第十三話
 〜ドラッグ・パラドキシア di narcotrafficante
(前編)


第三章  赤(むな)しき贖罪の瞳 I HATE HIS HOLLOW UNTRUTH

 豪華な応接室で暴れまくっていたのは、シメオン・ハパスだった。
 尤も、両手両足を呪縛されているので、芋虫のように絨毯の上で転がっているだけだ。端から見れば、大笑いを誘うの図。
 まんまと東洋人二人組を油断させ、ジオフロントに叩き込んでヤク漬けにしてやろうという、シメオンの目論みはあっさりと潰えてしまった。
 シメオンの予想に反して、二人組みは強力だった。秘孔とやらを突かれてもんどりうっていた事実を、ものの数秒で忘れてしまえるようなこの男に、黙ってやられているわけは無かったにしても。
 がっ。シメオンの肩に何者かの靴先が当たった。シメオンは目を剥いた。
「てっ、手前ら何しやがる・・・!あ?」
 見上げた先に、シメオンの見知らぬ男の顔があった。
 造形の美しい若い男の顔を見るや、シメオンは頭に血が上るのを感じた。このサンチャゴ・エル・ブランコ界隈ではシメオン以上に伊達男はいないと自負していたのだ。脳天を砕かれるような気分だった。
「こいつがLSDの売人か」
 アーチレリー・ブールヴァルドは、シメオンの肩に置いたショートブーツの靴底に、やや体重を掛けた。
「こ、こいつ呼ばわりしたな!このシメオン・ハパス様を!」
 シメオンは怒り狂って、両手を動かそうとした。だが、びくともしない。虚しく指が空を掻くだけだ。
 アーチは、ちょいと靴底をずらして見せた。骨が軋み、ごき、という嫌な音が続いた。ぎゃ、と短い叫びがシメオンの喉から飛び出した。
「ううう!」
「大袈裟な。脱臼くらい経験あるだろうに」
 アーチは屈み込み、意地悪な微笑をシメオンに向けた。なまじ美貌だけに、冷ややかな凄みが効いている。
「直して欲しけりゃ、大人しくして置く事だな」
「こっ、この鬼畜!××・・・ううう」
 意味不明な卑猥語を発しながら、シメオンは唸った。
「イサベラお嬢様に、スーパードラッグ《リヴァイアサン》ってのを飲ませたのも、こいつだそうだ」
 ジンは言った。シメオンの苦しむ様を、覗き込む。
「《リヴァイアサン》?聞いたこと無いドラッグの名前だな」
「終末の獣。この世に終わりを告げる、恐ろしい怪物の名前。そんなネーミングをつけるからにゃ、余程効くんだろうな?」
 そう言ったのは、ジョー・クリサンスマムだった。シメオンは、涎を無様に垂らしながら虚勢を張るのを忘れていない。引き攣った笑みが浮ぶ。
「センシタイザー(増感剤)とタンタライザーをミックスした、世界で最も強力な媚薬だ。シリンジ(注射)なんざ野暮なモンは要らない。ちょいと唇にでも擦り込んでやったらおしまいだ。へへへ・・・」
 シメオンは饒舌に喋った。割舌は良くないが、早口だ。
「・・・切れるまでの間、どんな苦痛も快楽に変わる。あの女にはよーく効くように、血管とお××こからブチ込んでやった。随分いい声出してよがってたな・・・」
 ジン達はお互いの顔を見合わせた。
 アーチは、シメオンの縛めを解いてやった。湿った襟元をぐいと掴み上げ、アーチはシメオンを立たせた。何時の間に抜いたのか、《キングコブラ・バニッシュメント》の銃口が、シメオンの鳩尾にめり込んでいた。
「ジオフロントやらの入り口を案内して貰おうか?色男」
「う・・・」
 シメオンは、まるで毒気を抜かれたように大人しくなった。ならざるを得ない状況だった。

 その思想と行動の極端さから、ニザリ教団は正統スンニ派と真っ向から対立したのみならず、異端とされていたシーア派とも袂を分かつ結果となった。
 そして、それが行き着くところは当然さらなる極端な行動に他ならない。だが、ニザリ一派は、その行動さえも教祖ムハマッドに倣うものであると、信じて疑わなかった。
 彼らに「聖地」=メディナは存在しない。
 いや、各々が場所に聖地をもたざるを得ない状況だった。
 《山の長老》と呼ばれる導師を頂き、彼等はムハマッドが武力で故郷メッカを回復したように、己が手で己が聖地を築き上げていく。いつか、いつかおのおのの故郷を奪取する夢を抱きながら。
 ニザリは、時は相当数の兵士を以ってする戦闘も行ったが、ゲリラ的小集団による奇襲、或いは単身での暗殺を得意とした。
 このような少数での襲撃や暗殺行動は、当時十一世紀から十三世紀にかけての西アジアの社会状態にとっては、非常に適合した手段だった。
 その頃カリフ王朝の勢力は衰退しつつあり、セルジューク人の封建的身分制度によって、各地は多くの大小諸侯とその家臣たちの領地に分割されていた。
 従って小規模な奇襲や暗殺で、一領地ずつ潰していくほうが手っ取り早いのだ。
 しかし、暗殺という手段は、常に危険を伴う。
 むしろ、大多数の暗殺者の場合、自身は成功失敗に拘らず、自分自身の命をも失うことを覚悟していなければならないのだ。
 かつてのニザリがそうであるように、ジャファル・アル・ハラーンもそうだった。
 初めから暗殺者として生まれてくる人間などいない。
 人は暗殺者になるのだ。
 暗殺行為を犯すだけの個人的、社会的動機が与えられるのだ。
 ジャファル・アル・ハラーンは、再びその扉を開くことに、逡巡した。ここを開いたら、きっとあの目は自分を見据えているだろう。そんなささやかな恐怖にも似た、後ろめたい気分に苛まれていた。
 それを察してか否か、白い髭に覆われたグドブラーン老師の頬が、微妙に歪んだ。
「おじさまには、何と言うつもりなの?それとももう言ったの?」
 開口一番のミスティ・サファイアの台詞は、こうだった。
 女巡検使は、ベッドから立ち上がっていた。迷彩柄のツナギのような戦闘服を身につけていた。
 生憎、ヌォーヴォ・ニザリに女っ気はない。従って、男物のお仕着せを与えるしかなかったが、大柄なミスティ・サファイアには窮屈に見えるくらいに衣服が突っ張っていた。
「老師」
 ジャファル・アル・ハラーンは、首を横に振った。グドブラーンは、暗殺者を睥睨する。お前が聞け、という暗黙の仕草だ。
「今後アナタ達の要求が呑まれようとも、私は許さないわ。こんな愚劣な真似」
 ミスティは、軽い口調で言った。だが、言葉は鉛のように重い。
 顔色は幾分ましに見えたが、立っているのが辛そうだ。
「・・・それだけは覚えておくことね」
 ミスティは、軽やかに長いブルネットを掻き上げた。だが、グドブラーン同様、ジャファル・アル・ハラーンは押し黙ったままだった。死を恐れた事はない。暗殺者として生きる以上。
 今覚えた感覚を、ジャファル・アル・ハラーンは二度と忘れないだろう。この女に酷く恨まれたまま、死ぬのは嫌だ。
「その短刀は、ムスリムの物ではないわね」
 唐突に、ミスティはジャファル・アル・ハラーンの腰に帯びた短刀の鞘を差して言った。
「ギリシアの古刀だ」
