(二)

 草津を過ぎ、石部口まで来たとき、さすがに初夏の陽もすっかり落ちて、何処かで宿泊せねばならぬと思った。旅籠に入り、二階に通された。少々酒を飲んで床に就くと、夜明け前から歩き続けた疲れが出たのか、すぐに正体をなくしてしまった。
 だが、夜中に首筋に涼風を感じた。「すわ、官軍の討手か」と、布団を跳ね上げ、抱えていた国重を抜くと、一人の男が障子の向こうに飛び退った。斎藤は、暗闇の中で相手を見定めようと目を凝らした。薩人とも長人とも思えぬ中背の男は、では盗人かとじりじりと部屋の隅に追い詰める。丸腰ではないが、得物を抜いてはいない。
「斎藤先生」
 男が叫んだ。斎藤は、はたと歩を止めた。寝間着の裾を大きく割り、正眼に構えたままである。
 男の声には覚えが無い。
「何奴だ、お前」
 斎藤は誰何した。すると、男の息を呑む音が聞こえた。
「鈴木勘助にございます。六番組におりました」
 だが、斎藤はここで気を抜くような男ではない。
「知らんな。おれを何者だかと勘違いしているな?」
「そんな。あなた様は新選組三番組組長であられた斎藤一先生ではないのですか?いえ、山口次郎先生とお呼びしたほうが宜しいのでしょうか」
 勘助と名乗る男は、切羽詰ったように言った。斎藤は安心したわけではないが、其処まで言うからには、やはり元新選組隊士であろうと考えた。しかし、賊軍の一員である斎藤を捕縛せんとする輩という可能性も捨てるわけにはいかない。
「ならば、其処に燭台がある。灯をともせ」
 斎藤の言う通り、勘助はおそるおそる手を伸ばし、火をつけた。赤い炎(ほむら)が上がり、勘助の顔を照らした。少しがっしりした顎のしゃくれ具合、真っ直ぐに目の上になる黒々とした眉。年恰好も確かに二十五、六とみた。
 斎藤は、だんだんに思い出した。撃剣指南をしていた時、各々の出自と流派を名乗らせたことがある。
「桃井道場で学んだという鈴木か」
 はい、左様でございます、と勘助は畏まった。斎藤は、漸く刀を下ろした。
「何ゆえおれをつけてきた。街道をずっと追って来たのは、お前だろう?」
 すると、勘助は深く頷いた。
「先生が御存知かどうかはわかりませんが、私は伏見の戦の直前に父の危篤で帰郷しておりました。三河本宿にございます」
 取るものも取り合えず郷里に戻った勘助は、父の看護をしていたが、やがてじきにその父も亡くなった。京の噂は三河にも届いており、鳥羽・伏見での戦いで幕府軍は大敗し、大樹公・慶喜も松平容保、定敬兄弟も東帰してしまった。果ては甲府で新政府軍を迎え討つも、新選組改め甲陽鎮撫隊は敗れ去った。流山で再起を決したものの、局長・近藤勇が捕縛され、板橋の刑場に送られたのである。
「何ゆえ切腹でのうて斬首であらせられたのですか」
 勘助は斎藤に詰難した。そんな事はおれに訊かれても困る、と斎藤は思った。
「朝敵の汚名を負うたゆえでしょうか、それとも」
 勘助は言い澱んだ。斎藤は昏い目で勘助を見据えた。そして、燭台に視線を落とした。勘助の言わんとすることは大方察しがついた。
 近藤勇はもとは多摩の百姓ゆえに武士には非ず、斬首を命ず、とのお達しではなかったのだろうか。たとい今は旗本・若年寄格の身の上となっていたとしても、武士たる武士の最期として切腹出来なんだ。そのことが何を意味するのか、斎藤にはもう一つわからなかった。それは、斎藤自身が生まれながらに士分を有していたからなのか。
「けだし、近藤先生の御最期は大層御立派であったときく」
 と、斎藤は言った。
「では何ゆえに斬首に」
「しつこいと斬るぞ」
