第十一話
〜光と海と涙と la luce e del mare tra le
lacrima〜
(後編)
終章 人魚の涙
風が強まって来た。もうじき《砂漠の黒嵐》が、北回帰線付近を訪れる季節だ。
エラドゥーラ村をはじめとする、河の流域には直接の影響はないが、東から吹きつける黄色い砂混じりの風は、ときおり寂しげに夏の海上で唄を謳っていた。何の為にか、誰の為に唄っているのか。
「生物兵器コードMH0047プロトタイプは、単なる試作品。実験用に紅海基地へと運ばれる予定だった。・・・私が知っているのは、それだけよ」
ジプシー・クイーンは言った。
ステンレス製の松葉杖を付いた姿は、痛々しいが、それでも優雅かつ野性的な雰囲気は損なわれていなかった。
何故、ジプシー・クイーンが単身で人魚―生物兵器コードMH0047プロトタイプを回収に来たかは、訊くまでも無い事だ。ことは大袈裟にしてならない。
「人魚は造り物。自然が生んだものではないわ。何故、そんな物の為に命を掛ける人間がいるのか、理解出来ないわ」
「そういう人間もいる。キミのような人間もいるさ」
アーチは言った。
「否定してしまっては、オレ自身の存在も危ういものになってしまうからな」
「・・・・・・」
ジプシー・クイーンは、アーチの方に振り返った。
造り物とは知らないで、無意識に崇め奉っている物も、或いはこの世には少なくないかも知れない。たとえ造り物だと判っても、人工物であることの何処に否定的な意義が存在するのか疑問視出来る物もある。
人工生命体は、詰まる所どういう位置付けにあたるのか。
所謂、生物兵器はサイバノイド(人工生命体)の一種である。二十三世紀現在、工業用あるいは医療実験用などの限られた使用目的にしか認可がおりていないのが、サイバノイドだ。
強化人間手術も、厳正な審査と認可を経て行われるものであり、必ず個人には認識コード・チップが埋め込まれている。そして、通常、越境時には厳しい通関が待っている。
当然、極秘裏に作られた実験用生物兵器とあらば、陸上を運送するよりは、海上輸送が安全というもので、今回もそれに倣って巡視艦に運び込んだ矢先の出来事だった。近頃は、レーダー上から姿を消すステルス艦は当然のことながら、武装レベルが極端に低い艦に関してもチェックが厳しい。必然として生物兵器やら、見つかって厄介な物はレーダーにも通関にも掛からないような工夫が凝らされているようだ。
果たして、海賊に襲われたという情報も怪しいものだ。
初めから、ヴァティカンの目の届く範囲まで航行したら、そこで人魚を放つつもりだったのではなかろうか、とアーチは読んでいた。そして、回収に来ればいい。
だが、アーチは深く考えることを止しにした。いずれにしても、直接関わりが無い出来事だ。これ以上首を突っ込んでも仕方ない。
折角バカ高い慰謝料をうやむやに出来たというのに。
「私は只の、処理屋。雇われ者に過ぎないわ」
と、ジプシー・クイーンは言った。
その一言が総てだ。
「人魚など、伝説に過ぎなかったとでも報告しておくわ」
「それで済むのなら」
アーチは首を傾げた。ジプシー・クイーンは微笑を浮かべた。
「・・・そうね。戻る必要の無いところへ報告に行く義務もないわね」
風にストロー色の髪が靡いた。いつもはティアール風に編み上げた長い髪を、今日は解いていた。太陽の残り香がする。
「他に言うことは?」
ジプシー・クイーンは早々と港を去るつもりの口調で、訊いた。
アーチはオリーブグリーンの瞳をゆっくりと瞬いて、白衣の両ポケットに手を突っ込んだ。
「その香水は、昔のよりも似合ってる」
やや間を置いてから、ジプシー・クイーンはありがとう、と答えた。
何も訊こうとしない男だ。自分がどんな経緯でもって、この仕事を請け負ったのか。
本当は、実兄と弟をナヒチェバン戦役で亡くしてから、ヴァティカンへの憤懣遣る方無いのを、パウダーガン使いとして生きることで封印していることも。
充分に察しているのかも知れないが。
