
第九話
〜戦場のカリアティード cadere sul campo
di battaglia〜
第一章 美少女オペラ ON HER MAJESTY’S SECRET SERVICE
奇岩が並ぶ光景を、東洋のある国人なら《巨大な賽の河原》と呼んだかも知れない。或いは、お伽話の魔法使いが住んでいるかのような、奇怪な家々。かつて《妖精の煙突》と地元民は呼んだ。
晴れ渡った初秋の空に、一筋の飛行機雲。
ここはかつてトルコ共和国と呼ばれた地区。二十三世紀の現在は、只カッパドキア自治区と呼ばれるだけの静かな地域に過ぎない。サンド・バギーは埃を巻き上げて走る。小さな荷台には、山と麻袋が積まれていた。自治区は財政難の為、道路整備がとてつもなく悪い。アウト・ストラーダ(高速道路)などとは名ばかりの凸凹道が、一本貫通しているだけだ。
サンド・バギーから、ドサリ、と袋が落ちた。
だが、乗り手は全く気付かずに走り去る。
「おうい、落ちたぜ、お嬢ちゃん!」
青空の下に響く、若い男のトランス(共通語)。それも空しく、返答は無い。サンド・バギーは西の彼方へ走り去っていた。
「慌て者だなァ」
若い男は大きく息を吐いた。衣服の砂埃を払いながら、立ち上がった。天を突くほどというのでもないが、かなりの長身。そして、色の浅い金髪。この荒廃地ディアスポラでは、それだけで相当に目立つ容貌だ。しかも、男は白衣を羽織っていた。
見上げた陽光が、実に眩しい。男は左手で眉の辺りに庇を作り、右手を腰に当てて独りごちた。
「ああ、まだ太陽が白く見えるぜ」
太陽はかなり傾き始めた時刻である。男は何も、色弱という訳ではない。そして、視神経を傷めるほど精密な作業をした訳でもない。病気どころか並み以上に元気を取り柄とするこの男が疲労の極地に達している原因など、そう、先程サンド・バギーで走り去った娘のような少女なら顔を赤らめて俯くか、罵倒するか。
昨晩の、いや今朝方までの身体のだるさが抜け切らない。アルコールはとうに抜けていたが、幾ら汗を流したところで、甘い香水と情事の名残は、絹のごとく纏わり付いていた。
瞼の裏に浮かぶ浅黒い肌、滝のように流れる滑らかな黒髪の美女。
「いい女だったなァ。だが、三日も見てると飽きちゃった」
その程度の女では手ごたえがない、と言いたいらしい。ただの漁色家でなければ、かなりの自信家。さよならを言うのも、男にとっては、エスプレッソのお代わりを、というくらいの何気なさだった。
男は不承不承、道端に落ちた麻袋を拾った。重みから想像するに、穀類だ。コーヒー豆なら香りで分る。
だが、捨てて行く訳にもいかない。何しろ、食料であることだし、むさ苦しいオッサンが落としたのならともかく、後姿を見るだに、あれは可憐な少女だ。可愛い顔くらいは拝見させて貰おう、と男は考える。
「やれやれ仕方が無い。届けてやるとするか」
仕方ない、という割には軽快な鼻歌混じりに歩き出す。
男は、路肩に駐車していた、大型オンロードバイクを長い脚で一跨ぎした。《デアデヴィル・XIS》。かつて、ヴァティカン五軍の一、クローチェ・アルジェント(銀十字軍)御用達であった軍用バイク。
帰りが遅れた為に、オペラは内心焦っていた。だが、この少女の場合は内心が徐に表面化してしまう。
「もう、あのケチオヤジの所為なんだから!」
と、プンスカ怒りながら、一時間サンド・バギーを駆って来た。オペラは月に二度、隣村のメルカート(市場)まで食料調達に行く。出向かなければ、移動メルカートは、人口も少なく道路事情も悪いザザの村にはやって来ない。隣村まで、一時間掛かるのもどうかと思うが、それにしたって不便に変わりない。
今日は、茶葉を買うのに一苦労した。いつもの店員が寝込んだというので、代替の男が量り売りしていたのだが、匙にすり切り何杯、という微妙な加減が出来ずにオペラは苛々して文句を言った。
