(四) 天神橋
新選組の一員に迎えられた谷兄弟であったが、その後も暫くは大坂暮らしを余儀なくされた。大坂には東西二つの町奉行所がある。「天誅」という言葉が京で蔓延り始めて数年、大坂にも尊攘過激派の波は押し寄せていた。街中に浪士が急増して犯罪もともかく、風采が悪い。ここはやはり腕の立つ連中の力を借りねばなるまい、と新選組への出動要請も生じてきた。奉行所と協力して大坂の警固にあたる、という機会が俄然増えたのである。
そこで、万太郎の道場は重要な拠点とみなされた。正式ではないが、近藤は万太郎に新選組の分屯所というつもりで任務に就いて欲しい、と諭した。万太郎にとっても好都合といえる。折角、恩人の岩田文硯に設えて貰った道場をあっさりと棄てるのは義理ではない。それに、門人達にも迷惑であろう、と律儀に考えていたのである。
とはいえ、三十郎も万太郎も新選組に加入したと知れると、それまで足繁く通ってきていた浪士達は遠巻きになったり、とんと来なくなるようになった。尊攘派寄りの思想を持つ者が、新選組を遠ざけたいのは当然である。逆に隊士になりたいと思う者は、押し掛けてきた。道場は繁盛し、なべて順風満帆に思われた。
おすえも傍から見ていて、はじめはどうなる事かと案じていた。新選組は名こそ颯爽としているが、京坂では評判のよくない人斬り集団であると言われる。そんな組織に万太郎らが入隊して、果たしてあんじょうやっていけるのかと思った。だが、おすえの心配は徒労であったようだ。
元治元年五月のことである。
おすえは母のいとに「万太郎はんとこに根深のぬた持ってったげてえな」と言われ、数里離れた谷道場へ出向いた。根深は万太郎の大好物である。岩田家に寝泊りしていた頃から、万太郎はいとの作る青柳と根深のぬたを美味いと言って、よく食していた。
「万太郎はんももう二十八でっしゃろ。会津様からえろうお給金貰うてはるのに、独り身でええんかいな」
と、いとは時々口走る。おすえは母の口から万太郎の話が出る度に、面映い心地になった。おすえも十九になった。嫁の口がないではない。しかし、町人筋から舞い込んで来る縁談を何とはなしに遠回しに断っていた。
「おすえは誰か好いとう男でもおるのか」
文硯は、こっそりといとに訊いてみた。しかし、おすえは医家の手伝いをするばかりで、芝居見物に行くでも遊び歩くでもない。男の影など微塵もない。外出はといえば、文硯の手伝いで往診について行くか、南堀江の万太郎道場に行くくらいであろうか。いとは、首を捻った。
「そうか、おすえは」
文硯は一人にんまりと笑った。「何ですのん」と、いとが訝ると、そっと耳打ちして言った。
「まあ、おすえが万太郎はんを」
いとは声を高くした。文硯は、
「ご面相は兄貴に比べても一つやけど、人柄はええ。腕も立つし、男は顔とちゃう。おすえには似合うとると思わんか」
そういう訳でいとも気を利かせて南堀江に用があると、おすえを行かせるようにしていた。
おすえが道場に着いたのは、午
(ひる)前で、既に先客が会った。今日の稽古は午後からになっていたのに、道場で声がする。覗いて見ると、見たことも無い男と万太郎が立ち合っていた。互いに素面であり、丸く布を巻いたたんぽ槍を掲げた万太郎に向かっている長身痩躯の男は木刀を構えていた。
「おすえ殿か。申し訳ないが暫し待たれよ」
万太郎は槍の動きを止め、おすえに笑んだ。その隙を狙って男は木刀を上段から振り下ろした。だが、槍の柄が弾いた。たんぽの先が男の胸まで入った時、万太郎は踏込みを止めた。
「参りました」と、男が立礼し、万太郎と二人並んでおすえの方へ向かってきた。道場入口で話をするのも何だということで、おすえは居間へ通された。稽古着を着替えた万太郎も後からやって来た。先刻の客人をおすえに紹介して言う。
「新選組副長助勤の斎藤一殿だ」
斎藤は正座して、おすえに軽く頭を下げた。万太郎よりやや若い。そして、好対照な容貌であった。
「副長助勤て?」
「兄上と同格。いや、斎藤さんは江戸の頃から近藤局長とはじっこんの間柄で」
「いや、そういうわけでもないんですが」