決して、金銭の為にエラドゥーラ村へ来たのではない。人魚が誰の手に渡ろうと、どうでも良い事だが、ジプシー・クイーン自身は、事の顛末を知っておきたかった。
科学を否定的に見たヴァティカンの方針も、結局は上層都市群と大差ないのではないのか。
たとい科学を以ってしても、人は命ある限り、死ぬ。強化人間にまでなって戦場に赴いた兄弟は、何を思っていたのだろう。
そして、自分の命を救ってくれたあの男はこれから何を思うのだろう。
アンバーの幻惑的な香りが残った。
《溜まり場》は、今晩も大繁盛だった。アラックはいつものように厨房から、出来たての料理をカウンターに出している。ピンガ少年はせわしなく洗い物を運んでいた。
ホールの中央では魚臭い男達が数名、丸いテーブルを囲んで、顔を付きあわせている。
「がははは、大笑いだぜ。あの仏頂面のルシアンが結婚するんだとよ!」
「おう、聞いたぜ。も一人のボディーガードの女の子だったよな。名前忘れっちまったけど」
「何でだかねえ。世の中不思議な事はあるもんだ」
「がはははは」
「そう。村長といや、今朝、邸に監査が入ったらしいな」
「村長のヤツときたら、往生際が悪くてまた寝込んでるらしいぞ」
「せいぜい搾り取られるだろうよ」
「ああ。しかし何だな。《オクトパシー》が潰れっちまったのは勿体ねえ」
実に勿体無い、と唸ったのは隣のテーブルの神父だった。ジョー・クリサンスマムは、やや苦みばしった表情で、安いメスカルを飲んでいた。
「それにしても、良かったねえ。あの二人は本当に結ばれるわけだ。たまには、オレもいい事するじゃねえか」
と、ジョーは小声で自画自賛した。嘘から出た真という奴だ。
「おお!あんた話の判る神父じゃねえか」
逞しい腕に刺青を入れた男達が、ほろ酔いで笑い掛けた。ジョーは神妙な口調で答える。
「まあ。神父とて、聖職者である以前に一個の人間であり、男です。たまには目の保養くらいしたって、慈悲深い神様はバチなどお与えになりませんて」
バコッ。
「あ。バチ」
男たちが言う間に、ジョーは椅子から転げ落ちていた。見上げると、二本のすっきり伸びた健康的な少女の脚が。その上には、悪戯っぽい笑みを満面に浮かべたピーチィの顔。
「おう!嬢ちゃん」
ジョーは立ち上がった。
「元気になったか」
「当たり前やん。二日も寝たらこの通り――で、アンタ何でまだここにおるの?」
ピーチィはあからさまに、不審顔になった。
「ヴァカンスを満喫してるんだよ。まあ、こないだまではいろいろ騒がしくて、落ち着いて楽しめなかったじゃないか!」
「アンタ何かしてたっけ?」
「う・・・」
沈黙が流れる。
「何やってんだ、行くぞ」
ピーチィを促したのは、ジンだった。テンガロン・ハットを被り直し、荷物を背負う。そのジンに向かって、ジョーは親指を立てて右腕を突き出した。
取り敢えず、ジンも同じ挨拶を返す。これがパウダーガン使いの挨拶だ。
「また会おうぜ、プレミオーロ」
ジョーは一気にメスカルを呷ると、男達の話の輪に自ら溶け込んだ。
夜は始まったばかりだ。外は漸く日中の暑気がおさまって、肌に心地良い風が吹いていた。しかし、《砂漠の黒嵐》の気配は否めない。
ジンは《イケヅキCR-X》のエンジンを掛けた。荷物を荷台に載せ、その後にピーチィが跨る。
《溜まり場》の扉が開いた。エグゾーストを排出し始めたバイクに駆け寄ってきたのは、ピンガ少年だった。
「どうした、少年」
ジンは言った。
「お礼も言ってなくて・・・ホントにありがとう」
ピンガは照れながら、言った。少年の後ろには、赤銅色の青年の顔があった。アラックは、面映い表情でジンとピーチィを見遣った。
「色々世話になったのに、何も返せなくて申し訳ないな。もう、行くのか?」
「ああ」
ジンは、サングラスの下から微笑んだ。右手を差し出すと、力強い握手が返って来た。
「何なら、あのおっさんにせいぜい美味いモンでも食わせてやってくれ」
ジンは店の方へ顎をしゃくる。
「オヤジ食いすぎ」
