(六)

 姉小路公知といえば、三条中納言実美をならんで尊皇過激派の公卿の双璧といわれる男である。長州系の尊攘浪士を多勢集め、若いながらに廟堂を一人で牛耳っているといっても過言ではない。
「しかし、先程申し上げたように、姉小路卿にあやかっているのは長州だけではなく、土佐の連中もだ」
 新島あらため大庭は、一の盃に温い酒を注いだ。
「奴等は我々のような隠密を酷く警戒している。天誅がはびこっておるうえに、京には暗殺者がうようよしているからな」
「『人斬り新兵衛』のような?」
 一は上目遣いに大庭を見た。
「知っておられたか」
 大庭は、やや驚いた様子で言った。一は黙って頷く。
「お人が悪うござる。いや、それがしが尊攘派の人斬りと懇意にしていると知って何食わぬ顔で黙っておられるとは、斎藤殿にはなかなかに間諜の素質がおありだ」
 あまり嬉しい褒められ方ではないな、と一は思った。
 大庭の話を聞き始めて一刻余りが過ぎていた。大体のことは得心がいった。
 京都守護職という物々しい新職に推挙され、遂に王城のこの地まで赴任することとなった会津藩主・松平容保の、受諾の決意は藩内上下の悲痛を誘った。京を死処と覚悟しての任務に先立って、偵察隊が派遣された。家老・田中土佐を指揮官として、京都詰の野村左兵衛、小室金吾ら八名。
 その中に御徒の大庭恭平が含まれていた。御聞番、大庭恭平。
 とりわけ、田中土佐からは、「汝は過激派を装って、彼等浪士と緊密に交わり、動きを逐一報告せよ」と、言い含められていた。
 白河脱藩の新島周蔵と変名し、九月末から入京して以来、進んで尊攘派と親交を持ってきた。その役目は先日容保が上洛し、一応の段落はついていながらも、油断ならない京の治安ゆえに続行している。
「して」
 一は大庭の盃に注ぎ返した。大庭は、話に集中していて殆ど飲んでいない。
「おれに何用だ?」
 山口一殿、と呼ばれた時から燻っていた疑念である。大庭は顔を上げた。切れ長の目が光る。
「斎藤殿には是非とも我が藩にお力添えを頂きたい」
 一は、静かに盃を置いた。
 「我が藩」もへったくれもあるか、おれは元来会津の人間ではないのか、と瞬時にそう思った。だが、それを言葉にすることは出来ない。赤子の頃に山口家の養子となってからつい半年ほど前まで、「おれあ江戸っ子」と自負していた手前もあるが、何しろ会津若松の記憶もなければ、容保侯もこの間垣間見たに過ぎない。郷愁もなければ忠義心ももう一つ湧いてこない有様である。
 目の前にいる、大庭恭平こそいったい如何程会津人としての誇りを持ち、意にそぐわないだろう浪士らと交わって己の責務を果たそうとしているか。そう思うと、憤懣は喉下に収めざるを得ない。
「その為に偽名を使って道場に入門するなんざ、随分とご大層な。だが、おれはそこまであんたらにして貰うほど大層な男じゃない」
 一は声を低くした。大庭はいっとき、小声になった。
「かねてより大目付、高木様より貴殿の事はお伺いしている。正面からそれがしの話をお聞き下され、と言っても貴殿は一筋縄ではいかぬ御仁だということも」
 一は舌打ちした。余計な事だけは知れ渡っている。
「時機ですぞ、斎藤殿」
 大庭の言葉に熱が籠もった。
「僭越ながら申すが、家名の汚れを雪ぐ機ですぞ。京の地に敏い貴殿が率先して殿のお耳になり、薩長土の動きを我々とともに探索して頂ければ、これほど心強いことはない」
「おれに御聞番になれと」
 一は、四角い眼を大庭に向けた。大庭の顔付きは、柔和な笑みを押し隠し、密偵の持つそれになっていた。思えば、蹴上で容保を見詰めていた時の表情は、あれはともすれば殿の御前で忠臣の面付きになってしまいそうな己を律するために、厳しい顔付きを拵えていたのだろうか。
「それに、貴殿は大目付様に借りがある」
 江戸を逐電した際のことである。旗本殺害の始末は、総て会津藩大目付の高木小十郎がつけてくれたとの報せが、京に着いた直後、実家から届いた。
 感謝する反面、こういう風に利用されたのでは、さしもの一も些か腹の居心地が悪い。武士の世界の駆け引きというものであろう。何も考えず、ただ剣の腕のことだけを考えていたついこの間がひどく遠い昔の事のように思われた。市ヶ谷の試衛館のことが、不意に思われる。近藤や永倉らはおれが京でこんなことになってるなどと、及びもしないだろう。
 様々な思惑が一の脳裡を巡ったが、大庭にはその様子が把握されてしまったらしい。
「いろいろと柵(しがらみ)もあろうが、まずは長六とやらいうやくざ者のことはそれがしにお任せ下され」
 と、既に大庭は一が話を受諾したつもりで進め始めた。
「命までは奪うなよ」
「やくざ者に義理立ては無用と思うが」
 大庭は破顔した。いや、と一は手を組んだ。
「あんたが考えているより、奴等は食えねえ。上方のやくざは執拗だ」
 一は左肩を押えた。
「成る程、心得た」

