第十六話
 〜嘆きのカルヴァドス Il fucile disperazione in spalla
(後編)


 終章  悔いなき美女 WHOEVER BILIEVES ON HER WILL NOT BE PUT TO SHAME 
 《銃聖》キューブ・ザ・フラミンゴが瀕死の重傷を負ったというニュースは、瞬く間に一部のパウダーガンマニアには広まった。それこそ《世界新聞》の記事の三面には出たのだが、まったく虚実綯い交ぜのでっちあげ記事であって、真実を知るハイハット・タウンの住人はその事について何も語らなかった。
 例えば、誰がフラミンゴの相手であったとか、その男はもうこの世にいないとか。
「あれえ」
 ニキビ面の若者が、目を丸くした。町外れのガス・スタンドである。
「お客さん、何処行ってたんだい?」
 若者は馴れ馴れしく、ミスティ・サファイアに微笑んだ。
 ミスティは、愛車《スレイプニル22F》を降りると、エンジンキーを素早く抜いた。
「満タンにして頂戴」
「へい。もしかして、町に居たのかい?」
 若者はタンクのコックを開いた。ミスティは汗ばんだ自分の首筋に手を伸ばした。髪が貼り付いて気持ちが悪い。
「凄い騒ぎだったろ?パウダーガンの試合があったとかで。《銃聖》ともあろう男が、何でも名も無いパウダーガン使いのおっさんにボコンボコンにやられたって本当かい?」
 若者に全く悪気は無い。屈託の無い口調で訊かれると、ミスティは少々難色を示しながらも答えてやることにした。
「名も無い事はないわよ。《称号》制度が固まる以前の、伝説のパウダーガン使いだったのよ」
「へえ。そんな凄い男があの町にいたなんてね」
「……」
 ミスティは、ガスオイルを悠長に入れている間、若者が淹れてくれたカッフェを頂戴した。煮詰まっていたが、乾いた喉には有り難かった。
 結局、ミスティ自身はあの試合において無力感しか捉えられなかった。
 アーチに一発ぶち込んでまで、エンリケとフラミンゴの決闘を阻止したかった筈だ。だのに、終わってみれば何もならなかった。
 エンリケの死に顔を見た時、ミスティは漠然と自分の師匠と重ね合わせている自分に気付いた。少なくとも、エンリケは苦悶に満ちた顔ではなかった。その点、救われているかもしれない。
「で、試合は無効だったって事は結局アウト・ストラーダは町中を通るんだろうなぁ」
 若者は言った。
「それはどうかしら。何でもソコホレ建設っていう、土建屋のハゲオヤジの悪事が露見したって言うしー」
 ミスティは、にんまりと笑った。
「え?」
「国土省から出張ってきた役人を、殺して埋めちゃったのよ。アウト・ストラーダの工事の入札を獲得する為にね。で、裁判の事もあってどうなるか判らないそうよ」
 へえ、と若者は感嘆の声を上げた。
「お客さん、詳しいんだねー。関係者?」
「いえ、通りすがりに聞いただけよ」
 ミスティはそう言うと、ガスオイルを充填し切ったバイクに跨った。

