第十四話
 〜ディジトゥス・デイ 神の指  disitus dei


終章 神は天に在り、世は総て事も無し  
 
(1)
 
 オレの研究は遅々として進まなかった。パリへ戻らなければ、当然だ。ジョルジュは一向にメールの一つも寄越さないし、オレの実験材料はエコール・ド・パリの研究室にある冷蔵庫の中に、置きっぱなしだった。
 何もしないのも性分に合わないので、オレはキオッジャの自宅の整理を始めた。オヤジの研究関係のものは、大概大学に置いてあり、自宅はほぼプライヴェートなものばかりだ。オレは何の躊躇いも無く、それらを段ボール箱に詰め込んで、裏手の焼却場へと運んだ。
 置いていたって仕方が無いだろう。この家は、放置しておいてもやがて潮風と湿気に遣られて、朽ちていくだけだ。もう、メンテナンスする必要が無い。それに、一ぺんに二人も死人を出しては、ゲンを担ぐこの辺りの人間は移り住まないだろう。
 だから、オレはパリに戻るまでに生活に必要最低限の物以外は、処分することに決めたのだ。
 当然、マリーナ・ビアジョッティの私物もだ。
 いや、私物かどうかは判らない。
 オレはマリーナの事など何も知らないままに、彼女を死に追い遣る結果になった事など、決して後悔していない。
 死にたいヤツは勝手に死ぬがいい。人間は、肝心な時は誰かの手を借りる事なんて出来はしない。
 マリーナが、オヤジの研究に異を唱える理論武装でガチガチの反科学万能主義者であったとしても、最早それはオレにとってはどうでもいい事だ。
 もしかしたら、いや、もしかしないでも本当はオヤジでなく、オレだけを殺したかったのだ。
 だが、マリーナは自分の手でオレを殺す事を実現しなかった。
 その答えは、まだ見えていなかった。
 二階から降りたところで玄関へ急ぎ、郵便受けを覗く。一通の葉書が入っていた。今時葉書など珍しい。パソコンすら満足に繋げないすごい田舎か辺境から投函したのだろう。消印を示すパンチングホールが、アラビア文字だった。
「ティクス・コリンズ。・・・コリンズ博士だ」
 数年ぶりの音信に、オレは訝しい気持ちと不思議な喜びを同時に味わった。ティクス・コリンズはオヤジの大学の後輩にあたる人物だ。ルイ・パストゥール研究所に在籍していたのだが、ほぼ五年ほど前、急に退職して田舎へ引っ込んだとオヤジから聞いていた。オレも何度か会った記憶がある。
 葉書を見詰めているうちに、チャイムの音に気付いた。オレは抱えたダンボール箱を放り出し、再び玄関へ急いだ。先程から、随分と鳴らしていたように思えたが、まるでオレは気付かなかった。
「やあ、こんにちは」
 ドアを開けるや、見知らぬ男が挨拶してきたので、オレは少々面食らった。ソフト帽を被ったダスターコートの男は、一見オヤジと同じ位の年恰好に思われた。
「ラリー・ヤコブセンだ」
 青い透き通るような瞳の男は、そう名乗って帽子を脱いだ。顔は中高で、若かりし頃の美貌を留めていたが、額は見事に禿げ上がっていた。
 オレは、リヴィングに置いてある一葉の写真を思い出した。集合写真の中で、オヤジの右隣にいた金髪の男だ。
「初めまして、ドットーレ・ヤコブセン」
 オレは丁重に言い、右手を差し出した。だが、ヤコブセンは一瞬躊躇った。オレの顔を見て、胡乱げに瞳を泳がせた。
 数秒後、オレの右手が握り損ねたのは、手首から先の無いヤコブセンの右手だった。
「・・・すいません」
「いや。いつもの事だがね。義手くらい簡単で精巧なのは幾らでもあるが、どうも性に合わなくて」
 と、ヤコブセンは照れたように答えた。
 右手首を無くしたのは、アルジェリアの内戦の時だと、ヤコブセンは言った。ヴァティカンの派遣救命隊として戦地に赴いた時のことだというので、そう昔の事ではない。オレがオヤジに連れられてコンスタンチーヌの町を訪れるほんの二、三年前の事だ。
