第六話
〜シルヴァー・アイズ・アンダー・ザ・ムーン vampiro del HongKong〜
(後編)
終章 SILVER EYES UNDER THE SUN シルヴァー・アイズ・アンダー・ザ・サン
マルド・スタウトの唇が虚しく動いた。
「もう遅いのよ、あんた」
「どういう意味なんだ!フィルム・チップを盗むだと?」
ジンは、マルドに駆け寄った。マルドの両手から《ブラックホーク》が転がり落ちる。鈍い音を立てて床に転がったリヴォルヴァーを、ミスティが拾い上げた。
マルドは、項垂れた。力なく膝を折り曲げたまま、床に倒れ込むところを、ジンの両腕が支えた。
「あんたを撃つつもりはなかったの・・・」
赤毛を垂らしたまま、マルドは涙声で言った。床に熱い透明な雫が零れる、ジンはブルージーンズ越しに、その液体の迸りを感じた。
「男に呼ばれたのよ」
殆ど朦朧とした状態で眠りこけているジンを置いて、マルドは黒ずくめの男に呼び出されるまま、出掛けた。
男は、マルドを見るなり言った。
「例の物は持ってきたか?」
「・・・ええ」
躊躇いがちに懐からマルドが出したのは、《ブラックホーク・ディオファイア》。ジンのガンベルトからくすねてきたのは言うまでもない。
「そいつを握れ。この間渡したセミオートマのパウダーガンと同じように」
「無理だよ。あたし、こんな・・・何をしろっていうの?」
マルドは首を大きく横に振った。男は、無理矢理マルドの右手を掴むと、紫檀のグリップを握らせた。トリガーに指を掛けさせ、セフティを外す。
そして、男は銃口を自分の額に当てた。
「何のつもりだよ!?」
「引き金を引くだけでいい。それであんたの口座にあと一千万ダッシュが振り込まれる」
「嫌だよ、何で自殺の手助けなんか!」
マルドは首を振った。意味が判らないのだ。相当腑に落ちないことだらけだったが、まさかこんなオチが待っていたとは思ってもみなかった。
「嫌なら自分でやる。但し、このリヴォルヴァーは持ち主のところへ必ず返せ」
「返せ?」
「そうして、フィルム・チップを指定の時間に届ければ、更に一千万ダッシュ。あんたの仕事はそこまでだ」
マルドは漸く事態が呑み込めた。ジンが男を殺したように見せ掛ける芝居であることを。それにしても、何故男は自らの命を絶つことに躊躇いがないのだ。
「嫌だよ!どっちも嫌だ。あんた嘘吐きだから。あたしを殺そうとしたじゃない、病院で!」
マルドの叫びと同時に、銃声が轟いた。《ブラックホーク》のトリガーは戻り、マルドの右手にだけ、重いスティールが熱せられた感覚が伝わった。火薬の臭い。男は音も無く、鳥の羽のようにふわりとマルドの足元に屑折れた。
「銀色の目をしていたんだ。あの男・・・目を開いたまま、死んでた」
マルドは、震えながら言った。薄曇りの空から差して来る陽光の下で、男は死の恐怖の一言も発せずに息絶えた。銀色の月の輝きに似た瞳を見開いたまま。額から流れる一筋の赤い鮮血が、やがて男の頬を覆い尽くす前に、マルドは《ブラックホーク》を握り締めて走り出した。
「だけど、もう遅いよ。あんたもあたしも」
「何でだ?」
ジンは、マルドの肩を揺さぶった。マルドは、涙でぐしょぐしょになった顔を漸く上げた。
「あたしは、男と寝たの。男は言ったわ。『オレは吸血鬼だ。オレと寝た女も吸血鬼になる』って」
「そんなバカな」
「今朝までははそう思ってたわよ。冗談だって。だけど、今は違う」
マルドは叫んだ。
「この血が何よりの証拠だわ!」
ジンは愕然とした。マルドの胸元の血は、死んだ男のものではなかったのだ。今し方、マルドは空腹を癒す為に、何処だかの通り掛かりの他人を食い殺してきたというのだ。
「・・・酒場にいた、あの女と同じよ。あたしも、同じ事をした・・・。それで、あたしと寝たあんたは・・・」
ジンは、眩暈を感じた。膝から下が底の見えない泥沼に漬かっていくような脱力感を味わう。
