第十一話
〜光と海と涙と la luce e del mare tra le
lacrima〜
(後編)
第四章 君よ憤怒の河を渡れ LAST RITES FOR THE CRYING
物凄い営業用スマイルに、ジョー・クリサンスマムは思わず膝頭が砕けそうになってしまった。傾城の美女という言葉ありき。昔トロイの王妃だったヘレンという美女が生きていたなら、思わずばりばりに対抗心を燃やしたかも知れない。
「今朝ほどは、助かりましたわぁ」
ミスティ・サファイアは、蕩けそうな笑顔でジョーの手を取った。
ジョーは、単身都に乗り込む王子パリス、のように雄雄しくはない姿でついて行く。バニーガール姿の女巡検使は、背こそ高いが、すんなりと無駄肉の無い二の腕を、ジョーの逞しい腕に絡ませる。
歩く度に、弾力性バツグンの豊かなバストが、ジョーの腋の辺りでグラインドする。
「おおおう。これはこれは」
ジョーは、ふんが、と鼻息を荒くした。が、店内の鏡に映るだらしない顔を見て、いかんいかん、と我に返った。十センチも鼻の下が弛んでいるではないか。
「さて」
テーブルに着いたミスティは、ジョーに体を密着させたまま、ソファに座った。その瞬間、顔付きが百八十度変わった。
「さっそく本題に入るわ。異端審問官ドノ」
「ほほほほ、本題だとう!?」
ジョーは、運ばれて来た厚底のグラスを動揺で引っくり返しそうになった。
「『人身売買及び種族保護法違反』の検挙に決まってるわ」
「何ですと?」
ジョーはバカみたいに口を開いた。ミスティは、真顔で喋っている。その格好は如何にも冗談ぽくても。
「何度か来ているんなら、判るでしょう?いかにもここがアヤシイって事は」
「ああ」
何度も来た訳ではないのだが、思わず頷いてしまった。
「しかし、あんたの口から聞いても、全然説得力がないなァ。・・・いや、ごもっともで」
ジョーは、脇腹に当たる女神の秘蹟の弾力と、右脚の甲に悪魔の鉄槌を同時に味わった。目尻に玉の涙が浮かんで来た。
「私の言う通りにして。悪いようにはしないわ」
「って、充分悪女みたいな発言だな、それは」
「あらん。聞き捨てならない言い方ね。私の独立司法権限で以って、アナタ方の治外法権的武力に訴えれば、恐いものナシに決まってるわよ・・・」
ミスティは、ジョーの耳元で囁いた。
これで、うんともすんとも言わない男がいたら、一度御目に掛かりたいものだ、とジョーは思いつつ我が身のだらしなさを呪うのだった。
やがて、ステージの緞帳が上がり、ピンスポットが当てられた。《人魚とタコショー》の始まりだ。
「れでぃーす、あーんど、じぇんとるめーん」
店長エンジェルのだみ声が、ホール一杯に響いた。大きな水槽は、黒い布で勿体ぶって隠されている。
どうせ毎晩同じ事やってるのに、とミスティは呟き、ふふんと鼻でせせら笑った。何処から取り出したのか、左手には既に《パイソン・シスタームーン》が握られているではないか。
ジョーは、ぎょっとなった。
「ここエラドゥーラの村に古くから伝わる、伝説の人魚。その人魚ちゃんを、今夜は特別に皆さんにお見せいたしますわよう」
ほほほほ、と気色悪い声を立てて、エンジェルは合図をボーイに送った。客達は、もう誰も後ろを振り向いていない。ストリップの齧り付きみたいに、前へ前へとじりじりにじり寄っている。
ふふふ、とミスティは小さく笑った。
黒い布が取り払われる。
「おおおおおおおおお」
歓声が上がった。ライトは水槽の中から可愛い顔を覗かせている人魚に、スポットを当てていた。
水面から顔を上げた色白の人魚姫は、明らかに店のホステスである。上半身は、長い髪の毛で隠されていて、下半身は、これも見事に作り物っぽい魚の胴体を身に着けていた。
お客に見せる愛想笑いも板についたものだ。
「うおおお」
