(二)
高樋町の長屋は、ちんまりと集落の蟠った中にあった。
水路に壬生菜が生い盛っている田舎道をぶらぶらと外股で歩いて、斎藤は立ち止まった。長屋の東から数えて三軒目に「をり屋」という看板がみすぼらしく掛かっていた。
「蔵吉の折屋は此処かい」
入って行くと、座敷の奥から「へえっ」と吃驚くらったような声が返ってきた。
「とびきりのを一本造って貰おうか。緋襟の禁色の方々がうっとりするようなやつを」
斎藤はそう言いながら、框に腰を下ろした。
畳敷の上には、竹ひごやら糊を入れた手桶などが所狭しと置かれていた。
それらの道具の間から、蔵吉は四十がらみの骨張った顔を覗かせ、野兎のようにひょこひょこと出て来て正座した。
「お客はん、江戸の方でっか?」
「まあな」
蔵吉は、成る程と大きく息を吐いた。斎藤は訝る。
「説明すると長うなりまんのですけど、京扇子は江戸ように折屋に頼んだらどないかなるちゅうもんではおへんのが、普通どすわ。此処の長屋には、あての他に骨屋と塗師屋がおります。向の長屋には要屋と箔屋。分業しとりまんのや」
「それは済まなんだ。直接、扇子屋に言うべきだった」
と、斎藤が慌てて腰を上げようとすると、
「いえいえ。かましまへんのどす。あてが他の職人に言うときまっさかい。あては地紙もやっとりますけ。扇子屋で買うのんより半分以下の値でええもん出来ますよって」
蔵吉は笑った。
「悪いな、割り込みで。とりあえず年の暮れまでに間に合えばいいのだ」
斎藤は銀粒を懐紙に折り込んで、蔵吉の手元に差し出した。
「おおきに有り難う存じます。島原の太夫(こったい)はんゆうことでしたら、どなたでっしゃろ?」
「聞いてどうするんだ?」
「太夫はんごとによう映る地紙の色や塗りを考えさせて貰いますよって」
そんな事が判るのか、と斎藤は怪訝な顔をした。すると、蔵吉は「なあんの」と答えた。
「どないに化粧しはっても、どないな打掛の色でも、そら墨染の衣かてお人によって似合い方も違いますよって。あてら職人はいつも島原道中見て、お色映りを勉強させて貰うとります」
長屋の折屋にしては、上等なことを言う、さすがに京の職人だな、と斎藤は思った。
「桔梗屋の相生太夫だ」
斎藤が言うと、蔵吉は「へえ」と答えて色見本を見比べ出した。
「ああ。ところで、お隣は何屋さんかい?」
「お隣どしたら、お雪はんいう後家はんどすか」
「安西という表札がかかっているが」
「旦那はんの名字どす。この春に亡うならはりましたけど」
蔵吉は手を止めた。斎藤は、目を細めて蔵吉を見た。
「妙だな。後家のところへ物騒な二刀差しが出入りしているのは」
「はあ。けどお雪はんは縫物の仕立てを内職したはります。堺町筋らへんの堂上はんとこへ納めとるいうんで、青侍が行き来しとりますわ」
松原のことではなかった。かまをかけたつもりが、違う藪から蛇を出したようだ。
「それはいつ頃から?」
「さて。此方に住まわはってすぐやから。彼是二年程なりますやろか。あのう……」
蔵吉もさすがに斎藤の正体を怪しんできたようである。金離れのいい長州志士でもなければ、妙な事を訊くくせに、扇子を島原の太夫に贈ろうというのは、町奉行所同心にも所司代同心にもない粋心。
「この近隣の者だよ」
それで新選組と知れた。
「お前さん方が好くと好かぬに関わらず、扇子は納めて頂こう。それとは別に」
と斎藤は言って、小判を包んだ紙を蔵吉に差し出した。
「お隣を見張っておいて欲しい」
蔵吉はやや鼻白んで紙包を見遣った。金子が欲しくて壬生浪に使われるのかと思うと、外聞も悪い。何より蔵吉の京者としての誇りが泥を被るだろう。斎藤も、それは重々承知している。
「松原様という組のお方のことどすか」
「余計な事はせんでいいから、隣に誰が来た、何があったと教えてくれればいい。おれは時々扇子の進み具合を訊きに来る」
「しかし、殺生どんな」
間諜のような真似は出来ないというのだろう。
「きれいごとは言わん。このままにしておくと、お前さん方のいう壬生浪の評判もますます悪くなるが、何よりお前さん方に累が及ぶだろう」
松原が幾ら温厚とはいえ、新選組隊士が出入りしているというのは、剣呑だ。いつ何時、過激派尊攘浪士が踏み込んで来ないとも限らない。
現に、かつては屯所を襲撃しようとする計略もあったものだ。
「成る程、仰られる通りで」
蔵吉は案外素直に頷いた。下手にもって回った事を言ったりするよりは、直截にものを言えば通じやすいものである。
「お前さん方に危害が及ぶようにはしない」
とは言わなかった。言わずとも、京の人間は機敏なもので、余所者にそんな事を言われると却って気を悪くする。斎藤も京暮らしでその辺りの駆け引きがわかってきた。
「その安西さんは、何で亡くなったのか?」
斎藤は話題を逸らした。
「御存知ありまへんか」
「松原さんはその事は何も」
「なにやら四条橋の河原で斬りおうたらしいですわ。相手はようわからしまへん。近頃、流行の天誅やろかとお雪はんは恐ろしがっとりましたけど」
紀州浪人に天誅、それも安西幾太郎は名の通った攘夷家でもないというのに。斎藤は内心首を捻った。
「松原さんはしょっちゅう来るのか?」
「さあ。二、三日にいっぺん。長い時は半月にいっぺん。一刻かそこら四方山話をして帰るそうやと、うちの女房が言うとりますけど」
蔵吉自身は、松原のことを噂のような人間とは思っていないらしい。確かに見た目も、普段接する人柄も、まさかに人妻を横恋慕してその夫を殺害するような男とは思えないのだ。
「あら、お客はん」
斎藤は、女房が帰ってきたのをしおに、長屋を出た。
蔵吉の話を聞いて、いよいよ面妖な感じは拭い難くなってきた。
「こんな事をしても、本当に何か誰かの分に合うのだろうか」
扇一本無駄に作らせるだけで終いになれば、まだましだ。
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