第十七話
〜アーツ・オブ・カース Il fucile maleddetta 〜
(前編)
第二章 血の乾き嘘の吐息 DRYING IN THE COLOUR OF THE EVENING MOON
(1)
夜になった。金縁眼鏡の紳士が歩くような瀟洒な通りを、ジンは歩いた。いつもの格好だった。無論、ガンベルトに提げた物は《ブラックホーク・ディオファイア》。
先刻から、一定のリズムで歩いているのには意味があった。
《コリンズ研究所》を出て数分もした頃、ジンは背後に何者かの気配を感じていた。
「誰なんだ?」
誰何したところで、その答えが返ってくるとは思わない。だから知らない振りでもして、人気が無い所へ誘い込むしかなかった。
幾らサプリメントと不味いスープしかない町でも、情けないくらいの程度のバール(酒場)やリストランテはある。メニューは極めてシンプルだろうが。それらの並んだ通りを過ぎると、街灯の無い小径に出る。
ふとピーチィが顔を上げた。その頭を、ジンが押さえ付ける。
「痛いやんか」
「バカ。静かにしやがれ」
ジンは、成る丈ゆっくりと歩いた。
「まさか、こうも早々と通り魔が出て来てくれるとは思っても見なかったがな…」
濡れた石畳を踏んだ。ジンはピーチィの腕をぐい、と引っ張り、路地裏へ押し込んだ。
「え?」
ピーチィが体勢を立て直した時、既にジンは今来た方向とは逆に立っていた。大きく開いたスタンスから、腰のホルスターに手を遣り、パウダーガンを抜く。
一連の動作に、全くの迷いは無かった。
神業でも見るように、ピーチィは見ていた。
「あっ」
思わず声が洩れたのは、ジンに対峙する相手が持っていた武器を見たからに他無い。逆光と暗い衣装で顔は判然としないが、構えた右手に握られているのは、紛れも無いパウダーガンだった。
「ほおほお、手前ェもパウダーガン使いか」
ジンはわざとらしく言った。答えは無い。只、微かに黒い帽子の下から薄い笑みが洩れたような風に聞こえた。
《ブラックホーク・ディオファイア》のトリガーが引かれた。躊躇いの無いアクションに、見ているピーチィは一気に血の気が下がった。
無茶苦茶をする男だ。こんな狭い所で、本気になってる。
ガン。
まるで遠くで鉄骨が崩れるような、おどろおどろしい銃声が響いた。突き抜けるような蒼天の下での発砲ではない。それだけに、音さえも感情さえも籠もっていた。不気味だ。
およそ普段とは違う勝手を感じつつ、ジンは二発目を放った。
黒い帽子の影は、既に最初に放った場所には留まっていない。走馬灯のように、動いていた。
「ちくしょう!」
相手のパウダーガンが見えにくい。バレル(銃身)は黒い。辛うじてフロントサイト(照星)がちら、と角度を変えて光った。その瞬間、反射的にジンは横っ飛びに飛んだ。
弾丸は外れた。だが、跳弾を見逃してはならない。ピーチィは、その方向を見遣った。いずれ後で、弾を拾う事になるだろう。
「おう!」
ジンは立ち上がるところを、不意に飛び掛って来たパウダーガン使いに蹴られた。強か腰を蹴られ、ジンは骨盤がずれるかと思った。恐ろしい力だった。ジンが再び体勢を立て直そうとするのを、パウダーガン使いは軽快なステップで阻止した。
靴先で、ジンの喉元をぴたりと押さえる。一点たりとも隙が無い動きだった。
「……」
黒くて長いシルエット。身の丈はジンよりやや大きい位だ。細身の癖にいやに力強い。
喉仏に当てられた靴先の感触を感じながら、ジンは意外にも冷静に相手の隙を探した。自分でも、余りに落ち着いている、と不思議に思う位に。
本当のところ、探しに探し求めていたに違いない存在であるのに。
掌が汗ばんで来た。無言の圧力と、じりじりと迫る得体の知れない恐怖感、そして高揚感。
「何やっとんの?アホ!」
ピーチィが叫んだ。紙の入る程の隙が、パウダーガン使いの心に忍び込んだらしい。ジンは、すかさず右手を上げた。
ガウン。
《ブラックホーク》が火を噴いた。
