第十六話
 〜嘆きのカルヴァドス Il fucile disperazione in spalla
(後編)


 第三章  血闘 WOE TO THE WORLD BECAUSE OF OFFESSES! 
  
 (2)

 《虹の掛け橋亭》に灯りが点った。ドアがゆっくりと開いた。
「いらっしゃいま…」
 ルビィは言い掛けて、破顔した。ジンが、入って来た男を見るや否や、指を鳴らしてカウンターの奥から出た。
「手前ェ、今まで何処に居たよ?」
 ジンはアーチの前にずい、と顔を近付けた。
「女のところ」
 あっさり答えると、アーチは白衣を閃かせながらジンの身体を交わし、階段の方へと向かった。右手に抱えているのは、いつも持ち歩いているモバイルだ。
「ぬけぬけと…。オレらが大変な時にだなァ」
「話せば長い。オレはオレで、いろいろ大変だったんだから」
 アーチは淡々と喋りながら、階段を上がる。そうとも、ネッロと肉男のお蔭で。女は大胆だ。あれは、ミスティが二人を引き摺って行って正解だったのだ。アーチが出て行くと、またややこしい事になりかねない。
 我ながら報われない男、ご苦労さん、とアーチは自分を労った。
「お前、話せば長いって、最近そればっか。お前の異性関係がおさかんなのはケッコーだがな…」
「うるさい!オレは医者だ。医者に治療以外の仕事を求めるな」
「手前ェ、自称『オレの守役』じゃなかったのか?」
「都合のいい時だけ言うな」
「お互い様だっつーの」
 ジンは後ろから、アーチの白衣の裾を引っ張った。振り返るアーチは、冷ややかな目付きでジンを見下ろした。ぞっとするような、凍れる瞳だった。
「……」
 その瞳が、微かに笑みを含んだ。アーチは、ふっと軽い表情に戻って唇を緩めた。ジンは、手を離した。音も無く静かに階段を上がっていく相棒の姿を、ジンは見えなくなるまで注視していた。
「どうしたの?」
 ルビィが心配気に声を掛けるまで、ジンは半ばぼんやりとしていた。
「判らねえ。アイツがあんな顔するの、久しぶりに見た」

 暑いくらいだった真昼の太陽が沈んでしまうと、肌寒さを感じる気候になった。気温の差が堪える。元々乾燥地帯特有の朝晩の寒暖差の激しさが、今夜は一段と激しかった。
「まだオレに聞きたい事が?」
 屈託無い表情で、アーチは訊いた。むしろ臆していたのは、ミスティ・サファイアの方だった。
 二人はこの世の終わりを感じさせる恐ろしい食欲で、朝昼兼用というはしたない食事を終えていた。
 ミスティは、洗い髪を風に吹かれるままに窓辺に凭れながら、頷いた。アーチは身繕いの半分以上を終えていた。一切無駄な肉の無い痩躯が、黒一色の衣装に包まれていく様は、まるで化鳥が羽繕いしているように見えた。
「あり過ぎて困るわ」
「一週間くらいフケてみる気があるか?オレと二人で、毎日えっち三昧。爛れ切った不健康な生活というのも悪くはないかも」
「業務報告に逐一書くわよ。何時から何時までナニしてましたって。それでもいいの?私は別にいいけど。おじさまに提出する訳じゃないし。その間の飲食費から何から総て経費で落としてあげるわよ」
「それは成る程、魅力的かも知れないがな。いや、そういう問題なのか?」
 とアーチは首を振った。
「なら、取り敢えずオレの方から一つだけ言っておこうか」
 と、アーチは真顔になった。
「サン・ピエトロ広場での事件のことなんだが、あれは本当はキミのおじさまを、サフィール枢機卿を狙っていたんじゃない」
「どういう意味かしら」
 ミスティは窓の外から、部屋の中に視線を移した。
「おじさまを狙ったのは、満更カモフラージュだけでもないが、実際狙われたのはキミだ」
「……?」
 ミスティは瞠目した。青い瞳の端が吊り上がる。
「おかしな事言わないで。私なんか狙ってどうするの?」