魚臭い親父どもが、唸り声を上げていた。ややあって、ボーイが金ダライのような大きなボウルをうんせと運んで来た。
「さあて、いよいよ皆さんお待ちかねのタコよ、タコぉ!」
エンジェルは唇をまるでタコのように突き出して、客達の興奮を煽り立てた。
「タコ・・・」
ジョーは、半ば茫然と呟いた。ぐび、と手にしていた安ウォッカのグラスを一気に干す。水槽に、子犬ほどもあるマダコが投入された。
「きゃあ、いやああん!」
人魚姫の可憐な叫び声が、ホールに響き渡った。
「今だわ」
ジャカカッ。
ドゴン。《パイソン・シスタームーン》の発砲音が、続いた。おいおい、早すぎるんでは、とジョーは思ったが既に遅かった。ミスティ・サファイアは、男たちの屯するフロアに飛び出していた。
「なななな、何のつもりなのぉ!アナタ。そんな危ないモン持って!」
エンジェルは自分の蝶ネクタイを弄びながら、しどろもどろになって言った。ステージの上には、銃声に飛び上がった男たちやバニーガールが犇いていた。水槽では、タコと人魚が格闘中だ。
「見れば判るでしょ。みーれーば」
ミスティは、バニーの耳を毟り取り、右手で金バッヂを掲げた。
静まり返る一同。だが、エンジェルは、口をぽかんと開いたまま、見栄を切った女巡検使の凛々しい麗顔を見るだけだ。
「・・・あ?」
「止せって!こいつらに特務巡検使だの異端審問官だのと言って、判るかい」
ジョーは、ミスティに向かってウインクをして見せた。その右手には、相棒《パイソン・ブラザーサン》が、光っている。
「実行あるのみィ!!」
ドガガガガガ。
チンチリンチリン。チリンチリン。
グラスは砕け散り、水槽に357マグナム弾がブチ込まれる。みるみるステージの床に水溜りが出来た。跳弾はお構いなしだ。
「・・・やっぱり、仕事のパートナーにはしたくないタイプだわ」
ミスティは、独りごちた。ジョーは、椅子を蹴倒し、テーブルを引っくり返しながらステージまですすんだ。
「きゃあああ!来ないで来ないでえええ!」
叫んでいるのは、エンジェルだ。
「よく見るとシブイいい男!だけど来ないでええ!」
「来ちゃった」
ジョーはエンジェルの下顎に《パイソン》の銃口を突きつけて、にっと第二臼歯まで剥き出した。エンジェルは、何も言えないまま、その場にへたり込んだ。
「とにかく、身柄を拘束させて頂くわ。容疑は《人身売買禁止法違反》ってことで」
ミスティは、床に店長の涙ぐんだ顔を見下ろした。極めて暴力的な執行官二人組は、仁王立ちになり、ものの数分で荒れ果てた店内を見回した。
「うう・・・あ、あたしのお店がぁ」
エンジェルは、よよよと恨みがましくミスティの見事な脚線美を見上げる。
「やかましい。村長の色キチガイに伝令を送りなさい。私の言う通りにね」
ミスティは、ピンヒールの踵を、エンジェルの手の甲にぐりぐりと押し付けた。鬼より怖い特務巡検使の制裁だ。
とはいえ、ほとんど半チチ見えているその姿では、まるで特務巡検使の権威もあったものでは無かったが。
やはり、映像は映らない。アーチレリー・ブールヴァルドは、モバイルのディスプレイを眺めつつ、椅子の背凭れに体重を預けた。
寄稿論文の一つでも仕上げてしまいたいところだった。何せ、懐具合が寂しい。上層都市の一般向けネットマガジンの原稿料というのは、非常に安価なので、滅多なことでは書く気もしないが、書かざるを得ない事になりそうだ。慰謝料も払えない事だし。
「ギガントウイルスの人体腸管内おける嚢胞期についてでも書くか。単なる冷やかしと取られても、まあ仕方がないが」
以前送ったサンプルの最終的な解析結果を、科学アカデミーから送って貰わねばならない。或いはこれから暫くは、最も電波状態の悪い地域に突入することになる。そこで、一応の業務連絡をヴァティカン本部とも取って置きたかったのだ。
画面は、リアル映像の代わりに字幕が流れる仕組みになっている。味気無いが、砂嵐やテストパターンよりはましだ。
