(一)
四番組の坂内某は、通称「切腹先生」と呼ばれていた。某としか伝わってないのには理由がある。
さて、新選組も池田屋事件ののち俄かに時の人となり、幕府或いは京を預る会津藩の要望を得て多くの新入隊士を募った。しかるに百名近い大所帯となって、屯所を西本願寺へと移した。
人員が増えると自ずと隊内の規律も乱れがちとなる。
出自や口添えをどうこう喧しく言わぬ入隊であるゆえに、浪人者や中間上がり、町人も多く、局中法度を破る者も跡を絶たなかった。
もともと侍でもないのに「士道云々」と言われても判らぬ者揃い。並んで朝餉を食うたのに夕餉の時分には士道不覚悟の為に別室に監禁されたり、巡察中に死ぬ者が居る事など日常茶飯事である。
当然の事ながら、町家や百姓の出の者は「腹を切れ」と言われても全く作法が判らない。判らぬままに死んでゆく。
「それでは宜しからぬのでは」
と、局長・近藤勇に進言したのが、二番組組長の永倉新八であった。すると、苦み走った色男の副長・土方歳三が言った。
「ならばこの際、平隊士に切腹作法の講義を設けたらいいだろう。撃剣師範、文学師範と同じで切腹師範だ」
冗談とも本気ともいえない皮肉な表情であった。近藤は唸った。
「して、誰が適任か?」
土方と近藤は言いだしっぺの永倉を見た。永倉は慌ててかぶりを振る。
「いや、私は既に撃剣師範を請けたまわっておりますゆえ」
「然様。撃剣師範がハラキリを指導というのも面妖な話だ」
近藤は頷いた。斯様な訳で、沖田総司や斎藤一ら撃剣師範他、槍術、文学、軍学等の各師範は除外された。そうしてみると、存外無役の者に大した才覚の人材がない。
「切腹指南役を募るか?」
近藤は大真面目に言った。土方の表情があからさまにむっと曇る。
「馬鹿らしい。そんな事をするくらいなら、おれがやる」
などと互いに言い始めた。永倉は、少々お待ちください御両人、と言って局長室を下がり、ややあって戻って来た。一人の隊士を伴っていた。やや間延びした風情のある顔の、二十三、四の男である。
「四番組の坂内です」
永倉が紹介すると、坂内は深く頭を下げた。
「この男、生国は肥前・鍋島藩で、馬廻組の家柄です。坂内が適任かと」
と、言っても三男坊の部屋住みみそっかすであった。鍋島藩というと「葉隠」である。殊に「肥前の妖怪」と称される鍋島閑叟はすぐれた軍学者でもあった。
何だかその素姓は怪しい。鍋島藩はとくに藩士らが国事に参加することを嫌って禁じている。が、素姓を問うて入隊させたわけでもないので、経歴はこの際どうでもよかった。土方もあまり覚えが無かった。
「実演してみるか?」と、土方は何気無く言った。
すると、坂内は尻込みもせず「は」と短く答え、手にしていた風呂敷包を解いた。水裃に白小袖の死装束一式である。開いた途端、近藤が、
「判った判った。やらんでいい」
「本来ならば沐浴から始めねばなりませぬし、本日はもう昼餉を頂いてしまいました。魚でしたので、些か見っとも無い姿をお見せすることになりかねないと」
「判ったから、本日より君を切腹師範に命ずる」
近藤は苦笑しつつ、言った。
「くそ真面目な男だな」と、土方は皮肉な笑みを浮かべた。
翌日より、坂内の「切腹講義」は始まった。平隊士は初め、何の事かさっぱり判らずに「必修講義だ」と言われて出席を促された。
土方はこの看板を掲げた時、参謀の伊東甲子太郎に笑われはしまいかと思ったが、案外伊東は喜色を湛えて、
「それは素晴らしい。武士たるもの散り際を己で貶めては後々の恥となりますからな」
「すべて新選組の為だ」
新選組、に力を籠めて土方は言った。
「しかし、浅野内匠頭でもこうはいくまいと讃えられた切腹作法は二度と見られませんでしょうな」
伊東の皮肉はあからさまに、総長・山南敬助の切腹を指していた。土方は敢えて取り合わなかった。
「何だよ、切腹ならおれに任せろよ。水臭えや土方さん」
と、原田左之助が文句を言いに来た。また、腹をくつろげて例の切り損ないの一文字傷を見せびらかすが、土方はそれにも取り合わなかった。
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