それが為に、口論が始まり、結局数百グラムの茶葉を買うのに一時間以上も掛かった。我ながら、馬鹿馬鹿しいとは思うものの、父親と娘たった二人の生活。切り詰めるべきところは切り詰めて、と考えての事だ。
「お父さん、待ちくたびれてないかなぁ」
オペラは、ふと心細さを感じた。
そして、後方を振り向くと、何処か奇妙だ。荷台の荷物が減っている。
「ええっ?何で何で!?もしかして・・・」
アクセルが緩んだ。荷台に盗人でも忍んでいるのではないか、と思ったが、サンド・バギーの小さな荷台ごとき、人が一人乗ったら明らかに重量も変わるし、第一バレバレだ。残る理由は一つ。
「いやあー。落っことしたぁ!?」
オペラは叫んだ。殆ど半泣きである。
「どぉしよーう」
サンド・バギーは道の真ん中に停車した。もとより、殆ど車の走らない道路だから、誰も文句は言わない。オペラは、慌てて後方へ回り、荷台を確かめた。
「一つ、二つ、三つ、四つ・・・確かに六つ袋を積んだのに。四つしかない!」
嘆きに近い声。オペラは引き攣る頬を押さえた。頭の中を巡るのは、どうしよう、という一言。そして、お父さんに叱られる。直ぐに引き返さなければ。ここは車も疎らだから、まだ落ちてる可能性が大きい。
「よし、引き返そう。それっきゃない」
思い立ったら、行動は素早く。オペラは再び、サンド・バギーのイグニッション・キーを回した。
数十マイル引き返したところで、太陽は地平線に沈んだ。陽光の名残の温かさが風に渡る。
「ないー!」
思いも寄らなかった事実に直面して、オペラは愕然とした。高速道路の何処にも、落とした二つの袋は存在しなかった。通りすがりの車に訊ねてみても、見掛けなかったという。当然だ。世知辛い世の中、誰が一旦拾った物をわざわざ落とし主に返しに行くものか。
「はぁ、どうしよ」
出るのは溜息ばかりなり。もう少しでメルカートの場所に戻ってしまう。だが、当然こんな時間にメルカートは店開きなどしていないし、まして、もう一度同じ物を買う金銭的余裕など今は無い。落としたとすれば、高速道路の上でしか考えられない。こんなに凸凹しているのだ、もう少し慎重に結わえて置けば良かった、と思うのも後の祭り。
路端に転げ落ちているかも知れない。せめてまだ明るいうちに、もう一度確かめておこうと、オペラは思った。
オペラは自分の頭を叩きながら、再びサンド・バギーに乗り込もうとした。
「う・・・」
風に乗って、何処からともなく呻き声が。オペラは、一瞬空耳だと判断した。風の強い日には、よくあることだ。今日はさほどでもないが、有り得ないとも言い切れまい。
「・・・う・・・」
オペラは、イグニッション・キーにかけた指を離した。目を凝らして辺りを見渡す。
周囲三百六十度全景、人間と呼べるものはオペラ自身を除いて他に存在しない。夕暮れの空に舞っているのは、一羽の老いた烏のみ。空は紫色に染まり始めた。
「だ、誰かいるの?」
少女の誰何に応える者は無し。
「いないのなら、行っちゃうわよ」
小声で言う。すると、また呻き声が聞こえてきた。
「お・・・い・・・」
「やだっ、誰なのよ!?」
オペラはわざと大声を出しながら、サンド・バギーを離れた。道路には何も落ちていない。後方も前方も車の来る気配もない。恐る恐る路肩を歩き、舗装された道から、脇に降りてみる。ごつごつした岩岩の間には、枯れ草が密集していて、ここなら人が潜んでいても分りにくいと思えるような箇所はあった。
だが、オペラが踏み込んだ場所には、誰もいなかった。
「ウソ。聞き違いなら、帰る」
オペラは脱兎のごとく、路傍から駆け出そうとした。
「がっ」
オペラのか細い足首が掴まれた。
「ぎゃああああ!」
