(二)

 その孫八郎が桑名を発ったのは、城を明け渡してのち十ヶ月余りのことであった。
 会津若松も落城し、内地の戦が終わった今、いかに開城し恭順の意をあらわそうとしているとはいえ、前藩主がなおも抗戦しているというのでは甚だまずいという声が、誰言うとなく上っていた。
 定敬は桑名藩飛び地である柏崎から会津へ、そして同盟国からすげなく扱われて米沢、福島、仙台と転々流浪し、小笠原長行、板倉勝静らとともに箱館へ渡った。
 その報せが桑名で謹慎中の孫八郎の耳に入ったのは、十一月の初旬であった。
 十一月八日、渡し場で孫八郎を見送ったのは定教(さだのり)こと万之助と初子、町田老之丞ら数名の家臣。警衛の尾張藩士に見張られてのことだった。
 孫八郎は箱館の消息を聞くや、密かに尾張藩前藩主の徳川慶勝に許しを得て、定敬説得の為単身箱館に赴くことにした。供は、藩士・生駒伝之丞一人のみである。
 伊勢湾から揖斐川河口に向かい、身を屈めさせるような冬の海風が吹いていた。
「こんな厳しい寒さの中を、蝦夷地まで行くなんて」
 初子は胸が痛んだ。
 江戸より北方を知らぬ初子にとって、北の最果ての地が如何なる処なのか想像もつかない。
 そんな恐ろしい世界を、孫八郎は柔和な笑顔もそのままに足を踏み入れようというのである。華奢な肉体に鞭打って。
「姫様、殿にお伝えすることはございますか」
 孫八郎は御座船ではなく質素な三十石船に乗り込む前、初子に問うた。木枯らしに当たって、顔色は紙のようであった。初子は頷いた。
「お戻りにならぬと仰った時は、初子も何処へなと行き、果てまする。それとも孫八郎を斯様な目に遭わせる殿など、もう知りませんと」
 然様ですか、と孫八郎は白皙を寂しげに緩めて、船上の人になった。
 初子は人知れず涙した。理由は己自身にもわからない。
 定敬という十一歳年長の許婚者は、兄のような存在でもあったが、彼と一つ違いの孫八郎もまたそれに近い存在であった。定敬はこの四年余、京詰で初子と顔をあわせていない。まだしも、国家老の孫八郎のほうが何くれとなく初子と接していた。
「千姫とは逆みたい」
 初子は胸中呟いた。
 その後、孫八郎が定敬の説得に成功し、箱館から横浜に帰着したのが翌明治二年五月十八日のことであった。

 快晴の空の下、まるで今日を祝うかのような静かな海を伝う船があった。
 御殿の窓から見た碧海、それは初子がはじめて秋空の下で見た伊勢路の海と同じであった。
 海は変らないが、人の運命は波に弄されるがごとく転変した。官軍に接収された本丸御殿には、新政府の役所が置かれている。菩提寺の照源寺に住まっていた初子らは、母・珠光院とともに吉の丸に移ることを許されていた。ごく最近のことである。
「船が見えましたね」
 初子の傍らで、孫八郎が言った。彼は髷を切り、春風に短い前髪をなびかせて鳥居の下から河口を見詰めていた。いま、孫八郎は兄の服部半蔵とともに桑名藩大参事を務めている。
 初子はその横顔を眩しそうに見た。箱館へ向かった時の悲愴さは無い。かつての藩主を郷里に迎える喜びが、端正な微笑に滲み出ていた。
「甲板に出てお出でです。あのフロックコートの御方です」
 言われて凝視するが、定敬と思しき人物かどうなのか初子にはわからない。第一、初子には何年も離れて暮らした許婚者の顔など、霞のかなたの記憶のようでもある。孫八郎とは違って、眼差しの強い青年という印象だけが頼りだった。
 よく見えないが、たぶんあの断髪の黒々とした姿勢のよい青年だろうと見定めた時、
「初子様、あの御方が貴女の忠刻公ですよ」
 孫八郎は柔らかい声で、そう言った。
 春の波濤が渡し場に打ち寄せる。初子は、孫八郎の言葉を聞こえなかった振りをした。
「忠刻公は、千姫を放り出して蝦夷地なんかに行ったりしやしないわ。私の忠刻公は……」
 初子はそう思って、はっとなった。胸に熱く重いものがせり上がってくる。不意に現れた哀しみに囚われてなるまいと、初子は袂を引き、手を高く挙げた。
「殿、定敬様!」
 初子は叫んだ。そうしていれば、もやもやとした嫌な気持ちは海の彼方へ吹き飛んで行くだろう。
 明治四年四月七日、津藩預かりから桑名藩預けになった前藩主・松平定敬が帰郷した。
 そして翌年、正月五日恩赦を賜り、晴れて自由の身となった定敬と初子は二月に挙式した。
 二人の新たな人生の出発と入れ替わりにして、孫八郎は大参事を辞し、宮内省へ出仕することとなった。桑名を離れ、東京へ出た。
 さらにその翌年、藩存続に尽力した孫八郎に、初子の異母妹・高子が嫁いだのである。
 孫八郎はその後、二度と故郷の地を踏むことはなかった。戻ることなく、明治十二年に三十四歳の若さでこの世を去った。
 やがて東京に移り住んだ定敬、初子夫妻が孫八郎の墓地をしげく通ったかどうかは、わからない。
 初子はそれ以後、桑名を訪れた事が無い。
「やはり扇城の下には女が埋まっている」
 と再び思い返すようになったのは、四十の坂を越してからであった。
「ただし、埋まっているのは女の骸ではなくて、女の恋心に違いない」
 なぜなら初子は、桑名での出来事、孫八郎への憧憬もすべて、彼の地に埋めてきた。
 それでよかったのだ。
 今でも時々伊勢の黒い海を見たいと思う。だが、思ってもそれは遠い昔の、それこそ御伽話のような恋物語に似て、瞼の裏に浮かべるもの。まるで、千姫と忠刻の出会いのように。

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