(二) 恨めしや鍬次郎

 今井との一件は一応の片がついた。しかし、鍬次郎の内心は収まる筈もなかった。
 兄・造酒蔵の遺骸は一橋屋敷へ運ばれ、病死ということで土方らが周旋した。ところが、悪い噂ほど市井に広まりやすいものはない。
「大石造酒蔵は私闘の上に敗れて惨死。幕臣ともあろう者が、士道に悖る」
 と言われ、大石家は断絶という沙汰が下る。
「冗談じゃあありませんぜ。兄貴が斬られた上に禄は召し上げ、おれあ泣くに泣けません」
 鍬次郎は大声でがなりたてながら、行き交う隊士らに言う。皆、「お気の毒に」と言うばかりで他に何とも声の掛けようが無い。
「どうですよ斎藤さん。おれの兄貴は墓の下で泣いてますよ。そのうち化けて出るかもしれませんぜ。いまいましい今井のやつめ、とやら何とやら」
 斎藤は、ふんと鼻で笑った。
「するってえと、大石さんは何ですかい。兄上が亡くなった後、取って返して新選組を離脱し、家督を継ごうなんて考えてたんですかい」
 鍬次郎は、ぎょっとなった。「いやいや滅相も無い」
「一橋の御家臣になりゃ、あたら不逞浪士も斬りまくれんからな。人斬りが大好きなお前さんが。しかし、いい加減腹の底に収めるってのはどうですかい」
 斎藤は、横目で鍬次郎を見た。肩を並べて二人歩くは、河原町蛸薬師あたり。一人でそぞろ歩いて飲みに行くつもりだった斎藤に、鍬次郎がくっついて来たのである。江戸っ子の鍬次郎、年は下だが同郷の斎藤を尊敬している。
「そうは言われてもなあ」
 と、鍬次郎は腕組みしつつ早足の斎藤について行く。
 やがて大路を右に折れ、三条通を東へ東へ。すると、三条小橋のあたりでだんだら羽織の男達と行き違う。原田左之助であった。
「よう、『人斬り鍬次郎』に『鬼斎藤』じゃねえか。こんな所で出会っちゃ、くわばらくわばらだぜ」
 後の隊士がつられて笑う。
「おつとめ御苦労様です」
 鍬次郎、乱暴者ながら礼儀正しい。原田は素槍を担いだまま周囲を見回し、「あのよう」と二人に向かって言った。
「さっき集会所で面妖(みょう)な話聞いちまったよ」
 原田が聞いたのは、こういう話である。糸問屋の丁稚で留吉という少年が、所用の帰りのことだった。商家は松原通西洞院にある。留吉は、さる藩屋敷の用向きで白川村まで行った帰途。鴨川の川端を松原通まで下ればあとは真っ直ぐ西へ。長い道程、漸くお店が近付いたと思い、安心して小走りに急いだ。
 ところが、お店まであと数間という時、留吉は何者かに呼び止められた。
 暗い辻道のことでよくわからない。ただ、口調からして武家の者と思われた。
「もうし、そこの小僧。人を探しておる」
「お人探しどしたら、あのう、ここを上ったところに番所がありますよって。すんまへんけど……」
 留吉が言った時、侍はぬっと腕を突き出して留吉の肩を掴んだ。その手が血塗れである。わっと驚いて提灯をかざすと、男は浪人者らしい風貌で髪はざんばらに乱れ、額から夥しい血を流していた。
「おおおおおお武家さま、お怪我」
「探しておるんじゃ。おれを殺した男を」
「ここここ殺したァ?」
「おれを殺した新選組の大石……大石くわっ」
 そう叫んで浪人はかっと目を剥いた。鬼かと見紛う凄まじい形相に、留吉は提灯投げ出し、尻絡げて一目散に走り出す。西洞院のお店が箱根の関所ほど遠く思えたとは大仰だが、それ程肝を潰した。「幽霊が出ましたァ」と言って、留吉は丸一日寝込んでしまったという。
 鍬次郎、それを聞くなり血相変えた。
「そりゃ、おれの事か!」
「らしいな。その留吉って丁稚だけじゃねえ。近所の美濃屋って醤油問屋の手代も、裏の御隠居も見たらしい」
 原田は眉根を寄せて言った。鍬次郎は、首を振った。
「幽的なんざとんでもねえ」
 芸州弁の浪士は確かに袈裟に斬って息絶え、町方が遺骸を運んで行った。まさか墓の下から生き返ったでもなし、化けて出るなんて笑止。落語や講釈じゃあるめえし。
「しかし大石さん、あんたさっき『おれの兄貴は化けて出るかもしれねえ』って言ってたじゃあないか」
 と、斎藤。
「お、おう。兄貴も化けるなら敵も化けるか。そうかもしれん」
「お前の兄貴が今井んとこへ出て来たら、こりゃ面白れえ」
 と、原田。いやいや、冗談じゃねえそ、と鍬次郎は鼻の穴を膨らませた。
「誰か不逞の輩の仕業に違いありゃせんぜ。原田さん、斎藤さん、あの芸州侍の仲間がおれ達新選組を陥れようと」
「お前とおれ等を一緒にするんじゃねえよ」
 原田は笑った。しかし、鍬次郎そう思い込んだら突っ走る男である。
「不逞浪士とあらば、捨ておけん。早速斬るべし。参りましょうぞ」
 と、斎藤の肩を掴んで南へ向かう。「原田さんは」と叫ぶ斎藤に、原田は首を振る。
「とんでもねえ。おれあお化けと千振(せんぶり)だけあ大ッ嫌えでよ」