十キロメートル四方に響き渡ろうかという凄まじい声が、少女の喉から迸った。オペラは、反射的に前へとつんのめりながら、両手で藻掻いた。
「はっ、はははは離してェ!誰か・・・」
やにわにオペラの足首を掴んでいたものの、力が抜けた。少女は向き直った。目の前に倒れているのは、化け物でもギガント(巨人体)でもない、人間だ。漸く少女の足を掴んだものの、オペラも相当な力を振り絞って逃げ出した為、その男は脱力し切っていた。最早、声も出ないらしい。
オペラは、漸く中腰で起き上がった。
男はまだ若いようだ。薄暗がりで顔ははっきりしないが、汚らしいテンガロン・ハットの紐を首に引っ掛け、些か時代錯誤なカウボーイ・スタイルに長髪。日中から倒れていたと見えて、埃塗れだ。
「だ、だいじょうぶ・・・?」
オペラは、男の顔を覗き込んだ。息はある。だが、男の革ジャンの下からは、夥しい血が流れ出していた。
ザザの村。奇岩で有名なギョレメ渓谷から、さらに北へ進んだところにある田舎の寒村である。
トゥズ湖の北にあたり、古代ヒッタイトの都ボアスカレ(ハットゥシャ)に程近いところに位置する。
第三次大戦時には、ここは一大戦地だったという。今や、戦後一世紀近く。時の流れは至極速いスピードで、人類の記憶すら風化させつつある。
キリスト教迫害時代にも、確か戦はあった。古の十字軍も訪れているのだろうか。ギョレメは現地語で、『見てはいけないもの』の意だという。
村に一つしかない診療所では、今しがた珍客を迎えたところだ。
「・・・というわけで、おじいちゃんはこの間から寝込んでしまったきりなのよ」
一時間ほど前に現れた客に対して、女はいやに馴れ馴れしい口調で話す。女は、この診療所兼住宅の事実上の主人ともいえた。
《ザザ診療所》の本来の主は、プース医師である。今年七十六歳になる老医師だが、腕は確かだとの村人の噂がある。
客に向かって話しているのは、プース医師の息子の妻に当たる人物だった。息子は長い間出稼ぎに出て、留守がちであり、老妻に先立たれた医師は、専ら息子の嫁の世話になるほかなかった。
「ごめんなさいね、私ったら自分の名前も言わないで。ヴィオレッタよ」
名は体を表す、とはこの中年女には該当しないだろう。ヴィオレッタはどちらかというと、かなり太り肉で、色黒で、よく喋るし愛想は良いが器量良しとは言えなかった。
ヴィオレッタは、プース医師が床に伏せっている理由を一頻喋り終えると、大変疲労を覚えたらしい。小汗を掻いた額を拭いながら、席を立った。
「ああ疲れた。取り敢えず、冷たいお茶でも召し上がれ。私は夕餉の準備に掛かりますわ」
「奥さん、とんでもない。お構いなく」
それは本心からの言葉だった。客である若い男は、先刻から冷や汗を掻いていた。診療所に入るや否や、ヴィオレッタの度肝を抜かれるような派手な服装と、むちむちした肉体に気圧された。
向き合って話していても、胸の谷間か尻の割れ目か判然としない胸ぐりは嫌でも目に付くし、本人も自慢の巨乳を露出したがっているのは見え見えだ。
それだけならまだしも、ヴィオレッタは、男の優雅な一挙手一投足に気もそぞろな雰囲気になってきた。
仕方あるまい。男はこんな鄙には稀な、いや譬えチエーロ(上層都市)の繁華街のど真ん中に立っていても、十人女がいたら十人全員が振り返るに違いない美男子だ。
そんな若い男が、ザザのような田舎の診療所を訪れる事自体が、奇蹟のような出来事だ。
「フンフンフンフフ―ン」
遠くから、ヴィオレッタの鼻歌が聞こえてくる。
男はだんだんうんざりしてきた。今度、キッチンから現れたヴィオレッタが、もっと過激なシースルーのドレスなんかにでも着替えていたら、即刻立ち去ろう、と。夕餉に眠り薬でも入れられていたら、堪ったものではない。禿鷹の塒に飛び込んでしまった窮鳥の気分である。いや、そんな好い譬えではない。
リンゴン、リンゴン。