と、洩らしたのはピーチィだった。ピンガ少年は、首を傾げる。
「巡検使さんは?」
「とうに行っちまったぜ。人魚と一緒に。オレはあんなおっかない女とは、旅しないの。只でさえ小うるさいのがくっ付いてんのに」
「なんやて?」
むにー、とピーチィはジンの頬っぺたを抓り上げた。
「いでででで、何すんだよ!」
「アンタは一言多いの!」
言い合うジンとピーチィを、ピンガは少々呆れつつも微笑ましく見ていた。
ブロロロロロ。
遠くから聞こえて来た、ジープのような排気音は、やがて《溜まり場》に向かって来た。
一台の古めかしいジープが、砂を巻き上げて停車する。四人の男が乗車していた。
男達の服装は、見るからに厳しい。ネイビー・ブルーのつなぎに長靴だ。顔付きまでもが物々しい。
何が起こるのかと、只見守っていたジン達に、男の一人が声を掛けた。
「貴様等、この村の者か?」
「そうだが」
と、答えを先に攫ったのはアラックだった。むっつりした男達は、互いに顔を見合わせた。そして、先に質問を投げ掛けた男が頷いた。
「我々は、国連軍視察部の者だ。この付近の海域で、当海軍の船舶が海賊に襲撃された事は知っているか?」
「新聞に載ってたかなあ」
ジンは答えた。軍隊式の居丈高な口調が気に食わないので、真剣に答える気は、ジンにはない。
「その時の紛失物を捜索に来たのだが、船舶を借りられるような所はあるか?」
「あるにはあるが、今はこんな時間だ。何処も船を出してくれないと思うが」
アラックは真顔で答えた。本心は丁重にお帰りください、といった風情だろう。
ピーチィは、国連軍と名乗る男達を上から下へと、品定めするように眺めて、にんまりと笑った。
「もしかして、アンタら人魚を探しに来たん?」
人魚、という言葉に男達は皆一様に、肩をびくつかせた。
「図星やん。せやけど、お生憎さま」
「な、何がお生憎さまだ?」
男は焦慮を押さえながら訊いた。こんな少女におちょくられているのは遺憾だ、という思いが顔にありありと浮かんでいる。
「そんなら、先に回収に来た女がおったでえ」
「女?」
男達の驚愕する様を、さも可笑しそうにピーチィとジンは顔を見合わせた。
「そう。ジプシー・クイーンてイカしたパウダーガン使いがな」
「ジ、ジプシー・クイーンだとう!?」
男達の顔は一瞬真っ赤になり、そして真っ青になった。
「それは本当か?ちくしょう、しまったイスマイリのヤツらめ、先に手を回しやがったな!」
激昂した男達は、既にもうジープに乗り直していた。
「こうしてはおれん。女は何処へ向かった?」
「さあ。・・・こっから行くなら西か北しかねえだろ」
ジンは平然と答えた。次の瞬間には、ジープは数メートル引き返した位置に見えた。
「バカな連中だなぁ。話には続きがあるってのに」
人魚―生物兵器コードMH0047プロトタイプは、ヴァティカン法務省特務巡検使ミスティ・サファイアの手によって、科学アカデミーに回送されてしまったのだ。《セヴンス・ジェノサイド条約》違反の証拠物品として。
果たしてヴァティカンが公に、その存在を出すかどうか判らない。発表する事はないだろう。自ら墓穴を掘る事にもなりかねないのだから。だが、人魚の齎す影響は、ヴァティカンにとっては悪くはないことは、確かだ。
ジンにとっては、格別面白い事ではなかったが。相変わらず、賞金首はなし。今後もカツカツの旅には変わりないのだった。
「さて、行くか」
ジンはマルボロを咥えた。スロットを開け、軽快に右手を挙げてピンガとアラックに別れを告げると、河口の村を北へと走り出した。
無論、誰も知らない。
今夜月の灯りの下で、水飛沫が上がっても。海面を打った滑らかな魚の尾鰭には、真珠のような煌きの銀粉が混じっていた。桜貝に似た背鰭が、静かに揺れた。
螺旋のように渦巻く海水の中を、あえかな呟きが聞こえることを。
それが人魚の涙だということも、誰も見てはいない。
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