「奇妙な話だとは思わなかったか?おじさまが『帰って来い』と言うなんて。しかも、教皇の身辺警護だなんて、キミ本来の仕事とは掛け離れた事を」
 アーチは、シャツのボタンを肌蹴たまま、ショートブーツのジッパーを上げる。
「思ったわよ。でも、何となく成り行きで…」
 ミスティは険しい目付きを、アーチに向けた。
「ちょっと待ってよ。それじゃあ、まるでおじさまが私を死なせようとしたみたいな言い方ね」
「そうじゃない。話は最後まで聞けよ」
「早合点で悪かったわね」
 と、ミスティは毒づいた。
「サフィール枢機卿は、知らなかったんだ。恰も、それは姪が伯父に疑いを持つように仕向けられた巧みな罠とでもいうヤツでね」
「その張本人が、ヤン・フランツァ・ドブチェク法務省長官だというの?」
 ミスティは、向き直った。
 高々と組んだ脚が焦慮を隠しきれないように、小刻みに揺れた。
「だから、早合点はよせと言ったろ。それは、おじさまの推測でしかない。おじさまに、キミの一時帰還願いを出したのが、ドブチェク枢機卿だったというだけでな」
 うーむむむ。と、ミスティは頭を抱えて唸った。途端に子供っぽい表情になった。
「何で、私よりもアナタの方が詳しいの?」
「親心というヤツだろう。おじさまは、キミに余計な事でイライラして欲しくないと、かねがね言ってるんでね」
 アーチは、歌う様に言って襟を立て、ネクタイを首に掛けた。
「そうやっておじさま自身直接話したくない事を、アナタを通じて言ってるようなもんだわ。どうせ、それもお見通しなんでしょう?」
「さぁな」
「まさか…」
 言い掛けた言葉を、ミスティは呑み込んだ。穿った見方をしてしまう。
 生まれてこの方、ミスティは伯父の諌言や忠告をまともに聞いた試しが無い。
 業を煮やした伯父が、第三者を使って自分を上手く言い含めようとしているのではないか、と。その第三者は、ミスティ独特の癇性を適当にやり過ごすだけではいけない。
 アーチレリー・ブールヴァルドという男にこういう役目は打ってつけと、伯父は見たのではないか。
 だが、それとこれとは飽く迄別だ。
「兎にも角にも、キミが緋色の法衣に身を包む姿を見たくない、という輩が複数いるという事だろうなぁ」
 ミスティの不審顔を見詰めながら、アーチはしみじみと言った。
「私は枢機卿会にも入りたくは無いし、あの怪物じみたお爺ちゃん連中の中に入っていくなんて、御免だわ。ぞっとする」
「そんな心配は要らないぜ、多分」
 アーチは立ち上がった。手櫛で金髪を整えると、白衣を羽織る。見事に、見てくれは立派な医者の出来上がり。
「キミは端から特等席を用意されている筈だから」
「…バカバカしいわ」
 ミスティは立ち上がると、窓辺に腰を掛けた。
「オレもキミの法衣姿は想像したくないね。そのナイスバディが、ビロードの分厚い長衣の御蔭で二度と御目に掛かれなくなると思うと、残念だ」
 アーチは白衣の裾を翻し、静かに部屋を出て行った。今一つ噛み合わない会話に、虚しさを感じつつ、ミスティは窓の下を見遣った。
 通りを横切る長いシルエットが、目の端に移った。
「…ティ様」
「は?」
 眼下にソーシー・スーの顔があった。ミスティは、薄汚れた駐在所の壁際に腕を組んで凭れていた。
「どうかなさったんですか?さっきからぼんやりして」
 訝るソーシー・スーに、ミスティはきつい眼差しを向けた。
「私だって考え事くらいするわよ」
 にしては、奇妙に切ない顔だと見えたが、ソーシー・スーは何も言わないでおこうと思った。
 目の前の冷たい事務机には、灰皿が置かれていて、ちょうどソーシー・スーの向かいにくたびれた若い男の顔があった。
「で、結論はどうなんです?」
 ネッロは言った。言うまでもない事だが、ネッロは両手親指を錠で縛められていて、タバコすら吸えない。こけた頬に明らかな憔悴の色が浮んでいた。