激しいチャイムの音が立て続けに鳴った。重ねて、ドアをドンドン叩く音。
「開けてよ!先生!開けてったらあ」
少女の叫び声である。
「急患なの!」
夕餉の支度に夢中のヴィオレッタには、まるで聞こえない。男は急患、という言葉に無意識に素早く反応した。ドアを開けると、そこに少女の日焼けした素顔があった。
「あ・・・」
ほんの瞬間、少女は我が目を疑う。ここは、別世界なのでは、と。いつもの染みだらけの顔の、しょぼくれた老医師の姿は無く、かといってでっぷりした色気たっぷりの女主人でもなく、見慣れぬ若い男が診療所の玄関に立っていたからだ。
もしかして、昔に逆戻りか。いや、譬え逆戻りしたって、あの貧相なプース医師が、若い時分こんな夢のような男前であったわけではあるまい。上背も、幾らなんでも一フィート以上も縮むまい。
第一、髪の色が今まで見たことも無いような本物のブロンドだ。瞳の色はオリーヴグリーンだ。ノーブルな鼻梁に、形の良い唇。総てが端正な作りでいて、それが集まると人形的な美しさとは異なる、不思議な男の色気を発している。単に綺麗なだけの顔立ちではない何かが、そこに存在した。とはいえ、今の少女にその分析と鑑賞をしている余裕など無い。
「あのっ、本当に急患です!大怪我をした人が・・・」
少女―オペラは、しどろもどろで言った。
「あなた、お医者さま?」
「プース先生なら、ぎっくり腰で動けないらしいぜ。どれ、オレが診てやろう。患者は?」
中低音の声までもが女心を蕩かすようだ。ややフランス語っぽいイントネーションが残る感じも、悪くない。長身の男は玄関から身を乗り出した。オペラは首を振る。
「ああ。バギーの上に」
オペラの言うように、診療所の前にはサンド・バギーが停めてある。その運転席に、汚いなりの男がぐったりと座らせられていた。
長身の男はいきなり、失神しているその男の首根っこを摘み上げた。痩躯には似つかわしくない腕力だったが、気が動転しているオペラは驚く事も忘れて、男の様子に目を見張っていた。
「ははぁ、これは・・・」
ものの数秒も経たない内に、診断結果が出たらしい。
「緊急手術だ!」
と、言い終わる前に、男は負傷者の身体を担ぎ上げ、診療所のドアを再び蹴り開けた。
「怒らないで、お父さん」
オペラは両手を擦り合わせるように、合わせた。何処でそのような振りを習って来たものだろう、とビジュウ・クラレットは溜息を吐いた。最近の若者は直ぐに影響されやすい。口許に深い皺が寄る。
「ちょっと、落し物をしたら、その後拾い物をしたのよ」
「お前の言ってる事は訳が分らんよ」
「だから・・・」
言い掛けた、オペラの言葉を遮って、金髪の男が割り込んで来た。オペラは、徐に嫌な顔をする。この僅か二時間ばかりの間で、少女の男に対する評価は、月とスッポン、雲泥のごとく変わっていた。
「お嬢さんの落し物は、これです」
麻袋を二つ、男は軽々と片手で差し出す。テーブルの上にどん、と置かれた麻袋を見詰める父娘。暫しの沈黙が流れた。
「あっ、あなたなの!?ドロボー!」
オペラは男の顔を指差した。
「人聞きの悪い。落として行ったのはキミの方じゃないか」
「わざと落としてなんかないわよ。直ぐに返して欲しかったわ!」
「直ぐにも何も、あんなにサンド・バギーをぶっ飛ばして行くんだからな。追いかける途中でもう一つは拾ったんだぜ」
オペラは言い返せない。頬が朱に染まった。言葉に詰まった娘の顔を、父親は静かに見詰める。そして、優しい声で言った。
「わしには、この人がドロボウするようには見えないがね。わざわざ親切に届けて下さったんだ、礼くらい言ったらどうなんだ?」
「親切だなんて、只の偶然よ。しかも、下心丸出しだわ」
ぷい、と頬を膨らませて、オペラはそっぽを向いた。麻袋が出た時点で、男の評価は更に落ち込んだ。何処までも深い海溝に落ちて行くらしい。男と父親は、顔を見合わせる。