「La prego di attenndre un po'」―しばらくお待ちください。
文字が消えると、音声が入った。
「やあ、久しぶりだな。ドットーレ・ブールヴァルド」
紛れも無いサフィール枢機卿の声だ。まるでネイティヴのローマ人のように喋るが、生粋のスペイン生まれだ。しかもカルタヘナという地中海沿岸地域の。カルタヘナは、つまりカルタゴ。イスラム統治時代の名残を止める古都。
「お加減は如何ですか?モンシニョール」
と、アーチは社交辞令めいた言い方をした。
「大事無い。公務もいつも以上に忙しくてな。教皇は精神的に参っておられるので、グルッポ・カルディナーレ(枢機卿会)も天手古舞だ。フュリエリ枢機卿も、まだ病床でな」
声は明るい、とアーチは感じた。無理をしているのでは、無さそうだ。
「医者のオレが言うのも何ですが、人間健康がいちばんですよ」
「そうだとも。キミこそ不具合はないかね?」
逆に労いの言葉を掛けられて、アーチは一瞬面食らった。お互いに顔が見えないのが幸いというべきか。
「至って健康です。若いとあちこち健康すぎて、困っちまいますがね」
枢機卿には判らない冗談だろうことを承知で、言う。それとも聞き流されているのだろうか。
「ところで、一つお伺いしたいんですが」
アーチは、さらりとさりげなく話を切り替える。
「ナヒチェバン戦役の時の戦死者の中に、不審な人物は該当しませんでしたか?といっても、モンシニョールにお聞きするのは、筋違いかも知れませんが」
「いや・・・」
サフィール枢機卿は、静かに否定した。
「該当しなかったのなら問題ないんです。それと、志願兵フォーティファイド達の遺体は完全に焼却処分になったでしょうか?」
「急におかしな事を訊く男だな、キミは」
枢機卿は笑った。第三者が聞いたら、耳を疑うような物騒な会話であることは確かだ。だが、枢機卿が歯に衣を着せずにはきはきと答えている以上、自室で一人であることは疑う余地も無い。
「それは軍規定の通りに行われている筈だ。キミも立ち会っただろう?退役する志願兵フォーティファイドは、再手術を受けて通常人に戻らねばならないのと、戦士したフォーティファイドは必ず火葬にすることは」
両者が日常会話的に喋っていることは、本来公には知らされていない事実だ。
ヴァティカンは《科学撤廃主義》によって、強化人間などのサイバノイド製造を、むしろ反対する立場にあるのだから。
「秘密の厳守、流出を防ぐ為の焼却。ですが、もし仮に死体の細胞の一欠片でも残っていたら、どうでしょう?人間の複製は国際条約で禁止されていますが、アンダーグラウンドではいまだに流行ってるとの、専らの噂ですしね」
アーチは、言った。
「憶測の域を出ないとは思うが」
「国連軍にも、フォーティファイドだけで構成された特殊部隊があると聞きましたよ。お手合わせしたことはないですが」
「詳しいことは判らんが、そのようだ。尤も、我々は国連軍の方針に関しては干渉すること一切罷りならんのでな。キミこそ何か掴んだのか?」
いいえ、とアーチは答えた。いやにあっさりと、フォーティファイド部隊の件は話が終らされてしまった。軍部の上層部連中のバカさ加減には、外部者であるアーチも呆れる。国連軍に干渉を許さないという契約なぞ、クソ食らえだ。いずれ痛い目を見るに相違無い。
「人魚です」
「え?」
「バケモノのような人魚が、エラドゥーラというガンガー河口の村にいるんです。実際に見てはいません。相方から聞いただけですが、人を襲います。話を聞くだに、どうも《ギガント》のような変異体ではないし、人間を素体としているようには思えません」
枢機卿は、数秒の沈思黙考の後、答えた。
「生物兵器か」
疑問形ではなく、溜息混じりにサフィール枢機卿は言った。
