あとがき

 新選組の不思議の一に、「○番隊組長」というのがある。
 一番隊、組長沖田総司、というような言い方だ。何故か一般的には「○番隊」と言われているのに「組長」なのか?
 本来は「○番組」が正しく、「○番組組長」でいいのだそうだ。『壬生浪士始末記』などにもそう書かれている。「組長」と「組頭」は併用されていたらしい。
 そういうわけで、これは「三番組組長」斎藤一のお仕事の話。
 剣術師範あるいは組長としての斎藤一の姿を想像してみた。いろいろ想像すると、意外に教え上手だったんではないかと思ったので出来た話だったりする。
 なんか普段はよくわからないけど、なーんだやっぱりカッコいいじゃん斎藤さん!というイメージ。

 三条制札事件で活躍した橋本皆助という監察方の隊士がいるが、それは本編の橋本格四郎とは別人である。
 本編では、格四郎の直助いじめは物事の本質とはズレている、というのを土方の言に含めている。格四郎は特に誰かをいじめたいから、というのではない。誰かに自己肯定をして欲しかった。生きていくうえでは、誰かと折衝して生きねばならない。だが、不器用で尖った事ばかり考えてしまう。一人は淋しい。
 誰しもそういう部分は持ち合わせているのが人間だと思う。そこを誤魔化し誤魔化し他人と適当に触れ合って生きているのが、普通の人間なら、斎藤一はそういう部分を端から排除してしまった、或いは達観した人間として描いた。土方と通ずる部分もあるが、ある意味対極にもあるように見える。
 実は、格四郎はそんな斎藤に人一倍憧れている。ゆえに、まともに斎藤の「昏い」目を見る事が出来ない。
 「目釘」のことを重要なポイントにした。斎藤は、端から格四郎自身の仕業とわかっているのに、黙っていた。それは格四郎が己自身で何かに気付くかどうか、という賭けでもあったが、見込みは失敗に終わる。人を見る目に長けた土方のサゼスチョンが直助いじめや闇中稽古の時に何度か出てくるが、その事を軽視してしまった。
 そして、本当は斎藤に認めて欲しいのに、認めて貰えないままだったと勘違いした格四郎と、格四郎の本意に気付くのが遅れた斎藤の悲劇として結末を迎える。
 人間同士というのは、些細な事で食い違うが、それは好悪に限らず時機を逸するということも含まれると思う。
 格四郎という架空の人物は、自戒をこめた作者の分身のデフォルメかもしれない。

 『私ノ闘争ヲ不許』というのは、組織だからこそ最もあり得る問題で、実際に多かったのではないだろうか。

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