「アナタ自身も純粋のアラブ系ではないわ」
 ジャファル・アル・ハラーンは、苦笑を頬に押し上げた。
「慧眼にお見逸れするよ。母方はミコノス島の出身でな。トゥアレグ族の血も混じっているらしいが・・・」
「暗殺を生業として、渡り歩いているという訳ね。言葉で判るものよ。あまりにもトランス(共通語)が上手すぎる」
 ミスティは、世辞でも深い意味も無く言った。それ以上の事は詮索しない。
 所詮は、お互い何処へ行っても通りすがりの異邦人でしかない。
 ただ、ムスリムの信条は、信仰の一致が総てにあった。ジャファル・アル・ハラーンの出自が如何なる出自であろうと、アッラーへの帰依は彼がイスラム社会で生きる事を肯定する。
 グドブラーンの目が、静かにそう物語っていた。
「ところで、私の首を懸けて、何を要求するつもりなの?」
「・・・・・・」
 ミスティの問い掛けに、ジャファル・アル・ハラーンは、即答出来なかった。グドブラーンは、そんな男の戸惑いも憤りも、総て把握しているかのように、薄っすらと笑みを湛えていた。
「言えないような事なのね」
 と、ミスティは幾分冷めた目付きで言った。グドブラーンに対してだ。
「領地でなければ、さしずめ教皇の首でも差し出せと?私のような下っ端をを使うには、大胆すぎる計画ではないの、それは」
「まさか」
 グドブラーン、老獪なニザリの男はは苦笑した。ミスティも微かに笑みを浮かべた。だが、青い瞳は決して笑っていなかった。
「わかっているわよ」
 ミスティは、言った。
「サン・ピエトロ広場での教皇暗殺未遂は、アナタ達の仕事だということくらい」
「さすがだな」
「テロルにもいろいろあるでしょうけど、暗殺を目的としたテロルの場合、我々クリスチャンは足踏みする。それは、暗殺者自身が生きて戻れない確率が高いから。つまり、『自殺的な意味合い』を持つからよ。それを無心で行えるのはムスリムの、しかもアナタ達くらいしか思い付かないわ」
 グドブラーンは、ミスティの言葉に深く頷いた。
「まさか、今一度教皇の元へ暗殺者を送ってはいないでしょうね?」
「それは測りかねるな。少なくとも、私の所からは送り込んではいない」
 グドブラーンは、衣服の長い裾をふわりと浮かせて、矢の様にミスティの鼻先まで詰め寄った。大男の癖に、意外な素早さだった。かっと見開いた両目が、瞬き一つせず、ミスティを睨んだ。
「まだ、謝礼も頂戴してないのでな!」
「・・・・・・」
 一瞬、喰われるのかと錯覚したほど、ミスティは内心驚いた。鼻先に、グドブラーンの口が開いている。甘い香りがした。
 だが、そんなことはおくびにも出さないで、グドブラーンを見据える。
「何だ、そういう事だったの」
 ミスティは、これ以上無いというくらいに自嘲的な表情を作った。
「早く仰いな。私をダシに貰い損ねた報酬を要求しようなんて。狡い真似だけど、気持ちは判らなくもないわ」
「ふん」
 グドブラーンは、鼻で笑った。最早、ジャファル・アル・ハラーンは何も言う術が無かった。黙って己の立場を保守するだけの権限しか与えられていなかった。
 己の立場。それは、万が一の時は、眼前の女の命を奪う事さえ意味する。
「報酬欲しさだけではない。我々ヌォーヴォ・ニザリを甘く見ていると、どういう事になるのか、知らしめて置いたほうがよかろう?」
 ミスティは、答えなかった。この仕打ちが、その答えか。にしては、チンケにも程がある、と。第一、ミスティには直接無関係ではないのか。むしろ、伯父貴にとっては百害あって、一利無し。
「・・・好きにするがいいわ。私は枢機卿会とは関わり無い。しかも、伯父貴の政敵にそんな事が通用するかどうか、よくよく考えてからね」
 そう。グレナデン・サフィール枢機卿、或いは異端審問所の失墜を狙った人物にとって。
 枢機卿ヤン・フランツァ・ドブチェク法務省長官には。

 ロメロ邸の裏庭を抜け、申し訳程度の潅木を過ぎたところに掘っ立て小屋があった。
 シメオン・ハパスは背中から殺意に似た恐怖に怯えながら、道案内を続けた。その間、寡黙を通さざるを得ない。
「ほー」
と、感嘆の声を漏らしたのは、ジョー・クリサンスマムだった。
「見事なもんだね。ジオフロントってえのは」
「戦前・・・第三次世界大戦前に作った巨大核シェルターだろう。放射能の脅威が消え去るまで、モグラみたいに住もうって為の地下都市だ。それだけの目的じゃないとは思うが」
 さらりと答えたのは、アーチレリー・ブールヴァルドだった。ジョーの後ろ、殿(しんがり)を進んでいる。シメオンの背中に《ルガー・マークU・サイレンシア》を突き付けているのは、ソーシー・スーだった。
「ふん。あんた生まれても無い頃のこと、よく知ってんな」
 ジョーは言った。
「役にも立たない知識だけはな」
 アーチは愛想も無く応える。
「つまんねー」
 呟いたのは、ジン・スティンガーだった。
「こんな殺風景なところに何百年も住めるか。作ったヤツはバカか?」
「バカじゃなきゃ、考え無しだろ。土壌汚染が、染み出して来ないとも限らんしな」
 ジョーが言う。
「その前に、この中で死ぬのはやだね。放射能浴びてもいいからさ、御天道様の下で死にたいとか、思わないか?プレミオーロ」
「賛成。あんたもたまにはマトモな事言うよな」
「たまには、は余計だ」
「お前ら、さっきからうるせーよ!」
 シメオン・ハパスは振り返って叫んだ。ぎょっとなる四人の男達。
 だが、顔付きは兎も角、全員がパウダーガンを構えていた。
「う。・・・人が黙って案内してりゃあいい気になりやがって。ちくしょう」
 ぶつぶつ言いながら、再びシメオンは歩き出した。無言だが、絶対無比の力の誇示に気圧されたのだ。とんでもない連中だ。きっと、この借りは倍返しに、いや十倍返しにしてやる。シメオンは心に誓った。
 ジオフロントの中心となる道路を行く。そうして、五分も歩かない内に、シメオンは第一の関門に辿り着いた。重い扉は、本来自動ドアになる筈だったのだろう。今は、前に誰が佇んでもびくともしない。
 カードキーのような物を扉脇のスキャナーに差し入れると、扉はあっさりと開いた。
「『開け、ゴマ』とでも言うのかと思ったぜ」
 げらげら、とジョーが下品なジョークでも言ったみたいに笑った。本来の『開け、ゴマ』のゴマ(シムシム)の持つ意味を知っている筈も無いが。「開け、ケツの穴」と言っているようなものだ。
 とまれ、扉は開き、シメオンはむっつりした顔を、その中へ突っ込んだ。
 浅黒い顔の男が、大きな目をぎょろりとさせて、シメオンを見た。
「客人を連れて来たぜ。大口の買い手だそうだ」
 シメオンは巧みに言い、扉を押し開けた。
 途端に男は、それこそ目玉を落としそうになる程両目を見開いた。
 仏頂面のシメオンの向こうには、パウダーガンの銃口が四つも並んでいたからだ。

「賊が押し入っただと?」
 賓客室と呼んでいる軟禁室から、グドブラーン老師は体を覗かせた。扉は半分開いていた。
