(二)
翌日、斎藤は朝から巡邏の為に出動したので、馬越とは顔を合わさなかった。
土方には、その晩報告に行った。すると、
「そうか、馬越か。浪士ではなかったのだな」
満足気に白い顎を撫でつつ、そう答えた。斎藤は、いやにあっさりと納得したものだと少しく奇異に感じたが、別に気にも留めなかった。斎藤が副長室を退出しようとすると、土方は呼び止めた。
「馬越は一人だったのか?」
「然様で」
「では、おれの思い違いか」
土方はそう言った。そして、斎藤を手招きし、再び部屋へ戻らせた。
「実は馬越からある相談を持ちかけられていてな」
その相談というのは、副長助勤の武田観柳斎のことである。
年の頃は近藤、土方らと同じくらいの武田は、出雲・母里出身の元医生で軍学者であった。甲州長沼流の軍学をよくし、お蔭で新選組に入隊した。近藤もこの男の知識を重宝している。
ところがこの武田、平隊士には酷く嫌われている。
調練の時、一寸でも隊列が乱れていたり、草鞋の紐でも緩んでいようものなら執拗に叱責する。そのくせ、目をかけた隊士は猫っ可愛がりにし、上の者には追従するという変わり身の早さ。
問題なのは、その平隊士の可愛がり様だ。武田は男色家なのである。したがって、気に行った隊士には一心不乱に口説きに掛かる。
実は、馬越三郎も武田の懸想にあって困じているのだ、と土方に訴えがあった。
「男色などとんでもない」
斎藤は、酸っぱいものでも食らったように顔を顰めた。
馬越は確かに女子のように色白く、肌など艶つやした美男子で、壬生界隈を彼が歩いていると色目を使ってくる娘も少なくない。しかし、さすがに新選組に入隊するほどであるので、剣の腕はは確かなものであった。
「お前のように仏頂面下げて歩いてる奴には声も掛からんだろう。まぁ、その心は判らんだろうがな」
土方は腕組みして、にやにやと笑った。
「では、土方さんはあるのですか?」
「何をだ」
「武田に見初められたというような事が」
馬鹿め、と土方は口を尖らせた。
「おれは男になど興味はねえ。又、興味にもされたくねえ」
「なら、馬越に何と言ってやったのです?」
斎藤が訊くと、土方はうむと唸った。
武田はこれまで、馬越に限らず幾人かの隊士に目を付けたり、その度にちょっかいを出そうとして隊を脱けられたり、或いはなびかないとなると逆に虐め倒したりで、平隊士の評判は頗る悪い。
のみならず、隊の風紀、規律そのものにも宜しからぬ影響を与えている。
かといって、表立って武田の所業を処罰するわけにいかぬ。
というのも、現に新選組には資金が無い。助勤の者はそれなりに何とかやっているが、平隊士を食わせるのが精一杯で、とてもではないが祗園だの島原だのと遊びに行かせる余裕も無い。
男同士つるみ合っても、たるんでいると一喝を入れられる状況では無かった。
「武田はあれでも軍学なり医術なり、一通りの知識はあるので追い出すわけにもいかない。うまく逃げるには手っ取り早く、適当な娘でも見つけて深い仲になっちまえと」
土方は、そう助言したという。
馬越はその通りに従った。此の頃女が出来たといって、土方にその事を話した。
それが下鴨の茶店の娘で、おくみと言った。器量も悪くなく、年も十六で愛らしい喋り方をする、よく働く娘であるという。年老いた両親とともに下鴨神社に参詣する客を相手に茶店を手伝っている。
ただ一つの欠点はというと、生まれ付き少し目が弱いのだそうだ。物がぼんやりと見え、夜などとても一人歩きで外へ出られるものではないらしい。また、そんなよく見えない目でじっと見詰められると、まことに感に堪えないと馬越は言う。
「のろけていやがる。それで、武田はどうしたのですか?」
「馬越は武田に声を掛けられると、そのように仄めかして非番の日毎に出掛けたという」
無論、下鴨の茶店にである。
しかし、幾ら最初は武田の手から逃れる方便とはいえ、男女の妙。程無く、馬越はおくみと関係を持つようになった。そこでおくみを誘って出会茶屋などに入ろうとするのだが、何となく背後から人の気配がする。訝しんで確かめると、何と武田が尾行していたのである。
「まったくしつこい野郎だ」
斎藤はむかっとして言った。
「そんなこんなで、市中の何処にでも武田はついて来るものだから、馬越の奴も弱ってきてわざわざ洛外までおくみを連れ出すようになったって次第だ」
「それで深泥ヶ池まで来ていたというのですか。しかし、あそこらには何もありませんよ。弁天祠があるだけです」
「寒空の下でも、若い男女ってな温いもんかも知れねえがな」
土方は唇を歪めて笑った。だがやはり何処か面妖である、と斎藤は思った。
「さすがに、そこまで武田は追って来ていないと見える。その事を懸念したんでな」
酔狂な話だ。斎藤は呆れた。そこまで馬越に執着しようとする武田の思惑も計りかねるが、空事からはじまったとはいえ、恋路に嵌まっていく男女というのも斎藤には計り難い。
女子は抱くものだと思っているが、顔色変えて尻を追っかけるものでも、相好崩してでれでれとする相手でもないと考えている。その斎藤にしてみれば、三者三様おかしな人間のように思えた。
事件が起こったのは、その翌日の事であった。
深泥ヶ池の端に、一人の娘の死骸が浮かんでいたのである。
岩倉村から峠を越してくる行商の老人が、朝未来、ぴしゃぴしゃと薄氷の張った水面に引っ掛かっている赤い帯に気付いた。近付いて見ると、それが若い女であったので更に驚き、慌てて近くの農家に駆け込んだ。
農家の男衆たちが出向き、娘を引き上げたが、誰もその顔を知らなかったので奉行所へ届けた。
漸く下っ引どもが動き始めて、昼頃になってから娘の身元が知れた。
下鴨の茶店の娘、おくみではないかという事だったのだ。
(一)へ
(三)へ