クラレット家は、ザザ村の西南に位置していた。診療所からは数マイル西に進んだ丘の上にある。そして、クラレット家は村で唯一の葬儀屋だった。もとより人口の少ないザザのこと、当然商売相手も少ない。普段は、雑貨店を営んでいる。一人娘のオペラが、その買出しに出掛けるのだった。
「この男はね、お父さん。私に怪我人の治療費を出せというのよ」
オペラは立ち上がって、テーブルを叩いた。茶托が飛び上がる。
「怪我人?」
「そうよ。だから、落とした物を拾いにいったら、袋は見つからず、怪我人が見付かったの。で、ほっとく訳にもいかないから診療所へ連れて行ったの。そしたら、プース先生はぎっくり腰で、どうしようも無いから『オレが診てやろう』って、出て来たのが、この男なのよ」
オペラは機関銃のごとく捲くし立てた。
「後は推して知るべし、だわ」
最後に付け加えると、オペラはまた椅子に座り直した。
「ま、粗筋はそんなトコです」
男は肩を竦めた。
「お嬢さんの親切心は認めましょう。いや、まだ若いのに立派なものです。世の中捨てたものではありませんね。とはいえ、当方としても治療代を請求しなくちゃ、商売上がったりですからね。ぶっちゃけた話、フリーの流しの医者なんてものは・・・」
「元手なんて、殆ど掛かってないじゃないの!」
「減価償却費とか、我々の技術代とか考えてみたかい?」
「プース先生なら、あなたの半分だって請求しないわよ」
オペラは琥珀色の瞳を剥いて、男を睨め付けた。男は、やれやれ、と額に手を当てて父親の方を見る。
「お嬢さんは、どうやら一つ1ダッシュの安ジェラートと、ハーゲンダッツの区別が付かないようです」
「どーいう意味よ!ハアゲンダッツって何!?何の例え話!?」
再び立ち上がったオペラの鼻先に、ビジュウ・クラレットの右掌が迫った。
「いい加減になさい。今夜はもう遅いから、よしにして。治療費の事は明日にでも考えようじゃないか」
「お父さん」
不服そうに唇を尖らせるオペラに向かって、男は余裕の笑みを見せる。ビジュウ・クラレットは、冷えて苦味が増した茶を飲み干した。
「ところで、ドットーレ。まだ貴方のお名前を伺ってなかったんだが」
「申し遅れました。アーチレリー・ブールヴァルドです」
如才の無い返答さえ忌々しい、とオペラは心の奥で舌打ちし、席を立った。美男子は心根が悪いと聞くが、この男はその王道を歩んでいる。少しでもその容貌にうっとりした自分が恥ずかしい、とオペラは感じた。最早、麻袋を拾って貰ったという恩は忘れ去っていた。
オペラが自室に戻ると、ビジュウ・クラレットは、アーチに新しい茶を勧めた。
実際のところ、アーチはひどく空腹であった。オペラが診療所に飛び込んで来てから直ぐに緊急オペ、その後ヴィオレッタの顔も見ずにクラレット家にやって来たのだ。本当は、食事くらい、と思ったが行き掛かり上黙っておく。
自分の目に狂いは無かった。確かに、オペラ・クラレットは明眸皓歯の美少女だ。日焼けした健康的な肌と豊かな栗色の髪。年の割には大人びた身体付き。出るべきところはしっかり出ている。タンクトップを押し上げる弾けんばかりの胸、短めのバギー・パンツからすんなりと伸びた脚。そして、何より若さに敵う武器はない。
だが、思春期の少女特有の不安定さは否めない。少々自意識が過ぎるような気もするが、アーチはそんな事は気にしない。
ビジュウ・クラレットは、大きく息を吐いた。
「済みません。あの子は、あの通りの勝気な娘でして。男手で育てるとああなるもんなんでしょうか?」
「はぁ」
興味の無い話題に、アーチは気の無い相槌を打つだけだった。
中央アジアの至宝タイガーズ・アイ。この名前を知っている者なら、誰もが我が手に、と夢見るだろう。
