第十八話
 〜アーツ・オブ・カース  Il fucile maleddetta 
(後編)


第三章 遣わされた処女(もの) WHY DO YOU WEEP? 

 (1)

 ヴァティカン科学アカデミーのマザーコンピュータは、外部からのハッキングは実に困難を極める。むしろ『不可能』の文字を並べてもいい。
 だが、内部事情に詳しい者なら、侵入は簡単なことこの上ない。
 飽く迄それは、内部の人間であって、詳しいだけではやはり『不可能』なのだが。
 通常のデータは、職員の就業職種レヴェルによって、その閲覧階層が制限されている。それも『閲覧可能』なデータのみの場合だ。ものによっては情報をダウンロード出来る。だが、そんなものはディアスポラの全信者が知っているような教皇のお言葉であり、数百年も続いてきたラテン語放送と大差無い。
 殊に科学アカデミーの持つデータは、その90パーセントが外部の者は容易に閲覧出来ない決まりになっている。ましてや、データの持ち出しは在り得ない。マザーが管理する範囲内での作業、実験は持ち出しではないのだが。
 数ヶ月前の話を、アーチは目の当たりにした。忘れていたのではない。
 それよりも、プレパラートなんか見るよりも、統計を計算式に当てはめて嬉々としているよりも、本音を言えばずっと気になる事があったからだ。一口で言えないような事だった。
「《PE(プレフェレンツァ・エモパティア)》を持ち出した人間を漸く追究出来たのよ」
 カッサンドラ・ブルーネレスキ博士は、いつもと変わらぬ面持ちだった。
 細いメンソールのタバコを赤い唇に貼り付けたまま。
「また吸うようになったんですか?」
 と、アーチは軽口を叩いたが、カッサンドラは意に介さないような身振りで肩を竦めたに過ぎなかった。
「《PE》がK階層に眠らされてから、ホンコンのあの事件までの間に、マザーにアクセスした回線を逆探知するのに、一体どれだけの時間が掛かったか。あのコンピュータもすっかり耄碌ババアなんで、逆探知出来ないのも幾つかあったけどね」
 カッサンドラは忌々しげに言った。仕事疲れで目の下に隈が見えている。映像でこんなのなら、実物はもっと凄いだろう、とアーチは思ったが黙っておいた。上司の機嫌を損ねても、ロクな事はない。
「何十年ていう時間。のべ何百万人ていうアクセス。もう、うんざりだわ。…尤も、私が調べたんじゃないけども」
「恐れ入りますよ。さすが医局長」
「仕事にお世辞を使うようになったなんて、アナタ変ったわね。俗っぽくなってきた?」
「医局長がお美しいのは、言うまでもない事ですのでね。今日はいつも程でもないけど」
「憎らしいヤツ」
 そう言いながら、カッサンドラは笑った。
「…驚かないでね」
 咥えた細いタバコの火口が赤く光った。
 今更驚くことなど、多分ないだろうとアーチは頷いた。
 目の前に蹲っている男がそうなのだと知って、アーチは確かに驚きを覚える事は無かった。虚しい気分が満ちてきた。それだけだ。
 アーチは、右手に握り締めた《キングコブラ・バニッシュメント》のトリガーをカチカチと遊ばせている。延々と、数十分もその規則的な音は続いていた。
 ティクス・コリンズの、薄くなりかけた頭頂を見詰める。
「《PE》は一般のアカデミー職員はおろか、ゲノム解析班のスタッフですらその存在を知らない物なんです」
 アーチは乾いた声で言った。ティクスは、頭を抱えたまま無言を貫いていた。
「知っているのは、かつてユーロ総合科学研究所に在籍していた人間だけ。しかも生物工学研究所のプロテオリシス・システム・プロジェクトチームしか知らない筈」
 プロテオリシス・システム・プロジェクトチームとは、タンパク質分解のシステムを、人間に限らずあらゆる生命体において解明しようという計画の研究班を指す。
