第十七話
 〜アーツ・オブ・カース  Il fucile maleddetta 
(前編)


第二章  血の乾き嘘の吐息 DRYING IN THE COLOUR OF THE EVENING MOON

 (2)

 辺りは闇の中。恐らく、外は炎天下。汗も湯水のように滴る熱気だろう。だが、ローマの古い地盤を掘り下げたジオ・フロント域には、まるで外の喧騒や暑気は伝わらなかった。冷房など必要ない。地下空間では一定の温度が常に保たれる。上手い事すれば、死体だって腐らないだろう。
 オリーヴグリーン色の瞳が、闇を見詰めた。
「まさか、オレを飲まず食わずで放置して飢え死にさせるんじゃなかろうかと思ったよ」
 アーチレリー・ブールヴァルドは言った。真正面に、薄ぼんやりと光の玉が見えた。その玉は、まるで人魂のようにゆらゆらと動いていた。
 人魂が返事した。いや、正確にはその声はアーチの頭上から聞こえてきた。反響しているのだ。
「遅くなった」
 聞き覚えのある声が、アーチの耳に届いた。
「見えるよ。壁一面に、古えの殉教者達の屍が累々と重なっているのがね。骨で作られた天蓋。しゃれこうべの道標。この椅子だって、何で出来てるんだか」
「地上にも似たような教会があるだろう?これは迫害時代の地下墳墓をそっくりそのままローマに移動して来たものだよ」
 別の声が言った。先程の声よりはやや若い、鼻に掛かったような男の声だ。
 実際、真の闇の中で、人骨は通常の人間には見えなかった。だが、アーチは違う。夜の闇など、然程苦になりはしない。
「そんな事はどうだっていい。手っ取り早く、本題に入って欲しいね。オレはおたくら程暇じゃない。今日も明日も病人は待ってくれやしないからな」
 空気がざわついた。
 闇の向こうに佇んでいるのは、複数の人間だ。老若入り混じった男達が、口々に何か喋っている。
 聞こえる。「このような男に一任して問題ないのか?」「倫理的にやはりどうかと思う」「マキシム・デ・リガールを選択すべきだったのでは?」という声が。こちらからは姿が見えず、向こうからは闇の中も総て鮮明に見える仕組みのだろう、とアーチは悟った。自身をどう批評されようが、それ自体は象の皮膚を蚊が刺すようなものだ。
 ややあって、波立った水面は静けさを取り戻した。
「キミに教皇からの勅命を授ける」
 パチン、と指を鳴らす音がした。
 アーチの眼前に仄白いものが浮かんだ。純白の法衣を纏った人物が現れた。宝冠を見なくとも、その人物が誰に当たるのか、一目で知れた。
「これは猊下。シクトゥス13世…のホログラフィ」
 と、アーチは殆ど嫌味と取れるような慇懃な仕草で深く一礼した。悪さついでに、教皇に手を伸ばす。白い衣服の向こうまで自分の腕が突き抜けた。
『アーチレリー・ヴェルナルダン・ブールヴァルド。貴殿に命ずる…以下の人物を捜索せよ』
 教皇が読み上げた人物の名。
 ジン・スティンガー。
 詳細までは覚えていない。ごく冷静に聞いていたつもりだが、その程度の記憶しか持つ必要が無かったのだろう。そもそも、男の名前を聞いても毛頭覚える気は無い。
「何故オレが、と聞くのは愚問ですかね?」
 漸く開けてきた視界に向って、アーチは言った。刻々と自分の存在は地上に近付いていた。
「何となく理由は判っているのだろう?キミ自身」
 返って来た答えは、アーチの予想通りだった。銀髪の枢機卿が隣をほぼ同じ速度で歩いていた。
 その横顔が振り向いた。グレナデン・サフィールの尖った鼻先が、アーチの方を指した。濃い灰色の瞳が、見詰める。会うのはまだ、数える程の回数だというのに、アーチは何故かそんな気はしなかった。
