(三)
緑生い茂る愛宕山の小径を、二つの影が規則的に進んでいた。前を行くのは黒いビロードの外套を日除けに羽織った男で、後方の男は白い小紋に夏袴という格好であった。夏袴の男の方が背が高かった。
「で。その鈴木とやらは首を抱えたまま行方知れずなのか?」
土方歳三が振り返った。後方へ撫で付けられた黒い断髪が艶々と真夏の陽光に照り返る。
「おそらくは、また郷里の三河にでも戻ったかと」
斎藤が答えた。すると、土方は皓歯を見せた。
「それにしても、そそっかしい奴だ。近藤局長の首か、刑場に棄てられた何処の馬の骨とも知れん輩の首とも区別が付かんとはなァ」
「なるべく似ている男の首を拾ったものですから」
と、斎藤は無駄の無い言葉で返した。
二人は目前に建つ墓石を見上げた。「貫天院殿純忠誠義大居士」と刻まれた堂々たる青い石には、木漏れ日が降り注いでいた。それが、新選組を預っていた松平容保公より、近藤勇に与えられた戒名である。
近藤の首は、この墓石の下にある。
土方は負傷した方の膝をついて屈み、線香を手向けた。その白皙の横顔を見詰めつつ、斎藤はふと訳もなく不安に駆られた。
四月四日に流山から会津へ向かう道すがら、近藤に斬首が下されることを知った。そして、容保公の伝令を受けて、斎藤は安富才助に指揮を預け、近藤の首を奪取しに京へと戻った。粟田口の刑場で無造作に埋められている御首を掘り返し、其方は幕府隠密を通じて海路を使い、江戸経由で会津へと送った。そうして、自分は近藤に似た首を壺に詰めて陸路再び会津へ向かった。すべては、偽装である。
ところが、それらは何しろ人に見咎められてはならぬ作業ゆえに、すべて真っ暗闇の中で行った。斎藤自身も、果たしていったいどちらが本当の局長の御首であったのか、些か自信がなかったのであった。
そのことは勿論、容保にも土方にも告げていない。
しかし、こうして墓石が建立されているのならば、間違いはなかったのであろう。
北に飯盛山が見える。そして、南に新政府軍が迫っていた。斎藤は、足を負傷している土方に代わり新選組の指揮を執り、白河城奪還戦を試みた。だが、既に敗戦を喫し、多くの兵を失っていた。
「丁重に葬ると言っていました」
「しかし、鈴木がその首を本当の局長のものだと吹聴せねばいいんだがなァ」
土方が笑窪を作って苦笑した。これが、土方の最後の墓参となった。
明治八年、東京で生活している斎藤の元を訪ねてきた男がいた。永倉新八である。
「そうか。君も生き延びてついに所帯を持ったか」
と笑い、逝ってしまった土方や途中で別れた原田左之助の話などをすると、徐に、
「実は松本良順先生にもお声掛けしているのだが、板橋に新選組の慰霊碑を建てたいと思う。君にも助力をお願いしたい」
斎藤は、一度は新選組と袂を別ってしまったとはいえ、永倉の生真面目さと純粋な侠気には尊敬し、一目置いていたので、「いいですよ」と快諾した。
すると、永倉は、
「ところで」
別の話を切り出した。
「何やら三河岡崎に近藤勇先生首塚というのが建っているそうだ」
「本当ですか」
三河と聞いて、斎藤ははたと思い至った。石部口の旅宿での夜の出来事が思い出される。
「京や多摩に建てるのなら兎も角、岡崎とはまた妙だとは思わないか?岡崎は徳川家発祥の地にして、その徳川家に身命を賭しておつかえ申したという理由で先生を葬ったのだろうか」
永倉は真剣に怪しんでいた。
「その上おかしいのだ。台石に慶応三年辰年、と記されておるというし、忌み名まで昌宜ではなく宜昌になっている。こりゃあ似非ではないのかい」
近藤が処刑されたのは、慶応四年の辰年である。
斎藤の脳裡に、土方の言葉が浮かんだ。確かに、鈴木勘助はそそっかしい奴だった。
すると、訳も無く可笑しくなってきた。くつくつと小声で笑っている斎藤の顔を見て、永倉は更に不審顔になった。
「変わったのう、斎藤君も。京では声を立てて笑ったのなど見たことなかったが」
「永倉さんもですよ」
と、斎藤はやや薄くなりかけた永倉の頭を見て、また笑った。
「まあ、いろいろあったしの」
「いろいろありましたね」
だが、斎藤は今でも時々本当にあの時自分が持っていた首こそ、ひょっとして近藤勇のものではなかったかと思う事がある。鬼籍に入った土方には兎も角、結婚の上仲人をして貰った容保には今だもって言えていない。
件の「近藤勇先生首塚」は、愛知県岡崎市本宿町法蔵寺にある。
(二)へ
あとがきへ