 無風だ。
 風はジンの頭の中でのみ吹き荒んでいた。
 遠い記憶と、そして現在ここにある光景と。どちらが先に忘れられるだろうか。いや、忘れる必要が無ければ忘れなくてもいい事だ。
 朝の清々しい空気が、剥き出しの肌を刺激する。
 盛り上げられた小さな丘には、墓標すら無かった。
「重度の肝硬変だったんだ、エンリケは。F型肝炎から移行したやつで、かなり前から症状はあったようだ。最早、生体肝移植しかエンリケを救う方法は無かった」
 アーチは、ジンの背中に向かって離し掛けた。ジンはゆっくりと振り返る。サングラスは外していた。
「…余命幾許も無いから、エンリケは自ら死を選んだってのか?」
 ジンは力無く訊いた。
「それはオレの知る所じゃない。エンリケ自身が考え、答えを出した事だ」
 アーチは答えた。ジンは、一歩踏み出した。一歩の筈が、気付くと相棒の胸倉を掴んでいた。
「だったら、お前は何とか言ったのか?無理にでも助けようとは思わなかったのか?」
「そっくりその言葉をお前に返すよ」
 パシ。
 アーチの頬が鳴った。ジンの拳が、軽くアーチの左頬に触れた。だが、振り切って仕舞わず、拳は戦慄いて留まっていた。瘧にでも掛かったかのように、ジンの両肩が震えていた。
「…手前ェってヤツは!」
「何とでも言えよ。気の済むまで」
 アーチは抑揚の無い声で言った。
「お前が気の済むまで」
 アーチは、ジンの右手を掴んだ。
「好きなだけオレを殴るんだな。お前が納得いくまで。オレは、お前がぶっ倒れる程殴っても、死にはしないから。今は、右胸の下はちょっと遠慮して貰うけどな」
「バカ野郎…」
 ジンは無理矢理、右腕をアーチの手から引き剥がす様に下ろした。アーチは、大きく息を吐いた。盛り上がった墓土の上に向かって右腕を掲げる。
「オレは医者として、辛い。それだけだ」
 その右腕には、カルヴァドスの半ばほどまで入ったボトルが握られていた。
 沈む太陽を透かして、黄金の液体が迸る。流れた黄金の滝は、みるみる地面に吸い込まれていった。
「こうするんだろ?日本人てのは、墓に酒をかけるって」
 アーチはジンに向かって、羞含んだ笑みを見せた。
「違わい、バカ。そんな酒はかけねえよ」
 ジンは、ぐずる鼻を擦って言った。
「教えとけよ。お前が死んだ時、オレが掛けてやるから」
「要らねえよ!」
 ジンは、アーチの手からカルヴァドスの空き瓶を奪った。その二人の視線が、ある一点でぴた、と止まった。
 花束を手にしたルビィの姿が、近付いて来た。
「さて。オレはそろそろ、お嬢ちゃんのところに戻るかな。一人にしとくと煩いし…」
 アーチはわざとらしく、後ろ手に両手を組んで歩き出した。口笛まで吹いている。不謹慎な野郎、とジンは思ったがルビィの手前黙って背中を見送るしか無かった。
 ルビィは、下ろした赤毛を腰まで波打たせて歩いて来た。無言で、白い百合の花束を濡れた墓土の上に置いた。
 屈んだ姿勢から上げた面が、ジンには眩しく映った。夕陽に頬の産毛が金色に輝いて見える。
「ありがとう」
 ルビィの澄んだ声が言った。ジンは即答出来なくて、空のボトルを握り締めたまま黙って横顔を見詰めた。
「…酒場は続けていけるのか?」
 漸く出た言葉の不器用さに、ルビィは面映さを感じた。
「続けるわよ。勿論」
「一人でか?」
「一人でもね。仕方ないわ。エンリケに頼りっぱなしだったのよ、今までが」
 ルビィは、微笑を返した。
「その…心配だな。力仕事とか」
「誰かに手伝って貰う事もあるかも知れないけど、一人でやるわよ」
 と、ルビィは拳を軽く握って見せた。虚勢ではない笑顔に、ジンは自分の頬も緩むのを感じた。
「誰かって?」
「さあ。アルバイトでも」
「…オレの手伝いじゃあ頼りなかったよなぁ」
 ジンは頭を掻いた。ルビィは、立ち上がった。
「そうねぇ。モップの掛け方はイマイチだし、水割りは何か氷多すぎるし、グラスにスポット(水滴)つけ過ぎだし。いいトコ無かったけど」
「ぐさ」
 ジンは、思わず後方へよろぼうた。
 その手を、ルビィの柔らかい両手指が握り締めた。
「手伝いに来いなんて言わないから、たまには顔を見せてよ」
 ルビィは、半泣きの表情で言った。陽光が、赤い髪に火花を散らしていた。ジンは、言葉に詰まった。というより、胸が詰まった。
「どしたの?」
「エンリケは、本当にオレの師匠だったのかなと思ってな…」
 とん、とルビィはジンの胸元を軽く叩いた。
「エンリケは、アナタのここに居る。でも、私のここにも居るから」
 ルビィは自分の胸を指した。
「墓参りに来る」
 ジンは言った。
「じっと待ってなんかいないからね、私は。アナタが来なかったら、捜しに行くんだから」
 ルビィは、涙が浮かんだ目を擦ると、白い歯を見せて笑った。この男は、じっと一つ所になんか居られないのかも知れない。だが、思う気持ちは何処に居ようが同じだ。
 夕陽がハイハットの道を照らし出した。長い真っ直ぐな道は、北西のアウト・ストラーダに続いて行く。
 その名も《硝煙街道》。


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第15話・16話あとがき

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