三十キャラットはある大きな琥珀色の瞳。誰が名付けたか、虎の瞳の輝き。だが、真にその在り処を知る者はいなかった。いったい、いつの頃からこの至宝がザザの村に存在するという噂が広まったのだろう。
想像するだに、至宝は第三次大戦のドサクサに紛れて、十字軍が村に齎したのだとか、村の志願兵が盗んできたのだとか。様々な憶測が飛び交った。
そうして、いつしかザザの村には、存在もあやふやなタイガーズ・アイを求めてやって来る者が現れた。十年程前からである。当初は《イル・ジオルナーレ・ナッツィオナーレ(世界新聞)》の地方版にも掲載された。村役場では、その話題性にあやかって、一時はテーマパークのようなものでも建設しようかと、真剣に会議が繰り返されたものだ。
だが、実際にやって来るのは観光客でもなければ商売人でもない。タイガーズ・アイを狙うトレジャー・ハンター達だった。
お宝を捜し求める者は、大抵ヤクザな生業の人間である。金に厭かせて道楽でトレジャー・ハンティングを愉しむ者もいるが、九分九厘はまっとうな連中ではない。その、まっとうな連中でない者を追ってやってくる人間も後を絶たなかった。
村に落ちる金も知れている。せいぜい、酌の相手をする女がいる安酒場が儲かっただけで、大した経済効果は無かった。
そして、御多分に洩れず、村の治安は低下した。
治安が低下したからといって、余裕の無い自治体はUP(国際警察)の駐在所を置くでも無い。専ら住民自身で、自分の身を守りなさい、というやり方だ。
先日も、村の盛り場で大喧嘩が起こった。
酔っ払ったトレジャー・ハンター達と、村の若者が揉め合ったらしい。隣村の境界にいる保安官が駆け付けて来た時には、既に騒ぎは鎮まった後だった。
「その連中の治療をしたのが、うちのおじいちゃんでね。だって、村にはこの《ザザ診療所》一軒しかないのよ。もう、夜中にてんてこ舞い。私まで駆り出されちゃったわ」
と、半ば嬉しそうに話したヴィオレッタの顔を、アーチは思い浮かべた。
「それがね、あなた。トレジャー・ハンター達ときたら、『治療費が高い。まけろ』って言い出してね。おじいちゃん、それで頭に来ちゃったのよう。昔気質でしょ、なんせ。『騒ぎを起こしておいて、そのうえまけろとは何事じゃあ!お前らにはビタ一文まけられん!』って、まあ息巻いて。追い返そうとしたら、ぎっくり」
それが、プース医師のぎっくり腰になった理由だ。別段、騒ぎの顛末や理由などどうでもいい、とアーチは思った。
流しの医者は、薬剤や道具の補充が命だ。旅先で知己を頼って薬局か病院を訪ね、仕入れるのが常套である。その補充が、こんなド田舎の診療所ごときで充分出来るとは思わなかったが、それにしたってこの状況では多くは望めまい。ここは、暫く商売上がったりでも我慢して先に進むのが賢いかな、と計算する。
そうして、いざ《ザザ診療所》に丁重に挨拶をして出よう、と思ったのだ。
「ねえぇ。この際だから、おじいちゃんの具合が良くなるまで、診療所にいて下さらない?私もその方が心強くてよ。何しろ、女一人でしょう?」
と、きたもんだ。ヴィオレッタの流し目だけは直視しなかったが、いい加減アーチは毒気を抜かれて食欲も失せたのだった。
「・・・で、ドットーレ。結局あんた、診療所に泊まることになったのかい?」
カウンターの中から、バルマン(バーテンダー)が訊いた。顔の長い、駱駝に似た愛嬌のある容貌の男である。一見の客も多いとみえて、バルマンは誰にも愛想が良い。根っからの客商売向きだ。
「勿論」
アーチは、返事だけは立派に、顔はこの上なく悲しげに言った。
「こうなった以上、オレ様の名誉と貞操を懸けてジイサンを可及的速やかに完治させてやる。そいでもって、この村とはオサラバだ。ついでにあの男の治療費も頂いて」
「男のロマンだねえ」
