第十五話
 〜嘆きのカルヴァドス  Il fucile disperazione in spalla 
(前編)


ひたすら荒野を行く二人の男がいる。
一人は己の生きる場所を求め、一人は己の死に場所を求めて。
第一章 硝煙街道  BLESSED ARE THOSE WHOSE LAWLESS DEEDS ARE FORGIVEN,AND WHOSE SINS ARE COVERED 

(1)

 ここはハイハット・ロード。別名《硝煙街道》ともいう。
 かつて有象無象の荒稼ぎの話あり、その数倍もの荒くれどもあり。賞金稼ぎがディアスポラ中から熱狂して集まったという、ハイハットの町。
 舗装されていない道路には、常に荒くれ男達が先を争って通った四輪や二輪の轍が残り、その傍らに身包み剥ぎ取られた屍が、点々と転がっていたという。通る者は必ず、硝煙とガンオイルの匂いを嗅いだものだ。
 無法者の時代。
 今や、すっかり《硝煙街道》も整備され、かつて累々たる屍や打ち棄てられた銃器など、まるで面影も無い。
 大戦後、ヴァティカンの統治下に置かれたこの殖民の町は、すっかり南欧州の田舎町に似てしまった。
 平穏そのものだ。
「そうでもないすよ」
 と、答えたのは、町外れのガス・スタンドの店員だ。ニキビ顔を顰め、店員は町を睨んだ。
「昔は兎も角、最近UP(国際警察)の出張署が出来てさ。死人は出ないけど、結構、物騒な揉め事もあるんだよね。ほら、ここらは周辺がムスリムの部族ばっかだしね」
 ガスを入れる手が時々止まるのが、気になる。ミスティ・サファイアは自由な右手で長いブルネットを掻き上げ、腰に手を当てた。
 遥か遠方になだらかな山脈が見える。本当は、今からあの連峰を越える長いアウト・ストラーダ(高速道路)に入らねばならない。ジョー・クリサンスマムは既に峠を越えただろうか。いや、長距離バスではそう移動出来まい。
「UPの出張署ねぇ。二年前には無かった筈だけど」
「アウト・ストラーダがハイハットまで延びるからだって。勿論、このスタンドも半年前に出来たばかりでさ」
 店員の視線は、心なしかミスティの胸元に集中する。無理もあるまい。暑さで、ボディースーツのジッパーは、胸の中ほどまで下ろされていた。
 大仰なロザリオと、些か窮屈そうにムチムチした胸の谷間に汗が流れる。
 汗を流したい、とミスティは思った。このまま高速道路に乗れば、この三十度を下らない気温のまま丸一日は着の身着のままだ。それは幾ら旅なれている特務巡検使とはいえ、勘弁願いたかった。季節は初秋だというのに。気違いじみた暑さだ。
 それにしても、UPの連中は何を企んでいる。
「繁盛してるの?見たところ、客は私だけ。店員もアナタだけでしょう?」
 と、ミスティは心中と裏腹に世間話などしてみた。
「いや。毎日六、七人てとこで。今朝は二人来たよ。でかいバイク…あんたのと同じくらいでかいのに乗った男二人連れと、女の子。あんまりヒマなんで、カッフェ出してやったら、二時間ほど喋って行ったよ」
 店員は、愉快そうに笑った。まだ笑うとあどけない表情になる。
「おかしな連中だったな。ハイハットへ行くんだとかで、『黒服の男を知らないか?』と訊かれたけど。『そういや随分前にあやしい男が来た』と言ったら、血相変えてたよ。テンガロン・ハット被った男の方がね」
「それって、サングラスを掛けた、左頬に傷のある男?」
「あ、そうそう。もう一人は、金髪のどえらい男前でね」
「その男はド派手なネクタイ締めてなかった?」
「ド派手っつーか、斬新というかね。高そうだったけど。え?もしかしてお客さん、お知り合い?」
 ミスティは、唇に微笑を浮かべた。
「…他人の空似かしら」
