(四)
おくみの死体が下鴨の両親の許へ引き渡されたあと、斎藤は単なる客の振りをしてその茶店を訪ねて行った。甘い物は苦手だが、みたらし団子の一本くらいは食えるだろう、と多寡を括って頼んでみたが、これがなかなか一個口に入れるともう胸がいっぱいになる。
慌てて茶をがぶ飲みすると、おくみの老母が出て来て「おかわりどうぞ」と、湯呑みの新しいのを出してくれた。
「かたじけない、おかみさん」
「いいえ。旦那はん、新選組の御方どっしゃろ。何ぞおくみの事で?」
星を突かれて、斎藤は一瞬噎せ返りそうになった。
「いや、然様で」
と、懐から例のとんぼ玉を出し、老母に見せた。
「これが深泥ヶ池の弁天祠の裏に落ちていました」
すると老母は「あれ」と言ったきり、言葉を失ってしまった。そして、ややあってから、
「簪の玉が無かったんで、おかしな事や言うてましたんや」
頭に挿していた物の飾が取れるということは、余程激しく誰かと揉み合ったのか、はたまた突き落とされた拍子に抜け落ちたか。いずれにしても老母にとっては残酷極まりない事実を裏付けるものである。
斎藤は、一寸言葉に窮した。小春日和とはいえ、外の空気は冷たく、折角淹れて貰った茶が温くなってしまうので斎藤は飲んだ。
「おくみさんは深泥ヶ池に行くような用事でもあったのかい?」
老母はへえ、と腰を折って答えた。
「実は時々あの弁天祠にお参りに行っとったようでしたわ」
意外な事実である。
「馬越と会う為にか」
「いいえ、池の端の弁天はんは何や知らんが若い娘の願掛けにはようしてくれるいうんで、たまにお参りに行く娘がおりますのんや」
いつの頃からかはその老母も知らないが、老母が娘時分には既に今のようにしてあったというのだから、決して新しいものではない。いつしかそれが参拝の対象となり、おくみも御多分に洩れず霊験にあやかろうと参じていたのだという。
「あの娘は遅い子でしたんで、生まれ付き目ェが悪うて。そんでも昼間はまあ何とかやっていけましたが、夜は危のうて。舶来の眼鏡いうもん掛けたらええよ言われましてんけど、お医者はんには。けど、そないな高いもん買われしまへんよって、不憫な思いさせました」
「目が良くなるように願掛けを」
「へえ。馬越様がいずれ所帯を持とう、言うてくれはったて。健気なもんや我が娘ながら。そんで、お侍はんのご新造はんになるんやったら、こないな目ェではあかん言うて」
そこまで言うと、老母は盆を抱えてわっと泣き出した。
何という事か。馬越の奴も罪な事を言う、と斎藤は思った。町人の娘を嫁に貰ってはいけないとも言えないが、それには然るべき段取りもあろうし、おくみに言うだけでは只の口約束ではないか。
しかも、己の任務は新選組の隊士として過激派浪士を取り締まることにある。いつ何時、命を落とすとも限らぬ。まして自ら火中の栗を拾う事も厭うてはならない。土方は常に、
「遊女は幾ら抱いても構わんが、妻子は出来れば持たぬがいい。未練を残していれば、任をまっとうするのに臆する。士道不覚悟こそ恥と思え」
と、言っている。
冗談ではなく、己以外に気に懸る者がいれば、とかく臆病になるのが人の性であり、その事によって油断を呼び、落命することも有り得る。
「それほど、おくみにのめり込んでいたのか」
斎藤は、泣きじゃくる老母を見遣りつつ、ぼんやりと考えた。哀れな茶店の老母に、娘は新選組の手の内の者が妬心に駆られて殺したかもしれない、と言うのはやめた。
それにしても、おくみは夜目がきかぬという。
ならば弁天参りに行くのは、昼の内しかない。やはり八つ前に深泥ヶ池に行ったのであろう、などと考えながら斎藤は下鴨を後にした。
暫く歩いていると、御所の東南にあたる神社で、斎藤は馬越に出会った。玉椿の生垣の奥から何やら黄色い声がするので、ふと覗いてみると、果たして馬越の紫紺色の袴が見えた。その向こうに橙色の着物が見えたが、それは直ぐにも生垣の外へ隠れてしまった。
「お前も非番だったか」
斎藤が何気無く、いつもの調子で声を掛けると、馬越は怯えたように立ち止まった。
「誰かと会っていたのか?」
「いいえ」
「今そこに女がいたように思ったが」
「知りません」
馬越は首を振った。斎藤は、今来た道を顎でしゃくって、
「下鴨の茶店に寄って来た。おくみの落し物を届けてやったら、老いた母親はまた思い出したか、ひどく泣いてしまった」
そうですか、と馬越は白い顎を引いた。
「ところでお前は、おくみが深泥ヶ池の弁天祠に詣でていた事は知っているのか?」
すると馬越は、案の定首を横に振った。斎藤はしかじかの事情を老母から聞いたその通りに、馬越に聞かせてやった。
「それでおくみは、私の為に池へ。何という事だ。何て酷い。誰がおくみを池の中に突き落としたんでしょう。きっと武田の奴に違いありません」
馬越は大声で叫んだ。頭を抱え、その場にしゃがみ込んだ。斎藤は、一歩近付いた。
「まだおくみが殺されたとは決まっていない。自ら足を滑らせたか、誰かと揉み合って事故になったか」
馬越は、はっと我に返って上を向いた。その切れ長の目尻に、偽りとも思われぬ涙の粒が浮かんでいた。
「しかし兎に角武田が怪しいというなら、訊いてみよう」
「急度しらを切ると思いますよ。何より己の落ち度を認めぬお人ですから」
馬越は、憎憎しいものでも見るように地面を睨んでから、言った。
斎藤は訝りつつも、黙って神社を離れた。
「あの、ふざけ合うような女の声は誰のものであろう」
どうやら馬越はおくみが死んで間も無いというのに、既にはや別の女と仲良くしている。土方の助言を忠実に守っているといえばそうだが、あまりの身軽さに、さしもの斎藤もやや莫迦らしくなった。
屯所に戻って、山野八十八に訊いてみると、
「三本木の芸妓の小磯という女が、以前から馬越になついているようですよ」
と、言った。
「だいぶ前からの事なのか?」
「入隊して間もない頃からだと思うのですが、何ぶん懐具合が懐具合なので、そう通ってもおらず、馬越はそのうち茶店の娘とわりない仲になってしまって、足も遠退いていたらしいですがね」
武田にとっては、恋敵の数は少なく無さそうである。
「美形かい」
「それはなかなかのものらしいです」
「そいつあ一度行ってみにゃなるまいな」
斎藤はそう言って、助勤の部屋へと入った。皆出て行って誰もいない。さらに奥のもう一間も助勤部屋だ。丁度、その襖が開いた。
軍学の講義を終えた武田観柳斎が、戻って来たばかりであった。
(三)へ
(五)へ