「キミは日本人の遺伝子を調べていただろう?ジン・スティンガーは、国連も絶滅宣言をした純血日本人だそうだ」
「純血?」
 アーチは、あからさまな疑念を隠し切れなかった。
「一体、どうやってそれが判ったんですか?」
「《プレミオーロ(賞金稼ぎ)》制度を知っているだろう?AP(アソシアチオーネ・プレミオーロ)。何の因果か、この私が協会長を任されているんだがね」
 そう言ったときのサフィール枢機卿の顔には、苦笑が浮かんでいた。
「はぁ。こう言っちゃ失礼ですが、インチキな協会かと思ってました。そうだったんですか」
「インチキと言えなくもないよ」
 階(きざはし)の向こうに、黒い扉が見えた。
「我々やUP(国際警察)が手を抜いて、僅かばかりの報酬で民間人に殺生を行わせるなんて、むしろその方が倫理的にどうかしていると思うのだがね…」
 サフィール枢機卿は、再びアーチの顔を見た。
 先刻、暗闇の中で聞いた言葉がアーチの脳裏に反射的に甦る。
 「倫理的にどうか」。フォーティファイド(強化人間)である自身の存在意義を問われているのだという事は、今更他人の口を借りて言われたところで、汚穢に小便をかけるようなものだった。
「お気を遣わなくても構いませんって。慣れてますから」
「…一度紛争あらば、己の手を汚すまいと他者を利用して血で血を洗い、収まれば実行者を貶め詰り、挙句の果てに科人(とがびと)扱いする。倫理感などと大義を言うが、実際のところ御都合主義と変えても構わんのだよ。この伏魔殿に巣食う連中の言など」
 サフィール枢機卿は、言った。黒い扉が開いた。
「で、そのAPの中にいたのだ。ジン・スティンガーは。キミと同じパウダーガン使いだ。APでは、DNAで人物照合をする規定になっているのでね。それでほぼ日本人ではないかと。だが、キミが確かめてくれる方がより確実だ」
 パウダーガンを持っているのと、賞金稼ぎかどうかは、また別の話だ。職業として医師免許を持っているアーチが賞金を稼ぐ必要は無い。
「捜すだけで事足りるとは思いませんがね」
「その後は、ジン・スティンガー本人に勅命が下るということになっている」
 扉を抜けると、暗い世界が一変した。近代的なエレヴェーターが二人の男の眼前に現れた。
「彼にはやって貰わないといけない仕事があるのでね。キミにはいずれ、お守り役が回ってくるだろう」
「ムサイ男のお守りなんて、御免被りたいですよ」
 アーチは軽い嘆息を洩らした。サフィール枢機卿は、くすりと笑った。今日初めての笑声だった。
「そう言うだろうと予測出来たよ」
「だったら…」
 かねがね噂の麗しい姪御ドノでも早く紹介して下さいよ、と言いかけたアーチの面倒臭そうな声を、枢機卿は柔らかく遮った。
「表向きは、だ」
「は?」
「キミには特別な任務を、私が個人的に与える。いや、異端審問所所長の命として」
 それが「捨石になれるかね?」と言ったあの初対面の時の続きか。やっぱりそうなのか。アーチは、憮然となった。

「まいったな…」
 と、知らず知らずの内に呟きが洩れる。気が付けば、目の前の仕事は一向に進んでいない。しかも頭はぼんやりする、ときては遣る方無い。アーチは椅子を引き、立ち上がった。窓から差し込む薄日が、涼気を運んでいた。
 今し方、ヴァティカン科学アカデミーとの交信を終えたばかりだ。たった十分足らずの遣り取りで、いやに疲労が全身に染み渡ったのは、その内容が余りにも過酷だったからだ。
 パソコンをたたみ、眉間に寄った皺を擦ると、いつもの明るい表情に戻った。考え事に耽る男前は世界の総てをを暗くするのでいけない、とアーチは自負していた。
 地下室のティクス・コリンズの所へと、アーチは歩いた。
