(五)
武田は斎藤と目が合うと、軽く会釈をして顔を逸らせた。そうして、自分の荷物を置き、再び出て行こうとする武田を斎藤は呼び止めた。
「武田先生、一寸お話があるのです」
「軍学のことかね」
「いえ、馬越三郎のことです」
余りに単刀直入であった為に、武田は瞬時声を失った。
「先生は馬越の女の事を御存知ですか?」
「三本木の小磯とかいう芸妓の事か」
武田は、おれに聞くなと言わんばかりに怒ったように答えた。
「いえ。下鴨の茶店の娘でおくみというのですが」
「知らん」
「こないだ死にました。深泥ヶ池に浮かんでいたのを、行商の者が見付けまして」
斎藤がそこまで言うと、これでなかなか勘の鋭い武田は、じろりと斎藤を睨んだ。
「私を疑っておるのかね、斎藤君」
「そういう訳ではないのですが」
すると、武田は開き直ったふうに表情を寛げた。
「そりゃあ私は、馬越君に懸想をしていたものだがね。彼の女を憎いといって池にぶち込む程、非道ではないよ」
「然様でしょうな」
と、斎藤は言った。男色家という趣味は頂けないが、案外武田は後ろ暗い感じのしない男である。平隊士には喧しくしたり、上の者にはへつらうが、陰に籠もって誰かを恨むほどの性質とは思えなかった。
「確かに馬越が遊びに行くのを尾行したこともあったが、御馴染みはいつも小磯という女だ。化粧は巧いか知らんが、確かに悋気な感じのする女子だよ。おくみという娘は見た事が無い」
「そうですか」
「大体、馬越ははじめ小磯の悋気がひどいのでどうにかならんかと、私に相談を持ち掛けてきたのだからな」
斎藤は驚いた。驚いたが、それが顔に出ない男なので武田は少しも怪しまなかった。
すると馬越はその時、武田の趣味を全く知らず、自ら虎穴に飛び込んだという事になる。
それで恐らく前から目をつけていた武田は、此れ幸いと馬越に接近し、漸く武田の男色癖がわかったところで困り果て、土方に相談したのだろう。
「私は言ってやったよ。他に想い人をつくればよい。小磯に見せ付けてやればよかろうと。いっそ、その相手が私ならどうかとね」
「馬越は拒んだのですね」
武田は潮垂れた。塩をまかれた蛞蝓の如く、身を縮ませる。
「そこらの素人の垢抜けぬ娘より、男同士のほうが急度効果がある、と言ったのだが」
「しかし、どうやら馬越は何をやってもうまく行ってないようですな」
斎藤は、言った。武田の口振りからすると、本当におくみとは何の関係もなさそうである。
その晩、斎藤は不意に山野を誘って例の三本木の遊場へ行った。
「小磯はあいているか」
と、斎藤が一両を女将に握らせると、女将は愛想良く「へえ」と答えて奥へ入った。既に他に客がいたのだが、渡りをつけて小磯を呼び出してくれた。
座敷へ上ると、斎藤は山野と並んで熱燗をやりつつ、小磯の三味線を聴いた。一頻り唄が終わると、斎藤は酒の催促をした。
「旦那はん、羽振りがよろしゅおすな」
小磯は笑いかけた。物腰は柔らかいが、目尻の上った様といい、美形には違いないにしても情のこわい京女とみた。
「近頃、馬越は来ていないのか」
「まァ、馬越はんのお知り合いどすか。新選組の御方?」
ああ、と斎藤は答えた。
「今日の昼間に、神社でお前さんを見たような気がする」
「ほんまどすか」
小磯はわざとらしく、声を高くした。
「うち、そんなとこ行ってまへんえ」
「馬越とはわりない仲だそうだが、お前さん判っているだろうね。みぶろは所詮みぶろって事を」
斎藤は、諭すように小磯に言った。小磯の顔色がさっと白んだ。
「身請けの出来んし、堅気の女子と所帯を持っても仕方が無い。いつ果てるとも知れんのが、御公儀にお仕えする身でな」
斎藤と山野は顔を見合わせた。小磯は、赤い唇をわななかせていたが、
「けど、馬越はんは役職に就いたら休息所も持てる。身請けもでけんのや言うてはりました」
助勤以上はそうしてよい事になっていて、屯所外に宅を持っても構わない。しかし、そこに囲うのは実質上の妻であっても、畢竟己らの命が女の存在の為に安寧になるわけではない。また、そんな罪な事を言ったのか、と斎藤は馬越の優柔不断ぶりに呆れた。
「だが、馬越はお前さんだけにそう言っていたのではないぜ」
小磯は目を見張り、それから眉をきつく顰めて顔を背けた。
「知っとおります」
「おくみを知っているのか」
小磯は頷いた。深く溜息を吐いてから、斎藤のほうに向き直る。
「正直に申し上げます。どうか、黙ってお聞きになって貰えますやろか」
小磯の話は、次のような事であった。
馬越と馴染みになって幾月か経った頃、やはり二人が濃密な関係であった故か、ふと或る時馬越がこう言った。
「隊もだんだん大所帯になってきた。私もいずれ手柄を立てて、伍長か助勤になったら、お前と所帯を持ってもいいかと思っている」
無論、小磯は喜んだ。新選組が世間でどう悪し様に言われているかは兎も角、小磯は憧れていた武士の妻になれるのである。若狭の漁師の娘に生まれた小磯は、魚臭い己が嫌で、京へ売られてきた。いずれこうなりたいと思っていた、その願いが叶うところまで手が届いたのである。
しかも、馬越は誰もがはっと振り返る程の色男でもある。
そう口約束すると、小磯も一刻も早く武士の妻に為りたい。
「ねぇ、一体いつ身請けしてくれはりますのん」
無意識にせかすようになってしまった。身請けといっても島原の太夫程ではないので、目の玉の飛び出るような金ではないにしても、今の馬越にはちっとやそっとで出せる額ではない。
あまりに督促を受けるので、好いた惚れたの熱も冷めてきた馬越は、次第に三本木から足が遠退いて行った。
恐らく、武田に相談したのもこの頃であろう。小磯の様子など窺いに来る奇妙な男がいる、というので気味悪がったというが、それこそ武田に違いない。
「その男の人は直ぐにおらんようになりましてんけど、今度は馬越はんに別の女子が出来てしまったようやって」
小磯は、思い詰めたように言った。
おくみの事である。馬越は、おくみとの事は全くの内緒にしており、小磯とかち合うような事が無いように気を付けていたようだが、下鴨辺りと三本木、いずれも川岸にしてそう遠からず、偶然路地で擦れ違ってしまった。
「二股をかけられていると知って、妬心に駆られたか?」
斎藤は、核心を突いた。
「ないといえば嘘になりますよって。そりゃあ腹も立ちます。うちは馬越はんより年上やし、堅気やおへん。向こうさんはまだ見たとこ十六、七の娘盛りの綺麗な肌の子ォや。負けてなるかいな、思いましたえ」
「おくみを尾行したことはあるのか?」
すると、小磯は唇を噛んだ。そうして、鈴を割ったように目を大きくして微かにこくりと頷いたのだった。
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