「つまり、オレのオヤジとその周辺の一部のスタッフしか知り得ない凶悪な生物兵器。息子のオレが知っているなら、当然後輩の貴方も知っているんですよね。我ながら節穴でしたよ。というか、お見事です」
「…私は、そうせざるを得なかった」
 ティクスは、蚊の鳴くような声で言った。
「《PE》を実際にばら撒いたのは、私じゃないんだ…!」
「でしょうね」
 アーチは、軽く言い放った。
「貴方の関心はそんな所には全く無い。生物兵器なんか無縁の人だったんですよね、博士は」
「……」
 ティクスは顔を上げた。顔中に汗が滲んでいた。びん底眼鏡が下へずり落ちて真っ赤に充血した白目が見えた。
「貴方を動かした人間がいることも判りました」
 アーチは静かに言った。右手が力無く下りた。もう、カチカチという音はしない。

「『ナノティクス・サプリメント』の原理は、フォーティファイド研究に基づいていた」
 つまり強化人間とは、後天的に生身の肉体機能を増強させた人間という意味だが、本質的に人間の肉体そっくりそのままを交換するのではない。
 早い話が、戦時下において兵士が如何に負傷を軽減出来るかという目的にあった。最初の名目としては。
 体細胞ホメオスタシスのサイクルを早め、通常の人間が全治一か月の負傷に対して、フォーティファイドは約一週間から二週間で完治出来るまでに機能を高めることが出来た。
「当然ながら、フォーティファイドは自己免疫機構、そして細胞アポトーシスにおいても迅速なデジタル処理を体内で行う事が出来る。そういう風にプログラミングされた肉体だ」
「タンパク質分解、再構成サイクルにおいて、我々の能力が実に通常の人間の比ではない事は、この身体で知っています。朝作った擦り傷は、朝飯を食っている間にくっついてしまいますよ」
「…もう判るだろう?」
 ティクスは、弱弱しい声で言った。命乞いをしているみたいで、聞いている方が心地の良いものではない。
「サプリメントの原材料は、フォーティファイドの体細胞組織からだ」
 アーチは、ティクスを見下ろしたまま黙っていた。
「それも、再生促進型。つまりレミンカイネンから抽出したタンパク質を加工したものなんだ」
「皆まで言わなくても構いません」
 と、アーチはパウダーガンを腋下に仕舞いこみながら唄う様に言った。
「喩え《PE》を持ち出す事が出来ても、レミンカイネンの細胞見本を持ち出す事は出来ません。答えは簡単です。そんな物はアカデミーの何処にも保存されていないからです」
 アーチはティクスの前からやや後退した。
 もう副作用による発作は落ち着いているだろう。
「オヤジはユーロ研解体の時に、全てを処分したようです。フォーティファイドに関する極秘事項及び、研究経過総てを。何より外部へ持ち出される事を恐れていましたからね」
 ティクスは、小刻みに呼吸を続けるだけだった。
 最早レミンカイネンに関する情報は、当人の存在だけ、という事に。
「かといって、オレの髪の毛や皮膚組織からレミンカイネンのコピーを作る事は不可能です。体内を離れて人為的に複製しようとすると、異質分子が発生する構造になっているんですよ。早い話が、『プログラム細胞死』が起こるように。オヤジもたいした手品師ですがね」
 アーチは大きく息を吐いた。地下室はやはり肌寒い。
 生命は、複雑に組まれた分子運動の集合体に過ぎない。分子細胞レベルには、生命活動そのものはエネルギー消費と集積の繰り返しに過ぎない。如何にして、それを効率よく行っていけるかどうか肉薄するのが科学であるならば、レミンカイネンとて『ナノティクス・サプリメント』とて、大差ないことになるだろう。
「その分子構造を利用して『ナノティクス・サプリメント』を作ったんだ」