 外は暖かいのに、肌を刺すような冷やりとした空気が、ローマのジオ・フロントを思い出させた。もう二度とあそこに行く事は無いだろう、と思いながら。
「ティクス。ドットーレ・ティクス」
 呼んだが、やはりというべきか、返事は無かった。どうせ、研究に没頭している時は、ティクスは目の前の事以外何も見えない聞こえないのだ。
「ティクス…」
 アーチは、乾いたリノリウムの床をゆっくり進んだ。
 製薬用の器械が並んでいるが、見たところで用途は判らないものばかりだった。見当は付くものの、専門が違えば、まるで訳が判らない。下手に触って壊すと大変だ。
「ううー…」
 ステンレス製の深いステンレスシンクの向こうで、うめき声がした。
 急いで回ると、そこにはティクス・コリンズが突っ伏していた。
「おい!」
 と、抱え起こそうとしたアーチは、ふと手を止めた。ティクスの細い身体が小刻みに痙攣していた。震えている、という表現では覚束ない程の。癲癇の発作ではない。ティクスは癲癇持ちではない筈だ。
「…あ」
 ティクスは、シンクに手を伸ばした。
 そして、頭を振り、耳を塞ぐような動作をした。その仕草に見覚えが、と思った瞬間。アーチは言い掛けた言葉を噤んだ。
 声を出してはいけないのだ。歩いて来た時の靴音さえも、まずかったかもしれない。まるで、それはこの町に入って直ぐに見た若者と同じ様相だった。
 やがて震えが止まるまで、およそ五分、アーチは息すらも潜めて立ち尽くしていなければならなかった。
「ティクス」
 アーチは、ぐっしょりと汗に濡れたティクスの手を握った。
「何なんです、今のは?」
 酷く低気圧な声のトーンに、ティクスは上目遣いでアーチを見詰め返した。
「始まったんだよ、副作用が…」
 ティクスは、よろよろと立ち上がった。
「町の人間にはもう始まってるヤツもいたみたいですが」
「そうとも」
 ティクスは力無く答えた。びん底眼鏡を押し上げる。顔色が酷く黒ずんでいた。血行が悪くなって、一時的にチアノーゼを起こしているようだ。
「分子振動を起こして脂肪を分解、別な物に再生するんだ。副作用が無い筈はないと思ったが…」
 アーチは抑揚の無い声で言った。
「再生された物の内、水分は体外に排出されるが、残ったタンパク質は蓄積する。変性タンパク質だ。また、分子振動によって、神経組織が蝕まれる」
 ティクスは壁に手をついた。立っているのがだるい。
「このままだと、私は…」
「ドミナント・ネガティヴですね」
 ドミナント・ネガティヴとは、タンパク質の構造異常が引き起こす作用だ。優性遺伝病などでは、幾ら正常なタンパク質が作られても、異常なタンパク質が発生する限り病気は発症する。例えばALS(筋萎縮性側索硬化症)のような。
「いや、もしかしてアロステリック酵素が生まれている可能性があるのでは?」
 アーチは、飽く迄冷静に分析した。
 アロステリック酵素とは、タンパク質であり有機触媒でもある酵素の『基質特異性』に基づく効果から由来する。
 酵素には、「活性部位」と「調節部位」とが存在する。その立体構造上に「活性部位」と異なる部位に低分子(分子量が小さい分子)の「調節因子」が結合して、酵素活性が増加したり減少したりする現象を、アロステリック効果と呼ぶ。
 「負」の「調節因子」が結合すると酵素は阻害され、「正」の「調節因子」が結合すると酵素活性は増加するのだ。
 アロステリック酵素の一例としては、酵素アスパラギン酸カルバモイルトランスフェラーゼが挙げられる。
 例えばこの酵素に対しては、ATP(アデノシン三リン酸)が「正」の「調節因子」として、CTP(シチジン三リン酸)が「負」の「調節因子」として働く。ATPは体内のエネルギー伝達物質だが、CTPやGTP(グアノシン三リン酸)などには全くそのような働きは無い。