 店員は、ガスタンクのコックを締めた。IDカードの電子マネー払いだ。店員は手早くカードを返し、ミスティは愛車《スレイプニル22F》に颯爽と跨る。
「ありがとう。ハイハットの町へは真っ直ぐ道なりでよかったわよね?」
「ええ。まいどー」
 既に、ミスティの耳には店員の声が遠く掠れて聞こえていた。
 
 何処か饐えた空気が漂う。ルビィ・ホワイトは、看板を磨きながら、真昼の空を見上げた。
 朝晩はぐっと冷え込むものの、日中は少し動けば汗ばむ気温だ。
 ルビィのアップした髪の後れ毛は、吸い付くように首筋に貼り付いていた。
「よう。今日も精が出るこったねぇ」
 ルビィの耳元で、粘着いた囁きが響いた。
「仕事の邪魔をしないで頂戴」
 きっ、とルビィは目尻を吊り上げて振り向いた。丸い目が鋭く細まった。
 眼前に立っているのは、小山ほどもある巨体のモヒカン刈り大男と針のように細い体躯の禿頭男、そしてやや小太りの眼鏡男。計三人だ。
「アナタ達の顔を見ると反吐が出る」
 小太りの男は、眼鏡の弦を押し上げて言った。
「そんな恐い顔は似合わないよ、ルビィ。そんなキツイ言葉は、小さくて赤い、宝石のような唇にも」
「おえ」
 ルビィは、そっぽを向いた。また看板を磨く作業に戻る。無視された男達は、互いに顔を見合わせた。
「こんな安酒しか置いてない店の看板なんか、磨いてもしょうがないだろう?」
 ルビィは無視し続けた。
「何度も同じ事を言わせるなよ。早いとこ売りに出せよ」
「そうだとも。そうだとも」
 勝手な事を、と思いつつルビィは固く絞った雑巾を持つ手が震えた。
「折角バランサー様が、100万ダッシュもくれてやろうってんだ。こんな店にだよ。さっさと抵当権渡せよ。でないと、口出しするだけじゃあ済まないぞ」
「手も出しちゃうぞ」
「お前だって、只じゃ済まないぞ」
 三人の男は口々に言った。厭らしい笑いが、くくくと洩れ聞こえた。これにはルビィもさすがに、堪忍袋の緒が切れたと見える。
「るっさいわねえ!」
 雑巾が飛んだ。使い古した布の、最も汚れた部分が小太りの男に命中した。一瞬、男は視界が消えて茫然としたが、漸く事態が飲み込めると、怒りが沸々と湧き出したようだ。
「きっさまあ〜」
「ああら、手が滑ったわ。ごめんなさい」
 わざとらしく答えるルビィの手に、男たちの手が伸びようとした時である。
 酒場の扉が勢い良く開いた。
 薄暗い店の中から、痩せた男がのっそりと現れる。
「うへえ」
 三人の男達は、慌てて腕を引っ込めた。
「マスター」
 男は、安堵の声で呼び掛けるルビィに一瞥をくれると、短い階段を下りてきた。
 肩まで垂れたざんばら髪は、黒く縮れている。その間から光る目が三人の男達を射すくめた。とても、痩せこけた冴えない中年男に似つかわしくない鋭い眼光だった。年齢は、四十代後半か五十代といったところだろう。
「…何の用だ?」
「な、何の用もクソもあるもんか。再三忠告した筈だぞ。お前ら立ち退かないと、ロクな目に遭わないとな」
 小太りの男は、体躯の愚鈍さに反して早口で捲くし立てた。
 マスターと呼ばれた男は、ふん、と鼻で笑った。
「結構。立ち退くのはオレ一人なら結構だが、この娘が何と言うかな?」
「私は立ち退きません!」
 ルビィはきっぱりと答えた。赤味を帯びたブラウンの瞳に、強い意志が湛えられている。
「という訳だ」
 男が言うや否や、二人の後ろで控えていた大男の両腕が伸びた。がっ、とマスターの首を掴む。だが、マスターは別段驚きも怯む様子も無く、為すがままになった。
「何すんのよ!このとんちき!」
 ルビィは血相変えて、大男に向かっていった。素手では如何ともし難いので、がぶりと筋肉鎧のような腕に齧り付く。
「ぎゃ!」
「離しなさいよ!野蛮人。暴力に訴えるなんて、サイテー!」
「そう。サイテー」
