(六) 谷道場
「禁門の変」と後々呼ばれる事になった合戦は、七月十八日に起こった。京の街は応仁の乱以後、数百年ぶりに大火を蒙った。夜明けて間も無く開戦となり、既に予兆を感じていた洛中の人々は四散していた。にもかかわらず諸方から発生した大火災は、三万戸近くの家屋を焼き尽くしたという。新選組の布陣は九条河原にあった。伏見屋敷に残留している長州勢を迎え撃つべく、会津藩の命令であった。御所内に火の手が上がってのち、新選組は残党狩りに駆り出された。
その後、会津藩兵、見廻組と合流し、大山崎の天王山へと向かった。久留米の神官・真木和泉の軍を取り囲み、自刃に追い込んだあと、隊士らは伏見そして大坂鎮撫を命じられたのだった。
万太郎が出動したのは、翌日の七月二十日のことであった。大坂を経由して再び西国へ逃れようとする長州藩士らを捕縛する為であった。
八軒屋の京屋忠兵衛の宿にいた斎藤が南堀江にやってきたのは、池田屋事変の報酬が支払われた数日後であった。残党狩りの際は、追っ手の斎藤らと合流したが言葉をかわす暇も無く別れた。万太郎は、久しく会っていないような気がした。
「ひとつまたご指南下さいませんか」
斎藤は恭しく言い、万太郎も喜んで応じた。稽古の後、万太郎は斎藤を居間へ招じ入れ、酒を振舞った。
「何か良い事でもあったのですか、谷さん。口許が綻んでいる」
斎藤はこの男には珍しく、柔和な目付きで万太郎を見た。「実は」と万太郎は目を細めて、おすえと夫婦
(みょうと)になることを告げた。
「祝言は月末に、文硯先生と御内儀、兄弟と弟子らでやります」
「それはおめでとうございます」
斎藤は膝を揃え、深々と頭を下げた。万太郎は気恥ずかしい。
先立って禁門の変の起こる前、万太郎は岩田文硯の元を訪ね、おすえを嫁に貰いたいと申し出た。今迄そういう素振りも見せぬ万太郎の突然の願出であったので、文硯も面食らうかと思った。だが、
「ええこっちゃ。実はおすえの方も万太郎はんを憎からず思うとってな。ほれ、おすえも何ぞ言え」
と、文硯にせっつかれて「あい」とだけ顔を真赤にして答えたおすえは愛らしかった。
「御直参の婿殿といや、わしも鼻が高い」と、文硯は俗っぽい言い方をしたが、心底この縁談を喜んでいた。盛大にやらなあかん、松屋町を輿で行列や、と騒ぐのでこれには困ったが、結局武家風のつつましい形でやりたいという万太郎の望みが通った。
「ところで、周平はうまくやってますかな」
万太郎は照れ隠しに話題を逸らせた。斎藤は普段と違って、舐めるように酒を飲んでいた。猪口から唇を剥がし、少し考えてから「可もなく不可もなく」と、言った。正直なこの男らしい。
「しかし万太郎さん。おれが言うのも何だが、近頃兄上の評判があまり良くないようですよ」
三十郎は、周平が正式に近藤家の養子となってから、何処と無く権高くなったと噂されている。
元々、多少気分屋で気位の高いところがあった三十郎である。本人に悪意は無くとも、出身が良いのをいいことを笠に着ているように見られがちである。またそれで、「これは生来のものなのだ。生まれが良いのを勝手に妬まれても困る。ならば、下賎の生まれの者ほど物腰低く柔和だというのか。持たざる者のいじましい妬心に他ならんわ」などと、臆面も無く言ったりする。
平隊士にそう言っているのを、間が悪いことに土方が通り掛って耳にしたのだ。
「三十郎殿は急に近寄りがたくなったものだな」と、皮肉混じりに言っていた。負けん気の強い土方は、どうも己が百姓出身とはいえ、先祖は戦国の頃武田の家臣であった同心の出身地の一人である、と意地を張っている。近藤は近藤で、こういう所は鷹揚な性質で、とにかく身分の貴い生まれには弱い。上士は皆それなりの教育を受け、見るべきところ、用うるべきところも数多あると信じている方である。ゆえに、近藤が三十郎の傍若無人な物言いを放任しているので、ますますもって土方の機嫌は悪かった。
「三十郎さんは馬鹿正直ですな」
斎藤は意外な事を言った。万太郎はてっきり、斎藤も兄を嫌っていると思っていたからだ。