「だとしたら、国連軍以外に誰がそんな物を持ち出すんでしょうかね。何処かの金持ちが道楽で、酒池肉林の為に飼っていたのが逃げ出したとでも?水族館に寄付するとでも?」
アーチは、冷えた紅茶を舐めながら言った。
「いずれにしても、国際法、種族保護法に違反している可能性は大です。自然発生ならともかく」
「海洋生物はキミの専門外じゃないのかね?」
「ご報告まで」
と、アーチは冷ややかに言った。それ以上は知ったこっちゃない、という言い方だ。後は枢機卿に任せて置けば問題ない。
取り払っても取り払っても、次々と浮上してくる塵芥のような問題に、サフィール枢機卿は内心困惑を免れない。だが、そこは冷静沈着な《ヴァティカンの頭脳》、直ぐに口調がいつものように戻った。
「キミにはつくづく感謝するよ」
「いずれ判る事でしょうし、姪御ドノには言ってしまいました」
「・・・ああ。そうだろうとも」
枢機卿の返答は重々しい。
「アルテミスは、何と?」
「したたかに殴られましたよ」
と、アーチは右の頬を撫でながら言った。斜めに走った一直線の傷が、指の腹に当たる。
「それは、災難だったな」
「女性に殴られるのは、慣れてますから」
枢機卿が然程驚かないのは、姪の血の気の多さを自認しているからだろう。
「痛いのは、オレの心中です。貴方を案じておられる姪御ドノの怒りの刃を、まともに喰らってしまいました」
「・・・・・・」
返答がないことは、アーチも予想していた。答えられまい。あんな残酷な答えを、オレに言えと言ったのだ。最も世界中で信頼のおける部下であり、身内であるアルテミス・サフィールに言えと言ったのだから。
だが、アーチは一本取った、という気にはならなかった。胃の奥に沈んだ鉛のような塊が、一層重苦しく感じられただけだ。
「お気になさらないで下さい。オレは出来得る限りの事には、今後も善処するつもりです」
枢機卿の溜息が聞こえた。
「・・・宜しく頼むよ」
外が騒がしくなってきた。アーチは、通信を終えると、廊下に出た。廊下にいた筈のルシアンの姿が見当たらなかった。
ボーイ姿の少年が駆け込んで来た時、テワナ・デメララ村長は、沐浴の最中だった。慌ててバスローブを羽織り、村長は飛び出して来た。
「た、大変なんです!」
ボーイは、廊下に這い蹲りながら村長の不気味な仮面を見上げた。
「何がじゃ?全く騒がしいのう。人魚でも捕まえたか?」
「いえ」
少年は、漸く両腕で上半身を支え起こした。
「《オクトパシー》に、ガサ入れが入りました!」
「ほう。ガサ入れとな?・・・何じゃ、ガサ入れって?」
デメララ村長は、背後にいた吊り目の少女に向かって訊いた。少女は、珍しくえへへと愛想笑いをしただけで、答えない。
「警察だの検察だのの手入れのことさ。礼状を取らずに抜きうちで、やって来る監査やら捜査」
答えたのは、クリーニングされた白衣を着込んだばかりのアーチレリー・ブールヴァルドだった。村長は、成る程、と手を打った。
少年は涙目で頷いた。
「そ、そうなんです!黒服に無精髭の中年男と、バニーガールが突然、前世紀の銃を持って大暴れし出したんですよう。もうお、店内はぐちゃぐちゃですう!店長も引っ立てられて行きましたよう!どうしましょう、村長!?」
「黒服にバニー・・・ゲラ・・・」
アーチは、思わず噴き出すのを堪えた。想像するだけで、本当は大爆笑だ。自分も入ってみたかった。
村長は、足元に縋りつく少年を見下ろした。
「ええい、見苦しいのう!こやつを離せ」
との命令で、吊り目の少女は少年を引き剥がしに掛かった。
「ええ!?村長どうなさるんですかぁ!」
「見捨てるに決まっておろーが。エンジェルなんぞ、余所者の言うことなんか聞いて、あんないかがわしい店に出資するんじゃなかったのう」
いともあっさりと、村長はエンジェルを切り捨てたようだ。流石に利害関係に敏い。
「そういうわけにもいかないんですよう」
