(二) 

 そうは言っても捨て置けぬので、山南は早速、幕医の松本良順に相談した。
「たとえ虫が入ったとしても、明かりを求めて行くのが習性だからね。何日も耳の中に入っていることはないでしょう」
 良順先生は斎藤に言い、ひまし油を含ませた綿を両耳に入れた。暫く経って、斎藤は何度か頭を揺すられたが、何も出て来なかった。
「耳の患いで、耳鳴りの重篤なやつかもしれない。安静にしてなさい」
 斎藤は渋々頷いた。どうも得心がいかないらしい。
「斎藤君は激務が堪えているのではないですか。昼夜ちぐはぐな時間に寝たり起きたりで見廻りが続いていますからね、このところ」
「そんな事はありませんよ」
 斎藤は又むっとなった。体が頑健なのが自慢の斎藤にとって、自尊心がいたく傷付いたらしい。
 屯所内での斎藤は、日増しに不機嫌を募らせて行く様であった。
 剣術師範の斎藤の指導日が回ってくると、途端に急病を発する平隊士が続出した。見廻りの時も酷くつっけんどんで荒々しい。
「斎藤先生は最近神経質のようだ」
 と遠近で噂されている。時々夜中に目覚めてうろうろし、庭先に下りては一心不乱に刃引きの真剣を振るっている姿さえ、隊士らに目撃されていた。
 池田屋での斬り込みの時も、鬼神の如くであったという。
 山南は、何となく自分が軽く助言などし、また良順先生の元へ連れていったのが拙かったのではないかと、少々気に病んだ。
「斎藤君。本当に蝉がいるというのなら、秋になればおさまるのでないですか」
「いえ。日毎に蝉の声は大きくなっているような気がします」
「それでは、良順先生に切開して頂いたらどうでしょう」
 うっ、と斎藤は返事に窮した。この男、他人を斬るのは好きな癖に、自分が斬られるのは嫌なのだ。尤も、頭を切れと言われて尻込みせぬ人などいないだろうが。
 しかし背に腹は代えられぬというので、斎藤は諾々と返事した。
 果たして数日後、良順の逗留している屋敷で執刀が行われた。麻酔を嗅がせて眠りにおちた斎藤が、やがて目覚めてみると、頭がすうすうして包帯が巻かれている。
 良順は、
「ほら。これがあなたの耳の中にいた蝉です」
 と言って、血に濡れた熊蝉を掴んで見せた。蝉は透明な羽をばたつかせん、じいじいと鳴いて勢いよく外へ飛び立って行った。
 山南も安堵の笑みを浮かべていた。斎藤は安心して、また一眠りした。
 包帯を巻いた斎藤が何日ぶりかで屯所に戻ってきた時、皆が奇異の目を向けたのは、言うまでもない。
「すごいぞ斎藤先生。あんなににこにこしている」
 却って不気味だとも囁かれたが、そんな事は意に介さぬ斎藤、読書に耽っていた山南のところへ一目散に向かった。
「御蔭様で全快です。蝉はもういません。山南さんと良順先生の御尽力の御蔭です」
 斎藤は深々と頭を下げた。山南は、いやいやと柔和な笑みを返しつつ、胸中複雑であった。
 中庭の栴檀に、微かな羽ばたきの音がしたかと思うと、油蝉が止まった。名残りの蝉か。
「斎藤君、実はね」
 山南は良順と図って、斎藤のこめかみを開いたことにした。良順は横鬢を少し剃り、鶏の血で湿らせた蝉を如何にも頭から取り出したかのようにして、斎藤に見せた。
 実は、斎藤を苦しめていたのはやはり巨大な耳垢であった。
 良順先生、斎藤を麻酔で眠らせている間に、石の如く固くなったそれを取り出すのに一苦労。その事は、斎藤の名誉の為にも黙っていようと二人で口裏を合わせたのだった。
 事実を知った清潔好きの斎藤が、衝撃を受けるのは間違いないからである。
 しかし、斎藤の余りに無邪気な表情を見ていると、山南は黙っていられなくなった。
「いや、騙して申し訳なかった」
 途端に斎藤はぎょっと二重瞼を剥いた。
「やっぱり。どうりで先程からまた蝉の声がすると思ったら」
 
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