| 文芸に見る定敬公 学術書や研究書をのぞく人物伝や小説における松平定敬の描かれ方を検討しています。思いっきり私見です。 じょじょに増やしていきます。といっても少ない(笑)。 |
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| 書名/編著者/出版社 | 抜粋と雑感(赤字) |
| 『松平容保 悲運の会津藩主』 星亮一/学陽文庫 | 「同じ兄弟でも弟の定敬は剣術、槍術なんでもござれである。竹刀を振り回して遊び、弟の方が会津藩に向いていると思うことがあった」 虚弱な容保の心のうちです。やっぱ武道はダメだったんでしょうか容保。やんちゃ坊主の定敬が竹刀を振り回す姿が見たい。しかし定敬=会津だと、戊辰戦争でもっと救われないような気がするんですが……。 「かたわらで、桑名藩主に迎えられた弟の定敬が、 「いずれ、私も京に参り、兄上をお助け申し上げます」と語ると、容保は感極まって涙した。定敬は、この時、十五歳、馬術の腕も一段とあがり、いっぱしの若武者に育っていた。のちに京都所司代として京にもぼり、容保を補佐する。いつも主君として振舞わねばならなかった容保は、肉親の前で初めておのれの胸のうちを見せたのである」 父・義建の病気見舞いにて。守護職におされてにっちもさっちも行かなくなった状態の容保。ついに受ける覚悟をした時、いみじくも父と弟に励まされたという容保のヘタレさがなんとも。それにしても、定敬が「若武者」ですよ、「若武者」!「いずれ京に」というのは先代からの警固のお仕事のことですね。 「「兄上、どうなされた」 定敬に肩を叩かれ。はっと我に返る始末である」 大坂城脱出の船中でのやりとり。ヤケ酒飲んでます容保。そりゃ飲みたくもなるでしょう。それにしてもなんだか暢気な定敬(笑)。 「十日には、弟の松平定敬が馬を飛ばして来た。 「兄上っ」 「来てくれたか」 二人は無言で見つめ合った。馬術にたけ、どこでも自分で出かける。兄の身を案じ、様子を見に来たのだという。少し疲れた様子が見える。…(中略)… 「何をいわれる。私は、いつも兄上と一緒です」 定敬は言下に否定したが、「米沢に不穏な動きもある」と容保が真意を伝えると、無言でうなずいた」 うおおお!この場面のためにこの本買いました(嘘)。麗しい兄弟愛! |
| 『松平容保』 葉治英哉/PHP文庫 | 「定敬は大いに驚いて翻意を願った。 「京都以来、阿兄(兄さん)と死生をともにしようと覚悟を決めております。いたずらに死に急いではなりませぬ。朝敵の汚名を晴らさずに死んでは、末代までも悔いが残りましょう。どうか阿兄のおそばに置いてくださりませ」 「それができるのであれば悩みはせぬ。せめて、そなただけでも生き延びて欲しいのだ」容保は初めて弟に真情を吐露した。…(中略)…「阿兄のご意志を無駄に致しませぬ。されど、いずれの日にか再会いたしたく存じます」定敬は、兄の心底を読み取って米沢へ向かうことを了承したが、それとなく他日の再会をねがって、容保の自刃を思い留まらせようとした」 うおおお!やっぱここですよ泣き所。蚕養口の別れ。幾分漢文調ですが、「兄上のおそばに置いてくださりませ」とか定敬がいじらしい(><)食べたくなるよ(違)。 どうしても孤独な容保が心を開けるのは定敬のみ!そこがいいっす。 |