 ぎょ。一同は振り向いた。五人の中には無い声だった。
 傾き掛けた陽光を背に、二つのシルエットが聳えていた。一つはテンガロン・ハットの男。一つは長い白衣の裾をはためかせて。
「お嬢さん。そんな汚い雑菌だらけの腕なんか噛んだら、病気になっちゃうぜ」
 白衣の男が言った。顔は逆光で見えないが、声は良く通って甘い響きだ。
 あら、いやだ、とルビィは後退った。
「雑菌だらけだとう!?」
「表皮には雑菌も兎も角、細菌がいなければ逆に不健康だ。ガサガサの皮膚になりたいのなら、そうしてやろうか?強力アルカリ石鹸売ってやるから」 
「ぬぬ。寝ぼけた事を抜かしやがって!お前ら流れ者だな?」
 小太りの男は、薄ら笑いを浮かべて言った。
 痩せ細った男が、腰の武器を抜いた。軽量ハンド・ブラスターだ。そこらの武器屋で売っている家庭用に出力を制限されたものだ。だが、素手の相手に無闇に向ける程軟な物ではない。
 赤い閃光が流れた。
「うほ」
 と、大袈裟にテンガロン・ハットの男は避けて見せる。横飛びでブラスターの光線を交わしつつ、右手はヒップホルスターに滑り込んだ。正確なグリップが、シングルアクション・リヴォルヴァーの長い銃身を撥ね上げた。
 ガウン。
 キンキン、と二つの空薬莢が跳ねた。銃声は一つ。
 そして、ハンマーコックから、トリガープルまでの速度はおよそ0コンマ6秒。
「あ?」
 一瞬、何が起こったか見等も付かない三人の男達は、ぽかんと大口を開いていた。銃声すら遠くの出来事のように思えた。マスターは、三人の延長線上にある位置で、やや身動ぎしただけだった。瞠目している。
 うおお、と大男が声を上げた。
「お、お前その頭はぁ!」
 小太り男が絶叫した。大男自慢のモヒカンは、虎刈りのように焼け焦げていた。巨体だと神経伝達も鈍いのだろうか、実に今頃になって衝撃に目を回してふらついている。
「お前だって、そのエモノは…」
「ぎょ」
 針金男の手にしたブラスターは、無残に銃口からフロントサイトが吹っ飛んでいた。手離さなかっただけでも大したものだが、そこはそれ。
「次はお前の番かな。その眼鏡は安物か?」
 テンガロン・ハットの男は、パウダーガンの銃口を小太り男の目間に向けた。
「ぬううううう!」
 歯軋りする小太り男の腕を、針金男と大男が引っ張った。二人の男は既に逃げの態勢に入っていた。
「ここは引け、ここは!」
「許せん!何だあの銃はァ?」
「兎に角出直しだ」
 三人の男は、口々に喚きながらも酒場から遠退いて行った。
 ふ、とまだ熱い銃口を吹き、バンダナで拭いながらテンガロン・ハットの男はパウダーガンを仕舞った。
 ルビィが二人に駆け寄る。
「何方か御存知ないですけど、どうも有難う」
「いえ、美しいお嬢さん。貴女のような健気な方が困っているのを見過ごすなんて、神罰が下りますよ」
 白衣の男は言った。ルビィは、長身の男の顔を見上げた。陽光に映える金髪も眩い、白皙麗顔の若い男だ。ルビィは、一目で心臓が高鳴った。顔が火照る。甘い声に脳髄が蕩けそうだ。
 だが、ルビィは瞬きを一つ。我に返る。
「でも、アナタじゃないわね。御礼を言うべきは」
「何だ、ちゃんと見てたのか。しっかり者」
 ルビィは向き直って、テンガロン・ハットの男に手を延べた。男は慌てて右手を差し出す。
「ジン・スティンガーだ」
 マスターは、男とルビィが握手する姿を一瞥すると、無言のまま店内に戻った。

 《虹の掛け橋亭》という名称が正式の酒場に、灯りが点った。
 アーチレリー・ブールヴァルドは、カウンターの片隅で脚を組み換えた。脛から下は、男が見ても惚れ惚れするような長さだ。
 酒は然程強くない。だが、飲まれてしまう程弱くない。先刻から、傾けるゴブレットの中にはグラッパの赤い液体が絶える事は無かった。