 ティクスは、矢庭に叫んだ。
「本来は、非常時に破損した肉体の恒常性を保持する為のものであって、ヤセ薬なんかじゃなかった。それも、元々はキミの父上が私に託した研究だったんだ」
「フォーティファイド化されていない人間の為に、ですよね。戦場で重傷を負った場合であるとか。だが、それは一時的な対処療法であって、根幹のものではありません。やはり、人間は本来の治癒能力しか為す術がない」
「我々の肉体には、過分に過ぎたと言っただろう…」
 アーチは、言い訳とも取れるティクスの台詞を冷やかに聞くだけだ。幾ら理由を重ねたところで、今更問題では無い。
「もし、貴方がオレの子供の頃の髪の毛なんかを後生大事に持っているのでなければ…」
「……」
「もう一人のレミンカイネンが、貴方に協力したという事ですよね。言えばすっきりする。もう、そんなクスリに頼らなくても済むんでしょうけどね」
「やめてくれ…」
 ティクスは、頭を床に押し付けた。
「判っているのなら、もうそれ以上言わないでくれ」
 再びティクスの身体が震え出した。副作用などではない。何かに怯えた時の、心底怯えた時の隠しようが無い感情の奔流が科学者の身体を凌駕しているようだった。
 何を。やめてくれと言いたいのは、オレの方だ。
 アーチは思った。冗談じゃない。

 朝陽が地平線を突き抜ける。まるで、胎内から離脱する卵のように呆気ない。
「嫌な臭い。吐きそう」
 そう言って鼻を摘んだのは、ミスティ・サファイアだった。
「タンパク質の焦げる臭いは嫌なもんだ」
 答えるのは、背中を向けた《スロッピー・ジョー》ことジョー・クリサンスマムだ。
「…そうじゃなくて、何なの?こふぉははらひんまふぁいふぉうらニホイはぁ?」
「『この鼻がひん曲がりそうなニオイ』だって?」
 ジョーは振り返った。焚き木を靴の裏で引っくり返し、燻った火を消していたところだ。ミスティは、横穴を一歩出て、風上の方へ移動した。とても臭過ぎて耐えられない。
「へ、だよ屁!」
「へ?」
 ミスティは口元を覆って訊き返した。
 夜明け前、ニザリの敵襲に遭い文字通り横穴の中で袋の鼠状態となった二人だが、危機を回避出来たのは確かだ。こうやって五体満足にいられるのだ。
 ジョーは、《パイソン》をホルスターに戻した。諦念がそうさせたのでは無かった。一瞬、ミスティは本気で祈祷するつもりかと頭の構造を疑ったが、その誤解は直ぐに撤回されることとなった。
 ジョーがパウダーガンの代わりに発射したのは、ペン状の物だった。撒かれた霧状の物が空気中に広がるや、異臭が漂った。漂ったという表現では覚束ない程に強烈なものだったが。
 そこで、ニザリの連中が各々よろぼうている所を、ジョーは例のラウンドノーズ弾(丸頭弾)で急所を外して撃ち抜き、見事返り討ちにしたという訳だ。
「珍獣スカンクの屁だよ」
 ジョーは、自慢気に踏ん反り返って言った。
「屁じゃなくて、分泌液というヤツでしょう?」
 と、突っ込みを入れるミスティ。
「ったく、そんな奥の手を使う異端審問官なんて、初めて見たわ」
「オレもだ」
 ジョーは肩を竦める。
「だが、どういう手を使っても、オレらは生きて戻らにゃいかんからなぁ」
 ジョーは湿気たダンヒルを咥えた。
 異端審問官の鉄則があるとするならば、今のジョーの一言に尽きるだろう。神の裁きを代行する執行官が冷たい骸になってローマに戻ったところで、泣いてくれる者はあっても、本音は厳しいものだ。任務半ばで命運尽きた同輩の墓石には、輝かしい勲功や業績は一行も書かれていない。
 無言の墓石が、虚しく屹立しているだけに過ぎない。尤も、ジョーは墓などどうでもいいとさえ思うのだが。
「てワケで」
 ジョーは、横穴の周りに伸びているニザリの屈強な男達を見下ろした。
