(四) 鍬次郎尋常勝負

 斯様な成り行きで、鍬次郎は非番の日に祗園へと繰り出した。勿論、当のおつたに真偽を問うのが目的である。四条橋を渡り切り、北座南座の賑わいを尻目に、神明社まで来た時、男女の影に気付いた。見れば女はおつたである。そして、男は今井祐次郎であった。
 鍬次郎は愕然となった。だが、その場を立ち去ることあたわず。じっと二人の会話に耳をそばだてるのであった。
「そうではござらぬか、おつた殿」
「いえ、決してそのような」
 などと埒もない遣り取りを聞きかじったところで、居ても立ってもいられなくなった鍬次郎。思わず鉄火の血が騒いだ。
「やいやいやいやいやいやい手前ェら」
 と、おつた今井の前に割って入る。
「な、何ですか大石さん。いきなり」
 今井が詰る。が、構わず腕まくりの鍬次郎。
「天下の公道で乳繰り合ってんじゃあるめえよ。やい、今井。おつた殿は長浜屋の奉公人であって、芸妓じゃねえ。まるで商売女にするように口説くたあ士道不覚悟だッ」
「言うに事欠いて、士道不覚悟とはどういう事ですか」
 今井も目を剥いた。「それに、おつた殿に対して失敬な」
 おつたの顔は飽く迄蒼褪めている。言葉も出ない程の驚愕振りであった。
「士道不覚悟といったら士道不覚悟だ。覚悟しやがれ」
 鍬次郎は抜刀した。だが、今井は抜かない。人斬りを気にしてか、おつたを配慮してのことか。
「おつた殿、これ以上問わないからお逃げなさい。この乱暴者には口で言っても聞きはしません」
 今井の言うよう、おつたは強張った面のまま、小走りに走り出した。今井は刀の柄に手を掛けたが、抜かずに後退る。
「ここでは人が大勢見ておりますし、仲裁もおりませんぞ、大石さん」
 その今井の一言で、鍬次郎ははっとなった。土方の言葉を思い出したのである。
「もし、あいつに大事があったらおれとお前で切腹」
 いかんいかん、と鍬次郎は己を押し止めた。今井は続ける。
「大石さんは勘違いしておられるか知らないが、これには理由があるのです。おつた殿に近付くのは、歴とした理由あってのことです。今は言えませんが」
 理由とな、と鍬次郎は訝った。虚を突かれた鍬次郎の隙を見て、今井は離れて行った。鍬次郎は追わなかった。抜いた刀の収めどころも立てた腹を直す切欠もありゃしない。「畜生め」と、鍬次郎は地団駄踏んだ。
「何が理由でえ。士道不覚悟といったら士道不覚悟だ」
 再び湧き上がった今井への恨みと疑念、とりあえず酒でも飲んで紛らわすしかない。屯所に帰ってこの事を言うや、原田は腹を抱えて笑った。
「そりゃおつたにも嫌われちまったなァ。諦めろや。女なんて掃いて捨てるほどいてらあ」
 と、饅頭を頬張りながら言った。他人事だなと鍬次郎は中っ腹になったが、おつたに嫌われたという言葉が効いたか、しみじみ哀しくなったのであった。