「追悼式には出席出来なくて、申し訳無い」
「いえ。大変だったんです、父と義母両方の関係者に加えてマスコミの対応でしょう。オレもいい加減疲れてきて、誰が誰だか判らなかったくらいです。こうしてわざわざ尋ねて下さる方が有り難いというもんですよ」
 オレの大人びた口調に、ヤコブセンは目を丸くした。オレは、ヤコブセンをがらんとした室内へ案内した。
「でも、生憎ですが、ここももうじき引き払う事に」
「そのようだな」
 ヤコブセンは、部屋を見回した。
 オレはキッチンへ行き、淹れたてのカッフェを白いカップに注ぎつつ、ヤコブセンの横顔を遠くから見た。
「ドットーレは、今どちらに?」
「自国に、デンマークに戻って診療所をね。研究所は負傷した時に退職したんだよ」
 オレは、熱いカップをヤコブセンに差し出した。凍りつくように縮こまっていたヤコブセンの左手が、白い陶器を包んだ。
「しかし・・・」
 ヤコブセンは、暫し狼狽の色を押さえきれないといった顔で、オレを見た。
「どうかなさいましたか?」
「いや。ちょっと驚いただけだ」
「両親が死んで間もないというのに、この変わり身の早さは、と?」
 ヤコブセンは、首を横に振った。
「キミがあまりにもお爺様に似ていたものでね」

 いい加減、御人好しバカのオレでも、気付いたというものだ。
 ジイサンがオレに残した物は、IQ220という超秀才頭脳だけでは無かったようだ。
 ヤコブセンは、核心に迫った何かを話し出す時に決まって躊躇を見せるように、例外なくオレの顔色を考慮して言ったのだ。
「ジャックとはユーロ研以来同僚でね。彼が単独に行おうとしていた実験を、私も手伝った。尤も、総てに関わった訳じゃない。ジャックは、殆ど我々を寄せ付けないようにしていたからな」
「レミンカイネンの製造ですか」
 オレは、あっさりと自分からその答えを出した。暗鬱な答えを他人から聞く程、無意味な事はこれ以上無い、というくらい淡々と。
「ジャックは、そうして生まれて来る子供を自分の子供として養育すると言っていた。勿論、世間的には実子として」
 ヤコブセンは、色素の薄い瞳をオレに向けた。何処か、社会に背を向けた感じの漂う瞳に思えたのは、気の所為だけでは無いだろう。
「実子も何も、オレはオヤジの子供ですよ」
 オレの言葉に、ヤコブセンは再び首を振った。
「確かにキミはジャックとドットレッサ・イズカラグア・マルティノーの生んだ子供だ。だが、卵子は兎も角、精子はジャックの物ではない」
「・・・・・・?」
 ああ、そうか。そういう事だったのか。オレは、黙って苦笑を浮かべるだけだった。
「ジャックが最初の結婚をした時に判ったそうだが、彼は無精子症でね。先天的なものに加えて様々な後天的要素で以って、生殖機能に異常をきたしている事が判明したんだ。本人は、冗談めかして『遊び放題』だのと言っていたが・・・」
 肉体労働者に比して、精神的ストレスの多いホワイトカラーの生殖能力が減退する事は、数多の実験で証明されている。まして、オヤジの職場は物理的にも危険だ。放射能もあれば、劇薬に触れる事もあろう。ウイルス感染の危険も高い。後天的要素は、そんなところだろう。
 だが、オレが教会で追悼式の間抱いていた懸念は、一挙に無駄だった事が証明された。
 成る程、イズカラグア以降、ヴィットリアやシモーネに子供が生まれなかった訳だ。
「一体誰が精子提供者なのかと思っていたんだが・・・」
「皆まで仰られてもオレは構いません」
 と、オレは遠慮がちに口を噤んだヤコブセンに向かって言った。
 だが、ヤコブセンに二の句を継ぐ勇気は無かったようだ。
 オレは、頭脳ばかりかオレという身体そのものが、オヤジの息子であり、オヤジの父親でもあった訳だ。
 どうだろう。
 こんな馬鹿馬鹿しい話は。