少年はボーイの制服である、黒いベストを脱ぎ捨てた。白いカッターシャツの背中には、角張った文字がルージュと思しき赤い筆跡で書かれていた。
「『村長殿、河口に来られたし。もっと面白いものを御覧に入れましょう』」
アーチは朗々と読み上げた。
「なっ。河口に来いじゃとう!?」
デメララ村長は激昂した。
「どうされますか?」
と、村長の肩を叩くアーチに、不気味な仮面が振り返った。
おいーす。ういーす。
漁師達の景気の良い掛け声が、河口に響く。突堤の周辺には、このような時間には珍しく多くの船がぎっしりと犇き合っており、明るく照らすハロゲンランプが、河口を取り囲んでいた。
凄い大物の水揚げだ。モリブデン鋼で編まれた投網が、ギシギシと軋んでいる。
網目からはみ出した、幾本の銛は、まるで獲物を針鼠のように見せていた。滴る海水に塗れた黒く長い髪。宵の闇に煌く幾重もの魚鱗。凝脂に似た白い肌。
美しい人魚は、瞼を閉じていた。その唇の奥に隠された、凶暴な牙と共に眠っている。
テワナ・デメララ村長は、息せき切って突堤に急いだ。
「ああ!あれは・・・」
村長は、途端に力が抜け落ちるのを感じた。
紛れも無い、人魚の姿だ。哀れ人魚は頑丈な網の中に、文字通り一網打尽にされていた。
「わしの人魚!!」
走り出した村長の首根っこが、むんずと掴まれた。
「何をしやる?」
「死にたいんですか?」
と、アーチは村長の体を軽々と持ち上げながら言った。
真正面には、ガサ入れの張本人二人が立っていた。女巡検使ミスティ・サファイアと異端審問官ジョー・クリサンスマム。それぞれが左手、右手に同じ形のパウダーガンを持っている。一目見ただけで、猛烈に後ろ向きでダッシュしたくなるような、恐怖の組み合わせだ。
その遥か後方には、ジン・スティンガーがいた。漁師と一緒に網を引き揚げさせられているではないか。
「あの、バカ・・・」
アーチはにんまりと笑って、ミスティに手を振った。だが、あっさりと無視された。ジョーはと言えば、咥えタバコで引き攣った笑みを返しただけだ。
ミスティは極めて冷静な表情で吊り上げられた人魚の網に近寄った。《パイソン・シスタームーン》のマズルを人魚の顎に押し付け、唇をこじ開けた。
「これがアナタの欲しがってた人魚の真の姿よ」
真っ赤に充血した歯茎、尖った犬歯はまるで鮫の牙だ。デメララ村長は、愕然となった。
「こいつがピンガ達を襲ったのは御存知ないでしょうね?何処が聖河の御使いなんだか。・・・それでも、食べてみたい?」
ミスティは勝ち誇ったような口調で、言った。この場面だけを見た者が評すれば、完全にこちらが悪玉にしか見えないだろう。
「うう。官憲の犬どもめー!」
何時の時代の単語か判らないような罵言を吐き出しながら、デメララ村長は唸った。
「断じて許さん!あの女。わしの事業を潰してくれるわ、人魚まで勝手に捕獲してくれるわ、態度はでかいわ、チチはでかいわ!」
それは関係無い、とアーチは突っ込もうとして、後退した。無論、村長を引き摺ってだ。黒い弾丸が、アーチの耳元を掠めた。
「わ」
だが、放ったのはミスティ・サファイアでもジョーでも無かった。
第三の銃声。いや、弾は三発。銃声は一つに聞こえた。
ドサリ。重たげな音がした。人魚を捕獲した網が、コンクリートの上に投げ出された。モリブデン鋼の網を簡単に破ってしまうことは出来ない。実に、上手くピンポイントで同じ場所を同時に狙ったとしか思えない仕業だった。
そんな高度な芸当が出来る者といえば、かなり限られているときたものだ。
パウダーガン使いは、真っ直ぐに歩いて来た。優雅な足取りは、平生と変わらない。
「いい加減、手間取ってしまったわ」
ジプシー・クイーンは両手首のブレスレットを鳴らしながら、言った。《SIG・P230・アイアンウィドウ》を構えたまま、惚れ惚れするような立ち姿だ。さすがに《銃聖》の称号を持つだけのことはある。