 国重が刃を返した。勘助は唇を噛み、己の差料に手を掛けた。その姿勢のまま、暫しの沈黙が流れた。いかに桃井道場にて他藩試合の折、三十人抜きをしたという勘助とて、撃剣師範の鬼斎藤には太刀打出来なかった。道場剣は十指に入るほどの達者であったが、実践では敵わない。勘助は、唐橋の手前で、見る見るうちに薩兵三人を斬り倒した斎藤の剣技を思い起こし、身震いした。
「お前は何しに京へ戻ってきた」
 斎藤は静かに訊いた。「井上先生は伏見で討死なされたのだ。もう六番組も新選組もあったもんじゃあない」
「井上先生が……そうですか」
 勘助は、井上源三郎の死を聞かされ、一瞬消沈した。だが、今一度唇噛み締め、斎藤に顔を真っ直ぐに向けた。
「局長の御首が三条河原に晒され、千日前に見世物にされたあと、粟田口の刑場に埋められたと聞きつけ、奪い返しに参ったのです」
 ほう、と斎藤の口元が緩んだ。
「ですが、私めが辿り着いた時、御首は既に何者かに掘り起こされておりました」
 勘助が、斎藤の皮肉めいた表情を見据える。土方ほどの美形ではないが、薄暗がりでほの白く浮かぶ斎藤の貌は、一層凄味を増して、男でもぞっとするものがあった。
「御首を持っておられるのはあなたですね、斎藤先生」
「如何にも」
 斎藤はあっさりと肯定した。すると、勘助は矢庭に目を潤ませた。
「私めにも何とぞ、今一度局長の御首を拝ませて頂けないでしょうか」
 声が震えている。ならん、と斎藤は拒絶した。
「あの桐箱の中に入っていることは知っております」
 勘助は叫んだ。
「あれは鹿肉だ。局長の御首など入っておらん」
「わざわざ商人のなりをしてまで、面妖ではありませぬか」
「関所を通る方便に過ぎん」
 だが、勘助は首を振った。目はひたすら布団の向こうの桐箱を包んだ風呂敷に注がれている。
「嘘は困りますよ、斎藤先生」
 勘助は、少しずつ布団の方へ近付いて行った。斎藤は、敢えて刀を構えず首だけを回して勘助を追った。
「お前は本当に鈴木勘助なのか?執拗に局長の首にこだわるとは怪しからん。それが新選組隊士の所業か?」
「先生の仰る事は御尤もにございます。しかし、あまりにお隠しなさるのは却って怪訝にございますよ。それこそ、私ぁここで宿の者にあなたが新選組の大幹部であると告げてもよいのです。直ぐにも官兵があなたを捕らえに参りましょう」
 勘助は、不敵な笑みを作った。おれを相手に恫喝しようとは、何たる命知らずめ、と思いつつ斎藤は国重を構えた。
「お斬りになるのですか。お斬り下さい、ですがその前に私は」
 勘助はそう叫んで壁際を走り、風呂敷包を奪った。斎藤の打ち込みよりも、やや早かった。国重が打ち下ろした刃は、桐箱に阻まれた。さっくりと箱は割れ、常滑焼の壺と同時に畳に落ちた。鹿肉がばら撒かれる。そして、一抱えはある油紙に包まれた丸い物体が転がった。
「これぞ御首」
 勘助は目を剥いた。はっしと捉え、油紙を開く。強い酒の臭気と微かな腐臭の漂う生首であった。ざんばら髪で鹿肉を漬け込んだ味噌に塗れ判別しかねるが、頬骨の高さといい、四角い輪郭といい近藤勇のものであろう。
「局長」
 勘助は、はらはらと大粒の涙を零した。そして、刀を構えたままの斎藤を睥睨しつつ後退りした。
「局長の御首を鹿肉漬けとともにしておくなど、断じて捨て置けません。私が丁重に埋葬いたします」
 そう言い残すと、勘助は脱兎の如く部屋を飛び出して行った。斎藤は後を追ったが、思いの外勘助の足は速かった。既に宿を抜け出てしまっていた。

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