(三)
芹畑の畦道を抜けて、壬生寺の少し南へ行くと、目指すその家があった。周囲は実に畑ばかりで、長閑な一軒家だった。
柴木戸も閉められており、全く人気が無い。だが、垣根から裏庭を覗く事は可能だった。
夜明けて揚屋を出、唐船屋へ行くと、店の者は斎藤を見て一寸青褪めた顔色をした。
「鶏を飼っていた天神があったと聞いたが」
と、斎藤が低い調子で切り出すと、店の主人が出て来た。
「ああ、新選組の斎藤先生どすか。うちの妓
(こ)がいつも御世話になりまして」
恭しく頭を下げる主人に、「いやいや」と斎藤は性急に手を振った。
「鶏のことで」
「あの妓の事は聞かんとくりゃす。つい先日、田舎へ戻らせましてん」
主人は口迅
(くちど)に言った。まだ斎藤が何も話していないうちからである。鶏と言っただけであるのだが。
「そっくり身請金も頂戴しました、壬生寺はんの南へ越す言いよりましたんで、うちらもえろう喜んでおりましたのが、あないな事になってしもうて」
主人は目を伏せた。商売上なのかどうかはよく判らないが、酷く悲しんでいる様に見えた。演技なら大したものだが、然のみ嘘とも思われなかった。
「仕方がありません」
斎藤は静かに答えた。
「荷物だけ運び出して、あの妓が飼うとった鶏も家へ入れとった矢先ですわ。毎日卵を生ませて旦那はんに精出しておつとめして貰おう、て言うてましたなァ。けど今更言うても詮無いことどす」
「申し訳ない」
「いえ、滅相も無い。先生に謝って頂くようなことやおへんのどす。えろう堪忍どす」
主人は何度もそう繰り返したが、斎藤は釈然としなかった。
やはり胡散臭く思われているという感は否めない。新選組という得体の知れない男どもの血腥い所業を、裏では誰も快く思ってはいないのが当然である。
島原を出て、そこそこに此処までやって来た。
確かに庭の片隅には伏籠が置かれていて、鶏を放飼いにしていたのだろう。
斎藤が踵を返した時、道端で農具を引いた男が立ち止まったのに気付いた。
「お武家様は、此処のお人のお知り合いでございますか」
不意に訊ねられて、斎藤は「そのようなものだ」と曖昧に言葉を濁した。あながち遠くはない。
「島原上がりの女子が住む筈だったと聞いている」
「ええ。何でもえらいお武家様に身請けされたとかいうて、もういろいろ家財も運んどったようですけど。何や話がのうなったんですやろか。時々旦那はんやなさそうな若いお武家様が覗きに来とりましたが、背の高い」
「若い男」
「へえ。其処に鶏を飼うとりまして。うちの者が、一日一回餌やら様子を見に行っとったんですが、そのお武家様が来なはったら必ず鶏が騒いで……」
みなまで聞かず、斎藤は「御免」と告げてその場を立ち去った。
屯所に戻った斎藤は夕餉を済ますと、鶏の様子を見て自室へ戻った。戻りばな、平隊士に声を掛けた。
「探索の坂口が戻ったら、副長助勤の部屋まで来るように言ってくれないか」
平隊士は背筋を伸ばして、はいと答えた。「それ程おれが恐ろしいか。鬼副長よりましだろう」と言うと、平隊士は更に困ったような顔付きになって竦んでいた。
それでも平隊士は、きっちり仕事をしたとみえて、夜更けて坂口が斎藤のところへやって来た。
「まァ座りな」
促されて坂口は膝を折った。丈高い者の習性か、猫背気味になる。それが障子に歪な影を造った。
「あの鶏だがな。どうやらあちらさんでは、お前のことを酷く嫌っているらしいな」
「そのようです」
坂口は夜中にそんな話をしなくても、という顔付きで答えた。斎藤は容赦無く話し続けた。
「壬生寺の南に貸家があった。一寸小粋な感じの家だったんで、おれの女に買ってやろうと思った。庭もあってな」
「はい」
「だが、持ち主に聞いてみたら、げんが悪いので取り壊そうとしていたらしい」
斎藤は、坂口の顔を見た。取り立てて顔色が悪いというのでもない。
「何でも、少し前に買ったのが島原の天神で、その妓が身請けされて住む筈が、旦那が俄かに亡くなっちまったんで、元の売主に戻したとよ。芸妓は暫く身も世もあらぬ風情で泣き暮らすってので、置屋にもいるわけにいかねえ。郷里
(さと)に帰されたっていうが――」
斎藤は大きく息を吐いて、間をおいた。
「つれえ話じゃないか」
「はい」
「鶏は、その妓がひよこのうちから大きくしたって聞いたが、小さい生き物を大事にするなんざ、気立てのいい天神だったろうに。急度、その妓のそういう所に惚れたんじゃあなかったのかね……」
「申し訳ありませんでした」
坂口は斎藤が言い終わらないうちに、がばとその場にひれ伏した。両の肩が小刻みに震え出した。
「おれが悪心を起こしたのがいけなかったのです。どうぞ、お許し下さい。明里に惚れてしまったばっかりに」
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