(八)

 まだ季節は早いが、一面の畑の畦道に菜の花が咲き始めていた。葛野郡朱雀野村、壬生の辺りである。三月初旬、一は江戸から着いた浪士組が壬生村に逗留していると知り、訪ねて行った。
 否、何やら騒ぎが起こっているというので、永倉達の手前、素知らぬ振りをするわけにはいかいというのもあった。
 永倉は一の顔を見るや、四角張った頬に満面の笑みを押し上げ、肩をいやというほど叩いて喜んだ。
「おい山口、いや斎藤、何だか人相が悪くなったな」
 無遠慮に言う。
「いや、痩せたからでしょう」
「京は佳い女が多いからな。祇園だの通い詰めてるんじゃあないのか」
 そんな金も暇もあるわけが無い、と言おうとしてどっと人が集まってきたので、一は反駁する機会を失った。原田左之助やら沖田総司やら、代わる代わるに挨拶され、一はくたびれた。
「将軍様守護というので我等意気揚々と来てみれば、この始末さ」
 永倉は口惜しげに言った。
 京へ到着するや否や、清河八郎が浪士全員を呼集した。そうして、新徳寺本堂でたいへんな弁舌をふるったのである。
「我々が京へ来たのは将軍家茂公の守護とは只名のみ。真意はただただ尊皇攘夷の先鋒とならんとするのである」
 そして、清河は彼等に尊皇倒幕の建白書に署名させ、学習院に上呈してしまった。
 これでは話が違うではないか、と異を唱える者が即座に出て来なかった。というのも、浪士の大半は思想を持たない無学の徒であったからだ。腕一本だけを頼りに集まった者ばかり、まんまと清河の策に嵌められてしまったのである。
「成る程、大庭の読みは当っていた」と、一は思った。
 ところが幕府側もこの事態を放置しておくわけにはいかない。早速に浪士らを江戸に追い返すという算段に出た。
 話は遡るが、昨年五月のことである。薩摩藩、島津久光が江戸下向し、国事周旋をつとめた後、京へ戻る事となった。帰路、品川、川崎から武蔵の生麦村に差し掛かった。昼八つ時であった。
 その時、偶然英国商人リチャードソンら四名が馬に乗ってやって来た。外国人である彼等は、日本の風習に精通しておらず、久光の行列に出くわしたが、下馬もせず、これを避けなかった。
 しかも、言葉がわからない為に先払いが命じても意味が通じず、ついに供頭、奈良原喜佐衛門の一刀で、リチャードソンが斬り付けられてしまった。
 結局四名のうち女性一人を除いて、英国人は殺害されてしまった。
 これが世にいう「生麦事件」である。
 英国政府は、幕府に賠償金を謝罪状の提出を要求し、薩摩藩にも奈良原らの私刑と賠償金を求めた。拒絶すれば、海軍を介して返報する、というかなり強硬な申し入れを行ってきたのである。
 既に翌年、浪士隊が江戸を出発するという頃、英国軍艦は横浜港まで入り、脅威を示していた。
 ゆえに、「攘夷をやりたくば、横浜で行え」という老中、板倉勝静の言葉に乗り、清河自身も東下することになった。出発は、この三月十三日だという。
 だが、近藤らをはじめとする試衛館面々、天狗党くずれの一派が居残ると主張し出したのである。
 水戸天狗党だった芹沢鴨という男が、「名目として将軍警固の為に上京してきた我々が任務を放り出して帰るというのはおかしい」と、清河を難詰し、これに近藤も同調した。
「今、おれたち残留組は京都守護職の松平容保様に建白書を提出している。京都残留の許可と身柄の保証を頂こうとしているところだ」
 永倉は、目を輝かせて言った。
「もし守護職御預となったならば、その時はお前にも参加して欲しいのだ」
「いいですよ」
 一は軽い気持ちで承諾した。
 果たして、海のものとも山のものとも知れぬ江戸から来た浪士達を、すんなりと会津侯がお認めになるかどうかというのもあやしい。話半分、というところで一は聞いていた。
「まあ、おれは正式に御聞番というわけでもなし。野村様からは、まだお呼びも掛からない。大庭の行方も知れないままだし、片手業も出来ないで道場でぼんやりしていても仕方ないさ」
 という至極曖昧な気持ちで考えていた。
 三月十二日。
 正式に浪士組が守護職御預となる、という御沙汰があった。
 一はそれを聞いて少々焦ったが、既に承諾の返事をしてしまっていた以上、浪士組に入らねばならなくなった。
