第十六話
〜嘆きのカルヴァドス Il fucile disperazione in spalla〜
(後編)
第四章 墓標はいらない GREET ONE ANOTHER WITH A HOLY KISS
(1)
師匠は始終、テンガロン・ハットを目深に被っていた。
ジンがその理由を知ったのは、もっと後になってからの事だ。
まるで、縫い取りでもしたかのような傷だらけの顔のジャバー・ウォック。何故、簡単な形成外科手術で治る傷を、敢えて醜いまま残しているのだろう。
国籍も年齢も知らない。
恐らく四十代半ばだろうと想像出来たのは、ジンがまともにパウダーガンを抜き撃ち出来る様になってからだ。
だが、依然として師匠は自己の過去や知己の話をしなかった。
サムライみたいに灰色の長髪を束ねて、腰に刀のごとく銃を差し込んでいた。やや三白眼気味で、いつも湿気たタバコを咥えていた。
言葉は、どちらかといえば、乱暴な喋り方だった。
ジンも、何時の間にかジャバー・ウォックに倣って咥えタバコだ。左頬の傷は、取ろうとは思わない。
「いいか、ジン。四五口径と三八口径以外のオートなんざ、男の扱うシロモノじゃあねえ。男になりたかったら、お前のジイサンが借金と共に残した、その《ブラックホーク》を使いこなして見せろ」
ジャバー・ウォックの声が耳の奥に響く。
鹿骨に似た固いグリップは、既にジンの為だけに作られたかのように、冷たく静かに身を委ねる。手袋の当たる部分だけが、深みを帯びた栗色に変色していた。
ハンマーの美しい曲線は、自然の造形もかくやと思わせる長さを持つ。
ジンは、素早くハンマーを弾き起こした。本当は、この美女の唇のような滑らかな手触りに、暫し感じ入ってみたいものだ。
だが、勝負に暇は挟まれない。
フレームに埋もれていたハンマーノーズが姿を現す。キチ、と音を立ててシリンダーが右回転する。
六発の処女弾の内の幸運なヤツが、銃身との会合点にジャスト・イン。ハンマーノーズは切ない音を立てて、ハンマーとシリンダーがロックされる。弾丸のケツっぺたにあるプライマーが、リア・サイトの真下にくれば、いつでもOKだ。
ハンマーノーズが、プライマーに食らい付いた。
「ドズゴーン」
リコイルはいつもの通り、手首を通って肘で止まる。下半身全体で受け止める事で、直接の反動に拠るダメージは激減される。それを体得させてくれたのも、他ならぬジャバー・ウォックだった。
ただ、力任せに撃ちまくることは、誰でも可能だ。だが、長年パウダーガンを扱おうというならば、土台となる自己の体力を温存出来る方法を最も優先するのが、真のパウダーガン使い。
「まだまだ判っちゃいねえな」
ジンは呟いた。
壁は既に穴ぼこだらけになっていた。内側のみっともないコンクリートは剥き出しのまま、黒く焦げ付いた穿孔を開いていた。
まるで十字架に架けられた殉教者のように、ネッロは壁に貼り付いていた。紙一重のところに合計六つの穿孔がある。首の左横。両腕の下。脇腹。右腿の内側。左の靴先。見事なまでに、身動き一つ出来ない状態に撃ち込まれた。
脇を狙われて避ければ、今度は首。首をかわせば右太腿。左にスタンスを直そうとして、靴先。そして、両腕。
総て次の動きをお見通しのように。
ネッロは腕を硬直させたまま下げられない。だらしなく開いたスタンスも、本当は脚の筋肉が強張っているのだった。
つ、と額から汗が流れ落ちた。
ネッロのS&WM19レプリカは、既に六発総て撃ち尽くされていた。だが、その弾丸の何れもがジンの上着を掠りもしなかった。
「何でなんだ…?」
ネッロは自問した。
「初歩中の初歩だぜ。抜き撃ちなら兎も角、こんな狭い所で撃ち合う時は、最小限でしか身体を動かせないってのは、シロートだろうが無意識にやっちまう事だ」
ジンは《ブラックホーク・ディオファイア》の銃身を、ネッロに向かって掲げた。
「あんたはまだ銃に動かされた事がないらしいな」
「銃に動かされた?」
ネッロはようやく腕を下ろした。ジンは、サングラスの下から上目遣いに黒い瞳を覗かせた。
「自分で操ろうなんて思ったらそいつあ大間違いだ。パウダーガンは、こうやって握った時に判る」
ジンはグリップを何度も直す。
