(一)
慶応元年(1865)の四月、江戸で新選組の徴募が行われた。
すでに元治元年六月の池田屋斬り込み、七月の禁門の変で勇名を馳せていた新選組の新入隊士になろうと、こぞって若党が殺到した。その数、百数十名であったという。
五十二名の若者が入隊した。その中に橋本格四郎
(こうしろう)がいた。
常陸・土浦の浪人という経歴で、格四郎は面接に応じた。常陸と聞いて、土方歳三らはすぐに天狗党を思った。だが、その筋ではなさそうだった。
格四郎は色の浅黒い、どちらかというと痩せ肉の青年だった。
立ち合いは、斎藤一が行った。防具をつけ、向かい合った途端、斎藤は、ははあと覚った。
「こいつめ、人を斬りなれていやがる」
腰の低い構えでわかった。見ていた土方や伊東甲子太郎も、微妙な表情で頷く。合格も決まったようなものだが、形だけでも竹刀をまじえておこう、と斎藤は余裕で下段をとった。
しかし、格四郎はすいと青眼に構える。滑らかに無駄の無い動きで斎藤が出ると、格四郎ははあ、と勢い擦り上げ面を打ち込んだ。斎藤は、思い掛けない速さに受け損ねた。油断もあったが、極めて素早い。胴抜きを阻まれ、斎藤は後退した。
突きがくる、と読んだ斎藤は左にかわし、横面を狙った。だが、体勢を崩した筈の格四郎は低く姿勢を取り、斎藤の面の下から突きを繰り出そうとした。
真剣ならば、喉笛を貫いている。
「そこまでだ」
土方の声で、格四郎は我に返った。まるで憑き物がついていたかのような形相が平生に戻った。斎藤は、床に手をつきながら立ち上がる。
「驚く速さだ。まるで猿
(ましら)のようだな、お前」
と、斎藤が面をはずして言った。格四郎は少し俯いたままで頷き、土方らの方を見た。土方、伊東と涼やかな美男子二人の笑みが眩しかった。
格四郎は、その月末江戸を発った。
今ひとつ宿酔いが抜けない、と目を瞬かせながら、斎藤一は鎖帷子を着込んだ。昨晩、身体が幾分だるいので早めに寝たつもりが、どうやら夏風邪を引きかけているようだった。滅多にないことだ。
鉢金をつけ、浅葱色の隊服を羽織ったところで、隊士の一人が斎藤の元に駆け寄ってきた。
普段、揉め事などが起こっても、まず真っ先に斎藤のところへ来る者はいない。それは、斎藤が滅多な事で平隊士と親しく口をきかず、何処と無く近寄り難い雰囲気があるというのが表向きの理由だった。しかし、実は斎藤に言ったところで解決にはならない、というのが誰もの本音だ。
「誰々が口論しています」と言えば、「法度を朗誦してみろよ」と言い、「熱っぽいのです」と言えば休ませてくれるでもなく、「副長に石田散薬貰っておけ。見廻りに遅れるな」としか言わない。
冷たいというよりは、至極無駄を嫌う物言いだ。揉め事に自分から首を突っ込まず、総て己の法則に比してのみ動いている。そんな斎藤の隊内で一、二を争う剣技や、武士として卒の無い、端麗でさえある立ち居振る舞いに憧れは抱いても、直接どうこうして貰おう、という新入りはいない。
斎藤だからである。他の幹部はそうではない。
剣術師範としての斎藤は、天才肌の沖田総司や真面目な永倉新八より抜きん出て上手かった。
普段鷹揚だが、他人の剣のこととなると気が短くなる沖田は、出来の悪い隊士を兎角叱り飛ばすが、斎藤は的確な指示だけで静かに諭す。後は、ぶらぶらと様子見しているだけだ。だのに斎藤に教わると腕が上がる、と言われて人気がある。