「よく判りませんが、妙な四人組です。シメオンを捕まえてるようです」
 グドブラーンに報告に上がった少年は、酷く故旧を乱していた。みるみる老師の顔色が、朱に染まった。
「シメオンめ。・・・お前は下がってよいぞ」
 グドブラーンは、少年を労った。血管の浮き出た、皺が目立つ手で、少年の細い肩を撫でると、少年は恭しく頭を床に打ち付けんばかりになって、老師の前を離れた。一目で、老師と少年の関係が判るような場面だ。
 ミスティは、格別な思いも抱かずにその光景を見詰め、ジャファル・アル・ハラーンに向き直った。
「どうやら、キミの部下らしい」
「私には部下などいないわ」
 ミスティはそう言って、ジャファル・アル・ハラーンに左手を差し出した。瞳の光が揺れる。
「返して頂戴。私のパウダーガンを」
「それは出来ないな」
「間抜けな連中を追い返してやる、と言っても?」
「信用ならない」
 ジャファル・アル・ハラーンはきっぱりと言った。瞳が、ミスティの真剣な面差しを頑なに拒否していた。
「我々に協力する、という意味か?」
「いえ。私は私の生き方をする。それだけの事よ」
 ミスティは、左手を引っ込めた。美貌に不敵な笑みが浮んだ。覚えず、ジャファル・アル・ハラーンは、その表情に胸を突かれた。
「『本気で進もうとすれば、他人は道を避けてくれる』というわね。生ぬるい言葉だけど。それでも、避けてくれない場合は、こうするわ」
 ジャファル・アル・ハラーンは、呻いた。ほんの一瞬の油断が、鋭敏な暗殺者を愚鈍な飼い猫のようにした。
 ミスティは、両手指を突き出し、目潰しを食らわすか否かで寸止めした。ジャファル・アル・ハラーンは、反射的に目を閉じた。
 ミスティの右膝は、その時既に、暗殺者の鳩尾にめり込んでいた。よろぼうたジャファル・アル・ハラーンから、ミスティは自前の《パイソン・シスタームーン》を奪おうとして、胸を探った。だが、銃の手ごたえは無かった。
「うぬう」
 ジャファル・アル・ハラーンは、ミスティの手首を掴もうとした。
「何処へやったの!?」
「ここには無い。私は・・・」
 ミスティは、身を翻すと、ジャファル・アル・ハラーンの脇腹に蹴りを食らわそうとした。だが、膝を折っただけで、そのまま駆け出した。とても、全速力で走り出せるような体力が回復したとは思えないが、それでもジャファル・アル・ハラーンが俄に追い駆けられるような鈍足ではなかった。
 迷彩服の女が走って来る。廊下をうろちょろしている、グドブラーンの手下共は、すれ違って呆気に取られるばかりだ。
 ミスティは、振り向きざまに、男の仰天した首根っこを掴んだ。
「私の銃は何処?知らないの?」
「えええ?」
「知らない!?そういうヤツはこうしてやるわ!」
 ミスティは、男の顔面に肘鉄を叩き込んだ。謂れの無い暴力に、男は鼻血を噴きながら悶絶した。
「ふん。つまらない男」
 締めの一言を無慈悲に投げ掛けて、ミスティはその場を去った。
 丸腰で、このままうろちょろする訳にはいかなかった。グドブラーンは何やら、自室に戻った模様だが、いずれ直ぐジャファル・アル・ハラーンが追って来る。ミスティは、止めをささなかったのだから。
 
 シメオン・ハパスは、壁際を這い蹲るようにして、奥へと進んだ。進んだ、というよりは止むを得ず進まされたの感は免れない。
 目の前に展開されている出来事が、とても現実の物とは思えなかったからだ。
 テンガロン・ハットにサングラスの男は、所構わずパウダーガンをぶっ放すわ、チビの東洋人は何やら不気味な技を使って、自分の身体よりも大きなムスリムの男達を薙ぎ倒して行く。
 金髪の優男はとてもその細身から想像できないような馬鹿力で、扉やら壁やらを破壊しているわ、神父は神父にあらず、咥えタバコでがはは笑いをしながら、これも跳弾お構いなしで銃を撃ち捲くっている。
「これは、悪夢だ。悪夢以外の何モンでもねえ!」
 シメオンは、頭を抱えた。
 そして、凶悪な四人組が悪魔に見えたことは言及するまでもない。
 だが、下手に男達から離れると、自分も被害を被るので、シメオンは仕方なく後をくっついて行く他無かったのだ。
 不意に、四人の眼前に人の壁が沸き上がった。いや、扉を開けると、人垣があったのだ。
 よく倒れた扉に挟まれなかったものだが、ムスリムの屈強な男達は、笑み一つ浮かべずに四人を迎え撃った。
「真打登場か」
 いずれ劣らぬマッチョな男達は、めいめい派手なターバンを頭部に巻き付けていた。顔が似通っているので、ターバンの色で以って区別しているのかも知れない。と、咄嗟にジンは思った。
「に、逃げよう!」
 シメオンは、へっぴり腰で叫んだ。鞭を振るっている時の豹変振りは何処へやら。
「アホか」
 むんず、とシメオンの襟首を掴んだのは、アーチの右手だった。そのまま、男達の中へ、シメオンの縮み上がった体を投げ入れた。人垣が、崩れた。
 絶妙の間合いで、ソーシー・スーが飛び込む。格闘技を身につけたと思しき男達は、瞬間、ぐい、と身を屈めた。まるで、獲物を待つ虎のように。
「あ」
 ソーシー・スーは、声を上げた。だが、遅い。秘孔を突かんとして繰り出された手刀は、無慈悲に刎ね返された。
 レスリングの使い手に、打撃系の技は効果薄だ。それも、己の体を嫌というほど鍛え抜いた筋肉の鎧を打ちに掛かるには、相当の持久力とスピードが必要だった。もしくは、それを上回るパワーが。
 組討ちを得意とする男達に、腕を取られたらおしまいだ。関節技を掛けられたら、無残に手足を折られるだけなのだ。
 手刀を掴まれた、とソーシー・スーは目を剥いた。こうなったら、左腕の仕込み銃を抜くか。
 だが、血の気が引いたソーシー・スーの小柄な体を引き戻したのは、アーチの腕だった。
 一言も発せずに、複数の男達は標的を変えた。褐色の水牛のように、薄緑色のターバンの男が突進する。如何せん、とアーチは咄嗟に構えた。
 激突の鈍い音がする。
 素人のアーチがまともに受け止められたのは、フォーティファイド(強化人間)の反射神経と人並みはずれた馬鹿力のお蔭だった。
 頭からぶつかってきた男は、両の腕をそれぞれきわどいところでカヴァーに持ち込んでいた。顔面に右腕、左腕で腹。だが見事なまでに、アーチの左正拳は、男の右腕を砕くという筋書きだった。
「う・・・」
 一同が、瞠目した。
 男は、腕をへし折られた痛みに断末魔の絶叫を上げるでもなかった。また、膝蹴りを受け止めた左腕から、血飛沫が噴き上げるでもない。
 男は、腕の間からぎょろりとした黒い目を、アーチに向けた。
「こいつ」
 拳が離れる。
「フォーティファイドか!?」
 ジョーが叫んだ。ジャカッツ、という音がアーチの背後で響いた。《パイソン・ブラザーサン》のシリンダーが回る。
 だが、その前に薄緑のターバンの男は、巨体を揺るがして反撃に出た。
「おおおおおお」