 仙十郎の寝入りばなを無理から叩き起こし、文句を言われながら床の傍に額づいた。
「本日限りでお暇を頂きとうございます」
「そんなこっちゃろうと思うた」
 と、仙十郎は首を回しながら言った。
「ま、いずれ貴公はここから出て行くお人やよってな」
 一は顔を上げた。仙十郎は、胡坐を掻いて笑っていた。では、さえの婿にという話は諦めてくれたのだな、と安堵の気持ちが広がる。
「新島はんの一件から、入門者も減ってしもうた。京の人間ちゅうのは噂に敏いさかいにな。これもわしの不徳の致すところ」
 仙十郎は欠伸をした。「貴公の所為ではないで」
 一は再び額づいた。
「わしもまだ師範やよって、あとは細々とやるわな。こんな老いぼれ一人ぐらいなら食うていける。さえも、どっかに片付けさそう思うとる」
 一は黙って聞いていた。ふと仙十郎の手が、一の肩に置かれた。
「貴公は思う存分、御公儀の為に暴れたらええ。道場剣を教えとるだけでは勿体無い」
「かたじけのう存じます」
 夜半、一は吉田道場を出た。身の回りの物はたかが知れている。江戸から上京した時同様、身一つであった。さえは玄関口まで一を見送った。泣いてはいなかった。だが、一言も喋らなかった。

 後から浪士隊に加わった一は、近藤らの逗留する八木邸ではなく、南部亀次郎宅に間借りすることになった。結局のところ、何処へ行っても居候というわけだ、と一は己が身を揶揄したくなる。
 八木邸の前には「壬生浪士組屯所」という如何にもな看板が掲げられたが、その実まだ組織としては固まっていない骨なしの二十四名の所帯であった。
 今晩は、村の内外から大勢の人々が集まりつつあった。
 浪士組が会津公御預となった祝宴が催され、その席で壬生狂言が披露されるという。
 格別の興味はないが、とりあえず一も観劇の席に着いた。壬生狂言は無言劇である。
 衣装と面をつけた八木家の当主、源之丞が舞っている。しかし、観劇の素養がない一にはまるでわからないし、退屈で仕方ない。周囲をそれとなく窺い、「これほど人が集まっているなら、おれ一人くらい抜け出しても構わんだろう」と、こっそり小用に立つ振りをして邸の外へ出た。
 風が快い。このまま散策するか、飲みに行くかと懐手で思案しながら、東へ向かっていた。
 島原は近いのだが、適当な銭と暇で飲める処が村周辺には殆ど無い。島原に比べて茶屋で飲むのは気楽なものである。木屋町辺りまで行くか、と思った時、島原大門から男が走ってくるのが見えた。初老の股引を穿いた下男風で、年に似合わぬ素早さで一にぶつかった。
 振り向くと、紙片を握らされていた。男は既に何処かの露地に入ったらしく、姿が見えなかった。
「いったい、何の真似だ」
 訝しく思いながら紙片を開くと、よい香りが立ち上った。女の手文字で短く書かれていた。
「万寿寺通にて四つ 瑤」
 最初ぴんとくるものがなかった。思い起こすには、少々時間が経ち過ぎていたからである。だが、歩いている時に不意に思い出した。思い当たると、あとは飲みたい心地も忘れて、兎に角万寿寺通へと急いだ。
 だが、いざ路地を入ってみると迷ってしまった。
 果たしてどうやってあの時帰ることが出来たのか、と首を捻りながら歩いても、どんつきに出る。考えあぐねているうちに、背後から声を掛けられた。
「こっちにおいでやす。ここまで来られただけでも、えろう進歩ですわ」
 提灯を掲げたおようの白い顔があった。笑っている。一は少しばつの悪い思いをしながら、おようの後をついて行った。伯母の家だと言っているが、その伯母とやらはいつも不在である。方便であろうと覚りつつ、一は二階へ上がった。
 襖を開けて、一は吃驚した。客間の障子縁に大庭恭平の姿があったからである。おようの方を振り向いたが、既に階下へ行ってしまったらしい。大庭は膝でにじるようにして畳に正座した。
「無事だったのか」
 すると、大庭は苦笑した。頬には以前にはない黒い髭がうっすらと刷かれたように生えており、目付きもやや凄味を増していた。
「永年謹慎ということになりました」
 いっそ切腹の方がましだとでも言いたげな口調で、大庭は言った。おようが酒を運んできた。
「ということは国元へ」