「おお!ジプシー・クイーン。早くあのムチムチバカ女どもをやっておくれでないかい!」
デメララ村長は、小躍りして叫んだ。
ジプシー・クイーンは、黙って村長に余裕の笑みを見せると、つかつかとミスティ達に近付いた。
「今更、何か御用?」
ミスティ・サファイアは、漸く色っぽい唇を開いた。何処がどう色っぽいのか説明しろ、と言われれば、些かねっとりした感じに見えるからであり、しかもじわりと二枚の唇が離れる様は、女性に興味津々の初心な少年なら卒倒しかねない淫靡な動きに見えるだろう。だが、口調は、南極の氷山のごとく凍り付いている。
ふふ、と軽い笑声をオルゴールのように弾き出したのは、やや厚めの形良い、黒い女豹の唇の方だった。こちらは、乾いた感じだが、白く輝く歯に押し上げられてやや捲れ上がると、匂ってきそうに官能的な具合だ。
「アナタに用は無いわ」
ジプシー・クイーンは歌うように言った。青い瞳と黒い瞳の視線が交錯する。対峙した二人の美女の挟間に、不可視の火花が散る。
女の対決。
ジョーとジンの目がおろおろと泳ぎ、あちこちを見回した挙句、一斉に、アーチの顔ぎっ、と睨んだ。
「関係無いぞ、オレは」
アーチは鼻白んで、二人に両手の掌を見せた。
「どうやらヤツは無関係らしい」
「どーだか。右頬の傷を見てみろよ」
「おう。成る程な。これは言い逃れ出来ねえな」
「派手にやられてるな、ザマミロ」
ジョーとジンは、きひひと笑って肩を竦めた。アーチは憮然とした表情で、女二人を見詰めるだけだ。美男はかくも荊棘の道を歩むもの。同性も異性も、敵だらけ。
「私が用があるのは、この人魚だけ」
ジプシー・クイーンは、男三人の間抜け面付き合わせた会話をすっかり無視して、ミスティの視線を交わした。そして、漁師達を押し退けた。その威圧感にたじたじとなるや、屈強な男達は網を投げ捨て、数歩下がった。
黒い女豹は、暫しの間沈黙と緊張の間で、人魚のぐったりとなった様を見下ろしていた。
「皆さん、御苦労様ね」
ジプシー・クイーンは、向き直ると高らかに言った。
「人魚―生物兵器コードMH0047プロトタイプは、回収させて頂くわ」
その場に居合わせた人間は、皆ぽかんと鳩が豆鉄砲食らったみたいな表情になった。アーチレリー・ブールヴァルドを除いては。
「お、お前今何と?」
デメララ村長は、震える手を伸ばした。ジプシー・クイーンは、残酷とも言える美しく清々しい笑顔で、村長の小さな体を見遣った。
「人魚は国連軍の命により、UPが回収する。・・・もしかして、アナタ勘違いしていたのかしら?人魚は自然発生した生物だとか。落し物は、落とした者が拾うだけの話よ。御協力有難う」
「なななな」
村長は、余りの出来事に泡を噴き掛けていた。
「無論、約束を反故にはしないわ。ちゃんとここに国連軍の駐屯地を設営する代わりに、この村に莫大な賃貸料をお支払いするという約束は」
ジプシー・クイーンは淡々と語った。倒れ掛かった村長の体を、アーチは抱え起こした。だが、若い色男に支えて貰っているという嬉しさは、目の前で起こったどんでん返しに打ち消されてしまっていた。
「それは尚更聞き捨てならないわ」
と、凛々しい声を発したのは、女巡検使ミスティ・サファイアだった。
「ここはヴァティカンの準統括地。国連軍の駐屯地だと?はん。何をフザけた寝言を言っているのかしら」
声が上擦っている。一気に頭にきて、どうしようもないらしい。
「人魚だか生物兵器だか知らないけど、すごすごと指を咥えて渡すわけにはいかないわ」
《パイソン・シスタームーン》のトリガーに指が掛かる。引けば終わりの、ダブルアクション・リヴォルヴァーだ。
ジプシー・クイーンは振り返った。交差した細い両腕の先に《SIG・P230・アイアンウィドウ》二挺が、光る。
外す。
どちらが?