 年が改まって文久三年(1863)正月。
 昨晩大坂で起きた事件が、京でも評判になっていた。儒者、池内大学が殺害されるという事件が起こった。安政の大獄で囚監の身となり、昨年に大赦で出獄、大坂に韜晦していたところであった。
「首級が難波橋畔に晒されていたそうですよ」
 秀平が、興奮気味の口調で一に語った。何でも一昨日から父について大坂へ出向いていたという。その帰りに人だかりを見て、知ったらしい。一にとっては、それがどうしたという出来事である。
 今更、世間を退いた老儒者の首が斬られたと、それが攘夷派に対する裏切りの報復だと聞いても、意味を成さなかった。
 ただ、翌晩、池内大学の首から切り取られていた両耳が、正親町三条実愛(さねなる)、中山大納言忠能の邸内に丁寧に箱に籠めて投げ込まれたというのを聞くに及んで、ふと大庭の身が案じられた。
 大庭は、昨年末以来のあの話を、年明けから一に切り出していない。年始の挨拶も済むと、そそくさと帰ってしまった。
 洛中にうろついている浪士の目に止まるといけないというので、一度東山のはずれの店で飲んだ。
「浪士間には目立った動きが無い。ゆえにそれがしも、そうそう動き回っていては怪しまれる。ただ、土佐の老公について噂が流れている」
 と、大庭は言った。老公とは山内容堂の事である。
 前年七月に将軍後見職に任命された一橋慶喜が、正月五日に上京した。
 それにともなって政事総裁、松平春嶽、宇和島藩、伊達宗城と山内容堂が密議を凝らし、攘夷の期限をさだめ、将軍上洛を促そうとする京の情勢を一変させようとしている、という噂であった。
 かねがね公武合体派の山内容堂には、同藩内の不満分子があれこれと活動している。天誅は猖獗しょうけつ)を極めつつあった。
「我が殿は行く先を案じておられる。このままでは憤懣やるかたない浪士どもがますます増え続け、京の町は只でさえ夜道を一人で出歩けぬ。夜市も行われぬ有様、百鬼夜行の都にあいならん。かといって、力で弾圧すれば先の大獄のようになりかねない、と日々お悩みとのこと」
 大庭は拳を震わせて、言った。しかし、おれはそう言われても具体的に何をすればよいのだ、と一は思った。大庭のように浪士に交わり、動向を探る必要はない。また尊攘論を口角泡飛ばして語ろうとも出来っこないが。
「暫し待たれよ。貴殿の事は。ご家老および公用方筆頭野村様には伝えておるゆえ。時機を見てお目通り願う」
 そう言って、大庭は一と別れた。
 そして、薩摩藩と深い縁のある関白、近衛忠熙(ただひろ)が辞職し、かわって前の右大臣、鷹司輔熙(すけひろ)が関白となることが決まった。二十七日には正親町三条、中山ら両卿が議奏を辞し、結果として朝廷内の公武合体派が失脚したことになる。

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