「人の生まれなどどうしようもなりませんぜ。選んで腹から出るわけに行くまい。百姓に生まれようが、将軍に生まれようが、その事を恨みつらみ言っても仕様がありません。大事なのは己の心掛けでしょうよ」
万太郎は頷いた。斎藤の言は年齢に似つかわしくない老成したものがあった。
「三十郎さんの言うことも尤もだ。だが、あまりに正直に己の心を曝け出しちゃあ、世の中渡っていけませんな」
「斎藤さん、貴殿は」
「と、言ってはみたが、今言ったこともおれの本心かどうかは判りませんよ」
斎藤は笑って冷酒を干した。万太郎は空の盃に酒を注ぎながら、食えぬ男と斎藤を見た。もしかすると、こうして度々道場を訪ねてくるのも、稽古とは別の理由があるのかも知れない。兄・三十郎に絡んだ土方の探りか、あるいは志士とも交情のあった万太郎に二心あるかどうか確かめに来ているのか。だが、顔付き合わせて酒を飲んでいる斎藤を見ていると、裏があるようには感じられない。この男も兄と同様、人との関わりに不器用なところがあるのかもしれない。
数日後、万太郎とおすえは祝言を迎えた。身内だけの祝宴であった。娘を嫁にやる文硯は、おおはしゃぎして酔っ払っていたが、酔客が雑魚寝し、近所の者が帰って行ったほの暗い道場で、誰にも見られぬようこっそりと泣いていた。「香取大明神」の掛け軸に向かって、
「どうぞ婿殿をお守りつかあさい。なんぼ万太郎はんの槍は千石ものや言うても、浪士どもに大勢食って掛かられたらかなわん。大砲に当ったらふっとぶさかい、何とぞ五体満足でお守りつかあさい。おすえには幸せになってもらわなあかんよって」
真剣に拝んでいる文硯を、万太郎は盗み見るともなく見てしまった。万太郎は足音を忍ばせて寝所へ戻った。
「私は果報者だ。義父にこんなに思われ、町家の皆に弟子に慕われて、おすえのような気立てのいい嫁を貰った。平隊士でもかまわん。一生此処で暮らそう」
「どないしはったんですか、旦那様」
万太郎が感極まって涙ぐむのを、既に寝間着に着替えて正座していたおすえは、奇妙なものでも見るように思ったのだった。
九月になって、万太郎の元に葛山武八郎切腹の報せが舞い込んできた。葛山は谷兄弟らとほぼ同時期の入隊であり、池田屋でもともに戦った。会津の出で、京に出て寺侍をしていたころ、隊士募集に応じてやってきたと万太郎も知っている。
報せてくれたのは、大坂に出張していた山崎烝であった。山崎は高麗橋の鍼医の倅で、文硯のつてからその名を聞いたことがあり、入隊前から面識があった。山崎も町家の人間だが、剣術と棒術に通じており、万太郎とは気が合うほうである。
その山崎の言に拠ると、
「八月末に永倉さんら六名が連名で守護職様に建白書を出さはったんですわ。近藤局長の近頃の態度は増長していて目に余るものがあるので、処置して欲しいいう旨を」
なんと大胆な、と万太郎は思った。永倉は思い込んだら突進するという性質であるので我慢ならなかったのであろう。それに連座したのが原田、斎藤、島田、尾関、葛山の五人であったという。
「斎藤さんが」と、万太郎は驚いた。先日はおくびにも出さなかったが。原田は永倉と仲が良い。島田も永倉の紹介で入隊した。尾関、葛山の事情はよく判らないが、斎藤は意外であった。
「結局は容保公の計らいで和解、お手打ちになったんですけどな。六日の晩に葛山一人が切腹しておったんですわ。前日から局長と永倉さんは江戸へ隊士募集に行かはりましたよって、誰の命令でもないんです」
「面妖
(みょう)ですな」
万太郎は首を傾げた。斎藤が、今山崎の座っている同じ場所で酒を飲んでいた姿が浮かんだ。
「そう言えば、斎藤さんが来た後は決まって人死にの話を聞く。内山彦次郎といい、葛山といい。偶然には違いないだろうが」
万太郎は葛山武八郎の死について、それ以上考えるのはよしにした。物事は穿って見れが何もかも疑わしい。考えても詮無いのである。
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