と、斎藤は急に顔を赤らめた。何処か不遜な雰囲気の人だ、とおすえははじめに思ったが、この表情を見て気が変わった。とっつきにくそうだが、本当は素直ないい人のようだ。文硯に従って病人を見、人間の本性を垣間見させられているおすえには、そう思われた。
「おれは槍のほうは全く判りません。敵が素槍を扱う場合、剣でどう巧くかわすか、万太郎さんにご教授頂こうと思いましてね。大坂出張の折に立ち寄ったのです」
斎藤は、年長の万太郎に丁寧な言葉遣いをする。
「斎藤さんは筋がいい。目の動きが敏い。多分、槍を持ってもすぐに免許だろう」
「おれはこう、相手の懐に入って手応えを感ずる剣の方が性に合いますよ。槍は思うようになりません」
斎藤が頭を掻く仕草に、万太郎は笑った。
「何しろ『鬼斎藤』と志士達には恐れられているからなあ」
「まあ、おそろし」
おすえは言った。冗談めかして言ったのだが、万太郎も斎藤も顔を見合わせ、苦笑する。そういえば、万太郎が新選組の隊士という認識はあっても、浪士達を斬るという姿を見たことが無い。見たくも無いが、想像が及ばなかった。「鬼斎藤」と呼ばれるこの若者ならば、或いは人斬りのようにも見えるが。
万太郎のようにいつも笑みを絶やさず穏やかな男が、返り血を浴びている姿など、おすえには考えもつかないのだった。
「ときに谷さん」
斎藤は、静かに呼び掛けた。
「御存知ならお教え願いたいのですが。西町奉行所・筆頭与力の内山彦次郎の評判を」
西町奉行所は大坂城の東、本町橋の東詰にある。道場からそう遠くは無い。その西町奉行所の内山といえば、誰もが「名与力」と口を揃えて言うほどの男であった。七代続く町奉行の与力の家系で、その彦次郎の名を市井に轟かせたのは、天保八年(1837)の大塩平八郎の乱でる。
もともと与力をつとめていた大塩は、隠退して陽明学を教えていたが、前年の飢饉の際、餓死者が多く出た大坂の町奉行の無策ぶりに悲憤し、武装蜂起した。己のみ富を貪り、市民に分け与えようとせぬ豪商や、汚吏に対して天誅を加えようとしたのだ。
東西奉行が慌てふためく中、見事な采配を揮い、三百人という賊勢力を離散させ、直ちに終息させたのが、内山彦次郎であった。
内山は、役人にありがちな富商との交際、結託もなく、潔癖であり、その硬骨振りは奉行所内や商人の間では鬱陶しがられていても、庶民にとっては有り難い存在といえた。
「さあ。悪い評判は聞きませんな」
万太郎は答えた。長屋や道具屋筋から聞こえてくるのは、内山の厳しい裁きを喜ぶ町人の声ばかりである。
「しかし、役人なんてのは袖の下を頂戴するのが常でしょう。あまりに潔白では昔江戸で言われた『白河の清き流れになんとやら』。身内に嫌われてやしませんかね」
斎藤は、厚めの唇を皮肉に歪めた。
「何かあったら教えて下さい」と言い、おすえが昼餉を調える間に道場を出て行った。
それから程無くして五月十六日。万太郎は将軍東帰の為の下坂にともない、警固に出た。斎藤ら大坂に先駆けしていた隊士と、後から落ち合った近藤、土方らとともに天保山では翔鶴丸を見送った。翌日、京へ引き揚げた新選組とはまた暫くの別離であった。
だが、五月二十日の夜更けのこと。
出稽古から帰途についた万太郎は、天神橋の十間ほど南を歩いていた。ふと、油問屋の筋向いから提灯も持たない人影が現れたので、はっとなって手槍に手を掛けた。すると、男は「谷さん」と、声を掛けた。
斎藤一であった。
「京へ戻られたのではなかったのか」
万太郎は、ぎょっとなって詰問した。
「まだ一仕事。なに、おれは斬方ではなくて見張りです。決して橋の方へは行かんで下さい」
「橋の上で誰を斬ったというんだ?」
「明日には判りますよ」
斎藤は、白々と言った。皮肉な微笑が浮かんでいる。そして、出て来たときを同じように軽やかに去って行った。
翌日、西町奉行所は蜂の巣を突いたように騒がしかった。大坂城周辺では、専ら町衆が「筆頭与力の内山様が斬殺された」と、声高に言われた。
万太郎は門人からこの事を聞き、ぞっとしない心地になった。天神橋の方へ行ってはいけない、と言われた理由はそのことしかなかった。
斎藤の物言いもさることながら、やはり新選組という組織、尋常ではない恐ろしさがある。
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