(三) 壬生村

 京は壬生村の片田舎に「新選組屯所」はあった。到着した時には、昌武の船酔いが癒えるのを待ってのことで、とうに夕刻になっていた。
 立派な墨書の看板であるが、郷士の民家を借り切ったもので、幾ら邸内は広いといっても「こんなところで何十人と隊士が生活するのは不都合だろう」と万太郎は思った。門を眺めていると、ぶらりと中から一人の男が出て来た。
 例の噂の浅葱色の羽織ではない。身の丈の高さが目に付いた。五尺八寸はあるだろうが、肩幅の割りに身の奥行きが薄く、ひと言で言えば痩せ肉である。
「あんた達、隊士募集ならこの奥でやっている。玄関が受付だ。くれぐれも離れには入らんように」
 若い男は低い声で注意を促し、懐手で門を出て行った。男の広い背中を見送りつつ、三十郎は「無礼な奴だな」と声にした。男は別段会釈をしなかったわけでもない。失礼な目付きで兄弟を見たのでもない。ただ何となく、三十郎に悪印象を与えるというだけの事だった。
 この男こそ、当時新選組副長助勤の斎藤一であると、兄弟はまだ知らない。
 だが、万太郎はやや安堵した。聞きしに「壬生狼」と恐れられる彼等がどんな風体であるのかおっかなびっくりで来たのだが、先程の男は物言いこそぞんざいで素っ気無いが、佇まいは武士そのものであった。世間で言われているような、荒くれた連中ばかりではないのだろう。
 受付へ進み出ると、愛嬌ある顔立ちの品の良い男が兄弟を迎えた。既に申し合わせをしていたのであろう、三十郎は深くお辞儀をして「山南様、本日は宜しくお願いいたします」と、言った。
 すれ違いに、二、三人の応募者らしき若者が出て行く。後々屯所で見かけた顔もそうでない顔もあった。
 しかし、他の応募者が手前の客間に通されるのだが、三十郎達三人は山南敬助に案内されて奥の間へと入った。
 襖を開けると、上座に近藤勇、副長の土方歳三が居た。万太郎にも直ぐ判ったのは、近藤が頬骨の出た口の大きい男で、土方は色白の優男と噂されていたからである。年恰好は三十郎とそう変わらないように思える。
 近藤は、はじめ鹿爪らしい顔をしていたが、昌武に目を止めると、明るく相好を崩した。
「その子が昌武か」
 昌武は矢庭に呼び掛けられ、声を裏返してはい、と答えた。
「やはりな、トシ」
 近藤は頷いて、土方に顔を向けた。土方は澄ました顔付きのままである。
「何処と無く気品が漂っている。板倉侯の御落胤というのは真のようであるな」
 万太郎は悄然とした。兄の方をちらりと見遣るが、三十郎はいつになく得意満面の笑みで正面を向いたままであった。
 「また昌武の出生を出汁に使っている。懲りておらんな、兄上」と、万太郎は思った。三十郎は、万太郎に咎められる以前に既にこの事を山南を介して近藤の耳に入れておいたものと思われた。
 三十郎、万太郎は母は同じだが、昌武は後妻の子である。三十郎とは十七、万太郎とは十三歳が違っていた。父、三治郎は先妻を亡くしたのち五年程寡夫(やもめ)暮らしをしていたが、母の無い子らを不憫に思って後妻を娶った。その後妻は松山藩の奥女中を勤めていた女で、板倉勝静の側室の身の回りを周旋していたのだが、急に暇を出され、谷三治郎に娶せられた。若い後妻は程無くして昌武を産んだが、万延元年に流行病で死んだ。
 だが、昌武の産み月が十月十日には随分満たない八月ほどであったために城内ではあらぬ噂が飛び交ったのである。
「谷三治郎の三男は実は谷の種ではない。殿のお手付きになった女中が奥方様のお怒りに触れ、懐妊したまま三治郎に嫁がせられた」
 という根も葉もない類の噂話であった。
 根拠があるかどうかわからない。皆無とも言い切れない。しかし、この手の噂も麻疹と同じで数十日も経てば薄れる。一旦は、潮が退くように人々の口からは消えていた。
 ところが、三十郎が家督を継ぐ段になり、再び燻っていた炭が燃え出したかのように起こされてしまった。口さがない年寄りたちから昌武が貴種であると聞かされた三十郎は衝撃を受けた。だが、その噂を引け目に思わず、逆手に取ってしまったのが三十郎のふてぶてしさというべきか。
「弟昌武は殿の御落胤である」
 とばかりに吹聴した。勿論、直截に口に出すのではなかったが、どうやら出世欲に駆られたのか、噂が真に認じられれば、落としだねを育ててきた谷家も格別のお引き立てを賜ると本気で信じていたようである。或る意味脳天気な男である。この噂は、当然ながら板倉勝静の耳に入った。その事で三十郎は藩主の逆鱗に触れたのである。父三治郎共々呼び付けられ、
「事実無根の流言を信じ、あまつさえ吹聴するとは何事ぞ。武士にあるまじき軽率の振舞。そちが命を以て我が恥を雪げよ」
 と、板倉侯は激昂に任せて言った。てっきり切腹と思って泣き帰った三十郎だったが、翌日にそれは差し止められた。家老からの使者が飛び、谷家は禄没収、役解任、藩より追放という沙汰になったのである。板倉勝静も、噂ごときに翻弄されて臣下を殺すのは大人気ないと思ったのだろうか。
 果たして、三十郎一人が腹を斬るのと、一族路頭に迷うのといずれがましであったかは判らない。そういう事情で兄弟浪々と生きてきた。
 だが、三十郎は少しも懲りていない。いや、本気で昌武を御落胤と信じているようだ、と万太郎は思った。それが証左に、大坂へ来る間も度々昌武を「事情あって我が家の養子としているが、板倉周防守の落としだねである」と称し、宿代をろはにして貰った事もあった。困り果てた上でのことなので、万太郎も強くは言えず、三十郎の言うがままだったが、為にはならない。
「兄上には悪気は無いのだ。私や昌武にひもじい思いをさせてはなるまいとの振舞、致し方ない」
 そう思ってきた。然しながら、一応は万太郎も道場を得て食うにはやっていけるのだから、そのような過分な虚飾をする必要もなかろう。だのに、殊更近藤の心象を良くしようというのか、どういうつもりなのか判らないが、三十郎はまたも御落胤と主張している。万太郎は兄の口説を聞きながら、顔から火の出る思いであった。
 昌武の高貴な血筋が気に入られたのか、三十郎、万太郎の腕がお眼鏡に適ったのか、兄弟は揃って新選組に加入することとなった。文久三年九月のことである。
 
 ちなみに三十郎たちが八木邸を訪れた時、斎藤が入れ代わりに屯所を出たのは、祇園の揚屋「一力」へ向かう為であった。ひと月程前に入隊した長州脱藩浪人と称する御倉伊勢武ら四名が永倉新八を誘い、一力に登楼。しかし、四名は永倉を別室に待たせ、尊皇攘夷派志士と密会したいた。
 「おれに飲ませてその隙に殺っちまおうってのか」と、気付いた永倉は、店の小者を八木邸まで遣いに走らせた。そこで斎藤にお呼びが掛かったという次第であった。長州の間者であった新入隊士が八木邸の縁側で斎藤らに斬られるのは、この翌日の出来事である。

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