「はう」
黒い帽子のパウダーガン使いは、上体を反らした。硝煙の臭いと共に、生温い血飛沫が散る。暗く冷えた空気に青白い靄が浮かんで消えた。
「待ちやがれ!こんちくしょう!」
ジンは、咄嗟に逃げだしたパウダーガン使いの衣服を掴もうとした。だが、足がもつれて出来損なった。だが、諦めずにダッシュした。
「正体はとっくにバレバレなんだぞぉ。手前ェこそシルヴァー・ブレットだろうがぁ!」
ジンの左手が、その帽子を掴んだ。チッ、と何かが弾ける小さい音がした。
柔らかいウールで編まれた帽子が、脱げ落ちる。
「……あ!」
声を漏らしたのは、ジンだったかピーチィだったか。何れにせよ、それ以上声は出なかった。しかも、それ以上追うことも無かった。
逃げ去るパウダーガン使いの後姿が、眼底に焼き付いた。
帽子から零れた髪は、首筋に掛かる程の金髪。ビオンディだった。
パウダーガン使いは振り返らない。
画面を見詰める内に、アーチは嫌な嘔気が胃の中をぐるぐる回っているのを感じた。酔いの所為だけではない。確かに、昨晩に続いて今晩も飲んでいた。二晩も続けてアルコールを摂取する事など、滅多に無い事だ。
何しろ夜十時以降には飲食しない主義で、タバコは吸わないのだ。アルコールもせいぜい一週間に一日飲む程度、それもウォッカなどのスピリッツ類ならロックで二、三杯というくらいのものだ。
「酔っ払ってなんかない…」
と、自分に言い聞かせる。だが、IQ220の灰色の脳細胞は、些か冴えなかった。
「珍しいわね。アナタの方から連絡をよこすなんて」
画面の女が言った。カッサンドラ・ブルーネレスキ医局長だった。白衣を着ている。そして、背景は無味乾燥な医局長室の窓だった。
「時間がないんですよ。何せロクな電源がないんで、この通信もせいぜい十分程度で落ちますよ」
アーチは、愛想も無く言った。数千キロメートル遥か西では、医局長が溜息を吐いたようだ。
「酔っ払ってるの?どうしたっていうのかしらね。まさか、世界中のカノジョにフラれたとでも言うんじゃあないでしょうね?」
みゃあ、と小さい声が聞こえた。カッサンドラの腕に子猫が纏わり付いていた。ブルーグレイの毛をした猫。カッサンドラの赤い爪をした指が、いとおしげに猫の背中を撫でた。
「その猫は?」
「貰ったのよ。ロシアンブルーなの。可愛いでしょう?」
「そんな事は聞いちゃいません。猫を可愛がってばかりいると、伴侶に恵まれないって御存知ですか?」
アーチは、椅子の背凭れに左肘を載せた。
「アナタ、相当酔ってるわね」
カッサンドラは、唇を苦笑の形に歪めた。
「教えて頂きたい事があるんですよ」
アーチは、聞いてない振りをして言った。
「何かしら?」
「ティクス・コリンズを御存知ですよね。オヤジが死んだ時、ティクスに知らせたのは貴方なんですね、医局長」
アーチは、机の端に置いたタンブラーを見遣った。まだ指二本分ほど青い液体が残っている。
「そうよ。アナタの仕事だったかもしれないけど、余計なお節介だったかしら?」
「いえ。じゃあ、ティクスの今の居所も御存知ですね」
「パリでしょう?」
答えは、予想していたものの通りではなかったが、アーチは然程驚きはしなかった。
「パリの実家に連絡を?」
「あれから直ぐ、十二月の終わり頃だったかしらね。本人と話したわ」
カッサンドラは実に淡々と事実だけを述べた。その答えが、アーチの胸中に多くの波紋を広げているだろう事は、全く無視して。
「最近全く消息を聞かないけどね。何してるのかしら。大学に戻ったとも、ユーロ共同体NGO(非政府組織)の研究所に入ったとも聞かないし。それだけ?」
「いえ」
アーチは、額に手を当てた。顔から火照りが失せていた。
「照合して頂きたい物があるので、直ぐに送ります。現物は無理ですが、DNA及びタンパク質解析データを」
「それも仕事の内かしら?勝手な内職なら受け取らないわよ。密かに付け狙ってる女の子の髪の毛とか、爪の垢とか」