「あたしは取り返しのつかない事を・・・してしまったんだ。このままじゃ、コーディまで、自分の子供まで、食い殺してしまうよ」
マルドは、ジンの腕を振り解くと、自分の喉を掻き毟った。幾ら酒を飲んでも湧き上がる、この渇望は。飢餓感は。人間の血肉を食らうことでしか抑えられない衝動は。ともすれば、目の前のジンの喉元にさえ食らいついてしまいそうな飢えた自分を、マルドは呪った。
「あ、あたしを殺して!」
マルドは、床に這い蹲った。そして、膝で後退りしながら、ドアにへばり付いた。
「でないと、あんた達まで食い殺してしまう!お願い、殺して」
マルドは瞳で哀願した。
《ブラックホーク》を握ったのは、ミスティ・サファイアである。既に、セフティは外されている。
「あ、あんた何考えてんだ」
ジンは、ミスティの左手を押さえようとした。が、女巡検使の右腕が、ジンの襟首を素早く掴んだ。氷を含んだような冷たい眼差しが、ジンの瞳を射る。
「寝ぼけたこと言うんじゃないわよ。本人が殺せと言ってるのよ」
「それでも、あんたは撃つのか?」
ジンは歯軋りした。憤りと遣る瀬無さで、自分でも何を言っているのか判らない。
「他に打つ手はないのよ。アナタの相棒がそう言ったわ」
非常な言葉が紡ぐ、感情を殺した通達。事ここに至っては、女巡検使の役者が一枚も二枚も上手であることを認識せねばならない。だが、ジンは感情を自ら死なせる術を知らないのだ。良くも悪くも。
「勝手だぞ!」
「それはアナタのいう勝手よ。我々は市民の安全を優先する。たとえ任務外の事であっても、目を瞑って危険を野放しにして置く訳にはいかないわ」
ミスティの左人差指が、トリガーを弾く。
「それとも、アナタに何か考えがあるとでも?」
「・・・・・・」
「いずれ、アナタも同じ運命を辿るでしょうに」
ミスティは声を低くして言った。その時は、あの男はジン・スティンガーを撃てるだろうか。それとも、今必死で解決策を見出しているだろうか。
ミスティの逡巡は、彼女の判断を鈍らせる結果となった。
「あ・・・」
マルドは、やにわにミスティの胸元に飛び掛った。その弾みで、《ブラックホーク》が飛び跳ねた。スティールの重みが、壁にブチ当たり、同時に暴発を起こした。轟音と共に、ミスティはマルドに押し倒された。
尖った犬歯が剥き出しになり、赤い血の名残を留めた涎が、ミスティの首筋に垂れた。
マルドは、フォーティファイド並みに物凄い力で、ミスティを捻じ伏せた。
ジンは、マルドの背中にしがみ付いた。
「やめろぉおお!」
マルドは最早錯乱状態にあって、ジンの言葉など耳に入らない。腕の一振りで、ジンの身体はベッドの上に吹っ飛ばされてしまった。
ミスティの首筋に、鋭い歯がめり込んだ。
ドアが乱暴に蹴り倒された。現れたのは、白馬に乗った王子でも救世主でもない。パルメット・ソノーラだった。
怯んだマルドの身体から、一瞬力が抜ける。ミスティは、鳩尾に膝蹴りを食らわせると、漸うマルドの下から這い出した。
ダンダンダン。
連射されるパウダーガンの発射音。
ソノーラは、ルガー・モデルKMK五一二を構えていた。マルドの胸元から、溢れ出す血飛沫と、硝煙の臭い。
「やめろ、やめろよ!」
ジンは耳を塞いだ。だが、目は見開いたまま、マルドが息絶えていくのをはっきりと、眼底に留めておく。ソノーラは、憑かれたように、何発も何発も、マルドの身体に弾丸を撃ち込む。
「吸血鬼が・・・!」
「吸血鬼じゃねえ!!」
ジンはソノーラに組み付いた。ソノーラは、ジンに押されて、ドアに背中をぶつけた。ジンはソノーラの胸を掴み、何度もドアにぶつけた。ソノーラの頭に痣が出来るほど、ジンは力任せにドアに叩き付け、揺さぶった。
ホンコン・ヘヴンの暁。
エキゾチックな街並みを見下ろす丘。ネオ・ヴィクトリア公園。ここで男の射殺死体が発見されたのは昨晩だった。ミスティ・サファイアが辿り付いた時は、既に国際警察が死体を収容する段階に入っていたところだった。
