2005年大河の旅 桑名編
絶叫!その手は桑名の焼きハマグリ旅情
| ●旅程 1日目 9:45京都駅 (近鉄特急橿原神宮行)→ 10:30大和八木10:40 (近鉄特急賢島行) → 11:30伊勢中川11:37 (近鉄特急名古屋行) → 12:18桑名12:20 (徒歩20分)→ 13:30九華公園14:10 (徒歩10分) → 14:25七里の渡し14:50 (徒歩10分) →15:00六華苑17:05(バス) → 17:30桑名駅 → 17:40玉喜亭 2日目 9:30桑名駅 (三交バス)→ 10:00長島温泉 スパーランド16:05 → 17:00名古屋駅18:00 (東海道線) →20:20京都駅 |
| 〈1日目〉 ●サダアキスト近鉄特急の旅 サダアキストの為のサダアキストの旅。新幹線で行ったほうが明らかに早いに決まってるのですが、近鉄特急に乗ってみたかったので、遠回りですがこちらで行きました。所要時間二時間三十三分。料金は高いですがチューハイなど飲みながら、快適です♪←オヤジか(笑) ●定敬公のお膝元・桑名到着 のどかな田園風景を経て、桑名駅に到着。静かだ。あまりに静かすぎる……ていうか、観光客はいないのか? 「それにしても暑い!暑過ぎる!海の近くなのになんでなん?」 とぶうぶう言いつつ、第一の目的地「九華公園」目指して歩きました。 「九華公園」っちゃあそうですよ、海道の名城「扇城」こと桑名城跡っていうわけで。とにかく暑かったんですけどね。しかも観光客いねーよ(爆)。いるわけないな、皆万博行ってるよな、と。 途中、薩摩義士の墓があるという「海蔵寺」を覗いてみました。何でも、宝暦3年(1753)に、幕府の命で薩摩藩は揖斐・長良・木曽三大河川工事を命ぜられたそうです。宝暦5年工事は完成されたのでが、多くの犠牲者と巨額の経費がかさんだことの責任感から工事総奉行平田靭負は自刃しました。などと看板を読んでるうちに、 「ってことは、まさか薩会同盟の破綻はこの出来事に始まってたんじゃあ……」 何しろ、容保も定敬も美濃・高須藩の出身だし。薩摩にとっちゃ、あの時あんなに犠牲を出してやったってのに桑名のヤローとんでもねえ、という気持ちなかったとはいいきれないんでは?と、勝手な想像。まあ薩摩にとって積年の恨みというのがあるでしょう。 「通り井」の跡と看板もありました。海に近くて飲み水に困ったという桑名には、昔から水売りがいたそうです。「通り井」という名称は、通りにあった井戸だから。 ●桑名の殿さんハマグリゲット!(3個) 寄り道しているうちにお昼もいい時間になったので、途中「歌行燈」本店に寄りました。桑名を舞台にした泉鏡花の小説『歌行燈』の中に出てくるうどん屋「志満や」のモデルになったといいます。週末ということもあってか、空席待ち状態。私は蛤うどんを食べました。蛤天ぷらが三個ついてて、いずれも肉厚で美味しかったです。だしはですね、天ぷらを入れることもあってか、少し甘めです。関西風と名古屋風の中間くらいの味ですかね。釜揚げうどんは、先に少し湯で汁を飲んでみるといいですよ。だしが出てますから。 HPでは書いてませんが、メニューに「桑名の殿さん」ていうのがありました。 「くくく、桑名の殿さん?!」 「でも殿さんて誰のことかわからん……。本多忠勝?松平(久松)定永(定信の息子)?やっぱそれとも。いや、ラスト・所司代松平定敬に違いない」(断言) ←上がハマグリの天ぷら、下が「桑名の殿さん」写真は反射してて失敗しました、すみません。きっと興奮しすぎて手元がくるったんでしょう(笑)。 にしても、殿さんというわりに「松・竹・梅」(海鮮料理ですが、内容が微妙に違う)あるのはどおゆう意味なのか?といろいろ想像しちまいました。 ……なんかでも「桑名の殿さん」てメニューがあるだけでもサダーキー愛されてる? (注:「桑名の殿さん」というのは、そういう民謡があるようです。 桑名の殿さん ヤーレン ヤットコャ ヨーイヤナ 桑名の殿さん 時雨で茶々漬 ヨーイートナ アーレワ (アリャリャンリャン) ヨーイトーコ ヨーイトーコナー どうやら明治時代に桑名の豪商が大阪などで遊んだ時の模様から出来たようで、実際の殿さまとは関係ないのでもしかしたらメニューも定敬公には無関係かも) ●戦慄!戊辰殉難招魂碑 そして、サダアキストの聖地・九華公園へ。とにかく暑いのでバテバテになりながら、北大手橋(現・船入橋)から入りました。どうやらお堀の形は現存とそう変わらないそうです。一部外堀など埋め立ててるみたいですが。 コミュニティパークの入口に本多忠勝像。