アーチは悟った。その瞬間に、掴んだ村長の腕を振り回していた。勢い良く飛んだ村長の身体は、ジプシー・クイーンの脇腹に当たった。女豹の身体は、ほんの瞬間で気配を察知して前屈していた。それでも、ファーティファイドの反射能力に勝るものはない。
ジプシー・クイーンは、態勢を崩した。村長は、見事漁師達の間にすっ飛んで行き、無事にキャッチされた。
「あ!」
漁師達は叫んだ。デメララ村長の仮面が落ちたからだ。
「うおお」
次の瞬間、漁師達は目を覆った。気絶して白目を向いている村長の素顔が明らかになった。少々貧弱で、老けてはいるが別段隠す程の不細工な顔の造作ではない。
だが、村長の口元には、まばらな髭が生えていた。
「お、男かあ?」
「いや、歳を取ると髭が生える女がいるというぞ」
漁師達は、口々に言い合った。
ヅガン。
行き場を無くした357マグナム弾が、怒りを顕わにして飛んだ。アーチは、前へつんのめりながら避けるのが精一杯だった。
「邪魔しないで!」
噛み付くように吠えたのは、ミスティ・サファイアだ。アーチは、両手をついて発条を利かせながら起き上がると、屈託無く笑った。
「漸く口をきいてくれたじゃないか。怒った顔も一段と美人だね」
「・・・おバカ」
ミスティは容赦無い悪口を叩き付けたものの、唇には薄い笑みが浮かんでいた。
「何て言ったんだ?」
弾丸よりも素早く、ジョーがアーチの所へ走り寄った。アーチは、白衣の汚れを払いながら、答える。
「緊張緩和。あんなに頭に血が上ってたら、当たるものも当たりゃしない」
「どっちも殺すのは惜しいがな」
「死んで貰って損な方を助けるのが、ものの道理というもんさ。彼女を見殺しにしたら、オレはあのおじさまに半永久的に懺悔し続けなけりゃならない。それは御免被るよ」
「冷血漢め」
ジョーは、苦々しく唇を歪めた。
さて、外は闇。船の齎す灯りだけを頼りに勝負を挑むなどと、ミスティ・サファイアにとっては初めてのことであったし、ジプシー・クイーンとて同じだ。
二人は向かい合ったまま、互いを黙視していた。先に動くのが、どちらか。
幾分冷ややかな目付きで、両者を見守っているのはジョー・クリサンスマムだった。
「どうする?この勝負、条件的に言ってリロードは無しだ。ジプシー・クイーンの持ち弾は16発。うち、3発は既に消化している。女巡検使の方は、残り5発だ」
ジョーは、乾いた唇にダンヒルを咥えた。安酒は飲んでも、煙草には贅沢な男だ。
「残弾を気にする程、勝負が長引くとは思えない」
と、思っているのはアーチレリー・ブールヴァルドだ。
決まるなら、せいぜいがお互いに二、三発。
「だが、本気で殺しあうのか?それは、拙いんでねえのか?いろいろと」
ジンはサングラスの弦を押し上げた。暗くて、不自由を感じる。ジン自身がこんな暗い状況で対決したことがあるのは、過去に二度だけだ。とてもじゃないが、手探りの危ういものだ。手元が狂えば、お仕舞いで、ろくな事はない。
だが、勝負には口出し無用だ。
男達三人は、それぞれがだんまりを決め込んだまま、顔を見合った。お互いに、いつでもパウダーガンを抜ける状態である事を目配せして確認する。
とてつもなく長い時間に感じられる五分間だった。
女二人は、沈黙したままそれぞれの銃をホルスターに押し込んだ。こうあっては、ファスト・ドロウで決めるしかない。
「数えて頂戴」
ジプシー・クイーンが呼び掛けたのは、ジンに対してだった。最も脳天気で、利害に無関係な男を選んだ訳である。
ジンは心得て、両者の間に立った。
「カウント10、9、8、7、6」
やや急いだ口調だ。この間、女同士は向き合ってせいぜい闘志を高めあうくらいしか、出来ない。
「5、4、3、2、1」