「マスター、このグラッパは三十年物だろう?」
 アーチは店内を見回しながら言った。ルビィ・ホワイトがくるくると良く立ち働いている姿が、目に飛び込んで来た。清潔な白いエプロンに、丈の短いタイト・スカートから伸びた脚は真っ直ぐで形良い。姿勢も好い。赤味を帯びた髪は、下ろせば腰まで届くかも知れない。ふっくらとした頬が健康的で、とりわけ唇の形が綺麗なのは、姿好しの条件を満たしていた。
 口元が汚い女は、幾らお洒落でもいけない、とアーチは常々思っている。
 そのルビィに何故か、エプロン姿のジン・スティンガーがくっ付いて回っている。エプロンというのどかな格好でもサングラスを外さないところが、奇妙奇天烈だ。
 マスターの名はエンリケという。酒場は町に幾つもあるが、ここはエンリケの店とも呼ばれていた。
 エンリケは、店の看板を上げてからも、相変わらず櫛の通ってない湿っぽい髪を垂らして、酒を作っていた。顔は良く見えないが、あまり色が良くない。
「よく判るな。パッサーノ・デル・グラッパ産の三十二年物だ。滅多と手に入らない物だ。お前さん、随分舌が肥えているな」
「懐かしい物が置いてあると思ってね。昔は、オフクロからカッフェ・コレット(グラッパ入りコーヒー)にして飲ませて貰った記憶がある。生まれがヴェネツィアで、酒は物心付いた時から、付き合いで飲んでいた。だけど、強くは無い」
 アーチは、プレーンノットに結んだネクタイを緩めた。
「付き合いとはな」
 エンリケは軽く笑って呟いた。
 グラッパは北部イタリア産の酒。別名「火の酒」とも呼ばれる。かつてはこの酒をめぐって戦争まで行われたという。一般的になってからも、グラッパは北部イタリア人に愛される酒として、ディアスポラの殖民都市に広まった。
「いい娘(こ)だな。器量はいいし、よく働くし、頭も良さそうで。少々、気が強そうだが」
「女はちょっと気が強いくらいが、可愛げがあるってもんだ」
「同感だヨ。あの娘は只の御手伝いじゃあるまい?」
「ああ。あの娘こそがこの店のオーナーだ」
 エンリケは水割りを作りながら、答えた。アーチは、エンリケの右手を観察した。マドラーを挟んで混ぜる人差指と親指が一瞬離れる。指の又に角質が見える。それもかなり年期の入った。
 アーチは悟られないように、そっと視線をテーブルに伏せた。
「先代のオーナーの一人娘でな。まだ先代のオヤジが生きている時に、流れ者だったオレをここで雇ってくれた。それからだ」
 エンリケは、淡々と事実のみを語った。
「それで彼女に立ち退きの話を」
「…面白くもねえ話だ。アウト・ストラーダを通すというんで、この店周辺を狙っている土建屋がいる。バランサーというヤツだが、もうかれこれ半年は手下連中が来て、嫌がらせをしてるもんでな」
「でぶ、やせ、肉の三人組か」
 アーチは譬えて言った。
「それはしかし、土建屋の仕事じゃないだろう?国土省の管轄だ」
「本来はそうだ」
 どうやら話向きによると、国土省の職員はあまり仕事熱心ではない。それどころか、バランサーに付入られるまま、袖の下でも頂戴して、後は任せっきりなのだろう。
「でぇ」
 アーチの背中をどやしつける声が飛んで来た。
「何でお前が悠長に飲んでて、オレが働いてんのよ?」
 ジンは、すこぽん、とステンレスのトレイをアーチの頭に載せた。
「痛いな、もう。オレに給仕させないと言ったのは、あの娘だぞ。『ホストクラブみたいになるから止せ』ってだな」
「ホストクラブ?店が繁盛していいじゃねえか」
「そういう問題じゃないんだとさ」
 アーチは頭を撫でながら、言った。
「なら洗い物でもやれ。働け」
「オレの肌はデリケートなんだよ。洗い物なんて出来るか」