カッサンドラは、厳しく言った。だが、困った弟でも見るような目付きだった。
「イヤだな、仕事ですよ。オレにとってはほぼ最大級の」
アーチは真顔で言った。尤も、笑う余裕も無かったが。データを取り込んだファイルを直にヴァティカン科学アカデミーの医局長室宛に送信する。封は厳重に閉じた。パスワードを入力する。
送信完了後、間もなく電源が落ちた。十分も経っていなかったのではないか、と思ったが取り敢えず一息吐いた。
「う……」
勢いこみ上げてきた吐き気に、アーチは部屋を出た。慌てて階下の洗面所に走る。
「…はっ。うう…」
何も出やしない。しこたま飲んだウォッカの青い汁が、涎のようにだらしなく溢れてくるだけだ。
苦い味が舌に広がる。酒を飲んで吐くほど酔ったのは、一体何年ぶりだか、とアーチは自嘲した。
「……」
顔を上げると、曇った鏡にヨレヨレの自分の顔が映った。いや。違う。似ているが瞳の色は青い。冬の湖の面に近い凍えた色彩。そして、白い貌。尖った顎。
指先で曇りを拭うと、それはいつもの自分の顔に戻った。酔っていると見えない物でも見えてしまう。
「やはり来たのか」
洗面台に突いた手の甲に、微かな血の色が浮かんでいた。
冷え切った壁面に背中を付けると、ジョー・クリサンスマムは飛び上がりたい気分を抑えた。零下にほど近い外気温と横穴の暖気の差で結露が生じていたからだ。
パウダーガンを握って音を出すな、という方が間違っている。とでも言わんばかりに、ジョーは《パイソン・ブラザーサン》のグリップを直し、トリガーを引いた。
チャ。ガチ。ズバン。
このスパンがほぼ三秒足らずで六回、計十八秒ほど繰り返される。
ターバンと外套の男達は、次々に現れる。横穴に向ってだ。曲刀のような前時代的な武器は、流石に誰も持っていない。それぞれが突撃用ライフルだの、サブマシンガンだ。
ジョーの足元に、何かが転がった。
「おおい、おいー!それは反則だろうがぁ!」
手榴弾だ、ピンを抜かれた黒い塊を、ジョーは慌てて蹴りだそうとした。だが、右手がお留守になってしまう、と思った瞬間足元がふらついた。
その足元を浚うようにして、誰かが動いた。
「やっと起きたか」
ジョーは言った。
「ずっと起きてるわよ」
ミスティ・サファイアは、極めて不機嫌そうに応えた。ミスティが横穴の外へ放り出した手榴弾は、斜面を転がった。二十メートルも転がらないうちに、爆発音がした。
「第一、うるさくって寝られやしないわ」
ミスティは、ショルダー・ホルスターから《パイソン・シスタームーン》を抜いた。
抜き撃つ姿は、どんな朴念仁も見蕩れる凛々しさだ。呆気に取られた男は、次の瞬間地獄を見る羽目になるのだが。
「いいねえ、いいねえ。闘う女って」
ジョーは38口径弾をリロード(再装填)しつつ、軽口を叩く。
「オレも強い女に護って貰いたいね。サフィール枢機卿みたいに」
「…よく言うわ」
ふん、とミスティは鼻で笑った。ジョーは、ミスティの射撃姿勢を観察しつつ、片頬に笑みを浮かべる。寝ていてもこの女、敵襲あらばと起き上がる。余程周囲を敵視していないのでなければ、根っからの闘士だ。体が反射的に動くらしい。
「オレが神父じゃなかったら、惚れちまうところだねぇ」
ジョーは空口笛を吹いた。
「喋ってる暇があったら援護してよ」
語尾に爆音が重なった。サブマシンガンの衝撃が、横穴の壁を撃ち砕き、辺りは粉塵に視界を遮られた。常識的に考えれば、リヴォルヴァー二丁と、ライフル構えた十数人では、分が悪すぎる。
「ていうか、これはフクロの鼠状態ね」
と、ミスティはいやに冷ややかに言った。ジョーは、腰を屈めつつ、その声を聞いた。
下手が幾ら撃っても当たらない、というのではない。獲物は端からその場所を動けないのだ。こんなインチキあるかよ、とジョーは苦し紛れの唾を吐く。
「こうなったら最終手段しかないよなぁ」
「何考えてるの?」