 男はやや怯んだ眼前の優男の隙を狙った。離れた左手首を掴んで寝技に持ち込もうとして、大男は腕を伸ばした。
 が、心持ち急ぎすぎたようだ。男の顔面は、先程下腹部を狙ったアーチの左脚の攻撃をまともに食らった。
 ショートブーツの踵は、完全に男の鼻の下にめり込んだ。
 まるでコマ落としのように、男は仰け反って、鼻血を噴きつつ背中から倒れた。
「・・・キショウ、脚が長いのはムカツクばっかりだと思ってたが、たまには役立つみてえだ」
 ジンはムッとしながら手短に感想を述べた。アーチの、ゆうに100センチは越しているすんなりと長い脚が、華麗な弧を描いて床面にほぼ垂直に戻る。男でも惚れ惚れするような所作だった。
「うおおお!かっちょいい!かっちょいいです兄貴ィ。何処でそんな技を仕入れたんですかぁ!」
 ソーシー・スーは頬を紅潮させながら、感嘆の声を上げた。何時の間に「ドットーレ」が「兄貴」になったのだ、という突っ込みは誰もしなかった。そんな余裕は無い。
 だが、巨体は一人ではないというのがお約束。紫色のターバンの男と、青いターバンの男がずい、と現れるや、二人はいきなりアーチにローキックを浴びせた。関節技ばかりでは無かったのだ。
 回転後廻し蹴りが炸裂する。
 あからさまに形勢逆転してしまったアーチは、顔面だけは、とカヴァーしながら徐々に後退した。
「ああ。・・・やっぱ、かっちょ悪ィ」
 ソーシー・スーは呟いた。その呟きが聞こえたかどうか、アーチはきっ、と柳眉を逆立てて振り返った。
「ぼけっと見てんじゃあねえ!何とかしろ!いつまでも持ち堪えられるかあ!」
 僅かな隙を突かれて、アーチは鳩尾にまともに蹴りを食らった。
「ぐは」
 文字通り、舌を出した。蹴りの勢い余って、アーチは背中を折って軽く飛ばされた。
 そうは言われても、フォーティファイド相手にパウダーガンがそうそう通用しない事も、三人が三人共承知だ。
 しかし、考える暇があったら撃つ。初めにトリガーを引いたのは、ジンだった。
 既に火薬の臭いが立ち込めた通路に、今更遠慮しても始まらない、という風に。
 男達は、文字通り肉塊そのものだ。被弾しても、倒れるどころか、向かってくるばかりではないか。
「なんでニザリの連中が、フォーティファイドを連れてやがるんだ!?」
「どうする?」
「無駄弾使ってるとしか思えねえ」
 ジョーは、ジンの問い掛けに答えた。だが、関節技やキックを食らうよりは、マシだ。何しろ、相手は並みの人間ではない。男たちがくたばるのと、弾が尽きるのとどちらが先か。ジンは、ぞっとしない心地になった。

 もうもうと上がる硝煙の白い靄の中から、聞き覚えのある声が。
「何やってるの!?アナタ達」
 ミスティ・サファイアだった。半ば茫然とした顔付きで、ミスティは騒ぎの渦中に飛び込んでしまった。うんざりする程見た顔ばかりが、大男とくんずほぐれつの状態ではないか。
「ああ!」
 ソーシー・スーが声を上げ、ミスティに駆け寄った。
「アルテミス・サフィール様!」
 半泣きで両腕を広げたソーシー・スーの頬に、ミスティは握り拳をぐりぐりと押し付けた。
「その呼び方はよせ、と言った筈」
「はいー」
 だが、ソーシー・スーは悲しくなかった。憔悴はしているが、美しさは遜色無い教官の無事が分ったからだ。
「ロメロ邸から消えた時は、一体どうしたものかと思いましたです!」
「そう言いたいのは、私の方よ。ここはどういう所なの?・・・軟禁生活で、さすがに方向感覚も何も分らなくなってしまったわ」
「ジオフロント、地下都市です。ロメロ邸の裏庭から入ったんです。恐らくは、ミスティ様もそこから連れ込まれたんじゃないか、と」
 ミスティは、ソーシー・スーの顔を訝しげに見詰めた。
「あれから、何日経ったの?」
「えーと、今日で五日目ですが」
 質問の答えを聞いているのかいないのか、ミスティは落ち着かなく辺りを見回した。壁際に横たわっている男に見覚えがあった。ミスティは、矢庭に男に駆け寄り、悶絶した体を無理矢理引き摺り起こした。
「シメオン・ハパス!」
 パンパンパン。
 情け容赦無い平手打ちが、シメオンの両頬に炸裂した。見る見るうちに真っ赤に腫れ上がる。
「こん畜生!目ぇ覚ましなさいよ!この腐れ外道!腐れ×××の×××野郎!」
 最早、ソーシー・スーには聞き取れないような早口かつ卑猥な罵り言葉だった。意外な口から出ると、迫力が増す。
「まだ起きないか!」
「うへえ!」
 鶏の首を締め上げたような潰れ声で、シメオンは叫んだ。
「はっ」
 息を呑んだシメオンに、ミスティの怒りの鉄拳が飛んだ。シメオンの二枚目顔は、一瞬凝集されたみたいに顔の真ん中にパーツが偏った。ぶっ、と散らばる霧のような鼻血。
 だが、ミスティは止めなかった。右、左とリズム良く繰り出されるパンチは、天性のボクサーを思わせる。両手指が真っ赤に染まるのも構わず、ミスティは殴り続けた。
 シメオンがぐうの音も出ないと分っていても、反撃の余裕が無いと分っていても。殴られて軽い脳震盪を起こしたシメオンは、冷たい床に背中から倒れ込んだ。
「ぐへ」
「まぁだまだぁ!」
 ミスティは、床上数センチのところまで後頭部を落下させた瞬間、シメオンの襟首を掴み上げた。まるでフットボールの楕円形ボールを扱うがごとく、ミスティは右脚でシメオンの下腹を蹴った。
 酒臭い涎が床に散った。シメオンは、約二メートル程吹っ飛んで、伸び切った大男の一人に折り重なった。胃の中の内容物を全部外へぶち撒ける。
「あーら、いけない子ね。お家の外で粗相をしたら、自分で後始末しなさいって、ママに習わなかったかしら?」
 ミスティは、シメオンの頭に靴底を押し付けた。
 最早、シメオンは立ち上がる気力も無い。朦朧とした死魚のような目付きで、天井を向いているだけだ。
 シメオンは、抗い難い力で、自分の吐瀉物に頬を埋めた。
「お舐め」
 ミスティは、踏み付けた足に力を込めた。
「お舐めと言ったらお舐め!全部きれいに舐め取るのよ」
「ひー!やめて下さいって、ミスティ様ぁ!」
 ソーシー・スーは、蒼褪めた顔で叫んだ。思わず見入ってしまったのだが、漸く我に返ると、何とも凄い展開になっているではないか。いや、少し続きが見たい気もしないでもないが。
 ソーシー・スーは、ミスティの腕に縋った。
「離しなさいよ、上官に楯突くつもり!?こいつはサイテー野郎よ!蛆虫以下」
「いっ、いえ。そうじゃなくて。こいつを殺したら、ダメですよう」
「そうそう。手札は多いほうが良いに決まってる」
 横槍を入れたのは、甘いバリトンテナーだった。ミスティは振り返るや、猛然と右肘を反動付けて後へ回した。
 アーチは突き出された肘を軽く掴むと、素早く後ろ手に回した。
「いっ、痛たたた!なっ、何をするのよ」
「キミとオレの間でこれから何をする、なんて聞くだけ野暮ってもんだぜ」
「うー・・・」