| 『峠』(上中下) 司馬遼太郎/新潮文庫 | 「「いや、かまわない」 といったのは、定敬であった。 「洋船の上にいるあいだは洋船の礼に従うとしよう。それにこのほうが話しやすい」 (おや。このひとはお人形ではない) と、継之助は思った。殿さまにはめずらしく自分の意見をもっているようであった。…(中略)…松平定敬は若い。まだ二十をこえることいくつでもないであろう。反応の敏感そうな、聡げな目をもっていた。 「なるほど、そういうことか」 定敬は、ひどく感心したらしく何度もうなずいた。 桑名侯松平定敬は、継之助に対し、もし後日、対官軍との戦いがおこったばあい、旗を一つにし戦おうという口約を得たかったらしい。が、継之助は確答しなかった。 定敬はさらに、 「今後、われらはどうすればよい」 といったが、これについても継之助はただ、…(中略)… 「しかし、じっとしていられまい」と、定敬はいった。 江戸から柏崎へ長岡藩のチャーターしたプロシア船に乗っているというくだり。出番はこれだけですが、直答をあっさりゆるしてしまう気さくな殿。司馬作品において「反応の敏感そうな」とか「聡げな」とか語られると、すごく信憑性を帯びてくる気がしませんか。 |
| 『士魂の海 桑名藩 戊辰外記』 芝豪/海越出版社 | (遂に殿は、京都所司代御拝命をお受けなされたか) 主人公・斎藤銀之介の心の声ですが、「殿」とはむろん松平定敬のこと。しかし「御拝命」をお受けって回りくどい言い方ですね。 「仙太。桑名に走って銀之介に知らせよ。淀藩と藤堂藩の裏切り。我らの主君が我らを見捨てたこと……」 (我らの主君が我らを見捨てた)と。 藩主定敬は、美濃高須からの養子である。藩士と元々、縁が薄い。しかも、大坂で藩士たちを捨てて逃げた。 慶喜が抗戦を断念したにもかかわらず、桑名藩主松平定敬は、飽くまで再挙を考えている。 (譜代とはいえ、一藩主にすぎない我が殿が、なぜ薩長奸賊打倒にこだわるのか。兄にあたる会津公に肩入れしてのことなのか。あるいは大坂での屈辱を晴らしたいためなのか)芦田半平は、藩主定敬の心の奥底までは掴み得ない。ただ、 (そこまで抗戦に徹するのなら、なぜ大坂で我らを見捨てた)との想いが半平にはある。半平は自分よりずっと若い定敬の度量を疑っていた。 そう何度も何度も大坂のことを言ってやるのはカワイソウ……ていうか、しかたないですが。 にしても「譜代」と「親藩」を間違えちゃこまるよこの作者。久松家は譜代じゃないっ。しかも定敬は名門・御三家の尾張家の支藩出ですから。こだわって当然なのです。 本人は登場しませんが、あまりにもあんまりな藩主像なので敢えて書きました。 |
| 『闘将伝 小説立見鑑三郎』 中村彰彦/双葉社 | 「ならば越後柏崎へゆこうではないか」と言い出した。 官軍への投降をいさぎよしとしない定敬は、こうして長岡藩のチャーターした船で新潟へ。ここで慶喜から縁切りを言い渡されたにもかかわらず、抗戦のイキオイがあまり感じられないフンイキなのです、何故か。 その脇の間入口に並んで正面を見つめると、面長な顎のとがった顔だちに薄あばたを散らした定敬が違い棚を背にし、満面の笑みを浮かべていた。 「その方ども、よくぞまいった」 謹慎以来月代を剃っていない定敬は、総髪大たぶさに近い髷形になっているためか顔が小さくなったように見えた。 薄あばたってなんすかー。定敬が罹ったのは麻疹じゃなかとですか?疱瘡じゃないっしょ?違うんですか?なんかイヤですよ。カッコ悪い……中村さんの筆によるものだけに期待してたんですが、何かねー。 「われはこれより城籠もりして戦い、落城の暁には……(略)」 「あ、阿兄よ、何を仰せられます」 手綱を控えた定敬は薄あばたを散らした顔を引きつらせ、悲鳴のような声を挙げた。 また薄あばたかよー。カッコ悪いし、しかも。泣ける場面が泣けません。蚕養口の別れの場面なのに!もう、何だか定敬が気の毒でなりません。ちなみに主人公の鑑三郎っちは、眉毛の濃い爽やかな男前で、酒井さんはもちろん女子のような美男子で、鑑三郎の兄の老之丞でさえ整った顔だちなんですよ、定敬あんまりだー(泣)。性格はまあそれなりにオトコマエに描かれてるんですが、どうも作者の定敬全体に対する愛情が、容保様や鑑三郎にくらべてあまり感じられません。やっぱりですね、東軍の人を描く時はー、ニュートラルな都道府県の出身者が描いたほうがいいと思います。福岡とか香川とか大阪とかまあそのへん出身の。 |