「苦しいときだけ神頼み、ってヤツだ」
ジョーは、素早く僧帽を脱いだ。僧服の下から引き出した古いロザリオを、左手に握り締める。そして、右手は《パイソン・ブラザーサン》をあっさりと手離した。
朝食の席にいちばん遅かったのは、アーチレリー・ブールヴァルドだった。既にティクスは食事を終えていた。尤も、サプリメントをスープで流し込むだけの簡単な食事であったが。
「何だよ、その顔」
ジンは隣に座ったアーチの横顔を見て、笑った。
「宿酔いか?」
「ほっとけよ」
ぶっきらぼうな答えに、顔を見合わせるジンとピーチィ。そういえば、この町に着いてからというもの、この男、珍しく口数が少ない。
大して美味くも無い冷凍食品を解凍し、皿に載せただけの味気無い朝食。だが、錠剤よりはましだ。アーチは、パサついたパンケーキに人口甘味料のシロップをぶちまけた。シロップの海でパンケーキが泳いでいる状態になっても、アーチはまだ琥珀色のどろりとした液体を皿の上に垂らしていた。
「それはマズイんでねえの?」
ジンが言って初めて、アーチは容器の口を上に向けた。
「甘いのが欲しかったんだ。吐きまくったら口の中が苦くてなァ」
「へんこ(意地っ張り)なんやから」
ピーチィは茶々を入れ、自分の皿を片付けに席を立った。
ジンは少女の後姿を見送ってから、再び相方の顔を見た。ちょっと見には別段いつもと変わりないのだが、違うと言われればそうも見える。
「…悪ィが、滞在が延びそうだ」
アーチは、徐に言った。だが、幾ら急いでいても口に物を含んで喋った事はない。きっちりパンケーキの欠片を嚥下し、アールグレイの紅茶を飲み下してからだ。
「あ、そ」
「一週間くらい」
「げげ!」
ジンは椅子をひっくり返しそうになった。テーブルの上のマグカップが、がたがたと揺れた。
「一週間も、このつまんねえメシなのかよ!」
「サプリメントよりはマシだと思わないか?」
「手前ェ、今までさんざかファーストフードがクソ不味いだの、人間の食いモンじゃあねえみたいな事抜かして置きながら、ハンバーガーよりもイケてねえ冷凍食品がマシだってのか?」
「だから、アレは人外の食いモンだと言ってるだろーが」
アーチは、淡々とパンケーキを几帳面に切り刻み、機械的に口に放り込む。その間も決して、口に物を入れたまま喋らない。
「冷凍食品のほうがナンボかマトモだぞ。喩えて言うなら、アレはぼったくりのえっちフィルムで、こっちは電動ダッチワイフくらいの差がある」
「何言ってんだ。どっちでも生身でないことには変わりねえって。アレも同じ作りだ。食いモンを差別するんじゃねえ」
「…ま、お前の言うことは正しいかもな」
ジンは、意外な言葉に目を丸くした。青天の霹靂のような台詞だ。
「何故だか、ファーストフードだけは気に食わないんだがな。そういうのって、誰にでもあるじゃないか。食いモンに限らず」
「はぁ?」
「意味も無く、それが嫌いだとか、好きだとか。理由なんてないのに虫が好かないヤツが居たり…無意識の内に誰かを好きになっていたり。そんな事は、染色体の何処に書いてある筈もないのにだぜ」
「むう」
ジンは唸った。
「お前、昨夜酔っ払って頭打ったか?」
「別に。たまには言ってみたかっただけ」
沈黙が流れた。黙っていると、どうも気まずい。もしかして、自分の気を紛らわす為に慣れない気を遣ってくれたりしたのだろうか、とジンは相方に対して思った。
「…お前でも、そんな事思うんだな。自分しか愛せない、ふてえヤロウだとばかり思ってたがなぁ」
「ふん。自分を愛せないヤツが、他人を愛せるワケなどないだろう?嫌いになるヤツがいるのも、総ては誰かと愛し合う為ってことさ」
「…ま、お前の言うことは正しいかもな」
そう言ってジンは、にんまりと笑った。アーチも微かに頬を歪めて、笑った。
だが、ジンは抑え切れずに、噴き出してしまう。朝っぱらから、臭って来そうな会話だ。ピーチィが聞いてたら、腹抱えて転げまわっているだろう。