 何かに憑かれたかのように、ミスティは静かになった。いや、失神させられたのだった。軽く頚動脈を押さえられて、脳貧血を起こしたようだった。
「ふん。気が強い女って、案外とあしらいやすいと思わないか?」
 アーチはソーシー・スーに向かって言った。
「は、はァ。難しいことは分んないけど、オレ、兄貴を尊敬するなァ」
「難しい事なんかないぜ。暴れさせておいて、疲れたら適当に巧ーく諭してやればいいんだよ」
 その暴れさせて置く、というのが普通の男に出来るものかな、とソーシー・スーは疑問に思った。そんな女あしらいは、生まれて初めて聞いた。
 アーチは、軽々とミスティ・サファイアの重い体を担ぎ上げると、振り返った。
「お前、それかついで来い」
 視線が差しているものは、一つ。血と汚物に塗れたシメオン・ハパスだった。
「えええー!そんなァ。酷いじゃないですか!」
「担げなかったら、引き摺って来いって」
 アーチは平然と言う。
「・・・そういう問題じゃあないと思うんだけどな。こんなんアリ?簡単に人を尊敬するもんじゃあないな、もう」
 ソーシー・スーはぼやきつつ、シメオンの両足を抱えて引き摺り始めた。

 リロードの時間を数えながら、ジンは振り向いた。マグナム弾をぐっとフリー・リコイルの大きい弾丸に入れ替える。いつもの様子とは具合が違うではないか。まず、大男を倒すのに馬鹿みたいに時間を費やした。最初から虎の子の《スーパー・ブラックホーク8IN425》、通称ファントム弾にしておけば楽だった。
 ジンは、後方のジョー・クリサンスマムを見遣った。
 ジョーは、弾丸を変えていない。
 いや、有事以外変える気はまるでないようだ。相変わらず丸い頭の弾丸を、跳弾も構わず撃つ。基本的に、人殺しをしないつもりだ。神父としての気遣いか。
「おい・・・」
 紫煙を立ち昇らせ、ジョーは話し掛けた。
 視線を戻したジンの視界に、暗い男の影が映った。
 次の瞬間、微かに閃いた光が、ジンの目の前に迫った。
 ガチン。
 弾け飛んだナイフの刃が、ジンの左頬を掠め、ジョーの肩先を逸れて、壁にぶつかった。刃は、真っ二つに折れていた。壁に当たった衝撃の所為ではない。ジンが咄嗟に放ったファントム弾が、ナイフの進路を変え、なおかつ刃を砕いたのだった。
 既に、敵はジン・スティンガーの鼻先と呼べるほど近距離まで迫っていた。
 それも独りで。
 浅黒く精悍な面差しの男。全身を覆った黒い衣装を押し上げるようにして、男の鍛え上げられた筋肉が漲っていた。ぱっと見よりも、そう、男の肉体は優れて引き締まっているに違いなかった。
「パウダーガン使いか・・・」
 ジャファル・アル・ハラーンは、低く呟いた。
「だが、今回は珍しくもないか」
「手前ェが親玉、ってことは幾らなんでも在り得ねえな。クソったれ」
 ジンは、吐き捨てるように言った。
「私は只の雇われ者に過ぎない。故に、躊躇い無く闖入者を歓待出来るというものだ」
 ジャファル・アル・ハラーンは、冷静な口調で言った。両手に握られた古刀ハルパーを、十字に構える。
 身震いを感じた。ジンは、背中が粟立ち、全身の毛穴と言う毛穴が縮み上がるのを感じた。
「こいつ。ホンモノの暗殺者」
 直感だ。力と力、血を流し合った者同士に分る互いの力量。ジンは、流石に自分の未熟を知った。眼前の男は、百戦錬磨のアサッシンに違いない。何処をとってもまるで隙が無い。
 《BBW》のグラッド・アイを上回る、刃物の使い手である事は確かだ。
 40フリー・リコイル・エネルギーを超えるファントム弾を放つに、相手に不足は無い。
「だが、オレにはあんたを撃つ理由はねえな」
「・・・?」
「お嬢サマが自由になれば、オレはあんた達とは無関係だ」
 ジャファル・アル・ハラーンは首を振った。
「そこの神父服は、ヴァティカンの手の者だろう?我がヌォーヴォ・ニザリに立ち入って、このような真似をしておいて用が済んだらさっさと帰るとは。少し虫が良すぎるのではないかな?」
 ジョーは、ぎょっとなった。神父服だったからではない。面が割れると、非常にこれからやりにくいな、と思っただけだ。
「げげ。オレなんかに標的を変えんでもよかろうに」
 と、ジョーは舌を出した。
「あー。オレは、別にあんた方と直接敵対してるわけじゃあなし。そんな恐い顔しなくてもなぁ」
 こいつ、ど素人かよ、とジンはげんなりした。ジョーがエキセントリックなのは判り切っているが、無心を装うにしても、稚拙すぎる。
「てな理由が通用する筈もないか」
「異教徒の排除はアッラーの御心。ムハマド・ビン・イスマイリこそ第七代イマーム。我々は、正統イマームの後裔。異教徒が口出し無用。それとも改宗する気があると?」
「とんでもねえ」
 ジョーは首を振った。ジンはサングラスの下で、目をぱちくりする。
「イマームって何だよ、イマームって?」
「預言者ムハマッドの後継者の事だ。こんな時に訊くなってえの」
 ジャファル・アル・ハラーンは、じりじりと間合いを詰めた。僅かずつ、ジンとジョーとの間を調整しながら、頃合を見計らっていた。二人に一人では、巧妙な刀使いでも、不利である事は間違い無かった。
「はっ」
 ジャファル・アル・ハラーンは、クロスさせた両腕を払った。同時に、閃光のごとくハルパーが放たれた。理論的に言えば、初速にして百数十キロを下らないファントム弾と、人の手から放たれる刃物とでは、比べようも無い。
 だが、弾丸の直線的な動きに比して、刃物は自在だ。
 予測に違わず、ジャファル・アル・ハラーンの投げたハルパーは、それぞれ微妙なカーヴを描いた。
 ジンは、テンガロン・ハットを押さえて上半身を沈めた。
 切先が耳元を掠める。それだけで、全身が震えた。
 ジャファル・アル・ハラーンは、すかさず次のナイフを構えた。全身、発条のようにしなるや、第二弾が放たれる。
 間一髪、その攻撃をジンは免れた。
 ジャファル・アル・ハラーンは、まるで反対方向にハルパーを投げ放っていた。
「あ・・・」
 思わず、ジンは息を呑んだ。三本目のハルパーは、既に後方の男の手に握られていた。
 アーチレリー・ブールヴァルドの美貌が、憎憎しいまでも涼しげに映った。
 くそう。オイシイ所を持って行きやがって、とジンは歯軋りした。
「オレに飛び道具は、ほぼ無効だ。そいつの《ブラックホーク》が抱えたファントム弾すら、箸で掴めちゃう。尤も、箸があればのハナシだがね」
 ハッタリなどではない事は、ハルパーを素手で掴んだ事実が物語っていた。ジャファル・アル・ハラーンは、額に滲んだ汗を意識した。
「貴様もフォーティファイドか」
「言っておくが、オレ様が本家本元だ。似非フォーティファイドなんか子飼いにしやがって。あのマッチョ男達。全部倒すのに苦労したぜ」
「あ。この野郎、全部自分で倒したような口聞きやがって!」
 と、ジンは我を忘れて拳を握った。油断も隙もねえ相棒だ。
