(一)
「何でいつもおれなのだろう」
斎藤は溜息を吐いた。懐手にのっそりと出て行こうとする斎藤の背中を、小さな手が突付いた。
「あかんで斎藤。大息なんか吐いとったら、運は逃げて行くいうねんで」
為三郎が、にっと丸い顔に笑みを浮かべて斎藤の脇をすり抜けた。
「それは京独特の謂れなのか。八木家の教えなのか?」
と訊き返そうとして、既に為三郎が路地の角を曲がって駆けて行ったことに気付いた。
別段取り立てて気に留めることでもなかろう、と斎藤も南へ歩き出した。
半刻前ほど前、非番の斎藤に平隊士が駆けてきて、
「副長がお呼びなのですが」
と言ったのを耳にした時、「やれまたか」と胸中小さく毒づいたが、それは顔には出さなかった。
無論、副長室でも助勤の斎藤はいつもの様にむっつりとおし黙って、土方歳三の話を聴いていた。
「まァ、そこへ座んな」
土方は嘯くように言い、吐月峰
(はいふき)に煙管をぽんと叩き付けた。
羽織の袖をもそもそと直し、膝を揃えて斎藤と向かい合う。白皙の中で、紅い唇が微かににっと笑んだ。
そこまでは、大体いつもと同じである。
「斎藤、お前さんは地の方にゃ、口はつけねえな」
一瞬、何の話かと思ったが、考えてみてああ成る程とわかった。
地の方というのはもって回った言い換えで、地女
(じおんな)のことだ。つまり、素人女を指す。
「地女というやつは、なかなか粋には出来やしません。金でも口説でも解決がつかぬことが多く」
「その口ぶりだと、いっぱしの経験もありそうだが」
土方はにやりと皓い歯を見せた。斎藤は、いえいえと即座に否定した。
「おれの年では無理です。他人様を見ていてそう思うだけで」
「そうさな」
土方は再び煙管を咥えた。
「お前はまだ二十一だから、地の方は荷が重かろう」
と、三十を越えたこの色男は言う。
しかし、まさか女の話だけする為に斎藤を副長室まで呼んだわけではあるまい。
土方は勢いよく、ふーっと紫煙を噴出したあと、
「松原忠司の様子を教えてくれまいか」
「はあ」
教えてくれというのは、探って報せろという意味である。
斎藤と同じ、副長助勤の松原について、何を探れというのか聞くまでもない。冒頭に出た素人女の存在だろう。
別段、素人女を囲おうがそのこと自体に問題はない。
助勤は休息所という自前の別宅を持って、其処に女を住まわせるのは自由だ。
土方がその事を追究するとすれば、何か松原の隊務に問題あってか、女自体が問題なのか。
「高樋町の長屋に時々出入りしていると、目撃した者がある。若後家が住んでいるという家に」
「後家なら構わないのではないですか」
「それが妙なのでな」
土方は渋面を作った。
長屋の隣の住人を蔵吉という。扇子折屋で、女房と二人暮しだ。蔵吉が言うには、
「確かにこの半年ほど前から、大柄で坊主頭のお武家はんが出入りしとうお姿は見ますが。さて、若後家はんとはどないなご関係やろか、いうのは何とも」
煮え切らない口ぶりが京者らしい。
壁のありや無しや程度の長屋で、隣家の物音がわからぬ筈もない。松原と後家が何を話しているのか、もう喋々喃々と閨の言葉など交わしているのか、見当も付きそうなものだが。
「それだけ聞いたところで問題はない。しかし、蔵吉のやつおかしな事を言った」
その若後家が夫をなくしたのは、やはり半年ほど前で、死んだ事情というのが何者かに斬られてのことである。
夫は紀州の浪人で、安西幾太郎といった。
後家の話では、四条河原で酔漢に絡まれ斬り合いになっての果てのことという。偶然通り掛ったのが、新選組副長助勤・松原忠司で、虫の息の安西を担いで長屋まで運んできてくれた。
「というだけで、実際あてはその時のことは見とりまへん。納めなならん物があって、伏見まで出とりまして。夜中に隣の様子がおかしいて見たのは、あての女房どす」
蔵吉はそう言った。
「そういうわけで、安西という男は結局助からなかったということだが。松原の親切はそこまでは構わん。その後が問題だ」
安西の死後も、まるで後家を気遣うように長屋へ通っていることが不自然なのだ。
新選組の隊内でも、親切者は総長の山南敬助と並んで、松原の名が挙がるくらいである。寄る辺もない哀れな後家が気に懸かり、そうしているうちに恋情が芽生えないとも限らない。
「噂によると、松原は彼の女にかねてより目をかけていて、女欲しさに安西を斬り、親切ごかして近付いたという奴もいる」
その噂を流す者こそ何者だろう。単なる妬みの様な根拠のないものか。
松原が幾ら親切者といっても、新選組に加わっているということ自体が京の町では恐ろしいもののように思われているので、或いは町衆の流言蜚語の類か。
土方にとっては、
「これ以上こういった噂が流れるのは、とりわけ壬生界隈では不都合でな」
噂の真相を突き止めてこい、というのではない。確かめた上で、差し障りがあれば何なりと決着を付けろということなのである。
詰まる所は、噂が流れるのを止めればいい。その為には誰を斬ろうと構わない。
たとい、その若後家とて松原とて。
そういう意図を含んでの人選が、副長助勤の斎藤一なのだった。
「だから、これが溜息の一つも吐かずにやっていられるかってのだ」
人斬りの異名をほしいままにする斎藤とて、今度の仕事はいつにもまして厄介だと引け腰になってしまうのである。
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