 尤も、青天の霹靂という程の衝撃は、オレには感じられなかった。考えも及ばないという事実では無かったからだ。薄々は、オレも奇妙に感じていた。
 オレは、オヤジの偏執的な性質に反吐を催しそうになるかとさえ予想したが、結局はげんなりしただけに終った。
 人間は普通、自分が遺伝子的にも教育上も父親であるという幻想、或いは願望を抱いているものだ。いやしくも、それは己の遺伝子を残さんが為の無意識の生存競争的戦略である事に相違無い。
 オヤジがどう考えていたのか、オレには見える。遺伝子学的に言って、自分の係累の遺伝子を残す事が無意識下に義務付けられている以上、オヤジは選択せざるを得なかった。見知らぬ赤の他人を育てるよりは、か。
 それとも、ジイサンに愛憎半ばだったオヤジが、ジイサンの染色体を半分受け継いだオレをどうするつもりだったのか。
 今となっては知る由もない。
 只、オヤジがバカだったことは一つ。自己の性質は知らず知らずの内に、子供にも伝染するということを知り得ていなかったのだ。
 オヤジがジイサンに抱いた感情と似たものを、オレもオヤジに抱いたのは否定出来ない。それはある意味人類永遠の命題ともいえた。子はいずれ親を殺さなくてはいけない。実質的にも精神的にも。
 それから小一時間程経って、ラリー・ヤコブセンは帰って行った。オレがヤコブセンに会ったのは、この時だけだ。
 その後、数年経ってヴァティカン科学アカデミー宛に一通の訃報が届いた。
 ラリー・ヤコブセンの死亡通知だった。
 その時、オレは戦場にいた。戦場からその訃報を聞いたのだった。

 ヴェネツィア大学から呼ばれて、オレはオヤジとマリーナの遺品を引き取りに行った。
 天候はすぐれず、朝からやはり小雪が舞い散るような寒い日だった。オレは、御多分に洩れず、微熱を発していた。マリーナに撃たれた直後からの事だ。処置が遅くなったので、やはり直りも遅かった。
 三角巾に吊るされた不自由な右手を庇いながら、オレは指示だけを大学院生に与え、荷物の整理を終えた時には、午後三時を回っていた。
 オヤジの研究は、総て大学研究室に受け継がれるそうだ。
 オレは、酷く虚脱感に苛まれていた。熱の所為だけでは無い。
 せわしなく動く、オレよりも年長の学生達を見渡しながら、オレは思った。
 オヤジの研究の何れも、表面的に残されているものなど、ただの残りカス以外の何物でもない。オヤジのキチガイじみた科学者魂は、オレの中に凝縮されている。決して存在が許されるとは思わない、人造人間に使われているのだ、諸君は。
 お笑いか、哀れな道化と見るかは別として。
 オレは、荷物を自宅に運送する手配だけ済ませると、大学を後にした。
 ラグーナにも雪は等しく降り注ぐ。オレは水上バイクを走らせ、何故か自宅へは戻らずに《ディジトゥス・デイ》を目指した。
 マーリオは、笑顔でオレを迎えた。
 《ディ・フェッロ・ラミエラ》の殆どは接合が完成し、巨大な不沈空母は既に都市らしい外形を見せ始めていた。
 漸くアドリア海の女王らしい雰囲気が出て来たというものだ。
「もうじきパリに戻るんでね」
 と、オレはマーリオに言った。
 マーリオは、頷いた。濃い顎髭に雪が積もり始めていた。防寒着の上から作業員用の薄いヤッケを身に着けている。ヤッケのフードを被っていても、やはり雪は西風に吹かれて流れ、容赦無くマーリオの顔を撫でていった。
「《神の指》という名前を、以前話しただろう?」
 マーリオは、防寒着のポケットからスキットルを取り出した。使い古した牛皮を巻きつけた黒いスキットルだった。マーリオは口を付け、ややあって白い息を吐き出した。ブランデーの香りが仄かに漂った。
 スキットルを差し出すマーリオの左手を、オレはさりげなく遮った。オレのダウンジャケットの懐には、ホット・レモネード入りのスキットルが入っている。
「寒い時は、これがいちばんだ」