「トランス(共通語)は分かるんだろう?」
 返事は無い。男達は死んでいるのではないが、とてもまともに返事など出来る状態でないのは一目瞭然だった。
「お前らに案内を乞う」
 乞う、という言葉の割には随分と態度がでかいのだが。
「アラムート城塞までの道案内だ」

 ピアノの涼しい音が遠く聞こえる。ヴァレンタイン家の方角から。
 お誂えのように、雷鳴が轟いていた。
「お前、何考えてんだ?」
 ジンは風に浮くテンガロン・ハットを押さえながら、相棒の背中を追った。北西からの風が強まってきた。今朝から天気は芳しくない。だのに、こんな夜更けから出掛けるなどと。
「墓掘りなんて、気ィでも狂ったのか?」
 だが、アーチは返答しなかった。既に、スコップを担ぎ、いつもの七つ道具が入ったジュラルミンケース片手に長い大きなストライドで黙々と墓地の中を進んで行く。
 不気味な黒い山影。墓掘りなどと、ディアスポラの人間が聞いたら目を剥く様な仕業だ。死者への冒涜とも言うだろう。事実、敬虔なクリスチャンでも何でもないジンにさえも気味の悪い事なのに。
 生まれながらのクリスチャンである筈の相棒は、それこそ何を考えているのだろう。
「シカトしくさって」
 アーチは、ふと立ち止まった。ジンは、思わず息が掛かるほどの距離に詰め寄った。
「誰が正気の沙汰だと思うか?こんな墓掘りが知れたら、お前は只じゃ済まないぜ」
「ヴァティカンの御威光に掛かれば、墓掘りだろうが強姦だろうがどうってことはない。殺人だってな」
 と、アーチはさらりと言った。
「尤もオレは合意の上でしかファックしないけどな」
「同レベルにすな」
 アーチは、既に墓石をひっくり返し、スコップを湿った土に埋めていた。墓石に刻まれた死者の名は、アデル・ヴァレンタイン。ジャメイン・ヴァレンタインの亡妻。
「…死因が心臓麻痺だと?医者もいないこの町でフザケるな」
 黒く濡れた重い土が、瞬く間に枯れた芝の上にこんもりと盛り上がる。
 ティクス・コリンズは喋らなかった。彼は『ナノティクス・サプリメント』の副作用で神経を病み、死んだ者がいた事実を知らない。いや、薄々知りながら検死すらしなかった。あの暗い研究所の地下に籠もってひたすら己の研究に没頭していたのだ。
 尤も検死など、医者ではないティクスには出来ないが。
 だがアーチは、目を瞑る事しか出来ないティクスを呪う気にはなれなかった。むしろ、哀れ過ぎた。そんな人間に託さざるを得なかった父親、ジャック・フィリップ・ブールヴァルドが間抜けなのだ。
 ジンは、アーチが無言で棺を担ぎ出そうとしている間、辺りを見守っていた。
 町の人間に見付かったら、それこそ大事だ。
 止めさせたいのは山々だが、相棒が頑として言い張るのには理由があるのだろう。それはそれ、これはこれ、と割り切ってしか物事を進めない相棒がする事だ。黙っておいてやろう、くらいの気持ちで。
 いつしか、ピアノの音は止んでいた。
「…おじちゃん達」
 アーチは顔を上げた。
 いつの間に現れたものか、まるで幽霊のように静かに音も無く、少女の姿があった。
「おじちゃんじゃねえ。お兄ちゃんと呼べ」
 ジンは真後ろを振り返った。思わずぎょっとなる。薄闇に溶け込んだ黒髪の少女が、無表情に二人を見詰めているのだった。
「何してるの?」
 少女サロメは、抑揚の無い声で小さく言った。
「見れば判るだろう。墓掘りだ」
 と、何の抵抗も無くアーチは答えた。
「お墓を掘り返してるの?…ここはママのお墓よ」
「そうだな」
 サロメは、赤く小さい唇をぽかんと開いたまま、足元を見遣った。黒い穴の奥に、棺が現れていた。少女の瞳は、焦点が定まらないかのように潤んでいた。
「ママのお墓を掘ってどうするの?」
