(五) 三条小橋・池田屋

 六月の頃、万太郎は京に呼ばれた。既に歳が改まってからは、三十郎と昌武は京に常駐していた。
 昌武は三十郎の画策が実ったのかどうか、つい先日近藤の養子となったばかりである。
 名も近藤周平と改まった。周平というのは、近藤勇の養父・周斎の以前の名であり、その名を頂戴するということはつまり、天然理心流・近藤道場の五代目を継ぐという非常な名誉であった。
 弟の祝い事を喜ばないという万太郎ではない。三十郎などは、日々上機嫌である。しかし、万太郎はもう一つ気が晴れなかった。
「天然理心流の跡目は、順当に行けば塾頭だった沖田さんではないか。それをまだ未熟な昌武が横取りするような形になっては申し訳ない。分不相応という気がする」
 せめて、はやく昌武が名に見合うような成長を遂げてくれれば、と願った。
 会所で具足を付け始めた万太郎に声を掛けたのは、斎藤一であった。
「万太郎さんは、おれと同じ土方隊ですよ」
 斎藤は言った。小具足に籠手、頭には烏口という比較的軽い出で立ちに、万太郎はやや驚いた。これから市中に不逞浪士を斬り込みに行こうというには、軽やかだ。
 「沖田さんなど鉢金だけですからね」と、笑う。
 万太郎が急遽呼集を受けたのは他でもない、先年の政変で京を追われた尊攘激派の大立者の一人、宮部鼎蔵が戻って来ており、長州藩士らをはじめとする志士らと結んで会津藩、中川宮らを討ち、御所に火を放って帝を連れ出そうという計画を企てているのを新選組が掴んだ。明日にも決行されるかも知れないというので、暑気あたりなどで休んでいる隊士が多い最中、加勢を頼まれたのである。
「周平は局長付だそうですね」
 土方、井上隊と別個に近藤が率いる四名は沖田、永倉、藤堂、周平であった。
「足手纏いにならねばいいが」
 万太郎は呟いた。
 浪士の密談が何処で行われているか判らないのだが、広範囲である鴨川東岸に三十数名の土方隊を配し、近藤らは西岸を回った。三条小橋西入るの池田屋に辿り着いた時、既に近藤らによって斬込みが始まっていた。
 万太郎は旅籠に躍り込むと、玄関式台の土間から上を見た。
 物音も激しく、二階から胴間声が響く。白刃を閃かせながら、浪士が駆け下りてきた。その者達を一丈三尺の素槍で、万太郎は串刺しにした。同じく槍使いの原田左之助が背中合わせに並んで、ともに応戦した。
 原田は階段半ばで立ち止まった男と睨み合った。上段から斬りかかろうとする男は槍の穂先を飛びかわし、左之助に斬り付けようと試みた。そこへ、万太郎の槍が飛ぶ。左之助の槍はかわしたものの、万太郎の攻撃がくるとは思わなんだのか、男は「あっ」と叫んだが、まともに胸板を貫かれた。倒れてきた男を避けようと、万太郎は思わず手を離してしまった。
 しまった、と万太郎は臍を噛んだ。槍は柄の半ばまで男を刺し貫いてしまい、容易に抜けなくなった。仕方なく諦めて抜刀し、中庭へと回った。二階から落ちてきた男がいたので、背後を斬りつけた。まだ二階からは、障子や襖の破れ折れる音、剣戟が流れていた。
 残党狩りは、翌六日の昼近くまで続いた。
 この池田屋事変の功により、京都守護職町平容保から新選組へ五百両が下賜されることとなった。それが隊士達に分配されたのは、実際八月四日になってからのことである。出動した隊士は皆十両があてがわれ、別段金として各々の功績に比して幾許かが加えられた。万太郎は別段十両を頂戴することになった。
 副長助勤の井上、原田、斎藤ら七両よりも多い。周平は途中で槍を折られてしまい、特別の計らいで別途五両であるという。
「斎藤さんや原田さんより平隊士の私のほうが多いなんて」
 万太郎は照れ臭い気がした。
「こんなに手当てを頂戴出来た。そろそろ所帯でも持ってよいだろうか」
 と、万太郎はふと考えた。
 道場には道具屋筋の桶屋の小女が出張ってきて、僅かな小遣で膳の支度や洗濯等して貰っている。門人達の汚れ物や飯なども時には出す。しかし、桶屋が繁忙になると四六時中は頼めない。万太郎自ら洗い物をしたりしていた。周平がいた時には、庭や廊下の掃除を鍛錬も含めてさせたいたが、今はそれもない。居ても居なくても何もしない兄とはいえ、三十郎は隊務繁忙で大坂には少しも顔を見せない。
 副長助勤の中でも斎藤一とは馬が合うのか、大坂出張の折は斎藤はよく道場を訪ねてくる。肩書きには明石浪人と称してあるが、江戸の育ちで御家人の次男坊という斎藤は、見た目とっつきにくそうだが暑い時も襟元を崩さず、殆どの隊士が己より年嵩という中で、目に見えぬ気配りをしていると思えた。
 元来が上士の家の出であった万太郎には、新選組の気風の良さは爽快で面白いと思うものの、やはり何処か溶け込み難い部分があった。郷士や商家出身の者達をは、流儀が違った。万太郎が当然と思うような教育が通用しなかったり、国学だの兵法だのと言っても話が通じないこともある。
「全くおれが字を書いて撃剣の型を説明しようとすると、読めないという奴がいて弱ります」
 などと、斎藤がこぼす話に頷けるのも万太郎だからである。
 ところが、もう一つ馴染めないのは派閥であった。新選組における創成以来の試衛館の面々の結束の固さである。近藤、土方は幼馴染であるゆえに当然、食客同然にそこで育った沖田、古参の弟子である井上、途中からではあるが参入した山南、永倉、原田、藤堂そして斎藤。中途組はまた違った見解を持っているように見える。なかんずく斎藤一は異質の存在のように思えた。
「斎藤さんは誰にも与していないように見えて、局長と副長のお気に入りだ。剣の腕だけで可愛がられているのではない。かといって、兄のようにあからさまに他人の気を引こうともしていない。変わったお人だ」
 その斎藤と口を聞いていれば、何となく幹部の動向も掴めた。
 万太郎は、夜更けの道場でそんなことを考えながら、ふと思いついたのである。
「さて、所帯を持つとしても誰と?」
 文硯の次女、おすえの顔が浮かんだ。おすえもじき二十になろうというのに嫁いでいない。
「いかん。道場を貰ってさらに娘御までなどと、図々しいにも程がある」
 万太郎は首を振った。しかし、そう思えば更におすえの事が気に掛かってきたのであった。

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