「何しろ、お前と死体以外にその時第三者がいない訳だろ?今一つ、決め手に欠けるんだよな」
 ソーシー・スーは、頼りなさげに頭を掻いた。
「つったって、本当の事言ってんですよ。何なら実況検分でもしましょう」
「むむう」
 ソーシー・スーは唸った。ミスティが、その首根っこを乱暴に掴み上げる。
「いでででで。なっ、何なさるんですかあ!?」
「アナタ本気で巡検使になろうと思ってんの?」
 ミスティは、芳しい香りのする魅力的な唇を、ソーシー・スーの顔に近付けた。覚えずどきどきしてしまうソーシー・スーの両掌に、汗が滲んだ。
「そうであります!」
 ミスティは、にんまりと笑うと、ソーシー・スーを壁に押し付けた。
「ひい」
「甘い!」
 ソーシー・スーは本気でびびった。びびりながら、悪い気分ではない。自分よりもずっと腕っ節の強い、大柄な女に乱暴に扱われている。倒錯の世界に嵌りそうだ。
「取調べってのは、こうやるものよ」
「ひい。これって、恐喝ですよう。いいんですか?こんなの」
「やかましい。これくらいやらないと、しぶとい犯人をゲロさせようなんて、甘いのよ」
 ミスティは、ぐりぐりとソーシー・スーの小柄な体躯を壁に押し付けた。
「まだ研修は終ってないのよ。耐えなさい」
「ふひいいいい」
 ソーシー・スーの情けない叫びだけが、殺風景な取調室に響く。どう考えても、自分はミスティ様の欲求不満の捌け口にされているとしか言いようが無い、とソーシー・スーは眩暈を覚えながらも感じた。
 ネッロは、その光景を目を皿の様にして、茫然と見ているしか術が無かった。

 灯りも無い寝室で、起き出す影をアーチは見た。
「何処へ行くんだい?」
 ドアを開いたアーチが、問い掛けた。廊下の灯りが侵入した。エンリケの薄い髭に覆われた顔が、明らかになった。
 既にエンリケは普段着に着替えていた。顔色は、赤黒い。目の下の黒い隈が、確実にエンリケの寿命を告げていた。
 GOTも思った程下がらない。一旦、平常時の数値近くまで落ちたが、また上昇している。インターフェロン治療の初期にはよくあることだが、それにしても体力の消耗が著しい。
「動けるようになったんで、店にな。いい加減顔ださねえと、くたばっちまったかと思われるだろう?」
 と、エンリケは力無い笑みを浮かべた。笑っているのか泣いているのか、区別が付きにくい表情だった。
「駄目だな。オレが許可するまでは」
 アーチは、ベッドの足元まで進んだ。エンリケは、ベッドの端に腰を下ろしたまま、直ぐには立ち上がれない。
「あんたの店じゃないだろ?ルビィがそう言うのなら、また考えるが…」
「医者としては、あまりお奨め出来ないな」
 アーチはゆっくりと歩いて、エンリケの真正面に立った。
「どうしてそこまでして、自分の寿命を縮めたい?」
 エンリケは乾いた笑みを浮かべた。剃刀のような色をした瞳だけが、ぎらぎらと光って見えた。白目の部分は、黄色く濁っていた。悲しいくらい、肝臓疾患の人間の目だ。だが、それとは違う、何かに憑かれたような鬼気迫る双眸。
「ふ。お前さんには判ると思ったがな?」
 アーチは、敢えて問い掛けともとれるその言葉を無視した。腰を屈め、エンリケの細った右手を掴む。
 ごつごつとした骨の感触とともに、親指と人差指の又の皮膚のガサガサした手触りを確かめる。まだ肉厚の掌には、四本指の下にくっきりとマメの跡が浮いていた。
「パウダーガンを握っていたのは、何時まで?」
 さりげないが核心を突いた質問にも、エンリケは驚かなかった。
「七年前?」
 アーチは自分で答えた。それでも答えないエンリケに、アーチは微笑を浮かべ、立ち上がると抱えていたモバイル・パソコンを開いた。電源を入れ、メモリー・チップを差し込むと、ベッドの端に置いた。