「どうもしないさ。本当の死因を明らかにする為だ。そうでないと、キミのママも天国へ行けそうにない」
 アーチはスコップを脇に立て掛けた。少女は黙っていたが、ややあって目を大きく見開いた。
「やめて!」
 サロメは叫んだ。悲痛な叫びではなく、恫喝に似た叫びだった。
 可憐な少女のどの口から、と耳を疑うような太い声だった。
「今直ぐやめて!」
「やめてと言われてやめる訳にはいかないよ。何しろ、他にも同じような原因で死んでるんだ」
 アーチは至極冷静な声で答えた。サロメは両拳を握り締め、二人の男を見据えた。
「やめて!」
 サロメは再び言った。そして、墓穴の脇に突き立てられたスコップを引き抜いた。火事場の馬鹿力というが、華奢な手足の少女にしてはいやに力強い動作でそれを握った。
「やめないと、アナタ達を殺す!」
「……?」
 ジンとアーチは、顔を見合わせた。少女の変貌に目を見張るばかりだったが、どうも雲行きが怪しくなってきた。母親の墓を暴こうとする不逞な輩に立腹するのは、当然の感情だ。だが、何故其処に殺意が加わるのか、解せない。
「ま、待てよ」
 ジンは少女の背後に徐々に歩み寄ろうとした。
「確かに、キミのママの墓をこんなにしちまったのは、オレらが悪いんだがな」
 本当は、悪いのはこいつだけだ、とアーチを指差したかったが。
「だったらやめて!」
 サロメは振り返った。スコップを握った両手を振り回す。
「おい!」
「直ぐにどかないと、殺す!」
「無茶言うなって!」
「無茶じゃないの!早く行って!殺すわ」
 そんなジンとサロメの短い遣り取りを聞きながら、アーチは軽い眩暈を覚えた。吐き気が鳩尾をぐるぐると回り出した。風は強まって行く。流される黒い雲が彼らの頭上で嘲笑う。
「おい!何とか言えよ、もとはお前の所為だろ!」
 ジンの声で、アーチは棺を跨ぎ、サロメの前に出た。サロメは、振り回していたスコップをぴたりと空中で止めた。
「そいつで殴りたけりゃ、殴ればいい。オレを殺したいなら、殺せばいい」
「はぁ?」
 ジンは思わず首を傾げた。
「……」
 サロメは無言でスコップを振り下ろした。鈍い音がした。金属部分がアーチの腰骨にぶつかった。ほんの少しだけ、ふらついたが、アーチは立ったままだ。サロメは再びスコップを構え、渾身の力を込めて、振った。
 今度は届かなかった。いや、アーチの右手の方が素早く、スコップの柄を掴んでいた。
「あ…」
 サロメは小さく声を上げた。スコップを取り上げられ、サロメはまるで力を失ったかのように呆気無く膝を震わせた。
「あ、あ…あ」
 言葉を失ったサロメは、ぐにゃりと身体を折ってアーチの片腕に抱えられた。何とも不思議な光景だった。
「お前、こんな子供を…犯罪だろ、それは」
 ジンは呆気に取られたまま、呟いた。聞き分けの無い女を骨抜きにするとかいう、《黄金の右手》を使ったのか、と訝ったのだが。
「何もしてないぜ。勝手に失神したんだ」
 アーチはスコップを地面に放り出し、サロメの小さな身体を両腕に抱き寄せた。憑き物が落ちたかのように、サロメは静かになった。
「勝手に?」
 風は不吉な臭いを運んで来た。乾いた血と硝煙の臭い。それは、少女の身体からにおって来るのではない。確実に、風上から漂って来た。
 ゴゴゴゴゴ。
 地鳴りのような音が墓地を揺るがした。地震ではない。風の唸りだった。まるで、何者かが腹の底から熱いものを迸らせているような、おどろおどろしい音だった。雨が近いのか。
 墓地のなだらかな丘に、人影が現れた。
 男か女か判然としない。だが、背は高く細長いシルエットだった。
 

第三章(2)に続く

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