「オレは酒は強くないから」
 マーリオは、屈託無く笑った。その笑顔が何時になく空虚に見えたのは、気の所為だったか。
「で。《神の指》なんだが・・・イタリア半島の形は皆ブーツのようだというだろう?オレは、この形はそうじゃない。人差指だと思うんだ」
「似てなくも無いけどな」
 多少の無理はあるとしても、ヨーロッパ大陸という拳から突き出した指に見えなくもない。
「それに、ヴェネツィアはさらにその指から突き出した第二の指だ。それで《神の指》と名付けたんだ」
「マーリオが?」
「ああ。元ネタはキミの親父さんが言っていた言葉だが」
 オレは、マーリオの赤くなった鼻先を見詰めた。その先には、ラグーナの黒い波があった。
「『神は自分の姿に似せて人を造ったというが、人はその神に似せた物を造る事が可能だろうか?この手で、神のものと同じ手指で』と」
 オレは睫毛に凍り付いた雪を瞬きで溶かした。熱にぼんやりとなった瞳の下から、透明な涙が表面を覆った。
「出来っこないに決まってる」
 オレは答えた。
「そう思うか?」
「ああ。人間は所詮人間でしかない。人の造るものは人以外に何がある?機械だ何だと言っても、詰まる所は人の都合いいだけの存在に過ぎない」
 ふ、と笑ってマーリオはタバコを咥えた。マーリオは、咥えてから暫く防寒着を弄ったり、ズボンの尻ポケットを探っていた。だが、ライターは見付からなかったようだ。
 オレは言った。
「火を貸してやろうか?」
「ああ・・・」
 向き直ったマーリオの目が大きく見開かれた。思わず、タバコを落とし掛けて、マーリオは息を呑んだ。
 オレは三角巾を取り払っていた。右手に握り締められたリヴォルヴァー、《キングコブラ・バニッシュメント》の銃口が、マーリオの顔面に向いていた。

 マーリオは、肩を竦めた。
「えらく凝った作りのライターだな。早く引き金を引いて点けてくれよ」
「本当に引いていいのか?」
 オレは冷めた口調で応えた。
「少々これは火力が強くて、人の頭くらいは吹っ飛ぶかも知れないけど」
「おいおい、冗談はよせよ!」
 マーリオは両手をホールドアップの形にして、一歩後退した。風は強まった。マーリオのヤッケのフードは、既に剥がされていた。髪に白い粉雪が散りばめられた。
「何のつもりなんだ?」
 オレは、にこりと微笑んだ。
「再現してみただけさ。オヤジがここを訊ねた時の」
「・・・・・・」
 マーリオは、もう一歩後退した。
「キミは・・・」
 マーリオは、片頬に苦笑を押し上げた。煮え切らないような自嘲的な笑みだった。
「あんたは、自分でわざとオレに解答を見せたんだ。さっきの言葉が、総てだ。オヤジが言ったという《神の指》」
 オレは抑揚の無い声で言った。喉に言葉が貼り付く。熱の所為だろう。
 皆まで言ってしまえば、それは陳腐な事情説明にしかならない。だが、オレはある時点からマーリオに疑念を抱いていたのだ。ディアーヌに似たあの少女が、《ディジトゥス・デイ》に現れた時。
 あまりにもマーリオの反応はは自然過ぎて、不気味だった。
 オレがフォーティファイドだという事を、マーリオは知っていたからだ。
「マリーナはあんたと同じ穴の狢というワケかい?」
 マーリオは、依然としてオレの今後の出方を伺っているような雰囲気で、沈黙していた。
「何処までどうやって調べ上げたのか知らないが、ディアーヌの事まで随分と御丁寧に。見た事も無い少女を代役に立てて、しかも雇い主自身が殺してしまうなんてのは、よくある事なんだろうがな」
 オレは熱に浮かされたように、とうとうと喋った。自分で自分のボルテージを上げているような自殺的な行為とも思えるが、実際のところ、オレはそんなに熱くなってはいなかった。
「オレ達の家族問題に首を突っ込むなんて、下世話もいいところだ。バカオヤジは、若い女に血道をあげちまって。あんたの用意周到かつ緻密な揺さぶり作戦は、世間知らずのオヤジには滅法効いただろうがな」
