松平定敬年表

年号 西暦 月日 年齢 出来事 社会情勢 桑名藩の動き・関連人物の事跡
弘化3 1846 12月2日 1 美濃高須藩主・松平義建の八男として市ヶ谷高須藩邸に生まれる。 2月孝明天皇践祚。 4月兄・容保が会津藩養子となり江戸上屋敷へ入る(12歳)。
弘化4年9月慶喜(七郎麿)、一橋家を継ぐ(10歳)。
嘉永6年6月ペリー浦賀に来航。
安政4 1857 2月10日 11 桑名藩主・松平定猷の長女・初姫(のちの妻)が江戸藩邸で誕生。
4月23日 定猷の長男・万之助が桑名で誕生。
9月桑名前藩主・定猷が江戸にて急死(26歳)。
   6 1859 11月16日 13 桑名藩主となる。従四位下・越中守。
安政7年3月3日桜田門外の変。
万延元 1860 8月5日 14 京都紫野蓮台寺境内に陣屋完成。
11月8日 溜間詰、四品となる。
12月9日 侍従となる。
文久元 1861 15 江戸出府。
   2 1862 7月2日 16 桑名城入城。
流行麻疹の為、20日に家臣と面会。
8月父・義建死去。
閏8月 来年江戸参勤の通知。
   9月20日 翌年2月将軍上洛につき二条城警備仰せ付く。 1月15日坂下門外の変。
10月 珠光院(定猷未亡人・貞姫)、初姫、高姫は桑名へ移る。
   3 1863 2月 13日 17 将軍・家茂上洛の為、京都警備の任にて江戸出発。
2月21日〜24日 桑名発〜京都着。
3月7日〜5月9日 英国軍艦が横浜に来航のため桑名、伊勢神宮警備へ。京都発〜桑名滞在。
5月10日〜13日 桑名発〜京都着 5月23日小笠原長行、兵を率いて上京のため大坂へ。
6月3日 衣冠束帯にて孝明天皇に拝謁。
6月24日〜26日 京都発〜桑名着。江戸へ出発。
11月5日 江戸城出火。定敬は小姓・立見鑑三郎を従えて一番乗りをした。 8月17日天誅組の乱起こる。
8月18日公武合体派クーデター(8月18日の政変)、七卿落ち。
12月12日〜21日 将軍二度目の上洛により、江戸発〜桑名着。
12月23日〜28日 桑名発〜大坂着。将軍を迎える。 12月30日慶喜・容保ら(ほか松平春嶽、伊達宗城、山内豊信)朝廷より参与を命じらる。
元治元 1864 1月14日〜15日 18 将軍とともに大坂出発〜京都着。 3月25日慶喜、将軍後見職を辞任、禁裏御守衛総督・摂海防禦指揮に。
4月11日 京都所司代を拝命。
6月5日 「池田屋事件」。桑名藩より焼く百名出動。
7月19日 「禁門の変」。桑名藩は下立売御門などを警固。
8月 慶喜、朝廷より感状を受ける。
10〜12月 「第一次長州征討」。 11月水戸天狗党西上。
12月3日 天狗党西上のため、慶喜とともに桑名藩兵約四百名敦賀に出動。定敬は京都残留。
慶応元 1865 閏5月22日 19 将軍上洛のため定敬、大坂へ出迎えに行く。
12月28日 左近衛権中将に任ぜられる。
   2 1866 1月8日〜14日 20 定敬、慶喜・板倉勝静・小笠原長行・容保らと会談。長州処置の討議するも決まらず。
1月15日 慶喜・容保らと大坂へ将軍に会見のため出発。
1月22日 慶喜・容保らと参内。
1月23日 長州処置決着。
1月26日 参内。
4月 「第二次長州征討」。
10月 このころ総髪に? 7月20日将軍・家茂、大坂城にて薨去。
12月25日孝明天皇崩御。
   3 1867 21 6月薩長同盟成立。
10月15日 大政奉還。 10月14日倒幕の密勅が薩長に下る。
12月9日 小御所会議。
   10日 定敬、京都所司代を免ぜられる。
   12日 慶喜・容保らとともに二条城より大坂城へ向かう。 12月28日江戸薩摩藩邸焼打ちの報せが大坂に達する。
   4 1868 1月3日 23 鳥羽・伏見の戦。
   6日 夜、慶喜が定敬・容保らをつれて大坂城を脱出。開陽丸で天保山沖を出発。
   11日 開陽丸が品川沖に入る。
   12日 慶喜らとともに江戸城に入る。
   28日 桑名開城。万之助を擁立して国許は恭順。
2月4日 大坂より帰った町田老之丞らに築地藩邸内で面会。
  10日 慶喜から登城禁止を言い渡される。容保も同じ。
  11日 深川の霊巌寺に入り、謹慎。
3月7日 築地中屋敷に一泊。
8日〜16日 長岡藩チャーターのプロシア船に藩士百名と同乗。16日に横浜沖を出航、箱館回りで新潟へ。
23日〜29日 新潟港に到着。三泊ののち柏崎へ。大久保・勝願寺へ入る。
4月11日江戸開城。 4月12日桑名士官隊は大鳥圭介率いる幕府脱走兵とともに市川に集結。
4月19日宇都宮城攻略。
閏4月3日 恭順派の家老・吉村権左衛門、定敬の秘命により誅殺される。
