(二) 道具屋町

 道具屋町と呼ばれるだけあって、金物や玩具、唐物(輸入品)などを扱う店が多い道筋である。
 天満や大手前筋のように武家の子息で賑わうということはないが、万太郎の道場はそこそこに門人が集まった。もともと大坂は町人の街である。奉行所や藩邸の士分の者は江戸ほど武芸に熱心ではない。懐に多少ゆとりのある家の子は、町衆といっても進んで剣術を習いに来た。また世の中も段々と雲行きが怪しくなり、大坂にも素性のわからぬ過激派浪人達が日ごとに増えていた。
 当然、谷道場にも浪人達が寄り集まってくる。旧来の町方道場では敷居が高いというので、新たに門を構えた処ならやりやすかろうというのだ。師範の万太郎も若く、腕がいい。そういった小道場は適度に流行った。
 三十郎はといえば、文硯に見得を切った手前、ぶらぶらとしているわけにもいかず、精出して京坂を巡り、よい勤め口がないものかと駆け摺る毎日であった。それでも時折、門人達に代稽古をつけてやる。それはよいが、自前の剣術は優れていても、教え方が万太郎に比べて大雑把である。
「槍術というのはだ。右へ左へ払うよりも、兎に角前へ前へと突き出すのだ」
 素槍は鉤のない穂先を持つので、その通りに違いない。しかし、返し技を実地で組んでみるとこつが掴めない門人が多いにもかかわらず、三十郎は理屈を説明しない。
 武術の上達には二通りあって、理から入るのと、実戦から入るのとでは、前者のほうが上達が早い。せっかちな上方の人間は、上達がのろいのではついていかない。結果的には同じなのだが、見た目に上達が早いのがいいに決まっている。そこで、三十郎よりも懇切丁寧な万太郎の方に人が集まった。
 それがまた面白くなく、三十郎は頻繁に就職口を探して出掛けるのであった。
「兄上はやはり主に御勤めされるべきです」
 万太郎が取り成すと、
「わしもそう思うのだ。昌武にも然るべき先を考えている」
 三十郎は、心意気だけは荒く言う。とはいえ、武芸だけで脱藩者を再び拾うてくれるという奇特な組織は、砂洲にばら撒いた砂金を探るような当ての無いものであった。
 道場の経営は軌道に乗っていた。
 万太郎が誰彼となく門人にしたのも、兄を思ってのことである。浪人とはいえ、いずれ何処かに召抱えられる者もいるやもしれぬ。そうなれば、此方の仕官に口をきいて貰える可能性もあるのだ。
 そういう中、最も熱心に道場へ通ってきたのは谷川辰吉という男だった。
 備中倉敷の浪人であり、万太郎より二歳下である。同郷というのも手伝って、谷川は万太郎を兄のように親しみ、また万太郎も異郷ではじめての友を得たという気がした。
「先生程の腕ならば、直ぐにも仕官の口はありそうなのだが」
「いやあ、今は槍よりも剣だよ。剣術の方は兄上にかなわんのでな」
 万太郎は三十郎を立てて言う。少しも驕慢なところのない好人物だと谷川は感じていた。大いに頼もしく思って、自分があちこちで見聞きした事を逐一万太郎に報告に来るようになった。
 おすえは、文硯の使いで道場に出向くといつもこの谷川が来ていたので、よく憶えている。
 或る朝のことであった。
 珍しく、万太郎を叩き起こしたのは三十郎であった。旅装のままで息せき切って寝所まで駆け込んできた。
「どうしたんです、兄上」
 父も母も死に、親類縁者と付き合いのない今、誰が危篤というのでもないのに。
「働き口が見付かったのでな」
 三十郎は明るい声で言った。
「本当ですか。何処の御方のお抱えになるのです?」
 万太郎は慌しく正座した。すると、三十郎はちょっと眼を丸くして、のち顎を撫でつつ言った。
「いや、仕官と言ってよいのかどうかはわからんが、実は」
 三十郎が語り出した話によると、京都守護職御預の壬生浪士組というのが京に出来ている。元は将軍上洛の警護の為に江戸で募られた組織だが、京に到着して間も無く悶着が起こり、殆どが東帰した。京に残留した僅かな浪士達が会津藩の庇護の下、京洛の警邏にあたり、過激尊攘派を取り締まっているという。
 この度、八月十八日の政変でそれなりの働きを遂げ、名を「新選組」と改めた。それに伴って活動の範囲を広げる為、隊士を新規募集しているのだという。
「京に限らず大坂も拠点にしようというのだ。すると、我々大坂の事情に詳しい者が入隊すると重宝がられるに違いない」
 三十郎は喜色を浮かべた。万太郎は待てよ、と思った。浪士組といえば、この六月に小野川部屋の力士達と乱闘騒ぎを起こした連中ではなかろうか。
 佐賀鍋島家の大坂屋敷があることで鍋島河岸と呼ばれている大江橋北詰。堂島川の支流である蜆川が流れ込んでいて、河岸土蔵の間の細道を進むと、蜆橋という小さな橋が架かっている。斬り合いはこの辺りで始まった。
 相撲取りと浪士組の芹沢鴨という男が擦れ違った。折しも、浪士一行は北新地へ遊興に出掛けるところであった。相撲取りは、芹沢が道をよけろという手真似をしたが、これを通さなかった。そこで腹を立てた芹沢が刀を抜いたのが騒ぎの発端であった。
 この場は一人の力士を斬り伏せて終わったが、その後浪士達の登蝋していた北新地の住吉楼まで仲間の力士達が二、三十人押し掛けてきた。小野川部屋の当世大人気の力士ばかりであった。大変な乱闘になり、浪士組と小野川部屋、大坂町奉行所は一時険悪になったという。事件はのち、浪士組の近藤勇という男が巧く納めたと聞くが、いまだに浪士組の評判は大坂では芳しいものとは言い難い。
 果たして、三十郎はその事を承知で応じる気なのか。
「風評も様々あろう。しかし、会津藩御預ではないか。それに新しく局長になった近藤という男は身分経歴を問わず能力によって役付に取り立てると言っている。自らも武士の出ではない。案外、そういう者に限って士分への憧憬の念は強いと見た。我々は珍重されるぞ」
 最早、度重なる仕官失敗に嫌気がさしたのか、鶏口となるも牛後となるなかれなのか、と万太郎は思った。三十郎の焦りもよく判った。現実は厳しい。ここらで手打ちにしようというのだな、と万太郎は頷いた。
「無論、おぬしも昌武も連れて行こうと思うが」
 万太郎は道場のことが気懸りであった。しかし、兄の誘いを断るわけにはいかなかった。
「私は構いませんが、昌武はまだ十五ですよ。可哀想ではありませんか」
「いや。昌武を連れて行くことに意義があるのだ」
 三十郎は、眦をやや吊り上げて言った。万太郎は口篭ってしまった。元々口の軽い方ではないが、言い辛い事に及ぶと、詰まってしまう癖があった。
 もし採用となれば、任務はこれまでのような道場剣では済まされない。大坂に来るまでに用心棒稼業のようなことを幾つかこなしたが、それが毎日になるのである。過激派浪士は其処等の盗人や渡世人どころでなく数多の修羅場を掻い潜った手錬ばかりといえよう。まだ骨の固まっていない、未熟な昌武を連れて行くのは余りに苛酷ではなかろうか。
「それに兄上、あの事は……」
「何を言うか、万太郎。お家再興を忘れたか」
 兄にそう言われてしまうと、やはり閉口するしかないのであった。
 
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