(二)
将軍家茂は、再度の長州征伐を行うため、既に大坂に本営を置いていた。新選組も、三月には屯所を今の西本願寺に移していた。隊士達は、六百畳敷の集会所に間仕切りをして寝泊りしており、幹部等はそれぞれ個室を持っていた。
百数十名にも膨らんだ隊士達の狼藉ぶりに、僧侶らも辟易している有様である。殆どの若者が腕一本を拠り所に入隊した者ばかりなので、素性は知れない。季節が夏であるので、余計に汗じみた臭いが充満している。
斎藤は、集会所でごろごろと暇を持て余している隊士達を余所目に、涼しげな顔で畳の間を横切り、渡り廊下を歩いていた。どれ程急いでいようが畳の縁を踏まず、如何に猛暑だろうが決して襟元を崩さないのが斎藤だった。
「斎藤先生」
呼び止めたのは、井上源三郎だった。六番組組長で、近藤勇のお目付け役のような形で京まで上ってきた男だ。斎藤より十五ほど年上で、目尻の下がった穏やかな笑顔を向けた。
「橋本格四郎のことですが」
井上は切り出した。井上の部屋の奥から、土方の顔が覗いた。話は、昨晩の見廻りのことであるに違いない、と斎藤は思った。
死番隊列と呼ばれる編成の四人組で、見廻りは行われる。通常は古参隊士三人と新入隊士一人で、それが何班かで京洛を見回っているのだ。場所に拠っては踏み込んだ時、人一人しか通れぬ脇道、階段などで敵と向き合わねばならない。この時、最も危険な先頭を行くのが死番と言われた。
昨晩、斎藤は格四郎を自分の班に入れていなかった。組長は見廻りの都度、各々の隊士がどういう行動を取っているか目を配らねばならない。それが、隊士達の給金の差にも繋がる。大事件の時に活躍すると褒賞金が貰えるというだけでなく、普段からの勤務態度も軽視されてはいなかったのである。
ゆえに、組長は毎回別班に入って観察するのだが、組長の班だというだけで平隊士は不逞浪士に出くわすことと、上司の目があるので二重の緊張を強いられていた。
格四郎は屯所を出る際、直助に言った。
「お前、死番をとれ」
他の古参隊士を差し置いて、格四郎は命令した。
通常、死番の役目は前日に言い渡される。それなりの心準備が必要だからだ。本来なら、昨晩は格四郎が死番の筈であった。
見廻りに出る前の口論の所為もあって、格四郎は一段と気が立っていた。なまじ腕が立つので、他の二人も反論出来なかったのである。文句をつけようものなら、格四郎に捻じ伏せられるか、自分が死番をさせられるからだ。
直助は、素直に従った。
五条木屋町の飲屋で不逞浪士が酔っ払って暴れていると聞き、格四郎の班は押し入った。
直助は恐る恐る刀を抜き、「新選組の御用改めである」と言った。
だが、浪士は見向きもしなかった。直助の声など聞いていない。
「声が小せえんだよ」
格四郎はこじりで直助の腰をどん、と突き飛ばした。直助は転びそうになりながら、刀を捧げ持って踏み込んだ。しかし、茶碗を投げ付けられ、それが額の真中に当たったために、直助はそのまま土間に卒倒してしまった。
敵が抜刀すると、格四郎は素早く駆け入り、一人の肩口へ袈裟懸けに斬り付ける。もう一人を返す刀で脇腹を突く。一人残らず斬殺した。三番組が帰隊すると、屯所に血の臭いが一段と濃厚に立ち込めるという。他ではてんでばらばらで癖のある者ばかりだが、これだけは組長の主義に準じているようだった。
「結果的には、誰が死番だろうと同じだな」
斎藤は皮肉めいた微笑を浮かべ、腕組みして言った。井上は、ちょっと渋い顔をした。
「橋本のやっていることは無謀です。度が過ぎる」
すると、先刻から句の一つも捻ろうかという顔で黙っていた土方が、口を開いた。黒羽織に色白の面が映えていた。
「理由はどうあれ、死番を勝手に変えるのはよくねえな。卑怯者のすることだ」
「直助ばかりを執拗に虐めるのも問題かと」
井上が身を乗り出す。気配りのきく井上は、若い隊士にとっては父親のような存在と言えた。直助を本気で心配しているのだ。
それはつまり、三番組組長のおれの監督不行届きということなのか、と斎藤は思った。確かに橋本格四郎は入隊以後この数ヶ月というもの、お世辞にも素行が良いとはいえない。直助に限らず、誰との喧嘩でも直ぐに買う。斎藤の修練にも出ないで、怠けがちだ。兵学や軍学にも興味が無いようだ。それでも実践に使えればそれでいい、と斎藤は考えていた。
しかし、その橋本に入隊許可を与えたのも、三番組に入れたのもあんたじゃないか土方さん、と斎藤は無言で目配せした。
土方もそれがわかっているので、ふんと鼻を鳴らしたきり、むっつり黙りこくっていた。
「直助いじめには何か理由があるかも知れません。監察方に調べさせてはどうですか?」
井上は提案した。
「深い理由があるとは思えんな。兎に角、虫が好かない奴ってえのは何処にでもいるもんだ」
土方は障子の方を向き、独り言のように言った。
「しかし、刃傷沙汰になってはまずいですよ」と、井上が言う。
「おう、斎藤。お前が何とかするってえのなら、一切は任せる」
土方は嘯くように言った。斎藤は、小さくああ、と答えたきりだった。結局、厄介ごとをおれに寄越すのか。どうやら、その言い分が土方の斎藤に寄せる信頼の側面なのらしい。
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