 そうそう。と、カウンターの奥から少女の声が割って入った。ピーチィ・フィズだった。洗い物の途中で出て来たので、手が泡だらけだ。
「洗い場は間に合うてる。御医者様にそんな事させたらアカンで。このバチ当たり」
 と、ジンに舌鋒を向ける。ジンは、口を急角度のへの字に曲げた。
「クソガキ。何抜かす?こいつがサンチャゴ・エル・ブランコでロメロ家から礼金を貰い損ねたお蔭で、こうなってんだぞ」
「それを言うなら、アンタが賞金首の一つでもとっ捕まえたらええんちゃうの?ゴク潰し」
「ゴク潰しはお前だ!何にもしないでくっついてるだけだろーが」
「失敬やな。へたれプレミオーロ(賞金稼ぎ)」
「へたれとは何だァ?オレ様に恐れをなして、皆逃げ惑ってるんじゃあねえか」
「かーっ。自惚れもええ加減にしたら?」
 カウンターを挟んで舌戦を繰り広げ始めているジンとピーチィは置いておいて、アーチは再びグラッパを飲み始めた。喉の奥が熱い。心地良い熱さが、ともすれば安らかな睡眠さえ誘うだろう。

 酒場の扉が開いた。女っ気の殆どない《虹の掛け橋亭》に、むさ苦しい男が集まるのは、ルビィの愛らしい姿を見るのも目的の一つだ。
 御多分に漏れず、またその内の一人が店内に飛び込んで来た。
「ネッロ」
 ルビィは、空の瓶を載せたトレイを抱えたまま、茫然と男を見た。ネッロと呼ばれた男は、ルビィを一瞥してからカウンターに歩み寄った。誰の目にも、ネッロは派手な喧嘩の後だと知れる様相だった。
 埃塗れのベストに濃いブルージーンには、油汚れが臭う。
 ぼさぼさの長髪には、自分の血か誰の血か判らないが、赤黒い液体がこびり付いており、右目の下には擦過傷が認められた。いずれ青痣も出てくるだろうが、喧嘩したてのほやほやなので、派手な傷しか目に見えない。
「またやったのね。今タオルを持って来るからね」
 ルビィは動揺もせず、むしろ呆れた表情でトレイを置き、洗い場の奥に走って行った。
「マスター、いつものくれ」
 ネッロは丸椅子にどっかと腰を落とした。左脇から、すっと空のグラスが差し出される。ネッロは咄嗟に険しい表情で振り向いた。
 見たことも無いような金髪の男前が、優雅な仕草でグラッパの瓶とグラスを携えて座っていた。如何にもシンプルな黒いシャツに派手な深紅のネクタイ、黒いスムースの革パンときては、服装にかなりのこだわりを示しているように見えた。
 ネッロは、鼻白んだ。
「…男におごられる理由はねえよ」
「ヴィンテージ物のグラッパだぞ。それとも、先に傷の手当てをしてやろうか?」
「はぁ?」
「オレは流しの医者でね」
 アーチは、足元のジュラルミン・ケースを指差した。ネッロは、首を振った。
「要らねえよ。ツバ付けて二、三日も放っときゃ、治る。それとも、あんたオレをカモにしてぼったくろうって魂胆じゃねえだろうな?」
「ばれたか」
 アーチは肩を竦めた。グラッパをグラスに手ずから注ぎながら、久々の客だったのに、と呟く。
 ネッロは言葉も無く、グラスを受け取り、グラッパを一気に干した。エンリケは、ネッロが飲み干したのを見届けると、いつものバーボンをロックで出した。
「連中なら、昼間も此処へ来たぞ」
 エンリケは、言葉短く言った。それが、でぶ、やせ、肉の三人組を差している事は言うまでもない。
「暇な野郎だな、つくづく。一体毎日毎日来たって、無意味じゃねえか。尤も、誰がなんと言おうがオレは土地を渡す気はねえ」
 ネッロは言った。アーチは、長い睫毛を瞬かせた。
「おたくもか」
「あんた事情を知ってんのか。ここいら一帯は、土建屋バランサーのヤツに買収されかかってんだよ。オレの所は、向こう隣のドラッグストアだ」
 ネッロは、苦々しい表情を浮かべて入口の方向を指差した。黒い髪に日焼けした肌。剽悍な雰囲気のユーラシア系混血児のようだ。あまりドラッグストアのオーナーという感じは受けない。しかも、まだ見ればアーチと似たり寄ったりの年齢だろう。
