(七)

 平隊士・馬越三郎に除隊勧告が下り、正式にそうなったのは明けて正月、松がとれてからであった。副長・土方の差配である。
 土方は斎藤からありのままの報告を聞き、苦み走った端正な顔を曇らせた。
「あいつはなよなよした面つきに似ず、ちったあ骨のある奴と思っていたが、それはおれの買い被りだったかなァ」
 と、斎藤だけに洩らした。
「違いますよ。あいつは弁天さんに嫉妬されたんですよ」
「何だそれあ」
「三本木あたりでは、小磯もおくみも弁天さんに恋の願掛けしたもんで、罰が当ったと噂されていますよ。何でも弁天さんは芸事や勝負事はよく聞いてくれるが、好いたの惚れたのは嫌いだとかで」
 斎藤には珍しく、口許が緩んで言った。
「よく言ったもんだぜ。しかし、不逞浪士を斬らずに女を死なせる奴があるか」
 土方は、眉根を寄せた。溜息を吐いて、こんな事では益々、新選組の評判が悪くなる、とぼやいた。
「武田はどうしている?結局、あいつは疑われ損だったようだが」
「どうもこうも相変わらずですよ」
 今度は、斎藤が眉を険しくした。
 馬越の一件が落着し、深泥ヶ池に静寂が訪れたかと思いきや、武田観柳斎は此の頃とみに斎藤に向かって馴れ馴れしい口をきくようになった。
「馬越君は気の毒なことをしたなァ。色男というのは罪なものだ。女が放って置かないからね。結局は、芸妓も茶店の娘も自業自得。人を呪わば穴二つというやつだね。馬越君も除隊の憂き目に遭った」
「己が蒔いた種でしょう」
 と、斎藤は屯所の縁側で木のぼっくいを削りながら、無愛想に返答した。
「斎藤君はそのような事は無いのかね?」
「そのようなとは」
「ほうぼうの女子にちょっかいを出しているような事は」
「そんな甲斐性はありませんな」
 すると、「なら良いのだ」とやけに湿っぽく言い残し、斎藤の肩など二、三度撫でるようにして叩き、去って行った。
 それを聞くや、土方は声を立てて笑い始めた。
「そいつあお前、武田に狙われてるに違いねえ」
「冗談じゃありませんよ。おれは龍陽(おかま)の趣味などありませんよ」
 斎藤は、むっとなった。土方は、まだ笑っている。
「しかし、武田ももっと華奢で愛想のいいのにすればよかろうが」
 放って置いてくれ、と斎藤は内心毒づいた。だが、何か言えばまた面白がられるだけなので、黙って笑われているに越した事は無い。
 それにしても、どうにも解せない事がある。
 おくみが弁天祠の裏から掘り出した手鏡は、元はといえば小磯の物であるが、おくみの遺骸が揚った時、その鏡はおくみの手元にはなく、てっきり池の底に沈んだものと思っていた。
 ところが手鏡は、同じ池で死んだ小磯の懐に入っていた。
 小磯はもしや、自分の手鏡を探しに池まで来たというのか。それにしても、寒空の中を着衣のまま池に入るなど、正気の沙汰とは思えない。奉行所では、小磯はおくみを突き落とした事を悔やんでの身投げではないかという事になった。
 だが、斎藤が御所下の神社で聞いたあの笑い声は、確かに小磯のものと思えた。
 今にも死のうと思っている女があんな声で、楽しげに笑うものか。あまつさえその後、小磯は斎藤におくみとのことを告白している。誰かに真実を告げて死のうと思ったのであろうか。
 それとも、故意ではないとはいえ、人を殺した身では馬越に嫌われると、世をはかなんだか。兎に角、真相は知れない。
「おくみの頬の傷は」
 思い返してみると、池の周りに蒲は群生しているが、弁天祠の辺りには潅木すらない。膝丈にも満たぬ下草が茫々と茂っているのみであった。
 その傷が刃物であるとすると、刃物など持っている人間は限られてくる。斎藤は、屯所を出てからぶらぶらと寺まで歩きながら考えた。
 しかし、事件は既に落着を見た。今更穿り返しても仕様が無い。
 ふと人の気配を感じて振り向くと、袴の裾をたくし上げながら、山野八十八が走ってきた。
「斎藤さぁん」
 息を弾ませて、斎藤の前へ回る。どうかしたかと訊ねると、
「どうしたもこうしたも、武田さんがしつこく飯でも食いに行こうと誘うので、逃げて来ました」
 山野が色白の顔を紅潮させて言う。斎藤は、思わず噴出した。
「武田の奴懲りねえな」
「とんでもありませんよ。禍はあの人の男色癖の所為なんですから」
 山野は言いながら、自分でも可笑しくなったようで、腹を抱えてくつくつと笑声を立てた。
 それにつられて、斎藤も笑った。すると、「斎藤さんが笑うなんて」と、山野はさらに笑い続けた。
「おれだって笑いてえ時もある」
「そうですよね、ハハハ」
 二人の二刀差し男が田舎の畦道でけたたましく笑っている光景など、滅多とあったものではない。ややあって、屯所の八木邸の門から、ひょっこりと武田が頭を出した。
「おうい山野君、其処にいたのかい」
「まずい。逃げますよ」
 山野は振り向きもせず、駆け出した。
「おれも逃げるとしよう」
 斎藤も一歩遅れて、地を蹴った。ふきのとうが顔を出す前の、ほんのり緑にけぶった小径を、みぶろと呼ばれる荒くれた男達が一心に走っている。こんな風景が、壬生界隈では時々あった。
 今は、誰も知る人がいない。
 
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