アーチレリー・ブールヴァルドが文字通りの福音を携えて現れた時は、既に公園には何もなかった。何事もなかったように、カップルが佇んでいる。
これがここ数日で二度目の徹夜だという疲れも見せないで、アーチは自然に大股に歩いた。
ミスティは声も無く振り向いた。雲間から溢れ出したオレンジ色の太陽が、長いブルネットを燃え立たせていた。憔悴した表情も美しいが、何処か寂しげにも見える。痛々しいのは、喉元の包帯だった。血が微かに滲み出しているようだった。
そうして、ミスティは黙ったまま、坂道を下り始めた。
「・・・なんで何にも言わないの?」
「キミが何にも言わないからさ」
と、アーチは言った。ミスティは、立ち止まり、アーチの顔を見据える。アーチは、ミスティの表情に見入った。いつも、怒っているか怪訝な顔が多いが、今は違う。何かに失望したような、怯えたような、それでいて無意識の媚態を含んだ目付きだ。赤い唇は濡れている。
少しの野心を抱く男なら、彼女を抱きしめるに好都合だと読んだだろう。
「死んだ男の顔を見たのよ」
ミスティは珍しく、言い澱んでいる。
「マルド・スタウト・・・黒ずくめの男に変装した彼女が、病院でアナタを見て逃げた理由が判ったわ」
アーチは首を斜めに傾げた。陽光が頬をオレンジ色に縁取った。
「男がアナタに似ていたから」
「オレに?」
ええ、とミスティは頷いた。長身痩躯の金髪の男。今は純粋な金髪の人間など、何処にでもいるわけではない。見違えても不思議は無い。
「尤も、死んだ男は銀色の目をしていたわ。淡い空色に似た」
「・・・・・・」
「正直言って、顔付きは違う。もっと陰気で、線の細さからいえば、アナタよりも男の方が繊細な感じだったけど、病院のあんな暗がりで一瞬だけ出遭ったら、間違えてもおかしくはないわ」
アーチは、ゆっくりとミスティに近付いた。目の前の青い瞳がひどく大きく見開かれている。
「成る程な」
マルドが急に逃げ出した理由は判然とした。飾り窓の女が投げ掛けた言葉。「おにーさん、こないだどっかで会ったことなあい?」何気ない言葉は、社交辞令でな無かった訳だ。
そして、マザー・ロウとシスター・バーバラがアーチに最初抱いた不信感も納得出来たというものだ。
「シスター・アストリアは何故、あの男に惹かれたのかしらね?」
ミスティは嘯くように言った。赤い唇に仄かな悪意が点っている。
「それは、アナタに似ていたからよ」
と言う女巡検使の小さな声を、アーチは聞いた。アーチはミスティの横顔を見詰めた。
「ジンは教会に?」
ミスティは話題を変えた。アーチは黙って頷く。
《PE》プリオンとサイクリンとの結合を遮断するのにセクレターゼθ(テータ)つまり、タンパク質切断酵素が有効であるという報告がヴァティカンからアーチの元に届いたのが、昨晩の事だった。既に、マルドは死んでいた時刻だ。
タンパク質切断酵素は、不適切に折り畳まれたタンパク質を細胞内から除去する分解酵素である。このセクレターゼθを投入すれば、症状は食い止められるだろうというのは飽くまで推論の域を出なかった。実験もクローンマウス数匹のみでしか行われていないが、数時間の模索の結果としては、上出来だ。
だが、当然の事ながら、セクレターゼθなるものは端から作り置きが置いてあるわけでない。アーチは急ぎ、ホンコン・ヘヴンに上がった。そして、真夜中だろうとなんだろうと関係無い、実験施設のある病院を叩き起こした。
かくして、仮の《PE》除去剤セクレターゼθが完成したのは、今から約五時間ほど前のことだ。
ジンは精神安定剤とセクレターゼθを無理矢理注射され、眠らされたまま、アンダー・ホンコンの教会に送られた。
「正気の沙汰じゃなかったわよ、あの男」
と、ミスティは額に手を当てた。思い出しても、ぞっとしない。ジン・スティンガーが荒れ狂った姿など。