何がだよ、とアーチは三杯目のドライ・マティーニを飲み干した。バルマンは、素早くお代わりを作る。
「あんた、お宝には興味はないのかい?」
「興味があったら、医者なんかやっていない」
「そりゃ、そうだ。ところで、あの男って?」
「アウト・ストラーダで怪我人が倒れていたんだ。オペラって娘が担いで来てな。オレがジイサンの代わりに手術してやったんだが、治療費を貰ってない」
「あの葬儀屋の娘かい。また、あいつらにやられたんだな・・・」
バルマンは、軽く舌打ちをした。ザザで唯一のバール、《ZANZIBAR》の店内には、バルマンの言う該当者はいない。客は皆、村人か数少ない観光客、或いはありふれたトレジャー・ハンターばかりだ。村には幾つか酒場があったが、女っ気の無いところへ行きたかったアーチは、迷わずこのバールに入った。ある意味正解だった。
「あいつらって?」
「噂に拠ると、性質の悪い連中でね・・・」
最近、カッパドキア自治区周辺に現れた、トレジャー・ハンターのグループ。その名も《アレキサンダーズ・シスターズ》。
三人姉妹で長女がグロリア、次女がミモザ、三女がチチ。名前は可愛いが、手酷い遣り口のトレジャー・ハンターであるとの噂が広まっている。
「色仕掛けで他のハンターの獲物を横取りするわ、挙句の果てにムショ送りにするわ、とにかくトレジャー・ハンターとしての腕前は滅法いいらしいが、後には草も生えないってくらいでね」
「美女揃いか?」
アーチは、ふん、と鼻で小馬鹿にしながらバルマンに訊いてみた。バルマンは、頭を掻いた。
「実は、私もお目に掛かった事がなくて。ここへ来た客の言じゃあ、思わず持ち金全部差し出したくなるくらいの器量だとか」
「へえ」
そうと聞けば、さしものアーチも少々食指が動く。
「オレも騙されてみようかな」
「またまたぁ」
バルマンは、笑った。アーチは、真顔で四杯目のマティーニを干した。少々痛い目に遭っても、《ザザ診療所》でヴィオレッタに世話を焼かれるよりは、と半ば本気で思ってみた。
「しかし、その《アレキサンダーズ・シスターズ》とやら、パウダーガン(火薬銃)は使うか?」
アーチの唐突な質問に、バルマンは一瞬首を捻った。
パウダーガン使いの事は、聞いたことがある。ディアスポラに数多いプレミオーロ(賞金稼ぎ)の中でも、ヴァティカンに承認された殺しの免罪符を持つ男達。登録制のパウダーガン使いは、世界に数千人といない。何しろ、パウダーガン自体が、博物館に置かれて然るべき高価な代物なのだ。
「いやぁ、聞いてないねえ。そんな高価なモン持ってるなら、トレジャー・ハンティングなんぞやらないんじゃないかい?」
「御尤も。ならば、あの男をやったのは《アレキサンダーズ・シスターズ》ではないな」
重傷の男の右胸を貫通していたのは、ブラスター(熱線銃)の軌跡ではなかった。凹頭弾、つまりホロー・ポイントの三十八口径弾であると見られた。弾は肋骨を砕いて肺の下部を傷付け、肩胛骨の一部を砕いて背中に抜けていた。
たった一発だが、傷は無残。非情極まる凹頭弾に貫通されると、周辺の筋肉組織は破壊されてしまう。ラウンド・ノーズのように最初から貫通目的でないだけに、一見完治したかのように見えても、実は中の打撃は癒えにくい。
狩場でもないのに、そんな弾を使うのは、パウダーガン使いの中でもプロフェッショナル中のプロフェッショナル。
アーチは、トレジャー・ハンター以上に危険な人物の存在を感知していた。
「ここらでパウダーガン使いの噂を聞いたことはないかい?マスター」
「さぁねえ」
と、バルマンはシェイカーを振りながら、首を傾げる他なかった。
村はずれに墓碑の並ぶ丘がある。
夕陽の沈む頃、丘は一面朱に染まり、絵画的な風景を見せてくれる。古戦場の記念として建てられた公園の中心に、その建物はある。