あれこれ口や手を出されるよりは、放っておいてくれるほうが有り難いということもあるからだ。それに、師範自ら新入隊士と立ち合うことが多かった。斎藤ほどの手錬を相手に出来る機会は滅多にないので、隊士はこぞって稽古に出たのである。道場が手狭になって、屋外に出て剣を振る者もいたほどだ。
それもすべて、斎藤だからである。むっつりしていても、何を考えているのかわからなくても、斎藤だから別にいいのである。
しかし、一つだけ斎藤が出張らなくては収まらないことがあった。
斎藤率いる三番組の喧嘩の仲裁であった。
十ある組は、それぞれ雰囲気も異なった。
精鋭の上位組にしても、沖田の一番組は組長に似て颯爽として明るく、活力に満ちている。永倉の預かる二番組は、重厚で折り目正しい感じがした。そして、三番組は癖のある者が多かった。
「何事だ」
と、斎藤は面倒臭そうに言った。これから市中見廻りというのに。
「格四郎と直助がまたやっています」
新入隊士は、息を切らしながら言った。
またか、と斎藤はだるい腰を上げた。欄間に頭が当たりそうになった。「ましらめ」と、格四郎の渾名を忌々しく呟く。
揉め合っている輪に斎藤が近付くと、急に空気が引き締まった。斎藤の鋭い眼に睨まれると、少々気の弱い者ならそれだけで逃げ出したくなる。
問い質す前に、格四郎は斎藤に向かって訴えた。
「刀の目釘が抜かれていたんです」
顔を赤くして大きな二皮眼を血走らせた格四郎が、自前の刀を提げて立っていた。斎藤は涼しい顔で格四郎を見遣ると、廊下に尻餅をついている赤木直助の前に立った。
「お前は赤木が抜いたと言いたいのか」
直助は、硬直した顔で斎藤を見上げた。襟元が崩れているのは、格四郎が掴み掛かったからに他ならない。直助の白い首筋を見下ろして、斎藤は目を細めた。女子のような襟足だと思った。
「いつなくなった?」
「今朝、道場に行くまではありました。沖田先生の修練が終わって、尾形先生の文学講義から戻ってくると、なかったのです」
格四郎は主張した。決して斎藤には視線を合わせなかった。格四郎は、斎藤の昏い眼が嫌いだった。
「赤木はその時何をしていた?」
「わ、私は」
直助は襟元を直しながら、立ち上がった。鎖の着込みが重々しく見える。
「橋本さんと同じです」
直助の言葉で、斎藤は格四郎の方を見た。周囲の者も一斉に格四郎を見詰める。
「赤木に出来るとは思わんな」
「でも休憩時間があります」
食い下がろうとした格四郎から、斎藤は目を逸らした。右手の刀を見る。
「生鉄
(なまて)のほうは残っているが、もう一方の鯨の髭のほうが抜かれている。そんな細工はほんの厠へ行く程度の時間では無理だな」
斎藤の的を得た指摘に、一同はほう、と声を上げた。斎藤は、格四郎に向かって手を差し出した。
「もうじき夜廻りに出る。差し替えを一振り持って行け」
そう言って、格四郎から刀をもぎ取ると、さっさと廊下を歩き出した。
斎藤先生、と格四郎が追って来た。
「おれの刀をどうするんです?」
斎藤は振り向かずに答えた。
「副長に報告する。くだらんことをする奴がいるので探索に掛けよう。間違って柄折れでもしたら、お前の命が危ういところだった。同志を殺すようなことをする奴は、士道不覚悟よ」
斎藤の恬淡とした物言いに、格四郎はぎょっとなった。
「犯人が見付かったら切腹になるのですか?」
「勿論」
斎藤は、立ち止まった。副長室の前だった。
「介錯は」
と、言い掛けた格四郎の言葉を、斎藤の低い声が遮る。
「おれの仕事だ。お前には無理だ」
格四郎は仕方なく斎藤に一礼し、兵具蔵の方へと歩いて行った。
(二)へ