 立ち上がる画面を、エンリケは無言で見詰めていた。
 『AMMONIZIONE(警告)』の文字が現れ、パッドを動かすと、些か曇った画面に転じた。
 ディスプレイされたのは、身上書のようなものだ。黒い縁取りの中にびっしりと埋め込まれた文字は、その人物のパーソナル・データ。
「この人物に見覚えが?」
「ないね」
 エンリケは、静かに否定した。
「そう?だが、少なくともあんたパウダーガンを見慣れている」
 アーチは言った。
「ジンが《ブラックホーク》を抜いた時、三人組はびびりまくっていた。幾らブラスターを扱いなれていても、パウダーガンに触った事も無い人間は、そりゃびびるだろう」
「オレが若い頃は、多少はそういう連中との付き合いもあったさ」
 エンリケは、大きく息を吐いた。甘酸っぱい吐息が、熱の存在を示していた。
「しかし、あんたあの針金男がブラスター吹っ飛ばされた時も、巨漢がモヒカン刈りにされた時も、何気なく弾道を読んでいた」
「どういう意味だ?」
「《ブラックホーク》が放った44マグナム弾がどう、ブラスターを弾いて角度を変えて飛ぶかだ。二十五ヤードで、松板八枚はブチ抜く弾丸の、初速は1250fps。ブラスターに当たって、減速した時に約二十度の角度変化と見て、あんたは右に一歩動いた」
「ほう。なかなか鋭い観察眼だな」
「しかも、それだけじゃない。三人組には一度の射撃と見えたものが、あんたにはしっかり二発に見えていた。聞こえていたというべきか。だから、一歩しか動かなかった」
 アーチはなおも続けた。
「針金男と大男の間は、僅かに二メートル足らずだった。そこを闇雲に右へ動いたなら、流れ弾に当たる可能性大。それを読んで、一歩しか移動しなかった」
「ふふふ」
 エンリケは笑った。
「まぐれさ、まぐれ。余りに恐くて、身が竦んだとでも言っておこうか?」
「しらじらしいな」
「それより、そういうお前さんもパウダーガン使いだろう?」
 アーチは、軽く頷いた。エンリケは、身体をやや前屈みにしてアーチの右手を取った。細く長い五指が、ゆっくりと開く。
「血に塗れた手。この手は、呪われたパウダーガンを手にした人間の手だ」
 エンリケは静かに、だが不気味な呪詛のような言葉を言った。灰色の瞳は、アーチの無表情な顔を見上げていた。
 此の世に呪いだの、祟りだのが存在するものか、といった若く知能指数の高い医者の顔を。
「《追放者の銃》か」
「…知っていたのか」
 アーチは、抑揚の無い声で呟いた。エンリケは、微かに痙攣する頬を緩めた。長い長い溜息が、アーチの右手指に纏わり付いた。
「知っていたのは、かつて《追放者の銃》を手にしていた男さ。もうその男は生きてはいないが…」
 エンリケは視線をアーチの顔から逸らした。
「《キングコブラ・バニッシュメント》を持っていたのは、オレのオヤジだった。だが、オヤジはパウダーガンなぞ握った事はない」
 アーチは、エンリケが力を抜くと同時に右手を閉じた。
「誰の手に渡ったかの経緯は兎も角、お前さんはその銃を手に入れた。それは、お前さんが初めて力ずくで、人を殺してまで奪った物だ。持ち主を殺してもな」
「…へぇ」
 まさか、こんな所で《キングコブラ・バニッシュメント》の出所と、十二年前のあの事件を繋げる人物に出会うとは思っていなかった。アーチは、そうではなく、もっと別のところでエンリケを探ろうとしていたのだから。
 持ち主とは、他でもないマーリオ・コロンボだ。建築士のマーリオではなく、アーチの目の前に現れた殺し屋マーリオ。
 赤黒くぬらぬらした、鼻を突く異臭が思い出された。初めて掴んだ、息づく人間の心臓。手術でさえも触れた事が無かった物。それを、いとも簡単に握り潰す事が出来る己の怪力。
 忌まわしい悪魔の創造物。