 ジャファル・アル・ハラーンは、暫しその場に釘付けにされた。相手に不足は無いが、幾ら歴戦の勇士とて、強化人間相手に立ち回るのは、この状況ではどうかと判断された。無論、フォーティファイドの弱点は知っている。
 だが、優男の肩にはミスティ・サファイアが抱えられていた。
 喉元を狙うには、余りに危険と抱き合わせだ。女を傷付けては、元も子も無い。
「・・・あんたも大変だったろう?こんな手の付けられないじゃじゃ馬の面倒見るのは」
 アーチは、平然として言った。
「もう、遅いぞ」
 ジャファル・アル・ハラーンは言った。
「ヌォーヴォ・ニザリは、その女巡検使を使って取り引きする筈だった。既に、グドブラーン老師はヴァティカンに密偵を放った。女が連れ戻されたと知ったなら、事態はどうなるか・・・」
 ジョーは、アーチと視線を合わせた。アーチは視線で返答をした。どうにでもなる。
 この場で、ジャファル・アル・ハラーンの命を奪っても、無意味だ。ミスティを返しても、同じ事だ。まして、連れ帰っても結果は同じ。ならば、答えは選択するまでもない。
 踏み込んだ時点で、回答は一つしか許されない。
 ジンは、対峙するムスリムの男と、我が相棒を見比べた。釈然としない思いが、ジンの胸を過ぎる。
「気に食わねえ」
 ジョーは、乾いた唇を歪めて言った。殺気立った空気が静かに沈殿した。
「お宅らの要求は大体読めてる。だが、そのお嬢さんと枢機卿会・・・いや、異端審問所とは無関係だ。たまたま、うちの所長と彼女が血縁だったというだけの話だ。オレは気に食わねえな。そういう遣り方は」
 ジョーの声だけが、重々しくジオフロントに響く。
 流石に年の功、とジンは思った。ジョーの発言は、三人の男の思うところを見事に集約している。こういう時にこそ、少しでも年長の人間の意見は、威厳を発揮するというものだ。譬え普段がどうであれ。
「私の意向ではない」
 ジャファル・アル・ハラーンは短く答えた。漲っていた闘気は、既に昇華されつつあった。
「『イマームの堕落した子孫よりも、奉仕者である事を選ぶ』か」
 アーチは、独り言のように言った。ジョーの声を聞いた後では、かなりソフトに聞こえた。ジャファル・アル・ハラーンの瞳が、見開かれた。
「・・・・・・」
 アーチは、ジャファル・アル・ハラーンの脇を擦り抜けた。ジョー・クリサンスマムは、《パイソン・ブラザーサン》を、僧服の下のホルスターに収めた。入れ替わりで出現したシケモクを咥え、ジョーは歩き出す。
「行けよ。若いの」
 ジャファル・アル・ハラーンは、ジンの背中に向かって言った。
「いい腕だ」
「・・・あんたには敵わねえが、な」
 ジンは世辞でなく、本心を洩らした。左頬が痛む錯覚に、一瞬捉われ掛けた。
「今度会う時は、地獄で、か?」
「我々に地獄は存在しない。現世も次の世も、同じ姿で同じ様に過ごすだけだ」
 ジャファル・アル・ハラーンは独り言のように言った。地を這うような、低く重い言葉が、沈んだ。ジンは、疲労が回り始めた全身を引き摺るようにして、その場を離れた。
 ややあってジャファル・アル・ハラーンは、歩き始めた。落ちたハルパーを拾う気にもならなかった。向かって、小柄な東洋人が走ってくる。悪臭を放つシメオン・ハパスの体を引き摺ったソーシー・スーだった。ソーシー・スーは、暗殺者の姿に目もくれず、すれ違った。
「はぁ、はぁ。皆、何処行っちまったんだよ!酷いじゃないかぁ!」
 
 サンチャゴ・エル・ブランコの市街地に、賑わいが増して来た。カーニヴァル本番、牛追いは明日に迫っていた。中継ぎ貿易と観光で潤うこのオアシスに、活気が漲っている。
 空は高く、空気は乾いて熱かった。
 オープン・カッフェで、真昼間から地ビールをかっくらっているのは、お気楽神父ジョー・クリサンスマムだった。
「ぷっはあ!美味いぜ。一仕事終えた後の一杯は」
「・・・・・・」
「どうした?プレミオーロ。お前さんも飲らねえか?」
「・・・・・・」
 ジン・スティンガーは、既に出来上がりつつあるジョーの顔をじろり、と上目遣いで見た。応えは無い。
「あ、そう。残念だねえ。この太陽の光にも似て輝く黄金色といい、乙女の柔肌のごとくきめ細かい泡といい、爽やかな喉濾しといい、仄かな人生のエッセンスのような苦味といい、それはそれは素晴らしいのに!実に残念だ」
 ジョーは言い、ジョッキを干した。ジンは、テーブルの上に頬杖をついたまま、雑踏を眺めた。ジョーの言葉など、まるで耳に入らないかのようだ。
「なあ」
 ジョーは、突然真顔になって言った。
「気になる事があるのなら、本人に聞いてみればいいじゃないか」
「別に、どうってことはない」
 ジョーは赤ら顔を、ずい、とジンに近付けた。やや酒臭い息が、ジンの頬に掛かる。
「無理すんな。お前さんの言いたい事は、分るぜ。二人の遣り取りが気になる・・・だろ?」
 ジンは黙って、砂糖を入れないカッフェを口にした。
 二人とは、アーチレリー・ブールヴァルドとジャファル・アル・ハラーンの事だ。
 ヴァティカンで、この一と月程何があったのかは、政事に疎いジンでも知っていた。教皇シクトゥス13世ばかりか、異端審問所及びグレナデン・サフィール枢機卿が狙われた事も。
 その事とヌォーヴォ・ニザリが関係している事は、ジョーから今し方聞いたばかりだ。だが、今一つしっくりと来ない。
 それは何故か。
「ヤツは何で、いろいろ知ってんだ?」
「ドットーレ・ブールヴァルドの事かい?」
 ジョーは、五杯目のジョッキをテーブルに置いた。
「・・・お前さん、あの男と何年付き合ってんの?」
「丸三年」
「今頃気付くとは、相当鈍い。鈍いぜ!あの男は、オレ達が知らないような事を知ってる。枢機卿の姪御であるミスティお姉さまでさえ、知らないような事をだ。何故か分るか?」
 ジンは、ジョーの問い掛けに首を振った。
「アーチの祖父さんは、教皇報道秘書官長だった高名な学者だ。親父さんは、これまた世界的に有名な遺伝子工学者で、科学アカデミーにいたこともある。いずれもヴァティカンの内部に深ーく関わってんだよ。本人は兎も角な」
 ジョーは、冗談でなく至って真面目に答えた。ジンは、サングラスを鼻の頭まで押し下げ、ジョーを睥睨した。
「成る程なぁ」
「これは、オレの憶測に過ぎないが。・・・あいつがフォーティファイド、いやレミンカイネンて、倫理上はどうかと思うような強化人間である理由と、関係あると思うがな」
「そういや、そんな事今まで訊いた事もなかったな・・・」
 ジンは言った。出会って最初は滅法印象が悪かったが、そのお蔭で余計な事も一切訊く事はしなかったし、またお互いの過去を詮索もしなかった。三年余りの間。
 ジンは、アーチが所謂フォーティファイドであるのは、軍隊経験があるからなのだと、勝手に思っていた。それも除隊者はノーマルに戻される、というのを最近まで知らなかったのだ。
 ジョーは、ニヤリと唇を薄くして笑い、顎の無精髭を撫でた。