「最初は馴染みが無いから、何度も何度もグリップを直す。だが、じきにパウダーガンの方が使い手に慣れてくる。そうなったら、任せたままでいいんだ。握られやすいようにしか銃は動かないし、そいつの腕はそれで決まったようなもんだ」
ネッロは雲を掴む様な、とりとめもない感覚で聞いていた。
「何年掛かるかなんて、それは本人にしか判らないが、オレは二年程掛かった。銃は操るもんじゃない。心地よく自分が操られるくらいの気持ちでないと、当たるものも当たりっこねえよ」
ジンは、《ブラックホーク》のフロントサイトでテンガロン・ハットのつばを押し上げた。
「…そ、そんな気楽に撃てるか!」
ネッロは顔を赤くして、言った。年下の男に諭されているという恥じらいではない。パウダーガンを握った経験のある者としての、純粋な悔しさからだった。
「人を殺してしまうかもしれない道具なんだぞ!?」
「そう思わなければいいじゃないか。思ったとしても、負け犬にならなきゃいいんだ。殺したくなくても、殺さざるを得ない時だって、ある」
ジンは言った。
「自分の手で人殺ししたくないから、パウダーガンを持ってるヤツもいるんだ」
ネッロは顔を上げた。
ジンは、怒ったような、悲しいような表情で、ネッロを見据えていた。サングラスを外す。そこには、年相応のあどけなさを残した東洋人の顔があった。
「あんたは贅沢だよ!あんたは」
「……」
「好き嫌いに関係なく、パウダーガンを握ってるヤツだって、世の中には大勢いるんだ。そいつらの身になって見やがれ!あんたは、侠気だか何だか知らないが、たかだかちっぽけな土地を守る為に、人殺しの道具を持ち出そうってんだ」
ジンは、捲くし立てた。相当頭に来たらしい。普段はアドリブの利かないこの男であるが、熱すると饒舌が止まらない。
「自己満足だよ。あんたのそいつはあんたのぐにゃ××と同じだ!自己満足の為に、ルビィやエンリケや、いろんな人間に大いなる期待なんか持たせて、挙句の果てに捕まってりゃ世話ねえよ!」
「なっ」
「あんたに試合なんか出る資格はねえ!」
ジンは、再び《ブラックホーク》の銃口をネッロに向けた。喩え弾丸は入ってないと判っていても、どきりとなるものだ。
「マジにあんたの腕がオレより上だったとしても、資格はねえよ。オレが今んとこ言えるのは、それだけだ」
ジンは言葉尻をさっさと仕舞うと、そそくさと背を向けた。
ネッロがこの後殴り掛かろうが、何を罵倒しようが、ジンは聞いてない振りして引き返そうと心に決めていた。
ネッロは追って来なかった。警官も音沙汰無い。ジンの勢いに気圧されてしまったのだろうか。
「…大バカ野郎!」
ジンは、駐在所を後にしつつ呟いた。ルビィの笑顔とエンリケの横顔が頼りなく、脳裏に浮んでいた。
夜が抱いているのは闇だけではなかった。誰もが行き場の無い想いや、終わりの無い夢に咽んでいる。酒で紛らす人間もいれば、早々に床に着いて惰眠を貪る人間もいる。
夜は百人百様、千人千様の物語を抱いている。
だが、やがて朝は来る。朝が来ない夜はない。
ハイハットの町始まって以来の快挙だ。新聞屋が朝五時に店を開けた。それと殆ど同時に、雑貨屋とトラットリアも開店準備を始めた。
今日は、町の朝が一段と早い。
「試合」の日だ。
午前十一時。
場所は目抜き通り、郵便局の前と決まっている。
通達は無い。誰が決めたか知らないが、昔から勝負事はその場所と決まっていた。
《虹の掛け橋亭》からは、歩いて五分程のところだった。
ジン・スティンガーは、いつものように目覚めた。夢は見なかった。寝起きは頗る快調だ。懸念も置き去りにしていく必要がある。
「ネッロのバカ野郎。たとえ自己満足でも、自分にビク付いてなきゃいいんだ。びびりやがって…」
ジンは胸中で、幾度となく呟いた。
毎朝の同じ儀式を繰返すように、着衣して、ブーツを履き、ローハイドを身に着ける。一応の身だしなみとして、ぼさぼさした髪をひっ詰めて撫で付けておいた。放って置くと、すぐにも撥ねて来るのだ。ガンベルトと一体になったホルスターに《ブラックホーク・ディオファイア》を捻じ込んだ。サングラスを掛け直して、階下に下りる。
既に店の厨房にはルビィの姿があった。
「あら、おはよう」
