(五)

 畦道に彼岸花が咲き始めた。場所を問わず其処かしこに毒々しく赤い花を開かせる。西本願寺の堀端にも、いつしか咲き出していた。格四郎は、この花が昔から嫌いだった。
 屯所を出る時、憎憎しげに二、三本目に付いたものを引き千切ると、掌に茎から滲み出た白い苦汁が付いた。花弁を滅茶苦茶にして、堀に放り込んでから見廻りに出た。
 今日の夜廻りは、格四郎が死番であった。
 結局、闇中稽古に真剣を持ち込んだ犯人はまだ見付かっていない。幹部会議では、兵具蔵係の手違いではなかろうかという結論になりつつある。決議が出ると、三日のうちに係の隊士は管理不行届きとして切腹を命じられるのだ。既に兵具蔵係が、見廻り班からはずされ、屯所内に謹慎となっていた。
 格四郎は、いつものように自信たっぷりで死番を務めていた。
 意気揚々と、不逞浪士がいると通報を受けた茶屋へ向かった。鴨川に沿って北上すると、目指す三本木の茶屋が見えてきた。店に入る前から、何やら物騒な怒号や物音が聞こえてきた。
「先に入ろう。お前悪いが勝手口へ廻ってくれ」 
 と、格四郎は一人に指図した。隊士は頷いて、生垣の裏へと小走りに走って行った。
「御用改めである」
 格四郎は言い、店に踏込んだ。だが、一階には人影は無い。成る程、と思い、其処はあと二人に任せて格四郎は勝手口の方へ向かった。先に様子を窺いに来ていた隊士が、建て付け戸の間から中を覗いていた。
 格四郎は音を立てずに刀を抜いた。
 そして息を殺し、隊士の背後を睨みつつ、迫った。
 その時、ふと格四郎の背後から影が差した。
 振り向いた格四郎が見たのは、斎藤一だった。浅葱色の隊服姿で腕組みしている。鎖帷子も鉢金も装着していなかった。髭も一晩剃っていないような風情だった。
「……そいつを斬りたかったら、堂々と正面からやれよ」
 斎藤は、低く言った。格四郎の表情が凍り付いていた。格四郎に刃を向けられたと覚った隊士は、わっと叫んで戸にしたたか半身を打ちつけたようだった。
「闇中稽古でお前を取り囲み、打ち据えた隊士の一人なんだろう?おれが此処で見ておいてやるさ」
 斎藤の、やや厚ぼったい唇の端が三日月のように上がる。土方と違って殆ど憤怒の形相を見せない斎藤の凄味が、この冷笑に凝縮されていた。
 隊士は足元も覚束なく、その場を逃げ出した。
 格四郎は言葉も無く抜身を構えたまま、視線を合わさず斎藤を睨み返していた。
 斎藤の昏い眸を見据える勇気がない。勇気がないまま、今日まで来た。
 この男は何故咎めない。何故、理由を訊かない。何故おれの素行を見て見ぬ振りなどするのだ。その疑問が格四郎の胸中を巡っていた。
「追いかける必要は無い。あいつは見廻り中逃走したという事で、士道不覚悟。切腹だ。まあ、屯所に戻ってくるとは思えないが」
 斎藤は淡々と言った。格四郎は耐え切れなくなって、声を荒げた。
「組長は何故おれが直助をいじめていたか、真剣を持ち込んだか訊かないのですか?」
 目を赤くしている格四郎に向かって、斎藤は一つ瞬きをした。
「理由はどうあれ、法度に叛いた事実に変わりは無い」
 格四郎は愕然となった。
「何が法度だ。あんなもの無茶苦茶じゃないか。暗闇に乗じて寄ってたかって一人を打ち据える奴らのほうこそ卑怯者ではないか!おれは直助をいじめるのも一対一だったぞ。言われも無い噂を立てやがって、あいつら!」
 格四郎の両眼に涙が溜まっていた。
 斎藤は、それを無視するように視線を逸らし、格四郎に一歩近付いた。
「お前は自分の腕に些かの自信があるとみたが」
 ふと気付くと、茶屋の騒ぎはすっかりおさまっている。これは茶番だったのか、と格四郎は覚った。腹に熱い怒りが込み上げてきた。睨まれている斎藤は、そ知らぬ顔で続けた。
「言っておくが、お前は三番組の中でいちばん下手くそだ」
 格四郎は、耳を塞ぎたかった。
「な、何故ですか?直助よりも下手だというのか!おれは……」
 格四郎は、歯の根を打ち震わせて言った。斎藤は、ああ、と答えた。
「己が鍛え抜いた刃を、己の感情の好悪のみで朋輩に向ける。これは剣士として下の下、それ以下だろうよ。まして、自前の刀の目釘を抜き、他人の同情を買おうとするなんざ」
 格四郎は刀を青眼にとり、踏込んだ。
 斎藤は右手のみ動かした。のけぞった格四郎は、自分が斎藤の抜きざまで鳩尾の下を斬り払われていることに気付いていなかった。
 二の太刀こそ斎藤の正面から浴びせようとして、格四郎は仰向けに倒れた。見下ろした斎藤の黒い双眸を真っ直ぐに睨む。引き込まれるような昏い淵が見えた。
 顎の下を貫かれた格四郎は、泡のような血を吐いて絶命した。
「ましらよ」
 斎藤は池田鬼神丸国重を鞘に収めつつ、呟いた。瞳孔が開いたままの格四郎の黒目に、斎藤の苦悶に歪んだ表情が映っていた。
「『私ノ闘争ヲ不許』。この最後の法度を覚えなんだか」
 鴨川畔では、血のように赤い彼岸花が盛りとなっていた。『行軍録』の中に、橋本格四郎の名は無い。

 [終]

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