 マーリオは、動かなかった。
「抜けよ」
 オレは言い放った。風が、語尾を吹き消した。
「あんたもその防寒着の下に、ファントム弾をブチ込んだリヴォルヴァーを隠し持ってるんだろう?」
「はは。何を言い出すんだ」
 マーリオは、この期に及んでまだシラケ切った猿芝居を演じたいらしかった。オレは、どちらかというと気が長い方だが、いいかげんこの寒さと内奥から神経を苛む熱とで、焦慮を抑え切れそうにない。
 マーリオの表情が、俄にどす黒く曇った。
「・・・オレとジャックは、昔は、本当にいい友達だったよ」
 昔話という訳か。オレはだが、びびりもしないし、呆れもしない。ただ無機的にマーリオの吐き出す音声と記号を分析して、判断するのみだ。それしか手が無い。
「だが、肉体の距離が離れてしまうと心までもが離れてしまうのは、逃れがたい運命だな」
「運命など、それは自己憐憫と惨めなマスターベーションの言い違えだ」
 オレは自嘲を含めて、言った。《キングコブラ》の銃口は、微動だにせずマーリオの額の真ん中を狙っていた。
 マーリオは、さすがに年の功だけあって、未熟なオレの胸中に燻っていた火種を起こそう起こそうと、不穏な風を言葉に変えて送りつつあった。
「ま。そうイキがるもんじゃない。親父さんは、自ら誰とも容れ合わない世界へ没頭していったようなもんだ。オレとジャックのどちらが常識的かなんて、世間一般の評価などどうでもいいにしたって」
「確かにオヤジはどうしようもないイカレポンチさ。捐介で、非常識で、女好きで、同僚からは疎まれて、本当の友人なんかいたかどうか分りはしない」
 オレの舌刀には、多分の毒が含まれていた。だが、マーリオは至って静かに聞いていた。むしろ、動揺を隠し切れなくなっていたのは、オレの方だったのかも知れない。
「だが、オヤジはオレにとっては唯一の肉親だった事だけは確かだ」
 オレは止めなかった。止めようにも、勝手に湧き上がって来るのがどうしようもない感情の奔流というものだ。まるでアクア・アルタのようにオレは止め処なく押し寄せる高潮に身を委ねるしか無かった。
「譬えオヤジがオレを『完璧に創り上げたピュグマリオン』にしようとしていたにしたってだ。その為に何人殺そうが、美貌と才能をレミンカイネンに利用する為に実母と結婚したとしてもだ」
 造られた頭脳、造られた美貌、造られた肉体。だが、オレの意思は誰にも造られていない。
「それで仇討ちか?そんなものは今時流行らないが」
「・・・あんたも発想が貧困な男だな」
 オレは、渇き切って崩れかけた冷笑を、マーリオに浴びせた。
 オレは反吐が出そうになるのを堪えながら、立っていた。
 ともすれば、突風に薙ぎ倒されそうなテントの蔭に。作業員は、ここにはいない。既に作業は佳境に差し掛かっていて、歴史的建造物の移築準備に動員されていた。
 人は、大いなる勘違いで人との関係を結び付けている。親子も恋人同士も同じだ。相手が愛してくれるのではない。自分を愛して初めて相手を好いている事が分るのだ。
 オレにあるのは、「オレを息子として養育してくれたオヤジを好きだったオレ自身」を殺す目的だけだ。
 一つの関係を失ったオレは、直ちに死ななければならない。死して後に、新たなオレが生まれるだろう。
 オレは、オヤジという存在を失った時点でそれを出来ずにいた。
 だから、オレは自身に引導を渡さねばならなかった。
「ただ・・・」
 マーリオは唇を歪めた。挙げていた両手が、ゆっくりと下ろされる。
「《神の領域》に踏み込んで、戻って来た者は、一人だっていやしない」


終章(2)へつづく
 

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