「それは、あらかた私の所為だろうな」
ミスティは男の声で振り返った。パルメット・ソノーラである。マルド・スタウトを射殺した本人の登場だ。
「まだいたのか、あんた」
アーチは白衣の両ポケットに手を突っ込んだまま、言った。
ジンの持っていたフィルム・チップをさっさと手に入れたら、この男はこんなホンコン・ヘヴンになど用は無い筈だ。とうの昔に何処へと去っていただろうと思われていたのだが。
「あいつに見付かったら、《ブラックホーク》で撃ち殺されるぜ。あいつはオレと違って、シャレの判らん唐変木だからな」
アーチは苦笑を押し上げた。
「恨まれても構わん。私は後悔などしない」
ソノーラは、黒い瞳を曇らせた。
「さすがだな。ジェノサイド条約違反は見逃さない、というわけか」
そう言ったアーチに向かって、ソノーラは黙って険を帯びた表情を作って見せた。
「・・・ラヴェンナの吸血鬼」
ソノーラは憑き物が落ちたかのように、悠然とした声で言う。
「《世界新聞》の記事。7−2区ゴミ収集所で見付かった変死体の少女、マリア・アウラ・タンディットは私の実の姉だった」
「・・・・・・」
アーチとミスティは我知らず顔を見合わせ、絶句した。
「つまり、そういうことだ。あんた方のお蔭で、総てが判ったよ。ところであんた、金は?」
ソノーラは、一瞬唖然とするアーチに尋ねた。
「あ?金」
怪訝な顔でアーチを見るミスティ。情報提供料及び迷惑料云々、と言い掛けてアーチは言葉を呑み込んだ。美女の手前、見栄を重んじるほうを取ったのは、若さの成せる業だ。
「金なんか、どうでもいい・・・ことはないが、元々無かったものとして。オレ個人的には、あんたがたの組織が何なのか知りたかっただけだ」
「・・・知ってどうする?」
「興味本位さ。殺気立つなよ」
アーチは、抑揚の無い声で言った。
「知りたければ、ナヒチェバンへ行くことだ」
「・・・・・・!」
ソノーラは、既に坂道を下り切っていた。
「おい、ソノーラ!」
ナヒチェバン。
元アゼルバイジャン飛び地の自治共和国。紛争は二十世紀から途絶えたことが無く、イスラム系人民が多数を占める地区であり、ヴァティカン統治開始時期に、一悶着あった地域として知られる。
2221年3月、イスラム系住民の一人が地方巡検使を殺害したことがきっかけで、宗教・民族紛争が勃発した。住民は被統治解放を教皇庁に要求、国連に帰属する旨を訴えたが、国連は拒否、已む無く紛争鎮圧の為にヴァティカンは軍隊を派遣した。以後、五年余りの小競り合いの後、カルゴルノ丘の戦いをもって紛争は終結。
現在はれっきとした教皇庁領におさまっている。
この戦役の後、ヴァティカン国防省五軍は解体された。
「ナヒチェバンに、今更何が・・・」
アーチは独りごちた。
「どういう事なのかしらね」
ミスティは、肩を竦める。アーチは、ミスティの喉元を見詰めながら、さてね、と答えた。
「キミも打つかい?セクレターゼθを」
「結構よ」
と、すかさず答えるミスティは、皮肉な笑みを頬に押し上げた。アーチは、白い歯をわざと剥き出しにして、ミスティの顔を覗き込む。
「吸血鬼になっても知らないぜ」
「お腹が空いたら、真っ先にアナタの所へ行くわ。思う存分、アナタの血肉を食らってやるわよ。言ったわよね?『キミになら、最後の一滴まで血を吸い尽くされても構わない』って」
「いつでも大歓迎さ」
ミスティは意味ありげな微笑を投げ掛けて、さっさと坂道を下って行った。振り向きもしない。
「・・・とはいえ、余計な事言うんじゃなかったかな」
さしものアーチレリー・ブールヴァルドも、この時ばかりは何だか己の軽はずみな言動を後悔した。
教会の鐘の音を鳴らしているのは、シスター・バーバラではなかった。
シスターは、地下室でワインの仕込みに掛かりっきりである。鐘楼に登っているのは、ピーチィ・フィズとコーディ・スタウトだった。ピーチィは、コーディの手を取り、鐘を撞く縄を引っ張る。