 アーチの心臓は、無意識に早鐘を打っていた。上がった脈が、呼吸を散漫なものにする。どっと、アドレナリンが流れ出す。
「パウダーガンを入手したのは、結果的であって、オレはオヤジ殺しの犯人を殺っただけだ」
 アーチは漸く言い、ふ、とエンリケの唇から息が漏れた。
「そこが《追放者の銃》の、忌むべき性質だという事だ。そいつは、より一層血塗られた持ち主を探している。お前さんは、見事に御めがねに叶ったという訳だ」
 バカな話だ。まるで、パウダーガンが、オレにマーリオを殺させたとでもいうのか。
 アーチは、引き攣る指先を動かした。
「…迷信だの呪いだのは、どうでもいい。オレが呪われた銃に魅入られたと言うのなら、勝手に言うがいい。その話も、どうせマーリオの知己から風聞で聞いたものなんだろうが」
 アーチは、憮然とした表情を作り、白衣のポケットに手を突っ込んだ。チリチリと、こめかみが痛む。
「マーリオは、本名も異名も別の物だが、アイツは優れたハンド・キャノン使いだった。《キングコブラ》よりももっと大口径の銃を、昔は使っていたもんだ」
 エンリケは、懐かしむように言った。最早、エンリケがアーチの確信している人物である事は、間違い無いようだ。
「それこそ、454カスールなど二、三十発立て続けにぶっ放しても、まるでびくともしなかったさ。《称号》制度が敷設される前の話だ。だから、オレもマーリオも無《称号》のままだ」
 アーチの確信は、揺るぎ無かった。
 《称号》制度は、試合を行って授与されるもので、聖職者における叙階と同義だ。普通は、試合の勝者が名のあるパウダーガンを受け継ぐ際に、《称号》もそっくり頂く事になるのだが、アーチはその経験も無しに《キングコブラ・バニッシュメント》という銘入りのパウダーガンを所持している。
 それが、エンリケの言葉に偽りが無いという証拠になるのだ。
 そして、ジン・スティンガーも《称号》は無い。《ブラックホーク・ディオファイア》という、本来は《神鎗》が持つべき銃を持っているにも拘らず。
「アイツは、だがその呪わしい銃に魅入られた。アイツが見境無く試し撃ちに人の頭を吹っ飛ばすようになってからだが…」
「そういう精神構造の人間が持てば、どんな武器も呪われた物になる。そして、自然と類は友を呼ぶというだけの話だ」
 アーチは鼻白んで、言った。
「お前さんが信じなくとも、パウダーガンとはそういうものさ。銃の方が持ち主を選ぶ。そして、銃が見切りを付けた持ち主の死期を決める。マーリオは死ぬべくして死んだ。お前さんが枷に思う必要は無い」
 エンリケは言った。まるで、アーチは心の奥底まで見透かされた、少年のような無防備な気分だった。
「そういうあんた自身はどうなんだろうな」
 アーチは、独り言のように呟いた。
 エンリケは、苦笑を押し上げた。目が細まって、こけた頬が一層窪んだ。何かを思い出そうとするような、だが思い出したくなさそうな表情に見えた。
「オレは、『負け犬』だよ。パウダーガンに見切りを付けられる事に恐れ戦いて、自ら銃を置いてしまった臆病者だ。どうしようもない、根性無しだ」
 エンリケは、小さな拳を固く握った。本当は、頭を覆ってしまいたいくらいだった。
「マーリオの足元にも及ばない、虫けらだ。少なくとも、アイツはパウダーガンと自分との間に決着を着ける事を怖じていなかった。…だが、結局はオレもそう長くは無さそうだな」
 自嘲的なエンリケの言葉に促されるように、アーチはエンリケの腕を取った。肩を担がれ、エンリケは立ち上がった。
 《虹の掛け橋亭》の開店は、もうじきだった。

 マリアッチが去った酒場は、またいつもの雰囲気に戻っていた。そして、明日の試合を話題にする者も少なくは無い。
「ネッロがあんなんじゃ、明日はどうなるんだろうな?」
「さあな。代役も構わないって事らしいが…」