「いや。国元へは戻ってはならんとの御達しでな。まだ正式には決まっておらんが、上田か高遠、あるいは長岡あたりへ行かねばならんだろう」
 当然、御聞番の任は解かれる。大庭は処分に関しては納得していた。だが、その表情に黒い蟠りがある。
「野村様からは何か?」
「いや、あれから音沙汰ない。おれも道場に居候はいつまでもかなわんので、浪士組に入った」
 浪士組、と大庭は鸚鵡返しに言い、考え込んだ。壬生村の噂は知っているようである。
「いずれにしても、殿のお膝元にいるというのは悪くない」
 瓢箪から駒、というだけのことなのだが、一は永倉らと旧知の間柄であることは黙っていた。
「何の知らせもないということは、まだ貴殿の待遇が決まっておらんというだけだろう。それがしも、暫くは六角獄舎に入っておった。逃亡したという名目で出て来たばかりだ。公用方とは顔を合わせておらん」
 大庭は、漸く人心地ついた一に酒を注いだ。久しく他人と接していないからなのか、大庭は珍しく冗舌だった。御聞番という役目の孤独さを、一は思い遣った。
 お互いに生い立ちのことも語らず、ただ会津藩という繋がりでのみの間柄しかないというのに、大庭は旧友のように一に接している。言葉には表さねど、そのことは一には伝わった。
「しかし、我が殿の憂いを増幅せしめ、幕府に唾を吐き掛けるような真似、いくら任務とはいえ行ってしまったそれがしの罪は軽いものではない。謹慎は厭わないが、このまま京を去るには忍びない」
 大庭は酔いに任せ、本音を漏らした。
「では、殿の為に何らかの形ある誠意を示せばいいではないか」
 と、一は答えた。
「形ある、とは」
「誰が見ても明らかな尊攘派の大立者を斬る。―なんてのはどうだい」
 ほろ酔い加減で、一は言った。この時の何気無い一言が、京を震撼させる大事件に繋がるとは、よもや考えもせずに。
「そういえば、まだ貴殿との約束を果たしておらん」
 大庭は大分酔いが回ったらしく、膝を崩してさらに横になった。「約束」というのは、いつぞや長六の事をどうにかする、と言っていたことか。今のところ何の危惧もなかったゆえに、一はすっかり失念していた。
 酔った大庭が寝込んでしまうと、一は万寿寺通の隠れ家を出た。夜はまだ冷える。利休下駄をからころと鳴らしながら、おようが追って来た。
「うちも桔梗屋へ帰ります」
 女一人では不用心なので同道したいと言い、おようはさり気無く一の袖を掴んだ。
「あんた大庭の女じゃないのか」
 一が訊くと、おようは声を立てて笑った。五条通にはまだ酔漢や奉行所の夜回りなどの人気があった。
「おかしな事言わんでください。うちは太夫どすえ。誰のものでもあらしまへん。大庭はんは、会津藩のお人。只のご贔屓はんどす」
 おようは、少し蓮っ葉な微笑を浮かべた。
「しいて言えば、この身はお上のもの。お察しの通りの女徒(おんなかち)。うちも大庭はんと同じ密偵どす」
 意外な身分を明かされ、一は瞬時立ち止まってしまった。成る程、遊郭という処は身分、思想を問わず様々な人間が出入する。接待役の太夫らが内密の話を聞くこともあろう。但し、廓の中の秘密は飽くまで廓の中に収まって洩れる事は無い。
 どうやらつくづくおれは密偵に縁があるらしい、と一は嘆息した。
「因果なもんだ」
「うちもそう思います。お客さんの情報を売るやなんて、芸妓として最低ですわ」
 おようは俯き加減に言った。
「そうじゃない。そうせざるを得ないあんたが」
 そうしておれも大庭も、と言おうとして一は言い澱んだ。おようの香りが間近にあった。ぬばたまのように黒くしっとり光る双眸を見詰めながら、一はおようの肩を抱いた。若竹みたいにしなやかな体が、一の両腕の中で熱く撓んだ。
 大庭の女でない、と確証を得たことが、若い一を大胆に駆り立てた。
「太夫」
 と言い掛けた一の唇に、おようは人差し指を押し当てた。
「お座敷ちゃいますえ。今のうちは島原桔梗屋の相生太夫でも、公儀密偵のお瑤でものうて、ただのおようどす」
 おようは、驚くほど潤んだ声で言った。
「おようは斎藤はんのもの」

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