コオオオン。高い鐘の音が、アンダー・ホンコンの路地裏まで響き渡る。
時刻は午後四時。
ジン・スティンガーは、冴えない顔色で鐘楼を見上げていた。
無意識と惰性で咥えたマルボロも、味を感じない。灰が自然に零れ落ちるまで、ジンはぼんやりと窓辺に腰を下ろしていた。この数日間の出来事の、説明を受けたところで、何も判りはしなかったし、判りたくもなかった。
何の為にジンは狙われて、また何の為にマルド・スタウトは死んだのか。マルドを撃ち殺したパルメット・ソノーラという得体の知れない男は、何の為にフィルム・チップを欲しがっていたんだ。
シスター・アストリアは顔すら見たことも無い。ジンが教会に来た時には、既に荼毘に付されていた。そもそも《PE》って、何なんだ。それを持ち込んだ男自身が死んでしまっては、何も判らないではないか。
「オレは何をしてたんだ」
という思いしか、ジンには残らない。虚しい限りだ。
マルドの、ジンに対する親切心は、単なる金稼ぎの為の副産物に過ぎなかったのか。それも、子供の為と思えばこそなのだが。
「あたしは最初っからあんたに近付くのが目的だったのよ」そういうマルド・スタウトの声は震えていなかったか。自分を殺して欲しい、と言ったのは、あの言葉は偽りではなかった。
「吸血鬼なんかじゃねえ。吸血鬼なんか、最初っからいやしねえんだ」
ジンは低く呟いた。
階下で旅支度を整えるアーチに向かって、マザー・ロウは言った。
「これから何処へ行きんさる?」
「特にアテはないんですけど、噂を辿って。シルヴァー・ブレットのいそうな所へ」
アーチは答えた。マザー・ロウは口元の皺を緩めて、笑みを作る。
「それなら、町を出て、西へ向かったがいい」
「え、山奥じゃないのかい?こっから西へ向かうなんて」
アーチは、眉を顰めた。考えただけで、うんざりだ。《不帰の砂漠》を渡って来たばかりだというのに、またこれ以上骨を折る必要なんてあるのだろうか。
「何でも、第三次大戦を逃れた極東の人間が住んでる村があるらしいでの」
「エスト(極東)?それって、まさか日本人か?」
マザー・ロウは微笑を浮かべたまま、嘆息を吐いた。
「それは判らんがの。あんたのお連れは、一度行ってみる価値があるやも知れん」
「日本人村、ねぇ・・・」
ピーチィが、荷物を抱えて駆け寄って来た。
「なあなあ」
《デアデヴィルXIX》のリア・シートに荷物をちゃっかり載せ、ピーチィは頬杖をついた。
「あれって、失恋なんか?」
無邪気に聞くピーチィに、アーチは噴出した。
「それは、ちょっと違うと思うぜ」
そう答えるしかない。ピーチィには説明の仕様がないのだ。こういう場合、概して女の方が鈍感だ。男が自分の遣る瀬無さを責めている時に、他人があれこれ口出しすべきではない。
「ジン、どないしたらええのん?放って行く?」
アーチは、そう言われて、修道院の二階の窓を見上げた。窓縁に腰を下ろしてぼんやりしているジンの姿を見れば、とても今すぐ出立できる様子とは思えない。
「二三日、ほっといたらええんちゃうか?」
と、アーチは、わざと訛りを入れて喋った。
「ほとぼりが覚めたら追っかけて来るって」
「相変わらず、冷たいおシトやね。あんたって」
ピーチィは《デアデヴィルXIX》のリア・シートに跨った。修道院の前庭には、ジンの愛車《イケヅキCR−X》があった。
だが、何だかんだ言ってこの男ほど、相棒を心配している人間はいないのだ。ピーチィは知っている。
そして、ジンが今咥えているマルボロを吸い終えるまで、アーチはイグニッションキーを回さない事も。
風が、日没の香りを運んで来た。温かい日差しの名残を含んだ匂いを。
<DISMISSED!>・・・CONTINUED ON NEXT DUEL
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