抜いた。
ジンは飛び退り、一瞬判断に出遅れた。
銃声は5発。《SIG・P230・アイアンウィドウ》は最初の発砲で、4発を叩き出した。恐るべき速度だ。幾らセミ・オートマチックにしても、殆ど銃声が二発かどうか玄人に聞き分けられる際のようなものだ。
それに反して《パイソン・シスタームーン》は、標準的な「速い」のレベルにしか見えなかった。
腕前の差は、致し方無い。だが、ミスティ・サファイアは力で勝っている。
ミスティは防戦一本で、ジプシー・クイーンの弾丸を消化させるしかないのか。灯りの届く範囲を転がり出た。
遮る物は無い。
「一つでも打てる手を残して倒れること程、無念なことはないぞ」
剣の師匠セノビオ・サウザの助言を思う。それよりも、パウダー・ガンの総てを自分に叩き込んでくれた男、キャプテン・ブラッドなら何とするだろう。《パイソン・シスタームーン》の元の持ち主なら、この銃をどう鳴かせるだろう。
一つしかない。
躊躇いは捨てた。
ミスティは、構えた。《SIG・P230・アイアンウィドウ》のマズルフラッシュが、頬の下に光った。
同時に《パイソン》のトリガーが弾かれた。
「あ・・・」
唖然と見守る三人の男に向かって、ミスティは満面の笑みを浮かべた。
「22口径のウンコ弾なんか食らっても、倒れるもんですか」
「・・・・・・」
ジプシー・クイーンは、目を剥いたまま、その場に屑折れた。右腿を撃ち抜いた357マグナム弾は、水面に煌いて去ったのか。
「うう・・・」
「これで、人魚を運びたくても運べやしないわ」
ミスティは、言った。
近距離で、鹿をも撃ち殺す鉄甲弾を食らえば、その衝撃は後遺症をも引き起こす。暫くは立ち上がるのも困難だろう。
ミスティは、不意に左脇腹を押さえた。防弾ファイバーを織り込んだ騎兵用のボディスーツに、二発の22口径弾が、食い込んでいる。この至近距離では、幾ら22口径でもダメージは少なくない。
「まったく、女は見境がない生き物だな」
アーチは言い、ジプシー・クイーンの肩を抱え起こした。黒い女豹は、力なく起き上がった。弾痕は、大腿骨を僅かに外しているようだった。ずたずたになった周辺の筋肉が、直ちに炎症を起こして、手当てに急を要するだろう。
「何て女なの・・・」
ジプシー・クイーンは、言い掛けて皮肉な笑みを浮かべた。
「肉を切らせて骨を断つ、というやつね。参ったわ、あの負けず嫌いな根性には」
「男も骨抜きにして欲しいけどな」
アーチは、聞こえよがしに言った。
ミスティは、腋を押さえたまま覚束ない足取りで人魚の方へ歩いていった。モリブデン鋼の網に手を触れた瞬間、腕を引かれた。
「何してるんだ。こっちへ来い」
アーチは容赦無くミスティの両手首を束ねると、ひょいと担ぎ上げた。
「ちょっと!下ろしてよ。何すんのよ。あっ・・・痛たたた」
「腹に22口径詰め込んだまま、どうするつもりだ?まあ、それだけ声が出るんなら、骨は外してるだろうが、十二指腸に穴が開いてたら大変だ。腹膜炎にでもなったら、キミの綺麗なお腹にメスを入れなきゃならんしな」
「イヤよ、アナタなんかに診て欲しくないわ。どうせ、ぼったくるんでしょう!?」
「よく判ったな」
と、アーチはニヤリと笑った。
「キミの対応次第ではまけてやらなくもない」
暴れる女とぐったりした女を二人も抱えて、アーチは軽い足取りで歩いて行く。ジンはテンガロン・ハットを脱ぎ、頭を掻いた。
「結局オレ達は何をしに来たんだよ」
「・・・男は時に強引さを必要とするもの」
ジョーは鼻から大きく息を吐き出した。そして、余裕の足取りで歩き出した。
終章に続く
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