 カウンターの向こうには、顔色の冴えないエンリケが立っていた。その脇を通り抜けるジン。客達の噂話が、聞こえているのか聞こえていないのか、ジンはまるでホールには誰もいないかのごとく、歩いて行った。
 ふと、その後姿をルビィは目で追った。
 うそ寒い空気が、ジンの周囲に纏わり付いているように見えたのだ。それは、ルビィの抱える得体の知れない不安とも通じていた。
「…どうかしたのか?」
 問い掛けるエンリケに、ルビィは笑顔で答える。浮かなかった顔は、一気に晴れ模様に転じた。
「いえ。それより、具合が悪かったら直ぐに言って頂戴ね」
「ああ」
 そんな表面上は温かい遣り取りだけが、ジンの耳に入って来た。
 ドアを出て、人通りも疎らになった街へ飛び出す。そういえばハイハットに来てからというもの、夜のこんな時間に町中を歩いたのは、ジンにとっては初めてだった。
 シャッターの閉まったドラッグストアを横目に、ジンは歩き出した。
「女でも買いに行くのか?」
 閉店した雑貨店の看板に凭れていたのは、アーチだった。白衣姿で、右手を挙げる。
「なっ、何考えてんだ?お前」
 ジンは、あからさまにバカにした口調で応える。
「だって、酒を飲むなら《虹の掛け橋亭》で飲めば済むじゃないか。ここらにはカジノも玉突き場も無いし、とくりゃコレだろ」
 アーチは右手で拳を作り、親指を中指と薬指の間から出した。万国共通の印だ。
「お前じゃあるまいし。で、今夜もお泊りかよ?」
「いやあ、流石に。幾ら何でも、太陽が黄色く見えるまでするもんじゃない。この年齢で打ち止めってのも情けないしな」
「せいぜい抜き過ぎて、金髪が白髪にならないようにすんだな」
 ジンは軽く悪口を吐いて、その場を行き過ぎようとした。だが、ふと思い止まってみる。何か相棒が物言いたげに見えたからだ。
「…お前」
「何だ?」
 ジンは振り返った。アーチは、サングラスの下のジンの瞳を見た。人並みはずれて優れた視力の所為で、うっすらとだが黒い瞳の動きが見て取れる。
「気を付けろよ」
「ふん。お前がそんな事を言うなんて、珍しいな。蕁麻疹出そうだぜぃ」
 ジンは、背中に手を突っ込んだ。ぼりぼりと音を立てて、掻く。むしろ、それは汗が溜まっている痒さだ。
「使い手がパウダーガンを選ぶんじゃない。パウダーガンが使い手を選ぶんだと」
「言い得て妙だな」
「銃に見限られないようにな。お前には荷が勝ちすぎると思われたら、銃はお前を裏切る。…だってさ」
 アーチは、両手を開いて肩を竦めて見せた。ジンは、相棒に羞含んだ笑みを返す。
「誰の格言だよ?」
「お前のよく知ってる人だ」
「……」
 ジンは、アーチのオリーヴグリーン色した瞳を見詰めた後、黙って歩き出した。今の二人に、これ以上の会話は不毛だ。話さなくても、別に良かった。
 少なくとも己のパウダーガンに押し込めた想いに、大きな相違は無いと信じているからだ。

「面会だ」
 冷え切った警官の声に、ネッロは反応しなかった。警官は、先日の事も相俟って、ネッロには全くの嫌悪感しか抱いていない。それを知るネッロも、また限りなく無愛想だった。
「…聞こえてるのか?」
 警官は、独房の格子の隙間から手を伸ばした。恐る恐るだ。何をされるか判らない。
 ネッロは俯いたまま、ベッドに腰を下ろしている。
「面会だと言ってるのが、聞こえんのか?」
「聞こえねえ」
 帰って来た返事に、警官はむっとなった。ネッロは、相変わらず俯いたままだ。警官の唇が、皮肉に歪んだ。
「そうやって、孤独な勇者サマを気取ってるがいい。ふん…どの道、お前にはどうする事も出来んのだからな。銃は無い、殺人容疑は晴れない、試合は明日だ。ふははは。ふごっ!」
 警官は、いきなり見舞われた頭突きに、ショックを受けて思わず前にのめった。
 ガラス張りのドアにぶつかる。