「ったく、誰が好き好んで先祖伝来の土地を譲らにゃならねえんだ。ま、先祖っつってもたかだか三代くらい前だがよ」
 ルビィが濡れタオルを運んで来た。丁寧に汚れを拭ってやるのかと思いきや、ルビィはカウンターにどんと置いて踵を返した。
「使い終わったら、カウンターの隅に置いておいてね」
 と、さっさとホールに戻って行く。愛想無しな対応だが、ネッロは文句言いたげな目付きを送るだけで、ルビィはまるで何処吹く風だった。
 ネッロは、固く絞った濡れタオルで顔を拭きながら、大きく息を吐いた。
「…もう半分ほどは、端金でさっさと土地を売っ払っちまったようだ。ハイハットを出て何処へ行くつもりか知らねえが、ムスリムの連中が多い他所の土地ではなかなか商売も遣り難いんだ」
「アウト・ストラーダの建設予定は?」
「半年後だ。だから、どうしても後三ヶ月以内には全部立ち退かせないといけないらしいな。それが、三年掛かって半分だってんで、連中も焦ってやがる」
「そうそう簡単にいく訳がない。何だって国土省はそんないい加減な計画を立てたんだか」
 アーチは訝った。
 ネッロは、バーボンの琥珀色した液体を舐めながら、にやりと笑った。
「だがな、一つだけ立ち退かなくていい方法がある」
「まさか」
「パウダーガンの試合だ」
 ネッロは得意げに腕を組んだ。酒場は、賑わいつつあった。
「《称号》保持者と試合をして、勝ったら立ち退かなくてもいいんだ」
「予めの建設予定地を外して道路を通すということかい?」
「そう。勝者は、自分の土地だけじゃなく、好きなように注文付けられるって訳だ」
 アーチは、黙ってグラッパを注いだ。ボトルは既に三分の一ほどの赤い液体しか残していない。
「…何か可笑しいか?」
 ネッロは、眉を顰めてアーチを見据えた。黒い双眸に不審な色が浮んでいる。アーチは、ネッロに横顔を向けたまま、右手を軽く振った。
「いや。《称号》にも通りがあるが、果たしてそんな手垂れの人間がこの町にいるのか?」
 アーチは、オリーヴグリーンの瞳をネッロに向けた。決して険しい目付きでも侮蔑の視線でも無い。飽く迄冷静な目付きだった。
「オレがやるさ」
 ネッロは、きっぱりと答えた。瞳は笑っていなかった。真剣そのものだった。アーチは、舌先で自分の下唇に残った赤い雫を舐めた。
 がらがらがっしゃん。
 グラスが複数割れる音が、響いた。派手に鳴らしたものだ。だが、割った当人は唖然としている。ピーチィは、床に散らばった硝子の破片など目に入らないかのように、慌ててエンリケに駆け寄った。
「お、おっちゃん!」
 カウンターの奥、エンリケは床に横倒れていた。グラス磨きの布巾を握ったまま。必死で呼び起こすピーチィの声も届かない。
「どないしたんや、おっちゃん!」
 アーチはグラスを置いて立ち上がると、素早い動作でカウンターの向こうに回った。茫然と見下ろすネッロとピーチィを尻目に、アーチはエンリケの脈を取る。額に手を当て、喉から胸を触診すると、エンリケの細いとはいえ重みのある体を担ぎ上げた。
「二階は住居だったな」
 慌てて駆け寄ったルビィに、アーチは目配せすると、エンリケを担いだまま店の奥に進んだ。
 視線が物を言う。ルビィの目は、焦点が定まらなかった。

 その男が町外れに現れた時、鴉の群れさえも姿を消した。今時、騎馬の旅姿。物珍しさで思わず観察する行商人も、目が眩んだ。黄金の輝きに似た、男の茶色い肌膚は、日焼けではなく天然の地肌色だ。
 帽子の下の短く刈り込まれた髪は、白い。象牙色に似た柔らかい白だった。
 男は無髭だ。ムスリムではないという誇示の為か、或いは彫りの深い顔付きだが似合わないのか。