という明るい声に、ジンは挨拶を返した。昨夜は日付も変わって随分経ってからの店仕舞いだったというのに、早起きではないか。
相方は、まだ眠っているのだろう。もしかしたら、また戻っていないのかも知れない。ピーチィも起きてはいなかった。午前七時だ。
ここに来てからと同じように、朝食が出された。
いつもと変り無い。だが、ルビィは自分の食事も済ませないで、ぼんやりとジンの顔に見入っていた。
「オレの顔に何か付いてるのか?」
「目鼻、口、眉毛」
「冗談言ってんのか?」
ジンは、思わず牛乳を吹き出しそうになった。ルビィは、真顔でそう答えたのだ。
「毎日変わりが無いと思って。でも、同じものが付いていても、瞬間瞬間はまるで違うものみたいに見えるわね」
ルビィは、漸く自分のマグカップに口を付けた。
上目遣いに、大きく濡れた瞳がジンを見詰める。
「…頑張ってというのもおかしいけど」
ルビィは、言い澱んだ。
「自分が巻き込んで置いて、こんな事を言うなんて嫌な女ね、私って」
ジンは黙々とトーストを食らい、ルビィの物思いに沈んだ表情を見遣った。どう答えていいのか判らないではないか。
「アナタが無事でなかったら、どうしよう」
「無事でない?ああ。死んだら死んだ時だ。どうしようもねえな」
ジンは、口をもごもごと動かしながら、ぶっきらぼうに答えた。
「どうしようもないなんて」
「運が悪かったっていうだけだ。尤も、パウダーガン使いってのはそういうもんだ。賞金稼ぎもな。生きてるだけで、幸運ってヤツ?弱いヤツに殺られるのはドジ、強いヤツに殺られるなら本望」
ルビィは、はっとなった。そんな言葉が無意識に出てくる程、眼前の男は根っから血腥い勝負事にどっぷりと漬かって生きてきたのか。まるで、ルビィ自身には縁が無いと思われていたむさ苦しい男の感慨。だが、今はそうは感じない。
「何だか他人のような気がしないわ。エンリケも以前同じような事を言ってた・・・」
ルビィは、独り言のように呟いた。湯気が長い睫毛を濡らす。
「エンリケが?」
「そう。エンリケは昔パウダーガン使いだったのよ。ここに来るまでは」
「…《人差指の伝説》ってのは?」
ジンは訝った。
「エンリケは撃ってない。でも、私は見たの。人差指なんかじゃなくてパウダーガンの銃身で、荒くれ男どもをみねうちにしていたわ」
ルビィは、自分の両手指を絡めた。
「何故撃たなかったのか、聞かなかったけど。そうしてるうちに、勝手に噂が流れていったもんだから」
ルビィはその時の様子を仔細に思い出す事が出来る。だが、エンリケの表情には暗い靄が掛かっているように感じられて、そこは思い出せなかった。
「撃てなかったんだ」
「私やお父さんがいたから?」
「それだけじゃない。もうパウダーガンを撃つ気が無かったんだ、多分な」
ジンは、静かにテーブルの上に腕を載せた。ルビィが上半身を乗り出す。
「理由も訊いてはいけないかしら?」
「さぁな。パウダーガン使いが、パウダーガンを撃たなくなるにはそれぞれの言い分があるってもんだ。言いたけりゃ、自分から話すさ」
そう、とルビィは小さく答えた。
ジンは熱いマグカップの中で渦巻いている、黒い液体を見詰めた。目が回りそうなくらいに。
日中は一段と陽光が照り、今日は愈々歓談の差が激しいと見えた。午後十時には、既に夏日だった。じりじりと人々の肌に玉の様な汗が浮ぶ。
やがて、馬の蹄の規則的な音がぽっくりぽっくりと近付いて来る。
ジン・スティンガーは大通りに立っていた。
テンガロン・ハットを目深に被り、南からやって来た大男の影を測る。
野次馬連中は、こぞって男の様子を伺っていた。これが、ハイハットの町を運命付ける男なのだろうか。いや、そこまで大袈裟ではないとしても、ここ数年事件らしい事件が無かった町にとっては、先日の変死体をも凌ぐ椿事だ。
男は大柄な体には似合わないくらい、俊敏な動作で馬を下り、ソンブレロに似たつば広の帽子を傾けた。
黄金色の地肌に精悍な面差し。
「貴様が相手か、若造」
キューブ・ザ・フラミンゴは言った。おおお、と人々がどよめく。噂のパウダーガン使いの肉声を聞いたという、驚愕だ。
ジンはサングラスの下から、上目遣いにキューブ・ザ・フラミンゴを見た。見上げる、といっても過言ではないだろう。