   9日 関東転戦より急行した町田老之丞ら定敬に拝謁。
   12日 定敬、主戦派と目通り。
   15日 新軍制をきめ、幹部を「入札」により決定。
   16日 五十名の供とともに加茂へ。18日到着、大昌寺に入る。
   27日 鯨波の戦。
5月1日 定敬は加茂を退去、2日津川へ到着。7月初まで逗留。 3日奥羽列藩同盟成立。
   13日 朝日山の戦。
   28日 与板攻防戦。
   16日 定敬、会津若松に到着、容保と再会。以後、興徳寺を本営に。
8月13日 桑名本体が会津入り。鶴ヶ城にて藩士と面会。
   23日 新政府軍が会津若松城下へ入る。定敬は容保と蚕養口で別離。米沢へ向かう。 24日会津藩篭城に入る。
   25日 米沢城下に滞留し、上杉茂憲に面会を申し込むが断られる。
   27日 米沢を出て白石へ。
9月1日 白石城泊。
  3日 福島城泊。小笠原長行らと会い、軍議する。9日まで留まる。
  12日 仙台城下へ到着。板倉勝静と会う。
  16日 蝦夷行が決定。御供は三名のみ。
  17日 塩竃へ出発。板倉勝静・小笠原長行らと。 公用人・森陳明以下十七名の桑名藩士は新選組に入る。
9月22日会津藩降伏。
10月12日 定敬は旗艦開陽に乗船して、榎本艦隊が出発。 9月26日立見鑑三郎率いる桑名本隊は庄内で降伏。
   21日 蝦夷・鷲ノ木浜へ到着。
   24日 定敬は勝静・長行とともに鷲ノ木本陣に入る。
11月4日 森村へ移り、旅宿「吉田屋」に宿泊。
   14日 夜、函館着。「湊屋」に宿泊。
   15日 函館弁天町の豪商「山田屋」へ移る。
12月 山上神明社に移り、長期滞在。
12月24日家老・酒井孫八郎が箱館到着。
同29日土方歳三と面談。
明治2 1869 1月1日 23 定敬、孫八郎と面会。その後、榎本・土方ともしばしば面談。
4月7日 定敬、函館を脱出して森村へ。
  11日 森村より乗船し、室蘭へ向かう。
  12日 箱館へ引き返す(官軍上陸のためか?)
  13日 未明、アメリカ船に乗って箱館を出発。
  26日 横浜着。孫八郎は下船。定敬は上海まで密航する。
5月18日 定敬、アメリカ船コステリカ号にて横浜へ。林光寺へ入る。
  20日 市ヶ谷尾張藩邸に入り降伏し、取調べを受ける。
8月27日 藤堂藩邸(神田橋津)に移り、謹慎。 8月1日桑名藩、万之助を立てて六万石で存続。
11月11日 霊巌寺で定敬、降伏の桑名藩士に会う。 13日公用人森陳明、桑名藩抗戦派の全責任を負って切腹。
  4 1871 3月15日 25 津藩邸より桑名藩に定敬の身柄を引き渡す。
  5 1872 1月 26 謹慎が解ける。
2月21日 初子と結婚。
11月 欧州旅行(私費団体視察)に出発。
  7 1874 28 柏崎で桑名藩士戊辰殉難七回忌法要に立ち会う。
  8 1875 7月 29 寒河江・陽春院に戦死した桑名藩士十八名の碑を建立。
  9 1876 11月11日 30 従五位。
  10 1877 5月 31 西南戦争に参加のため、桑名士族を募集。定敬も同行する。
  14 1881 2月 35 森陳明の碑を桑名・十念寺に建立。
11月 霊巌寺にも建立。
  17 1884 38 柏崎・勝願寺で十七回忌を行い「桑名藩士戦没墓」を建てる。
  18 1885 1月21日 39 四男・定晴(和雄)生まれる。
  20 1887 12月 41 桑名城跡に剣形青銅製「戊辰殉難招魂碑」を建立する。
  22 1889 2月11日 43 大赦となる。正四位。
3月 森陳明碑「精忠苦節」を桑名城跡に建てる。
  26 1893 47 12月5日容保逝去。
  27 1894 48 日光東照宮宮司に就任。 6月日本軍、仁川へ上陸。8月対清宣戦布告(日清戦争)。
柏崎・勝願寺にて二十七回忌法要。
  28 1895 49 2月13日清国降伏。4月17日下関条約締結。
  29 1896 12月26日 50 日光東照宮宮司辞任。
  34 1901 2月3日 55 初子逝去。
  35 1902 56 1月30日日英同盟。
  37 1904 58 2月10日宣戦布告、日露戦争勃発。
  38 1905 59 9月日露戦争終結。ポーツマス条約締結。
  41 1908 7月21日 61 定敬逝去。

参考資料
『松平定敬のすべて』 新人物往来社
『昔夢会筆記』 平凡社
『日本史総合年表』 吉川弘文館


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