 纏ったインバネスは駱駝色をした分厚い布地で、そこから手綱を握る二本の頑丈な腕が伸びていた。
 空は茜色に染まっていた。
 ミスティ・サファイアは、男と対峙した瞬間、全身に鳥肌が立つのを覚えた。毛穴という毛穴が凝縮する。汗さえも引いた。
 ガス・スタンドを出てから彼女を悩ませていた靴擦れの痛みさえ。
 馬は、ブルブルと小刻みに鼻先を震わせて、ミスティの方を向いていた。ミスティは、愛車《スレイプニル22F》に跨ったままだ。
 男は帽子の下から、漸く顔を見せた。金色味を帯びた琥珀の瞳が光る。男は沈黙を守ったまま、ミスティを見詰めた。お互いに間合いを詰める気は無い。
 真っ向から男の視線を受けて留まる人間は、多くない。ミスティは、暗い青の瞳を男に向けたまま、髪に手をやった。風が出て来たようだ。
「女」
 と、男は厳かに言った。
「私の視線をまともに受け止めて動じなかった女は、お前で三人目だ」
 男の声は、腹の底を浚うような趣があった。一声掛けられただけで、肝が縮み上がってしまう人間もいるだろう。
「それは光栄の至りですわ」
 ミスティはハスキー・ヴォイスで答えた。男のインバネスの下から、太いガンベルトが覗いた。パドルタイプ・サムブレイク・ホルスターに、大振りなパウダーガンが差し込まれているのが、ほんの一瞬垣間見えた。
「一人はジプシー・クイーンと名乗ったが…」
 男が次の句を言う前に、ミスティは自分の胸に手を当てて言った。
「では、私の名も記憶に留めて置いて頂けます?私は、ミスティ・サファイア」
 男は、ミスティのガンベルトに視線を遣った。まるで、それ以外には興味が無いかのように。事実、男はミスティの容貌が如何に男好きのするものであっても、無関心だった。
「ふむ。《パイソン・シスタームーン》か。左利きのパウダーガン使いがいると聞いたが、お前か」
 男の高圧的ともいえる物言いに、ミスティは不思議と腹も立たなかった。いつものミスティなら、「お前」の「お」の字が出ただけで、相手にビンタの一つも食らわせているところだが。何にせよ、他人を不快にさせない圧倒的に特殊なオーラを、男は発していたのだ。
 ぶひひひひ、と馬が顔を振るった。男は、手綱を引き、方向を変えた。
「私の名は、フリオ・ガルゴール・フラミンゴ。またの名をキューブ・ザ・フラミンゴ」
「……」
 馬はギャロップで進んで行く。馬上で揺られる後姿を見詰めながら、ミスティはハンドルを握り締めた。
「あれが《銃聖(サンテ)》、キューブ・ザ・フラミンゴ」
 手袋が汗ばんでいた。
 《神鎗》を除く《称号》保持者で、第一人者と言われるパウダーガン使い。実際に見(まみ)えるのは初めてだった。
 倣岸とも言える顔付きは、年齢不詳に見えた。ミスティが軍隊にいた時には、既に《銃聖》だったので、そう若い訳ではない。だが、年齢を超えた独特の空気は、生来のものだろう。
 そして、男が携えている銃は《レッドホーク・レイジングソウル》だ。454カスールのハンド・キャノンと謳われる強力無比なパウダーガン。あれの前では、《パイソン・シスタームーン》など、まるでヒヨッコにしか見えないだろう。
 一瞬でも、グリップに手を掛けようとした自分の性急さを、ミスティは恥じた。
 まともに相手して貰えるような男では無い。力量の違いを、僅かに交わした会話で感じた。ともあれ、これもミスティの賢明さであり、相手を見る目を持つのも実力の一つだ。
「それにしても、ハイハットへ?何の目的なのかしら」
 ミスティは、額に噴き出して来た汗を拭った。またしても、右足の小指が痛み出した。


第一章(2)に続く

 

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