「ぐ」
「シケた警官だな、こいつ」
 ネッロは、その声で顔を上げた。ガラス張りの独房を覗いているのは、ジン・スティンガーだった。
 ジンはテンガロン・ハットのつばをぐい、と持ち上げた。
「よう、元気か?」
「…元気もクソもあるか」
 ネッロは、唇を突き出して答えた。
「丸一日経っても、まだ拘束期間だとよ。明日は大事な試合だってのによ。それより、お前店は?」
「店?ああ、エンリケが何とか起きられるようになって、それで代わりに来たんだ」
「ふん」
 ネッロは気の無い返事をした。
「それで、お前に言わないといけない事があって」
 ジンは、言葉を慎重に選びながら言った。
「何だよ」
「その、試合の事なんだが…」
「延期してくれんのか?」
「いや。延期は出来ないって。で、お前が出られないのなら、代役を急遽立ててもいいって事で、オレが」
「……」
 ネッロは、じっとジンをガラス越しに見詰めた。別段、いつもと変った様子は無いのだが。
「何でお前が?」
 殆ど忘れたのではないかと思わせる時間を置いて、ネッロは訊いた。
「オレ以外にいないからだ」
 ジンは、きっぱりと答えた。
 ネッロは暫く黙っていたが、ややあってのそりと立ち上がった。揺れるようにして、ベッドを離れ、ドアの傍まで来ると、カッと黒瞳を見開いた。
 ドン。
 防弾ガラスに、ネッロの拳がぶち当たる。分厚いガラスは、びくともしなかった。失神し掛けていた警官は、衝撃で目覚めた。
「おっ、おうい!何するんだ!?」
「出せ!オレをここから出せ!」
 ネッロはドンドンと、ガラスを叩き続けた。幾ら叩いても、大の男の力でもどうにもならない強度を誇る防弾ガラスだ。
「何でだよ!?試合にはオレが出るんだ。あの、フラミンゴとやらを倒して、バランサーに痛い目遭わせてやるのは、オレだ。オレがこの町を守るんだ!」
 どし。ジンは、ガラス越しにネッロの顔に掌を押し付けた。
「なぁに、バカ言ってやがんだ、このタコ」
「邪魔だ!」
「手前ェ一人で何が出来るってんだ?まだ判っちゃいねえな、この御仁は」
 ジンは、サングラスを外した。
 と思いきや、右手が霞んだ。美しい曲線を描く、長いバレルの銃身が現れたかと思うと、次の瞬間には既に、ファイア・オンされていた。
 防弾ガラスに、雪の結晶のような皹が走った。貫通した弾丸は、ネッロの肩先を紙一重でかわし、壁にめり込んでいた。
「…あ、ありがとよ」
 ネッロは涙目で言った。ガラスの粉が、ドアから崩れ落ちて行く。ネッロは慌ててその穴から手を出し、ドアロックを外した。
 だが、ジンは出て来たネッロの額に銃口を向けたままだった。まだ白煙が、丸い穴からもやもやと立ち昇っている。
「礼を言うのはまだまだ早いぜ。それに、オレはまだあんたが試合に出ていい、とは言っていない」
「え?」
 ぽかんと鳩が豆鉄砲食らったような表情のネッロは、首を傾げた。ジンはにんまりと笑った。
「フラミンゴとやりたかったら、まずオレを倒していく事だな」
「あんたをか?」
 ネッロは困惑したような、可笑しい様な複雑な表情を浮かべた。
「何を言い出すんだよ」
「マジだよ、オレは」
 ジンは《ブラックホーク》の銃口を上げたまま、左手でネッロにパウダーガンを差し出した。
 S&WM19レプリカ。ボーマン・クイック・ドロウ・タイプのフロント・サイトが目立つ銀色のバレル。
「オレは《称号》を持たない。持たないが、あのミスティ・サファイアとは、少しやりあった事がある。無《称号》のオレを倒してみるんだな」
 ジンは、右手親指をハンマーに掛けて起こした。 
 ネッロは、僅かに震える手で、グリップを掴んだ。


第四章(1)に続く

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