「プロテアーゼ活性を阻害している物質が、調節因子として酵素に働きかけているという事もありますがね。その結果として、異常構造タンパク質が分解できなくなるという」
 ティクスは黙ってアーチの判断を聞いた。反論の余地がない的確さだ。
「このままでは副作用で神経がやられ、廃人になってしまいますよ。分かりきっているのなら、何故『ナノティクス・サプリメント』を作ったんですか」
 と、アーチは言った。
 ふ、とティクスは薄い唇に自嘲的な笑みを浮かべる。
「分かっていても試してみたくなるのが、人間という生き物じゃないか。ましてや、科学者なんて実は一番非科学的な生き物だぞ。化学実験の手前で一体どんだけ己の妄想に苛まれるか、キミには充分わかるだろう。これが試さないでいられるか?」
「自暴自棄で言ってるのでなきゃ、オレは止めやしません」
 アーチはあっさりと答えた。要するに、勝手にしろ、だ。
 妄想は科学の母だ。徒な空想が膨らめば、それを具現化してみたくなる。馬鹿馬鹿しくも実際に立証してみるのが、科学者達なのだ。そんな事を責めるつもりは、アーチには全く無い。
 だが、アーチはティクスを見詰めたまま、地下室に留まっていた。
「でも、副作用があるのがご自分で立証済みなら、町の人間にばら撒くのは感心しませんね。いや、貴方自身の為にも、町の人間の健康の為にも止めたほうがいい」
「今更どうにもならんのだよ」
 と、ティクスはびん底眼鏡を外し、鼻の付け根に溜まった汗を拭った。
「失敗だったよ」
「仕方ないでしょう?兎に角、打つ手を考えないと」
「それは無理だよ。…恐らく無理なんだ、我々の身体では!」
 ティクスは壁に何度も自分の両拳を叩き付けた。
「過分に過ぎたんだ。やっぱり!」
 何の事か今一つ判らないまま、アーチはティクスの身体を抱えた。拳に血が滲んでいた。
「放してくれ!」
 ティクスは叫んだ。アーチは、ティクスの両手首を掴んだ手を緩めた。
「じゃあ放しますよ?いいですね?」
「……」
「貴方がオレ達を、いやオレを快く泊めてくれたのには理由があったんです。止めて欲しかったんでしょう?」
 アーチの言葉に核心を突かれ、ティクスは思わず身体を硬直させた。
「廃人になるかもしれない危険性を孕む『ナノティクス・サプリメント』を作り続ける自分。それと、もう一つの理由が…」
 言い掛けた時、ティクスの表情から血の気が引いた。まるで幽霊にでも出会ったような驚愕と恐怖に隈取られた顔を、アーチは覗き込んだ。
 ティクスは視線を避けた。
「それよりもドットーレ」
 と、アーチは苦笑を浮かべた。
「今も貴方は、ヴァティカンではパリに居るなんて事になってるんですか?」
「え?」
 ティクスの唇が微かに震えた。
「医局長から聞いたんです。嘘なんか吐く必要ないのに。それとも、マズイ事でもあるんですか?」
「たまたま住所変更をしていなかっただけだよ」
 ティクスは声を潜めて言った。頷くアーチの手に力が籠った。
「…怖いこと教えてあげましょうか?」
 表情は変わらない。だが、緑の瞳は曇っていた。
 アーチは、ティクスから不意に手を放した。痩せぎすで筋肉の衰えたティクスの身体は、軽くよろぼうて壁に背中をついた。息が上がっている。
 アーチは、白衣の下に右手を突っ込んだ。そして、次に引き出した時には、黒く厳ついパウダーガンが握られていた。《キングコブラ・バニッシュメント》だ。
「な、なななな何を?」
 ティクスは本能的に身を竦め、両手を上げた。
「事に拠っては、オレは貴方を殺さないといけません」
 アーチの整った唇に、微妙な笑みが浮んだ。

 美女はまさしく氷湖の白鳥のような優雅な立居振舞で、豪奢な邸を勝手知ったる様子で歩いて行った。