「ゲラゲラ…お前さぁ、やっぱ頭打ってんでねえの?な、何が愛し合うんだよ、え?ふはははは!うはうは!」
「アハハ。え?そういや後頭が痛いんだがなぁ。神経切れたかなー、ついに」
「お前は、神経切れても大丈夫だっての」
無意味に陽気な笑いが、朝のダイニングに響いた。
「だけどよ、お前は虫が好かないヤツ多すぎじゃねえのか?」
「敵が多いというのは、人生の張り合いになるからなぁ」
「そんな張り合いは要らねえ」
「イロイロと罪作りな男だからなぁ、オレって。…さて、そんな事言ってる場合じゃないっと」
と、アーチはパンケーキを平らげ、立ち上がった。甘い物を食べている間に、宿酔いから覚醒したらしい。さすがに回復力の早い強化人間だけある。
ジンは、相方がダイニングから出て行くのを見届けてから、革ジャンのポケットに手を突っ込んだ。掴み出したのは、昨夜路地でパウダーガン使いと揉め合った時に奪った代物。
黒いニット帽。
ジンはこっそりと周りを伺い、帽子に自分の鼻を押し付けてみた。甘い梔子の花の様な香りがした。深く息を吸い込んで肺に溜め、匂いを反芻する。
「…オレは変態か?」
いや、そんなつもりで嗅いだんじゃない。これはどう考えても、女性の髪の香りだ。パウダーガン使いは、男ではないのだろうか。
にんまり笑ったピーチィの顔が、ジンの眼前に迫った。
「まさか、こんなに簡単に掴めるて思うてなかった、って顔やな」
「お、おう」
ジンは腰に手を当て、風呂上りの健康飲みのごとくぐびぐびとミルクを飲み干した。再再々生紙パックは、道端に投げ捨てる。モラルが無いのではなく、捨てたゴミを拾う者の為だ。
ピーチィは、カルタ・テレフォニカ(カード式電話)ほどの大きさの装置を掌に載せていた。
「逃げる時に、発信機飛ばしたった」
ジンが帽子を掴んだときに、光った物が、それなのだろう。ピーチィは、液晶画面を光に翳した。
「服なんか脱いでるんじゃねえのか?」
と言うジンをピーチィは、ギッ、と睨んだ。
「普通、屋外で服脱ぐんか?家の中に決まっとるやろ。ほなら、そいつの家まで運んでくれたらええやないの。後姿も背格好も判っとんのやから、後はかーんたん」
「お前、意外に賢いな」
「はぁ?」
訳のわからない感心の仕方に、ピーチィはげんなりした。毎度の事ながら、相方に呆れられるのも当然だと思う。
「ていうワケで、ここ?」
ジンは巨大な門扉を見上げた。黒塗りの鉄柵と白い壁は、以下にも中世ヨーロッパのお屋敷を彷彿とさせる。
だが、門扉の前に紫紺の喪章が掲げられていた。
「ここも葬式かよ」
「生半な遣り方やったら、入れへんな。でも、そこはこのウチに任せてや」
ピーチィは、無い胸を張って見せた。
「……」
ジンは、ふとサングラスの向こうを見遣った。いつも見慣れた灰緑の色彩だ。
だが、待てよ。こんな簡単な事でいいのか。今迄さんざん翻弄されて来て、こんなに簡単にシルヴァー・ブレットが見付かっていいものだろうか。
考えてみれば、この数年、この人物を追えと言われて、訳も判らず取り敢えずパウダーガン一丁握り締め飛び出してみたものの、何のアテもなくうろついていただけだ。頼りになるのは、性格は兎も角抜きん出た相棒の頭脳といい加減な町の噂だけだった。
「オレ一人で、こんな簡単に見付けていいもんだろうか?」
それは悪魔の囁きか。ジンは、額に汗が滲むのを感じた。
こんな都合のいい話があっていいのだろうか。だったら、今迄出会って別れて、もしかして自分の所為で死なせてしまったかも知れない、少なからぬ人間達に申し訳ない。
荒原で、砂漠で、あの薄暗いホンコンの片隅で。路地裏で。
そんな迷いが、ジンの胸を過ぎった。
「アンタ、何かいらん事考えてへん?」
「え?」
「簡単に見付かって、ジ・エンドで物足りへんとか。何の為に苦労してきたんや、とか」
「う」
ほとんど図星を突かれて、ジンはよろぼうた。こういう女をヨメにするとうかうか浮気も出来やしねえ、と思った。自分のバカ正直は棚に置いてだ。