 さて、第二次征長もかんばしからぬ結末を迎えようとしていた八月の二十九日のこと。
 夜陰に乗じて三条橋詰の高札が引き抜かれ、鴨川の河岸へ投げ捨てられるという事件が起こった。
 制札の文面が墨で塗り潰されているところからして、只の悪戯ではないと奉行は判断し、正体を探るべくもう一度同じ制札を立ててみた。これも、二日後に同じ憂き目に遭った。
 町奉行所は事を重大視し、会津藩に探索を依頼した。すると、土佐藩士に頗る疑わしい形跡がある、ということで早速、新選組に操作の命令が下った。
「何でも土佐藩士だからといって、仮借するこたあねえそうだ。老公は公武合体派でも、浪士らはそうじゃねえからな。さて、誰を遣る?」
 軍議の間で土方が腕組みをした。すかさず原田が立ち上がる。
「おれに任せろ。ふてえ土佐っぽなんぞ斬り捨てたる」
 一同顔を見合わせ頷いた。異存は無い。
「左之助の十番組と、あとは斎藤お前んとこの平隊士を貸してやれ。総勢二十余名を幾手にか分けて潜伏だ。監察からは浅野と橋本を出す。目付役に」
 と、土方はそこでふと言い澱んだ。
「大石をつけておこう」
 一番組の鍬次郎とは妙だな、と誰もが瞬時に思った。しかし、十番組に今井がいることで何か意味があるのではないか、と斎藤は考えた。
「例の女中の一件でも大石と今井はまだ険悪であるのに、土方さんは何を考えているんだか」
 だが、一々口出しすることではない。もしもの時は原田がなんとかするだろう。いや、そうとも言い切れんな、と斎藤は深々と頭を下げたまま考えた。考えているうちにうとうとして、何時の間にか軍議は終り、己一人が客間の柱に凭れて取り残されているのに気付いた時は、西の空も茜色であった。
 制札事件の現場を固める新選組の綿々、一手は大橋東詰の町家に、もう一手は西詰の酒屋に潜み、残る一手は橋の南の先斗町会所へ集う。お菰(乞食)姿で橋の下に潜むのが浅野藤太と橋本皆助であった。
 しかし九月十、十一日は両日とも何事も無く過ぎ、十二日の夜も更けていく。
 当夜、鍬次郎は東詰の町家に潜伏していた。西詰には今井らがいる。
「どうせ今夜も出るまい」
 隊士等は多寡をくくって酒を飲み始めた。鍬次郎はといえば、勧められても一滴も酒を口にしなかった。蔀の蔭から鴨川越しに対岸を睨む。酒屋の灯りがぼうと点っていた。
「浪士らが現れたとして、一人や二人じゃあるまい。かなりの大捕り物になるぞ。さすれば、味方とて只では済むまい。暗い中では敵の姿もよくわからんからなァ」
 と、考えて今井の顔が浮かんだ。
 暗闇の乱闘に乗じて斬る。誰の手かわからねえ。いや、誤って斬りつけたとしても仕方ねえだろう。
「はっ、いかんいかん」
 頭を振る。土方のきつい眦が目に浮かんだ。
 しかし、咄嗟のことで土佐っぽを斬ったつもりが今井だった、てな事でいくまいか。
「いや、やっぱりいかん」
 鍬次郎はひとり眉間に皺を寄せて考え事をしていた。すると、勝手口がやにわに開いた。
「浪士が現れました、お急ぎ下さい」
 お菰姿の橋本皆助である。一同はおよ、と瞠目した。西河畔に潜んでいた筈の橋本が何故此処に。
「浅野はどうした?」
「判りません。兎に角もう原田先生、新井先生は現場に駆け付けております」
 橋本の先導で鍬次郎らも白刃を振るい、到着した。
 原田は既に浪士八人のうちから藤崎吉五郎こそ領袖格と見て取って、斬り伏せていた。そして、西詰から駆け付けた新井も、今井と組んで宮川助五郎を倒す。
 勢い付いた今井は「こやつの首頂こうぞ」と、大刀振り下ろすのを、新井が制した。
「いかん。捕虜にして白状させねば」
 首を打ち損なった今井は、興奮冷めやらぬまま橋のたもとで振り返る。そこへ走り込んできた一人の男こそ鍬次郎。かっと目を見開き、無意識で今井の脳天目掛けて斬り下げようとした。
「馬鹿野郎、鍬の字ィ。何やってんだ!」
 原田の怒号が飛ぶ。鍬次郎はっと我に返って、今井に背を向け漸く土州の侍に向かって行った。
「いかんいかん。本当にこいつァ、いかん」
 鍬次郎は月明かりに見た今井の鬼気迫る表情を瞼の下に収めたのだった。
 さて、騒動の後、原田らが重傷を負った宮川助五郎を運んで本陣へ戻ったのは、既に十三日の朝未来。明るくなってから駕籠を降ろされ、傷の手当てを受ける宮川を見て、鍬次郎はあっと息を呑んだ。
 松原通東洞院に出た幽霊にそっくりだったのである。
「足はあるのかよ、手前ェ」
 重病人の胸倉を掴み掛かろうとする鍬次郎を、今井が歩み出て制した。
「まあ落ち着いて下さい、大石さん」
 橋上の事があったので、鍬次郎は大人しく引き下がった。
「貴方が斬った芸州の侍とこの男は兄弟なのですよ。顔も似ているでしょう」
「しかし、土州と芸州たあどういう?」
「弟の方が芸州の某という家に幼子の頃養子に入ったらしいです。それで、貴方に斬られたというのを聞き及び、ああやって辻に立って幽霊の振りをし、貴方を誘き出そうとしていたんです」
 今井は言った。極秘裏に探索をしていたのだ。というのも土方の命令であった。一方的に鍬次郎にのみ今井を斬るな、命を預けたというのではよくない、との配慮らしい。
「黙っていて申し訳ない大石さん。それに、あのおつたという女中の事もです」
 おつたは実は芸州侍・宮川助五郎の弟の情婦だった、と今井は言った。
「どうやらおつたはその縁で宮川らの潜伏先の手配や、見張りなどしておったのです。先日、大石さんとお会いした四条橋のあの時も、明らかに怪しいと見えましたので尋問しておりました」
 鍬次郎は呆然となった。今井は憑き物でも取れたように、ほっと微笑んでいる。
「すまなんだ。おれがまっこと馬鹿だった」
 と、鍬次郎心の底から思ったが、何も言えずに口を半開きのままであった。今井は静かに礼をして去って行った。

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