 ジンとピーチィは黙って付いて行くばかり。
 見た所、長身の美女は家人ではない。それは警備員との遣り取りでも伺えた。警備員は、女を「先生」と呼んだ。
 ジンは、我知らず美女の後ろ頭を凝視し続けていた。幾ら見詰めたところで、金色の髪は金色のままだ。栗色に変化するでもない。
 願わくば、この女が昨夜のパウダーガン使いであって欲しくない。そう言う気持ちをジン自身自覚している。
 その気持ちが、嫌でも女をしつこく観察させた.。
 それにしても、美女の面影が気になる。そう。誰かに似ているのだ。
 具体的に思い浮かべようとする気持ちと、それを拒否したい気持ちがジンの中に同時に生まれた。
「此方へどうぞ」
 美女は応接室の一室と思われる場所へ、二人を誘った。部屋はやはり館の外見と同じ様に白で統一されており、絨毯は真新しかった。一台の古いグランドピアノが置かれていた。
「ヴィヴィアンお姉ちゃん」
 ピアノの丸椅子から、少女が振り向いた。黒髪の豊かな十歳そこそこの少女だった。見た目は愛らしいが、何処か陰気な雰囲気は否めない。
「お姉ちゃんじゃなくて、『先生』でしょう?」
 ヴィヴィアンと呼ばれた美女は優しく少女に声を掛けた。少女は丸椅子から飛び降りるようにして立ち上がる。
「お客様がいらしたので、少し外へ出て行って貰えるかしら?」
「…うん」
 少女は大人しく答えた。だが、人見知りが激しいのか、ジンとピーチィの顔を素早く横目でちら、と見遣ると、少女は女に隠れるようにして壁伝いにドアへと向かった。
「後でね」
 少女は深く頷いた。後ろ手にドアを開き、そそくさと出て行く。
「可愛げのないガキ」
 ピーチィは聞こえるように呟いた。
「お前もガキだろう」
 と言うジンの突っ込みは完全に無視されていた。
「あの子はヴァレンタイン家の一人娘です。私はあの子の家庭教師ですわ」
 ヴィヴィアンは、二人に椅子を勧めた。だが、ジンは座らなかった。
「ということは、あんたは殆どこの家に居て、あの子に付きっきりなんだな?」
「そういう事になるかしらね。何しろ、お察しかと思うけど、門の喪章はあの子の母親の為のものなので。今はとても落ち込んでるので、付いていてやらないといけないんです」
 ヴィヴィアンは言った。濡れたような唇が、もどかしげに動く。
「昨夜もあの子と一緒だったんだな?」
「当然です」
 きっぱりと涼やかに答える美女の瞳を、ジンは見詰めた。湖のような青さだった。生物も殆ど居ない出来たてのカルデラ湖のような。その瞳に自分が映っている。
「…じゃあ、この帽子に見覚えは?」
 ジンが徐に差し出したのは、例の黒いニット帽だった。
 ヴィヴィアンは首を傾げた。
「何の事かしら?あなた方、UPの方?私を取り調べようとでもいうつもりなのかしら」
「何故取り調べだと思う?」
「最近、町に通り魔が流行っていることくらい耳にしていますわ。パウダーガンを使った手口だとかいう」
「ふん」
 と、ジンは帽子を出した手を引っ込めた。
「素性が知れないというのはさておき、初対面でいきなり疑われるなんて」
 ヴィヴィアンはくすり、と自嘲的に笑った。この女、どうも雰囲気的に皮肉っぽい、とジンは思う。凄い美人だが好きな感じではない。
「あなたはプレミオーロね?」
 その問いに、ジンは無言で頷いた。
「成る程、お尋ね者を通り魔と同一人物だと思っているということなら、辻褄が合うわ」
「この帽子は昨夜四十五口径弾のパウダーガンを発射した人間が被っていたものだが、あんたは見覚えないというんだな」
「後姿は見たんやで。あんたと同じ金髪やったで」