古代ギリシアの遺跡を模した神殿。初めは、これを観光の一部として利用しようと試みたらしい。だが、結局はお宝目当ての人間が集まる以外に何も無い村のこと、次第にこの公園を訪れる人間も減っていった。
神殿の柱をカリアティードと呼ぶ。
古代アテネのアクロポリスにある遺跡エレクティオン。その神殿の南西には、外から入ることの出来ない柱廊があり、六体の女性像カリアティードが、柱の役目を果たしていた。古代ギリシア美術の傑作といわれ、以降このような人像柱は、世界各地で模倣されたという。
このカリアティードは、模倣のまた模倣である。
オペラは、一人でここを訪うのが日課になっていた。正確には、公園裏手の墓地である。
だが、今日は一人ではない。
「キミ、意外と足が速いんだな」
後方から追いかけて来る男に、オペラは振り向きもしない。
「田舎育ちで悪うございましたわね」
ぶっきらぼうに答えるだけだ。そんな返答でも、アーチレリー・ブールヴァルドには何の打撃も与えていない事が分ると、オペラは余計に腹立たしくなる。一体全体、こんな所までついて来て、何のつもりなのだろうか、金の亡者。と、ばかりに振り向いた。
「いい加減、やめてよね。何で私が支払わなくちゃならないの?今日はヒマなのを良いことに、朝っぱらからずうーっと付き纏って!誤解されるからやめてくれない!?」
頬を真っ赤に膨らませて、オペラは言った。
「誤解って、何を?」
アーチは空とぼけた振りをして訊き返す。
「あ、あのねえ!あなたと私の関係を勘繰る人が、いるかも知れないじゃないの!ただでさえ狭い村なんだから。しかもあなたは余所者で・・・」
オペラが慎重に言葉を紡いでいる間に、アーチは静かに少女の前に進み出た。そうして、真に不自然でなく、少女の顔を覗き込み、頬に掛かった乱れ髪に手を触れた。
「余所者だと、キミのような美少女と恋をしてはいけないというのかい?」
「はぁ?」
内心、すごくどぎまぎしながらも、オペラはアーチの言葉が聞こえないを振りした。アーチの右手指は、少女の髪を直した後、微妙に柔らかな頬に触れ、唇に触れようとした。
その時である。女の黄色い声が、ざわついた空気を一気に運んで来た。
「やだぁ〜、お邪魔しちゃったかしら。あっ!」
と、赤毛の女。女は、ぷりぷりした尻の肉が半分見えそうなホット・パンツを穿いている。
「ああっ、すごぉい。すごいイケ面の男!」
と、青い髪の女。女は、胸の谷間も露わなヘソ出しルックを着ている。
「ここらじゃ、見掛けないわねえ。でも、母性本能直撃ってカンジね」
と、緑の髪の女。女は、滑らかな背中が剥き出しのカットソーを身に着けている。
三人の女達は、それぞれが露出度の高い服装をしていた。そして、設えたような立ちポーズを決めて、オペラとアーチを凝視していた。いや、女達の関心は少女にはこれっぽちも注がれていなかった。
アーチは、至って冷静な目付きで、三人の女を見遣った。
「ステキ、あれ本物のビオンディ(金髪)かしらん?」
「そうに決まってるわ。それで、きっとあそこもあそこも金髪なのよ。きゃー」
「何ハシタナイ事言ってるの、お姉さま方」
勝手にやってろ、という感じだったが、半分イタリアの男に生まれた以上、女性に声を掛けないのは失礼に当たるという無意識の慣習でもって、アーチは女達に近付いた。
「もしかして、キミ達《アレキサンダーズ・シスターズ》かい?」
三人の女は、一瞬顔を見合わせ、そしてアーチに向かって満面の笑みを浮かべた。
「そうよぉ」
女達の右手が伸びた。アーチの額のど真ん中に、赤い光の照準点が浮いた。三人姉妹の華奢な指には、厳ついハンド・ブラスターがそれぞれ握り締められていた。
第二章につづく
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