(一)

 扇城の天守閣の下には、女が埋まっているという。
 
 一説には木曽岬(きそざき)の洪水鎮撫を願っての人柱ともいい、或いは織田信長に滅ぼされた桑部城の尼御前が恨みを抱いて死んでいったともいう。
 はたまた見目麗しいゆえに、太閤様の側妾にと両親が差し出したるを拒みて、自ら人柱を志願した未通女(おぼこ)ともいう。いずれにしても、真相はわからない。
 信長の侵攻以前から地方豪族によって既に城は築かれていたともいい、慶長六年以後入城した徳川四天王の一人である本多忠勝が城主となって根本整備した。

 御殿の窓から碧海が見える。
 初子は天気のよい日は、その黒味掛かった波間に浮かぶ漁船(いさりぶねや海鳥を眺めていた。
 尤も漁船は城のお堀には近付けない。宮の宿港からやって来る船が渡しに向かう姿に、手を振ってみたことも何度かある。しかし、誰も初子を顧みることはなかった。
 初子が初めて城に入った頃には、既に天守はなかった。
「元禄十四年の出火で、燃えてしまったのでございます」
 御奏者番格の酒井孫八郎と言葉をかわしたのが、この時初めてだった。
 色白痩身、涼やかな容貌の孫八郎は、まだ少年のあどけなさを残した美丈夫だった。初子より十二歳年長である。女子とも見紛う黒い睫毛の長さに、初子は少し気後れした。
「でも、燃えてしまった天守閣の下には、いまでも女の人が埋められているの」
 初子が力んで言う。孫八郎は、苦笑を禁じ得なかった。
「そのようなことはありません。口さがない奥女中たちの噂話を真に受けてはなりませんよ」
「天守がなくなったのは、その女の人の呪いだというのよ」
 初子は半ば本気で信じていた。
 というのも、世の中は将軍様の御上洛で俄かに色めきたっており、また近年相次ぐ暗殺事件の跳梁、とまだ幼い初子にも何か只ならぬものを感じさせる。
 加えて初子の許婚者たる桑名藩主・松平定敬も、このところ江戸と京、京と桑名の往復で席の暖まる暇(いとま)も無い。漠然とした不安が募る。
 すると、孫八郎は静かに言った。
「御存知にございましょうか、姫様。ここ桑名は、かつて本多家の所領でした。大坂の陣の戦火を逃れ、東照神君が孫姫の千姫様が江戸に戻られる際、お通りになられたことを」
 豊臣秀頼に嫁していた千姫は、大坂城落城寸前に坂崎出羽守によって救われたという。江戸への帰路、桑名を通って海路、熱田宮へ向かう時、本多忠勝の孫であり、家康にとっても外孫であった忠刻(ただとき)が千姫を見送った。
「この時、千姫様は忠刻公に会い、一目惚れなさったそうです。それほどの美男であったのでしょうな。神君ははじめ千姫を救出した者に嫁がせると約定しておられたようですが、千姫様ご自身がお聞き入れにならず、神君の没後に本多家に嫁がれました」
「まあ、千姫は熱烈な女子であられたのですね」
「出羽守はやけになって千姫を奪い返そうとし、失敗して改易されたといいます。本多家は姫路に増封され、千姫様もお子に恵まれました。残念ながら、平八郎忠刻公は三十一という若さでなくなられましたが」
「千姫は殿方にご縁が薄いようですね」
 初子はがっかりしたように言った。孫八郎は、濠を見渡した。
「千姫様は急度お幸せにお過ごしになられたと思いますよ、その十年(ととせ)の間。忠刻公亡き後、再々嫁の話も断られ、静かに夫君の菩提を弔ってまっとうなさっています。桑名はいわば、千姫様と忠刻公の結縁の地。何の不吉なことなどございませんよ」
 初子は、この時の孫八郎の柔和な笑みを忘れない。まるで、孫八郎の麗顔が二百数十年の時を超えて生まれ変わった忠刻そのものではないだろうか、とさえ思ったのだった。

 その優美なお城が再び炎上したのは、慶応四年正月二十八日のことであった。
 鳥羽・伏見の戦の敗走により、藩主・定敬が将軍・徳川慶喜らとともに東帰したとわかったとき、「桑名征伐」と称する東海道鎮撫総督軍が挙旗した。国許は震撼した。
 孫八郎は二十三歳。若年ながら、留守家老筆頭として政治総宰を任されていた。
 藩論は分かれた。抗戦か恭順か。
 京詰の経験もある孫八郎は、定敬の苦渋も手に取るように理解出来る。
「奸賊斃さずんば、止むべからず」
 正義感に満ち溢れた藩主の心は尊い。
 だが、国家老としての己は、
「桑名松平家を潰すわけにはゆかぬ」
 のであった。桑名在住の藩士七百七十七名の大半は、年寄と前髪上げて間もない少年ばかり。とても抗戦出来るとは思えなかった。
「神籤に託す」
 というひどく他力本願に見える決定方法が採られることとなり、孫八郎がその役目を担った。
 籤を引く前、禊する己の身体の肉の薄さに、孫八郎は愕然となった。
「こんな脆弱な身体では城を守り切れぬ。万之助様、珠光院様……初姫様をお守りすることかなわぬ」
 透けるように青白い肌膚に再び着衣しつつ、孫八郎は恭順と占(うら)が出ることを密かに願った。願いつつ、定敬に対する一縷のうしろめたさに体は重かった。
 果たして「抗戦」と出た。
 つまり、藩主に従うということだ。だが、神籤の結果に抗ってやはり戦うべきでないと唱える者が多く、前藩主の猷(みち)の正室で初姫の生母である珠光院の意向もそうであった。孫八郎は決断した。
 定敬の後を追って江戸へ向かおうとする猷の長男・万之助を踏み止まらせ、自ら東海道鎮撫総督軍の陣へ赴く事にした。
 江州・土山宿まで迫っていた軍に出向いた孫八郎は、既知であった薩摩の海江田武次と直談判した。そうして、四日市に出頭し、万之助とともに恭順を示し、朝命を拝承した。
 一月二十五、二十六日の両日をもって城内に住まう藩士ら以下立ち退き、珠光院らは菩提寺、各寺院に家中の者は収容され、尾張藩、津藩兵らに見張られた。
「孫八郎、あの音はなに?」
 城下に三発の砲声が響いた。初子はあまりの轟音に胸がどきどきし、よろぼうた。
 孫八郎は初子の細い腕が己の袖を掴んだのに気付きもせず、伊勢湾の方角を見つめていた。
「お城が接収されるのです、西軍に」
 官軍とはいわなかった。孫八郎は目を見張った。火の手が上がっている。辰巳櫓が焼かれている。
 総て城内を掃除し、朝廷へ差し上げたというのに、城が焼かれている。
「燃えているわ、孫八郎。どうして献上したのに燃やしてしまうの」
 初子は涙ぐんだ。
「薩長の者どもは、桑名を彼等の武力で開城せしめたと誇示したいのです」
 孫八郎は、漸く初子の繊手が己の袖を握り締めているのに気付いた。畏れ多いので離れようとしたが、初子は泣き崩れていた。
「殿、申し訳ございませぬ。それがしの愚かな裁断では最早これまで。これまででございます」
 孫八郎は、己の視界もぼやけてきたのを感じた。

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