 実際、ジョーはもっと勘繰る所もあったが、それはジンには言わぬが花。それに、確かな事ではない。
「だからな。あいつはお前さんが好きなんだと思うぜ」
「・・・気色悪ィな」
 ジンは仏頂面を作って見せた。だが、悪い気はしなかった。ジョーの握っていたジョッキを奪い、ぐびぐびと飲み干す。
「あ!オレの・・・」
「るせェ。頼めばいいんだろ。おうーい、ネエチャン。ビール持ってきてくんな!」
 遠くであいよ、と中年女の声がした。ジョーは、本当は腹を抱えて笑い出したい気分だった。

 Essere occupato !―いま取り込み中、の文字を書いた紙が、ドアに貼り付けられていた。
 ドアに耳を付けてみたが、何も聞こえて来ない。聞こえないのは妙だが、聞こえても気になる。ソーシー・スーは、うーん、と腕組みした。
「何してるんだろう?ええ?何して・・・」
 バン。矢庭に扉が開いた。びっくり仰天したソーシー・スーは、壁際に飛び、尻餅をついた。もう少しで、階段から転げ落ちる寸前だった。
「寝てるよ」
 ドアノブに手を掛けたまま、アーチは言った。白衣も着ないでノーネクタイだと、しけたホストにも見える瞬間がある。
 ソーシー・スーは、恐る恐る這い出して、部屋の中を覗いた。
 古びたベッドの上に艶やかな栗色の髪が流れているのが見えた。耳を澄ませば、寝息が聞こえた。
「じゃ、取り込み中って、何なんですかァ?」
「取り込み中はオレ。仕事だよ、仕事。邪魔すんな」
 アーチは無愛想に言って、再びドアを閉めた。鍵を掛ける音がした。
「でも・・・」
 オレの研修はどうなるんでしょうか、と言う暇も無かった。ソーシー・スーは、その場に座り込んでしまった。ミスティ・サファイアが起きるまでは、致し方無いのだろうか。とほほ、とソーシー・スーは項垂れた。
「さて」
 机に戻ろうとしたアーチは、一瞬ぎょっとなり、ややあって先客の存在に苦笑を浮かべた。ベッドはシーツが乱暴に剥がされていた。お世辞にも座り心地が良いとはいえない椅子に、ミスティが脚を組んで座っていた。
「放っといて頂戴よ、あのバカぼん。ったく、お蔭でえらい目に遭ったわよ」
 ノート型の超軽量パーソナル・コンピュータの前で、ミスティは文句を垂れた。通信画面に切り替えようとしていたところだった。
「取り敢えず、おじさまに連絡を取らなくちゃ」
 化粧っ気のない顔に、生気が戻っている。身に着けているものは、男物の白いカッターシャツと黒いズボンだ。苛々を押さえるように、スリッパが足先で揺れている。
「・・・何よ?」
「いや。別に」
 アーチは所在無さげに、応えた。書き掛けの論文はもしかして、保存されていないのではなかろうか、と一瞬心配になったのだが。
「それでもアナタ、あのカプージョ(包茎ヤロウ)を殺すなと言ったわよね?」
 ミスティは作業をやめ、大きな潤んだ瞳でアーチを見上げた。カプージョとは、無論シメオン・ハパスの事だった。当の本人は、さんざか殴られた挙句、簀巻きにされてこの家の地下室に眠らされる筈だった。それは、ミスティの提案に他ならない。
 だが、幾ら腐れ外道でも、今無理に殺すこともあるまい、と止めたのがアーチだった。エミリオがいい迷惑だから。
「医者だもん。一応」
「よ、よくもその口でそんな事が言えたわね!?」
 ミスティは、椅子を蹴倒す程の勢いで立ち上がった。
 空口笛を吹くアーチのシャツの襟元を、掴み上げる。軟な男なら、そのまま押し倒されて、踏ん付けられそうな剣幕だ。
「私はどうなるのよ、私は!」
「適切な処置をしたじゃないか。殺精子剤の強力なヤツぶち込んでおいたし、その《リヴァイアサン》とやらは、常習性もなさそうだし。念の為に血液検査もしといたから大丈夫」
 あっけらかんと、アーチは答える。
「そういう問題じゃないわよ。アナタ」
 ミスティは、据わった目付きで言った。上気した頬が、奇妙に色っぽい。だが、急にその目尻が下がった。
「・・・何が悲しくて、アナタみたいな人でなしのお世話にならなきゃいけないのよ」
「人でなし。まあ、そう言えばそうかな」
「人でなしで悪かったら、ロクデナシよ。顔だけの男。冷血漢。銭ゲバ。お××こさえついてれば誰でも構わない女たらし。打算で動くエゴイスト。無神経で他人の心の傷みが分らない鬼畜!」
 ミスティは、力任せにぐいぐいとアーチの体を机に押し付けた。
 遣り場の無い怒りをぶつけているのが判るだけに、アーチは黙っていた。
 いわれの無い悪口を受ける身としては、今一つ納得いかないものの、悪い気分じゃない。女性に可愛げなく拗ねられるよりは、無茶苦茶を言われる方が男冥利に尽きるというものだ。とはいえ、反論すれば、余計にエスカレートするのは目に見えている。
 だが、黙っていても怒るんだよナ、こういう時の女って。
「人でなしでロクデナシで冷血漢で、銭ゲバで打算的なエゴイストで女たらしで手癖の悪い、乗り逃げ野郎の、おたんこなすなオレにはキミの傷みは分らないな。冗談抜きでさ、キミがぐちょぐちょのでろでろに蹂躙されてるのを見たら、オレ的に興奮するだろうなぁ」
「・・・そこまでは言ってないわよ。兎に角、鉛の鞍なんか乗せられて『お馬さんごっこ』なんてねぇ。そんな物見たい?面白くも何とも無いわよ!・・・はぁ。何だか、バカバカしくなって来たわ」
 ミスティは、手を離した。今度は、アーチがミスティの腕を掴む番だった。
「あんなくだらない男を殺すと、却ってキミの経歴に傷が付くぞ」
 ふん、とミスティは鼻を鳴らした。先程までの昂ぶった感情は、すっかり拭い去られていた。吐き出したらすっきりした、という顔だ。
「本気で心配してんだぜ。オレは。冷血漢とでも何とでも言ってくれて結構だがな」
「・・・どういう風の吹き回し?」
 いつもの、異様なまでに甘ったるい毒気を抜かれるような口説き文句ではない。
「言葉のまんまさ。それに、どうせ殺るなら、もっとマシな男をな」
「マシな男ねぇ」
 ミスティの呟きが、アーチの鼻先に甘い息を被せた。
「例えば、手始めにオレとか」
「よく言うわ。死なないクセに」
 アーチは無遠慮に、ミスティの背中に右腕を回し、豊かな髪の下から項を探る。ミスティは、酔ったように軽く瞬きした。怒りの後の燻りは、すっかり方向転換していた。
「でも、『猛毒を吐く』とおじさまに言われた、この唇が効くかしらね?」
「オレのA10(テン)神経を麻痺させてみろよ」
「さあ。どうかしら」
 ミスティは、まだ閉じられていないアーチの唇を吸った。柔らかい舌先が、敏捷にアーチの舌を誘い込んだ。饒舌なミスティの唇を捉えて、アーチは舌をゆっくりと粘着質に絡めた。ミスティの上半身が重さと熱っぽさを増して、アーチの胸に圧し掛かった。
「効き目は無いようね」
 唇と唇の間に透明な糸が引いた。
「そんな事ないぜ。天にも昇る心地・・・」
 アーチは、ミスティの腰骨の上で引っ掛かっている股上の浅い、男物のズボンのジッパーに手を掛けた。勢い余って壊れたが、却ってそれはミスティの女を刺激した。女が男を欲した時の、獣じみた匂いがアーチの鼻腔を擽った。