 ピーチィが口を挟んだ。ヴィヴィアンは、少女の方へ振り向いた。ピーチィは、一瞬びくっと身体を縮み上がらせた。勿論、発信機のことは言わなかった。
「染髪している人間もいれば、金髪の人間もここには少なくないわ。歴史的民族的に言って」
「そうだな」
 ジンは、あっさりヴィヴィアンの意見を肯定した。
「だが、そのパウダーガン使いは、オレに撃たれて負傷している筈だ」
「……」
 暫し沈黙の天使が通り過ぎていくのを、三人は待った。
 最初に口火を切ったのは、他ならぬヴィヴィアンからだった。
「要するに、私が怪我をしているかどうかという事を確かめたい。そういう事なのかしら?」
 ヴィヴィアンは、唇を開いた。本来のややアンニュイな喋り方が、今の台詞には余りにも似合っていた。
「いいわよ」
 ヴィヴィアンは立ち上がった。
 黒いジャケットをするりと脱ぎ、ソファの背凭れに掛ける。そして、次はシャツの左腕を捲くるのかと思いきや、ボタンを外し一気に脱いだ。
 呆気に取られたジンとピーチィが声を掛ける間も無く、ヴィヴィアンは更にズボンも脱ぎ捨てた。雪盲になりそうなくらい白い肌膚(はだえ)が露わになる。
 四肢は長くてすんなりと美しい。同性でも見惚れるような、スレンダーな造形だった。
 ヴィヴィアンは、二人の目も構わず、いや二人が居るからこそ、着衣を剥がしていった。下着も含めて彼女を被う衣服を小山のように脇へ追い遣ると、ヴィヴィアンは真顔で言った。
「これが私の答えよ」
 ジンは、サングラスを外すべきか、外さないで置くべきか、実に迷った。
 全裸になったヴィヴィアンは、恰も狩りの女神のような存在だった。見た者は、その逆鱗に触れるという。だが、凝視しないではいられない悪魔的な美しさが底に潜んでいる。
 華奢に見える手脚に比して、肩は広く、胸の位置は高く、尖った活火山のような乳房は天を向いて挑戦的だ。くびれた腰の線は、やや細い感だが、充分に丸みを帯びていた。手足の細さに比べて、女性の特徴はいやに判然としていた。嘘臭いくらいに理想的だ。普通は少しくらい、崩れた所があっても良さそうなものだ。それがまた女性の肉体の魅力的な部分でもある。
 逆光に金色の産毛が光っていた。淡くけぶる恥毛さえ、少しの淫靡さを感じさせない神々しさだった。扇情的な感じは微塵も無い。彫像のような美しさだった。
 自然の造形で出来た以外の裂け目など、在りそうに無い。
「得心がいったかしら?賞金稼ぎさん」
「…ああ」
 ジンは低く答えた。顔を背ける。
 傷一つ無いヴィヴィアンの身体は、再び元の衣装に包まれて行く。ジンは、ぽかんと口を開けたままのピーチィの腕を掴んだ。
「いで」
「帰るぞ」
 ジンはヴィヴィアンの方を振り向かなかった。
 ドアを閉める時も、一度も振り返らなかった。何か、ヴィヴィアンの呟きが聞こえた気がしたが、それでももう一度顔を見る気にはならなかった。
 今更になって、ジンの額には、脂汗が浮かんでいた。
「顔真っ赤やで。その歳で恥ずかしがっとんの?」
 ピーチィは、からかうでもなく真顔で言った。
「違う。そんなんじゃねえ」
 見る者のほうが恥じ入るような大胆な脱ぎっぷりだったが、そんな事に驚異していたのではない。空恐ろしい感覚が、ジンの皮膚の毛穴という毛穴を通じて、浸透していた。
 禍々しい空気。
「ホンマにあの女ちゃうんやろか?」
 ピーチィは、廊下を振り返った。応接室のドアは、閉じられたままだ。ジンは答えなかった。
「アヤシイよ…」
「そう思うか?」
「さぶいぼ(鳥肌)出たもん」
 根拠はないが、言うなればそれは女の勘というものだった。


第三章(1)に続く

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