなのか、それは個人の資質の違いなのではなかろうか。
「寝返り者は、建白書の名に連なっていて処罰を免れた、菅生新之丞です」
「今は佐分利次郎右衛門」
「木原治之助が闇討の日から忽然と姿を消したということと、滝口兵衛という同僚からの話で、菅生様を仇と睨んでいることはわかっておりました」
 それ故に、治之助を探し出して欲しいと言ったのか、と一は思った。
「治之助は島田様とともに死して抗議なされた組頭、斎藤五郎太様の仇討を念じていたのです」
「斎藤……」
「貴方さまのお父上、斎藤五郎太様です」
 織江は懐かしいものでも見るように、一の呆気に取られた顔を見詰めた。
 一は左脇に携えた鬼神丸国重の柄を握り締めた。こじりが手の皮に食い込みそうなほど。
 それでは徳蔵―治之助が刑場から助け出した赤子というのは、おれの事なのか。思い返せば年代も合点がいく。旅装の侍というのは紛れも無く父、山口祐助のことだろう。
「おれは……」
 一は喉がひり付く様に渇くのを覚えた。

 (七)へ
 (九)へ
 

小説目次へ
「とにかく殺す!」目次へ
本館TOPへ