 素早く、ミスティはアーチのシャツのボタンを外していた。重たく凝った両の乳房が、直に触れる。見事な釣鐘型の隆起が、アーチの硬い筋肉質の胸に押し潰された。
「おかしな男よねぇ、アナタって。時々ティーンエイジャーにも、ひどく年寄りっぽくも見えるわよ」
 アーチは、答えなかった。開いた両腿の間に顔を埋めるようにして唇を中てると、ミスティは生乾きの柔らかい金髪に十指を滑り込ませた。
「ああ・・・駄目。・・・声が出ちゃう・・・でも、やめたらもっと駄目」
 頭皮に血が滲みそうな程爪を立て、ミスティは虎の唸りのように、低くぐるぐると喉を鳴らした。
 互いの服を脱がせながら、二人の激しい息遣いが部屋に籠る。不測の事態とはいえ、アーチはドアに目張りをしてなかったのを少しだけ後悔した。
 
 目張りの心配は無用。派手な喘ぎ声もここまでは届かない。しかも地下室は、それどころでは無かった。
「ぶは」
 強かに水を頭から掛けられて、シメオン・ハパスは目覚めた。天井が見える。その手前に東洋人の扁平な顔と、褐色の肌の少女の顔が見えた。
「なっ、何しやがる手前!」
 シメオンは、起き上がろうとして藻掻いたが、無駄に終った。両手両足もろとも、細いワイヤで縛られていた。シメオンは、木偶人形のように冷たい床に転がされていた。
「寝すぎだ、バーカ」
 ソーシー・スーは、シメオンの間抜け面を見下ろした。水を吐き出そうとしたが、身動きできないので、シメオンはごぼごぼと無様な音を立てながら、カルキ臭い水を嚥下した。勿論、飲料用水ではない。
「・・・げべ。こぉのクソガキ共!こんな所に閉じ込めやがって!」
「オレじゃない。オレの教官の命令だからな」
 ソーシー・スーは勝ち誇ったように言った。右手には、まだ水の入ったポリタンクを提げている。
「ホントなら殺しちゃってもいい、って言われてんだけど。兄貴の大温情でやめてやったよ」
「兄貴ィ?」
 シメオンは、余計頭にきた。あの一見軽薄そうな、ひょろっとした得体の知れない馬鹿力の優男か。色男に温情をかけられたところで、嬉しくないどころか劣等感を煽られるだけだ。
 ジャファル・アル・ハラーンにも憎悪を抱いたが、今すぐ殺したい男を挙げろ、と言われたら真っ先にあの優男だ。遺伝子に率直なのが、シメオンの美徳だ。
「そろそろ、オレも仕事に戻らなくちゃ」
 ソーシー・スーは言い、右手に握った《ルガー・マークU・サイレンシア》をシメオンの額に押し当てた。
「ちょ、ちょい待ち!アカンよ、ここは」
 ピーチィ・フィズがソーシー・スーの腕に縋った。
「他所の家やで。汚したらアカンて」
「ふ。汚したらキレイキレイにして貰うだけじゃん!自分で舐め取ってなぁ〜」
 ソーシー・スーは不気味な笑顔を作って見せた。シメオンは、血の気が引いた。何というガキ共だ。いや、巡検使とは、神の特使の皮を被った悪魔に違いない。
「ヌォーヴォ・ニザリの事を全部ゲロってしまいな」
 ソーシー・スーは、セフティを外した。《ルガー・マークU・サイレンシア》は、ダブルアクション・オートマチック。後はトリガーを引きさえすれば、シメオンの額に風穴が開く。それも、ごく静かにだ。
「オ、オレは只の使いっパシリだ!何にも知らねえってよ。ドラッグ売って小遣い稼ぎしてただけだよう。聞けよぉ」
「にしちゃあ、えらく顔パスって感じィ?違うか?」
 《ルガー・マークU・サイレンシア》のトリガーが、カチカチと遊びを鳴らす。
「ちっ、違いませんっともぉ!そうです!おいらはグドブラーン老師に取り入って、ここらのドラッグの流しを、一手に請け負って、私服を肥やしておりましたぁーっ!」
「ふむ。それだけでも、本来は巡検使として許せないよねぇ。ヴァティカン直轄地のこのサンチャゴ・エル・ブランコで、そんな非合法な事を勝手にされても」
「アンタ『補』やろ『補』。巡検使補」
 と、すかさず入ったピーチィの突っ込みは無視して、ソーシー・スーは続けた。
「それがどういう罪に当たるか知っててやってんの?えーと、確かヴァティカン規定薬物取締法第1条、及び3条、6条、13条・・・以下省略。に違反するよ。しかも聖ドミニク刑法第21条、第138条、第359条にも違反してるし。誘拐及び婦女暴行、傷害罪な。そんだけ違反したら、最低でも懲役七十年、罰金五千万ダッシュは下らないな」
「な、七十年。五千万」
「模範囚として執行猶予付きで出て来ても、アンタよぼよぼのジジイだよ。出て来ないほうが幸せなんでないの?」
 ソーシー・スーはにんまりと白い歯を見せて笑った。
「ゲ、ゲロったらどうなるんだ?」
「さあ。多少はマシになるかもな。協力的だという事で情状酌量とか・・・」
 シメオンの目が潤んだ。助けを乞うような目付き。ソーシー・スーは些か不愉快な気分を自分自身に隠し切れなかった。本当は、こういう事をしたくて巡検使を目指しているのでは無い。だが、手段を選んでいる場合ではない。
 シメオンは、べらべらとヌォーヴォ・ニザリの計画を喋り出した。経緯は、ソーシー・スー達が踏み込んだ時に見た通りだったが、どうやらそのお蔭で少々今後の動向が狂ったと見える。いや、大幅に変更せざるを得ないようだ。
「・・・知らねえぞ、お前ら。あの女が人質になってたら、ヤツらは当然ヴァティカン上層部の枢機卿会とやらに脅迫する手筈だったんだ。まあ、グズグズしてたヤツらも間抜けだがな」
 シメオンは虚勢を張って、低い笑いを洩らした。
「脅迫の仕様がなけりゃ、何もする必要なんてないじゃないか」
「バカガキ!このまま黙ってると思うか?あの暗殺者集団がよ。じぇったい、じぇったいにお前らに報復しに来るぜ」
 今度は、シメオンが優勢を勝ち取ったかのように言った。
「報復・・・」
「だけじゃねえ。ヤツら、返す刀でまたヴァティカンに殴り込むかも知れねえなあ!?はっはっ」
 ソーシー・スーは、トリガーに掛けた指を僅かに震わせた。
「どないすんの?報復?何かえらい事言うてるー」
 ピーチィは蒼褪めた顔で、ソーシー・スーを見遣った。ソーシー・スーの表情も硬直していた。
「そうなりゃあ、お前ら全員生きてここを出られねえよなあ!?当然、あの女もだ。今度は死ぬまでヤラれるぞ。死ぬまでなぁ。見てえなあ。ああ、見てえ!あの女のキレイなお顔がザーメンででろでろに汚れてるの。ケツおっ立ててよがってるの。サイッコーだぜぇ」
「・・・無視無視」
 ソーシー・スーは、目がテンになっているピーチィの背中を押した。シメオンの変態性を少女が知ったところで、百害あって一利無しだ。
 蹴りつけてやるのも、靴がちびるからやめだ。ソーシー・スーは、力任せにポリタンクを投げ捨てた。

 
第四章に続く
   

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