フラミンゴは、ジンの手前三メートル程の所まで歩いた。一挙手一投足が、只者ではない事を雄弁に語っていた。
隙が無い。
いや、隙を隙と感じさせない独特の立ち居振る舞いだ。
筋肉質の肉体を、ジンの中肉に比べると、余りに違い過ぎた。これがネッロだったとしても、貧弱なイメージは覆せない。
周囲の声に落胆と狂喜が入り混じる。既に、この「試合」に非公式の賭けが行われているのは、誰もが承知。アウト・ストラーダの建設問題よりも、むしろそっちのほうが賑わいを持たせているのではないかというくらいに。
ジンは全く予想もしない事だが、賭けの大半はこの時点で「キューブ・ザ・フラミンゴの勝ち」にベットされていた。不届きといえば不届きだが、誰がどう贔屓目に見ても、勝負の行方は明らからしかった。
「ファスト・ドロウ一発勝負という訳だな」
ジンは、腰のホルスターから、《ブラックホーク》を抜いた。
流麗な長い銃身が明らかになった瞬間、キューブ・ザ・フラミンゴの目に戦慄の閃光が走った。
「その銃は・・・」
紛れも無い《ブラックホーク・ディオファイア》。本来なら《神鎗》が持つべき、不可侵のパウダーガン。
フラミンゴの口元に、苦笑が湧いた。何の因縁があって、この無《称号》の若者の手に渡っているのかは、フラミンゴの知る所ではなかった。だが、事情は兎も角、事実は否定出来ない。
「成る程、相手にとって不足は無いようだ」
白い歯が狼の牙に似て、ジンの鳩尾の辺りをを震わせた。
「ジャッジは?」
と、振り向いた先に女巡検使ミスティ・サファイアの姿があった。目深に被った黒いテンガロン・ハットが、彼女を別人のように見せていた。前髪と鬢を残して帽子の下にあの、長いブルネットは総て仕舞われているらしい。
「私がやるわ」
重い声に、フラミンゴは快く頷いた。
「よかろう。お前さんに任せる」
「カウントは、この男がやるわ」
と、ミスティが押し出したのは、小柄な体のソーシー・スーだった。
「お、おす!」
ソーシー・スーは柄にもなく緊張していた。巡検使補として、こういう仕事をするのは初めてだ。辺りをきょろきょろ見回すと、人垣にはバランサーと、その秘書、でぶ・やせ・肉の三人組の面々も視界に入った。凛々しい姿のミスティに釘付けのハゲオヤジは兎も角、三人組は相変わらず余裕かました表情ではないか。
端からキューブ・ザ・フラミンゴに勝機ありと踏んでいるのだ。
「兄貴がいねえ」
ソーシー・スーは気付いた。アーチレリー・ブールヴァルドの姿が無い。相棒の試合だというに、何処をほっつき歩いているんだろう。
「もしかして、ジンがフラミンゴに殺されるのがおっかないから隠れてんのかなぁ。いや、兄貴に限ってそんな不義理な事は無い筈だ。絶対」
「何をブツブツ言ってるの?さっさと始めるわよ」
ミスティは、ソーシー・スーの首根っこを掴んで引き摺った。
「あらら」
試合の方式は様々だが、最も原始的かつシンプルで決着の早い「ファスト・ドロウ方式」が好まれることは言及すべくもない。
かくして、試合は開始された。
背中合わせになるジン・スティンガーとフラミンゴ。余りに違う体格。触れるか触れないかの背中が、逐電したみたいにぴりぴりする。ジンは、全身総毛立つのを感じた。
ざわめきが静まった。
両人のちょうど真ん中にミスティは仁王立ちになる。そして、その延長線上にソーシー・スーが立った。
ソーシー・スーの視界の端に、一人の女の姿が入った。ルビィ・ホワイトだった。その隣にピーチィ・フィズがいた。
「テン・カウントでお互いに向き合い、抜き撃つ。ルールは従来通りよ、宜しい?」
ミスティは宣旨を下す戦の女神のように、朗々と言った。実に場慣れした口調だ。そのミスティの、ローハイドの左腰に下がっているのは、《パイソン・シスタームーン》。試合そのものには無関係ではない。不正があれば直ちに、そのパウダーガンが抜かれる。それもルールの一つだ。
願わくば、自分の銃が抜かれる必要は無いように。ミスティは乾いた唇を湿した。
第四章(2)に続く
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