ここらは三の丸御殿跡だそうです。てことは、この辺りにサダーキーが住んでいたわけだ!とまたしても興奮。今は見る影もないんですけど、海が見える景色のいいところです。 ![]() ↑本多忠勝公像。槍が長すぎてファインダーに収まりませんでした(下手)。 上右は、二の丸から眺める内堀。赤い橋が美しい。昔は橋がなかったのですが、船で御殿に渡るサダーキーって想像するとなかなかいいかもしれません。 本丸跡、二の丸跡をぐるっと回ってまた本丸跡の辰巳櫓跡にもどってはたと気付きました。 ![]() ↑辰巳櫓(立見に非ず)跡の看板とその上の砲台(上右)。砲台の由来はナゾだそうですが、何か怪奇。るるるる〜るるる〜。 ←風雅な松。いつからあるのか判りません。焼き払われたあと?「あっ。そういえば肝心のサダーキー撰の招魂碑は何処っ?」 慌てて本丸を北に行って、「鎮国守国神社」に行ってみました。松平定信公を祀っています。 「えー。これが目的だったのに!一体何処?」 何の確信もなく、ていうか下調べゼロ状態で来ること自体間違ってますけど、神社の裏に回ってみたら…… 「招魂碑を見つけた!」 パパラパー!まるでドラクエで小さなメダルでも見つけた気分になりました(笑)。ヤター! 写真ではわからなかったですが、結構高いところにあります。石段を登ってさらに剣の形をした碑の台下まで上れるようになってます。しかし、裏手が市民プールでしたので、賑やか。こんな賑やかなところでいいのか招魂碑。ていうか、サダーキーものちのちこんな市民の憩いの場の間近になるとは思ってなかったかと。 ←いい感じに建ってます。よろこび勇んで碑文「忠哉義哉、桑名士民、守節取義、各殉其難、郷党追慕、建碑招魂。嗚呼忠節、永照千春」を読んでると、ぷい〜んとイヤな音が。……噛まれました、蚊に。というわけで、夏場はご注意です、ここ。 公園内にはどこからか住み着いた猫がたくさんいました。烏骨鶏やあひるやセキセイインコが飼われていたり、のどかな雰囲気ではります。 何しか感動ですねー。百数十年前には実際にこの場所にサダーキーがいたと思うと。 ←二の丸にいた主のようなあひる。人懐っこい。●七里の渡し 九華公園を出て、お次は「七里の渡し」へ。この史跡は、熱田の宮から桑名まで海路七里にあったことから「七里の渡し」と呼ばれています。当時は東海道の42番目の宿場町として大賑わいを見せ、ここにある大鳥居は、これより伊勢路に入ることから「伊勢の国一の鳥居」と称されています。 ↑蟠龍櫓。右手は三の丸堀の工事中で、左手向こうは防波堤。管理所の二階はおじさんが一人座っているだけでした。 さて鳥居の前に現在は水門管理所にもなってます「蟠龍櫓」に上りました。写真のように鉄筋で出来てまして、二階は無料展示室。午後三時までの閲覧でした。桑名城にはかつて52の櫓があったとか。古地図も展示してあります。まあ、申し訳程度のような気もしますが、私たちのほかに見学者はいないし、散歩してる人もまばら。 でも結構古地図で楽しめましたね。お城のすぐ西に服部半蔵の屋敷が、とか。 ![]() ↑「七里の渡し」看板。右上は一の鳥居。 七里の渡しはなんですが、御覧の写真では広いところのように思えましたが、実はそうではないです。手前はすぐ石垣で、川です。その向こうは防波堤です。海がほとんど見えません(爆)。今は三の丸の堀の工事をやっていますが、指定史跡になってる石垣は健在です。 それにしても、こんな苛酷な河口の合流地帯に城を作ろうとした昔の人ってエライ。いまもまだ解明されてない築城の謎がたくさんあるそうです。できれば御殿跡とか櫓も残ってて欲しかったですけど、それは贅沢な望みというものでしょうか。渡しの前から、東海道が西に折れて続いています。 ![]() ↑ 東岸の石垣(写真を斜めに横切る石垣)は、桑名市の指定史跡になっているそうです。 ●六華苑 「七里の渡し」を見学し終えて、つぎは昔本陣だったという「船津屋」(小説『歌行燈』では「湊屋」)の前を通り、料亭・山月の前に『歌行燈』の歌碑があるのを見てから六華苑へ。 時間も時間で、最高に暑いときでしたので、半分斃れかけのようにして歩きました。約十分で到着。 六華苑は、もと地元の大富豪・諸戸清六邸で、土地を桑名市が買い取った重要文化財です。鹿鳴館などをてがけた建築家ジョサイア・コンドルの設計。洋館と和館がつながった珍しい建物でした。回遊式庭園もうつくしい。 事務所の前のお茶席で抹茶を頂きましたが、お菓子もついて300円という破格の安さにちょっとびっくり。敷地内では今も月次(つきなみ)茶会などが行われているそうです。