「そこのー」
「カタが着く時ってのは、一気に着くもんやで。苦労したらしただけ終わった後が呆気なさ過ぎておもろうないけどな」
「そんなモンかなぁ」
「おい、そこのー」
「何を今更シルヴァー・ブレットに会う勇気がない、とか言うてんちゃうやろな?」
「バカ言え」
「聞いてるのか、そこのー」
「うっさいねん、さっきから」
「黙れクソ野郎!」
ジンとピーチィは同時に振り返った。見ると、そこには警備員風の中年男が立っていた。目を見開き、特殊警棒を構えた姿だった。
「…何か用か?」
ピーチィが、どすの利いた声で聞き返す。警備員は、些か腰が引けた様子で二人を見ていたが、警棒を脇に挟み直した。
「あの、当家に御用でしたら、明後日にいらして下さい。今は喪中ですのでね」
警備員は何故か酷く下手に出た。ジンは与し易しと見て、警備員に詰め寄った。
「急ぎの用があってもか?」
「い、急ぎの用といいますと?」
ジンは、サングラスを押し下げ、警備員ににじり寄った。顔をぴったりとくっ付けるようにして言った。
「ここに連続通り魔犯人が潜んでいるかも知れないって、ことだよ」
「ひょ…」
大声を上げようとした警備員の口を、すかさずピーチィが押さえた。
「…はぁ。そ、そんなバカな。ここはドロレスで最も由緒あるヴァレンタイン家ですよ、そんな事があるワケない」
警備員は、頭を振った。
「あるワケ無いと思うところが、ミソなんだよ」
「せやでー。犯罪ってのは、得てしてそういうモンや」
「お前が言うといやに説得力があるよな…おげっ」
ジンは強か向こう脛を蹴られた。そんな遣り取りなど、警備員は聞いていない。
「あなた方、私を担ごうとしてませんか?もしかして、そんな事言って、私に門を開かせて、押し込みに入ろうとか考えてないですよねっ!?」
「押し込みなんて今時流行らんわ。ダサー、この人」
ピーチィはやれやれ、と肩を竦めた。
「ダサー、とかいう問題では…はっ」
警備員は、突如振り返った。門扉の向こうに立っていた人物と目が合ったからだ。
その女は、音も無く静かに門の奥に佇んでいた。鶴が舞い降りたかのような、細身のシルエットを際立たせているのは、黒い上下のパンツスーツだった。襟を立てた白いシャツは男物の袷になっていた。白い皮膚は明らかにヨーロッパ人のものである。それに、ディアスポラでは隠しようも無い見事な金髪。
「……」
ジンは息を呑んだ。
若い女の怜悧なまでの美貌にではない。金髪だからだ。それ以外の理由は全く存在しなかった。
首筋に掛かる梳いた柔らかい髪。女は、ジンの吃驚した口元を見て、一瞬皮肉に笑ったかのように見えた。
「先生」
警備員は、美女に向って言った。美女は門扉の鉄柵の間から、顔をすっかり覗かせた。
白い貌に柔らかい笑みが浮かんだ。
「お客様かしら?」
意外に高い声だった。普通、背の高い人間の声は共鳴する体も大きいので、低い筈だが。
「緊急の用だとか、何とか。でも…どうも怪しいので」
警備員は遠慮会釈無く言った。先生、と呼ばれた女は頷いた。ジンとピーチィを順に見遣り、慎重な面持ちで答える。
「お入り頂いて。私が許可します」
「でも、喪中なんですよ、いいんですか?」
警備員はうろたえた。主の怒号が聞こえてくるのを想像したのだろう。美女は先程の柔和な笑みとは裏腹に、凍るような眼差しを警備員に向けた。青い瞳に鋭気が籠る。
「私はジャメイン様の信頼を得て判断しています」
きっぱりと言われ、警備員はまるで蛇に睨まれた蛙のごとく玉の汗を浮かべたまま、黙ってしまった。
「さあ、どうぞ。お客人」
美女はまた蕩けるような柔らかい笑みに戻って、閂を抜いた。鉄柵が軋む音を立てて、ゆっくりと屋敷の内部に押し込まれて行った。
第二章(2)に続く
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