 松原通を河原町筋からずんずんと西へ向かい、件の東洞院までやって来た。夜啼き蕎麦とは珍しい、と斎藤は辻を振り返った。京では蕎麦屋はうどん屋の数ほどではない。
「腹が減ったな、大石さん」
「何を言いますか。蕎麦なんて浪士を斬ったら幾らでも食えます」
 どっちが組頭なのかわからない。斎藤は舌打ちして再び歩き出した。
 すると、露地の四つ角に黒い人影がぼう、と見えた。ここらは常夜燈も少なく、暗い物陰で誰が誰とも判らぬ風情。鍬次郎は刀を抜いた。辻から男が現れる。
 血だらけのその浪人の風貌を見て、鍬次郎は思わず「ぎゃっ」と怪鳥の如く叫んだ。後退ろうとして尻餅をつく。すかさず斎藤が出た。居合で浪人幽霊をえいや、と抜き打ちにする。ところが手応えは無かった。
「おのれ大石めが」
 叫んで男は消え去った。斎藤は刀を仕舞い、鍬次郎を助け起こす。
「何てこった、驚いた」
 鍬次郎は血の気が引いた顔で言った。「まァとりあえず、蕎麦でも食いながら」と、斎藤は屋台に連れ込む。
「恥ずかしい。おれが尻餅ついたなんて黙っておいてくださいよ」
「ええ、まあ。驚いたのはおれのほうですよ。大石さんまでもが幽霊なんぞ信じているのかと」
 斎藤に言われ、鍬次郎は顔を真赤にした。「突然で吃驚した」
「信じているから恐いのですよ。奴め、足音なんぞ残していきやがった。幽霊に足音がありますかね?」
「斎藤さんの言う通りだ。幽的にゃ足がねえ」
 鍬次郎は、温かいたぬきそばを啜りながら言った。
 翌日、鍬次郎は土方に昨晩の出来事を告げ、急度その男は斬った芸州浪人とかかわりのある浪士に違いないので探索をかけたいと願い出た。土方は白面に皮肉な笑みを浮かべつつ、
「構わんが、隊務を損なうなよ。つまらん噂が立って新選組の大石は臆病者だなんて言われちまうと隊全体の沽券にもかかわる。だが、お前が何とかするってのなら己で何とかしろや」
 そう言った。粗暴な鍬次郎だが、土方もこの男は重宝しているし、何処か憎めないので大目に見てやる。今井との事もそうであった。 「ただな」と、土方は釘をさすように付け加える。
「お前、今井の事は未だに根に持ってやがるらしいな」
「はっ。当然であります。唯一の肉親を斬殺した男が同じ隊、しかも同じ諸士調役とはあんまりではないかと。怒りのやり場がないのです」
 鍬次郎は正直に言った。
「お前の気持ちはわかるがなァ。たいがいにしとけ」
 土方はそう言って部屋を出て行った。
 ところが、やはり屯所内で今井の顔を見るにつけ、名前を聞くにつけ、憤懣やるかたない。市中見廻りでは今まで以上に張り切って、浪士をぶった斬っても気は晴れぬ。
 晴れぬどころか「己に無関係な奴等を斬っても何の心が躍るか。やはり今井に一太刀浴びせんことには気が済まん」と、どの浪士の顔を見ても今井の顔が重なって見える。
 そうして年中、鍬次郎が険しい目付きで今井を睨んでいるので、周囲の者も気が気でない。近藤でさえも、尋常でない鍬次郎の様子が気になった。
 まるで「今井、殺す」「今に殺す」「いつか殺す」と、呟いているようである。
 騒動があってからほぼひと月経ったそんな折、近藤はついに土方に言った。
「大石はまだ例の件から、今井を狙っているように見える。なァ、トシ。今井の身柄はお前預りってことで何とかしてくれ」
 土方は苦笑した。困り事はすぐおれに押し付ける。しかし、土方は名案が浮かんだと見えて、そのまま鍬次郎のところへ向かった。そうとは知らぬ鍬次郎、西本願寺の境内で稽古をしている隊士等に混じった今井をじっと凝視していた。「いつか殺すぞ、いつか」
「大石、いつぞやの幽霊騒ぎはどうしたい?」
 土方が矢庭に声を掛けた。ぎょっと振り向く鍬次郎。
「土方先生。ああ、こりゃそういえばあれ以来ぱったり止みましたねえ。やはり、幽霊も『鬼斎藤』のほうが恐かったんでしょうかね」
「斎藤がどうかしたか」
「いえ、何でも。こっちの話でして」
 と、頭を掻く鍬次郎の肩を、土方が叩く。
「実は局長から先程大事な預り物をしてしまった。おれ一人では安心出来ないので、お前にも番人になって貰おうかと思って名」
「はァ判りました。で、そいつあ一体どういう預り物ですか?」
 鍬次郎が訊く。土方は片頬を緩めつつ、「いやァ、そこに居るぜ。今井祐次郎の命だよ」
 鍬次郎は、大口ぽかんと開いて境内を見遣った。土方笑って、
「もしあいつに大事があったら、おれとお前並んで切腹ってこった」
 鍬次郎、「はかったな土方さん」と思ったが、それも束の間のことで。どうやら己の無鉄砲ぶり、偏狭一途ぶりが周囲に迷惑を掛けていたらしいと悟る。馬鹿は馬鹿なりの思慮であった。

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