(八) 西本願寺
翌日、万太郎は本町橋の西町奉行所に急いだ。石蔵屋のことを話すと、与力はひどく驚いて大坂城代屋敷まで駆け、諸兵の手配まで行ってきた。譜代大名のうち小藩の者が割当てられている城内の定番を出動させるという手筈が、城代の公用人によって整えられた。
「軍資金にせよ」とのことで、三十両が下った。鉢金や鎖帷子まで奉行所から貸し出しをするという大仰なこととなったので、万太郎は却って恐縮してしまった。
「公方様のお命にかかわるからであろうか」
折しも、京より下向してきた兄・三十郎が奉行所から具足類が届けられるのを見て、何事かと目を剥いた。然々の事情を話すと、三十郎は唸った。
「それは今晩にでも件のぜんざい屋に斬り込みであろう。京の屯営に報せている暇はない」
鼻息も荒く、言う。とりあえず万太郎は独断での踏込みに関して、「火急のことゆえ、拙者の門弟のみで討込いたします」と、早飛脚で手紙にしたため、局長宛てに送った。
果たして門人達は、十五人ほど集合した。正木直太郎、高野十郎ら浪人二名と三十郎、残りは町人ばかりであった。皆道場剣はまあまあ使うものの、実戦の経験がない。実働は万太郎、三十郎と浪人二人であろう。後は枯木も山の賑わいである。
「刻限は亥の下刻(午後十時)、諸藩の兵が所定の守りに就いたら出陣だ」
万太郎は、不安に満ちた面を提げている門人達に向かって激励した。
石蔵屋の二階は、この日たまたま閑寂としていた。
いつもなら四、五人犇いて酒をやりつつ尊攘談義などしているが、土佐の連中はこの晩に限ってめいめいに動いていた。田中顕助
(『花屋町騒擾』に登場)は近所の鳥毛屋という旅籠に同士を迎えに行き、橋本鉄猪、池大六らは義挙の相談に出掛けていた。那須盛馬
(『花屋町騒擾』に登場)も外出中であった。石蔵屋には亭主とその一家、そして大利鼎吉しかいなかったのである。大利は土佐で武知瑞山(半平太)に剣を学び、禁門の変に参加し、逃走して長州に落ち延びたあと、再び畿内へ戻ってきた。腕は確かな男である。
そして、ぜんざい屋の亭主こそ、もとは本多大内蔵といい、武者小路卿の家臣であった。長州藩邸に出入していたという筋から、先の長州の失脚と同時に主家を追われ、浪々とした挙句大坂に辿り着き、町人に扮して韜晦していたのである。
大利は何か予感めいたものがあったのか、この時まだ起きていた。階下は早々に灯を消して雨戸を閉め、床に就いていた。
隙間風が首筋を撫でたと思うや、柱が軋み、下で戸を蹴破られる音がした。
大利が立ち上がった時、既に店内には提灯を掲げた武装の男らが上がりこんでいた。
「二階へ」
万太郎は叫び、先頭に立って階段を上ろうとした。そこへ、大利の一太刀が振り下ろされる。咄嗟に避けたが、万太郎は大利の肩先に刀を浴びせた。
仰け反る大利を追おうと駆け上がる。しかし、窓から遁走すべく起き上がった大利は、三十郎に阻まれた。屋根づたいに逃げられてはならないので、梯子を掛け、窓から侵入したのである。暗がりの中で三十郎の手槍が大利を狙った。
だが、大利もさるもの、三十郎の脛を目掛けて大刀を払った。油断をしたのか、大利の動きが俊敏であったのか、三十郎は脛を斬られてしまった。三十郎は怯まず、大利の胸目掛けて槍を繰り出した。
「やっ」
穂先がずぶりと大利の左胸を貫通した。そこへ万太郎が躍り掛かって、背からほぼ垂直に止めをさした。既にして本多は裏口から逃走していた。悔やまれるが、致し方ない。大利のみでも討ち取ったことは、土佐者達の計略をぶち壊しにしたことになるであろう。やがて、諸藩の兵らが石蔵屋を取り囲み、検分が始まった。
この後、田中顕助と那須盛馬は石蔵屋の襲撃を知るや、二人して大和十津川へ落ち延びた。同藩の陸援隊長・中岡慎太郎を頼って京に出てくるのはさらに後の話である。
「ぜんざい屋襲撃」の件は、万太郎の独断ということで、本来なら本多大内蔵はじめ他四名の志士を捕縛出来た可能性もあり、功を急いての抜けがけ、という見方も新選組内にはあった。
しかし結果として、大坂城を焼打ちして将軍を暗殺するという天をも顧みぬ謀略が阻止された。そのことで万太郎の評価は上がった。いよいよ、大坂における新選組の元締という具合になってきたのだった。
おすえが生んだ子は、すくすくと育っていた。万太郎にとっては、それが唯一の楽しみであった。
慶応三年の四月のことである。
昨日からけぶるような雨が続いていた。道頓堀川も澱んでいる。稽古を終えた万太郎が佇む道場に、山崎烝が駆け込んで来た。
「万太郎さん、三十郎さんが」
息を切らしながら、山崎は膝をついた。京から出て来たのではなく、京屋に投宿していたのであった。
三十郎が斬殺されたとの報せであった。
「兄上が」
初めは訝しんだが、狂言を言うような山崎ではない。
「祗園石段下で何者かに斬られとったんです」
万太郎は山崎に従い、取るものも取りあえず京へ急いだ。西本願寺の屯所に到着した時は既に夜更けており、隊士の殆どが寝静まっていた。土方に挨拶をし、石段下から搬送されてきていた三十郎の遺骸を見て、漸く万太郎は現
(うつつ)を知った。
万太郎は合掌して、兄の傷口を改めた。左胸に突き、そして胴払いである。雨と泥と血に塗れた三十郎の死顔は瞬時の苦悶を留めているように見えた。
「相当の手錬です」と、山崎は暗く呟いた。万太郎は粗莚を兄の死顔に被せた。
「下手人はわからぬのですか」
山崎は首を振った。
「三十郎さんは、今日は非番で祗園までお一人で飲みに出掛けておられました。あの辺りも長州者が多く潜んどります。虱潰しにでもあたらな判りません」
万太郎は、長い嘆息とともに項垂れた。何という事だ。新選組七番組組長であり、槍術師範の谷三十郎ともあろう者が、不覚を取ったとは。
「迂闊ですぞ、兄上。迂闊に過ぎまする」
万太郎は拳を握り締めた。日頃の驕慢が油断を招じ入れたのだと思った。そうでなければ不逞浪士などに簡単にやられる訳はない。ふと、万太郎は俯いたまま、斎藤一の言葉を思い出した。
「あまりに正直に己の心を曝け出しちゃあ、世の中渡っていけませんな」
だが、その斎藤も屯所にはいない。ぜんざい屋事件の直後のことである。伊藤甲子太郎の一派が御陵衛士として新選組より分離した。斎藤も伊東らの分離に随って、新選組を出たのである。何か思うところあってのことだろう、と万太郎は考えた。
斎藤はそれ以後、万太郎の道場を訪れていなかった。
小雨の中、万太郎は小半時もずっと三十郎の骸を拝んでいた。その姿を回廊から土方が見遣っていたことには、気付かなかった。
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