桑名は松江などと同じようにお茶がさかんなのですね。 千羽鶴で有名な桑名ということで、千羽鶴の本を買って帰りました。しかし訪問者の年齢層は高めでした(笑) ![]() ↑庭園からみる六華邸。右上は高須御殿。美濃・高須城から移築したもので、茶会などに使われています。 ←洋館と和館の接合部分。●堪能ハマグリ三昧!(7個) 旧東海道の街並みなど眺めつつ、桑名駅まで戻り、本日のお宿の玉喜亭へ。 もとは安永餅などを旅行者に出していたという老舗です。宿泊者はこの日は私たちだけでした。藤棚が有名な料理旅館だそうで、本当は五月初旬に来るといいみたいです。 それにしても、 「京都からなんて珍しいですね。万博は行かれるんですか?」 と訊かれましたが、行きません(笑)。目的地がここなんで(笑)。やっぱ稀少な旅行者のようですよ、桑名だけに泊まるのって。そうか、そうなのか……。 そういうわけで、 夕食のおしながき。 〈八寸〉 鮭と白身魚のテリーヌ アナゴ巻き 枝豆豆腐 しんじょう 〈小鉢〉 ワカメ卵豆腐(いくら) 〈酢の物〉 かにとモズクの酢の物(胡瓜) 〈焼物〉 焼きハマグリ 〈お造り〉 カンパチ・鯛・まぐろ・からす貝 〈鍋物〉 ハマグリ鍋(ハマグリ・えのき・しめじ・白菜・とうふ) 〈揚物〉 ハマグリの海苔包み揚げ・ししとう・小なす・海老 (ご飯) しぐれ茶漬け 〈水菓子〉 メロン・さくらんぼ お酒(冷) 「久波名」特別純米酒 ![]() ↑小鉢とお造り、お酒。右上はハマグリ鍋と焼きハマグリ。 ハマグリも最近は地元で獲れにくくなっているそうです。旬はやはり五月〜六月で、夏になると少し身が細ってくるといいますが、なんの。焼いただけです、といわれたハマグリの美味さは堪えられません。酒のみにはもってこい。肉厚でジューシーで潮の味が口のなかにじんわり広がります。 「殿は毎日こういうの食べたんだろうか。いいなあ〜」 などと思いながら堪能しました。いやあ、ホントにハマグリ絶品!絶対他のハマグリでは満足出来ません。海苔も地元産のもので、黒くてしっかり磯の味がしてこの二つのコラボの揚物はよかったです。 お酒なんですが、青雲「久波名」特別純米酒は甘口で冷にぴったりの美味しいお酒でした。なんで淡麗よりもこっちがいいかというと、ハマグリの味の濃厚さに負けてしまうからでしょう。だからこういう濃醇な作りなんですね。 宴会があって隣の座敷では遅くまでやってたようですが、芸者さんとかも呼んでいて、往時を思わせる雰囲気がしました。 〈2日目〉 ●絶叫!白い恐怖・ホワイトサイクロン 二日目はオマケのようなレポですが、長島スパーランドで絶叫三昧……。プールとスパは昨日の夜に別の温泉に行ったので入りませんでした。 しかし噂の木製ジェットコースター・ホワイトサイクロンは三回乗った!全長1.7キロ余りある結構長いやつで、枠組みも総て木製だけにギシギシ横揺れがスゴイんです。コンタクトレンズが危険なので、半分くらい目をつむってましたけど。 待ち時間の間、ずーっと妄想入ってましたね。「一会桑」の面々が乗ったとしたら、 サダーキー:「兄上はやめたほうがいいですよ、ホラ『体調の悪い方、心臓の悪い方はご遠慮ください』って」 カタモリ:「えっ、でも幕府の為ならやるっ」 ヨシノブ:「肥後はやめとけって。無理無理(冷笑)」 結局三人乗車後、サダアキは「おもしれー、もう一回!」とか言ってる。で、容保は多分途中で失神してそう。慶喜は実はこわかったんだけど「たわいもない」と言って、実は誰も見てないうちにトイレに駆け込む。ような感じかな。 定敬好きそうなアトラクションばっかりですよ(断言)。こんなところで放し飼い(笑)にしたら、殿ご乱心、とばかりに帰って来なさそう。家臣ともども振り回されてヘトヘトに。 観覧車は絶景なのは言うまでも無いですが、乗物の大半が緊張感とともに海を見渡せるという一粒で二度美味しい状態ですので、乗物恐くない方はオススメです。 ●反省 というわけで、せっかく桑名に行ったのに、半分ほどは遊園地で過してしまって、肝心の東海道の見附とか春日神社(石取祭で有名な)も外からしか見ていなくて、お寺も多いのに殆ど見てないという何してたんだ状態です(死)。 でも、京都からは近いので、今度は車ででも行ってみようかなと思いました。 食べ物は美味しかったです。風味が関西寄りで、言葉のイントネーションも関西寄り。でも、最近の若い人は名古屋(関東風イントネーション)寄りだとききましたが、そういう意味では耳になじみやすい土地でした。 またリベンジしたいです。 |