第十八話
 〜アーツ・オブ・カース  Il fucile maleddetta 
(後編)


第三章 遣わされた処女(もの) WHY DO YOU WEEP? 

 (2)

 金髪の女は、静かに近付いてきた。暗がりの中、なだらかな丘を危なげなく降りて来た。女は黒い上下のパンツスーツに白いシャツの襟元を立てていた。まるで田舎臭いこの墓地には、不似合いな程の華麗な姿だった。
 誰あろう、それがヴィヴィアンと名乗ったヴァレンタイン家に逗留する女であるとジンが気付いたのは、ややあってからの事だった。
 女の薄赤い唇が、三日月に開いた。
「久しぶりね、兄さん…」
 ジンは、女の言葉が向けられた方向を見て呆気に取られた。当の本人である、アーチレリー・ブールヴァルドは、黙って目前の女を睨むだけだった。それも何の感慨も無い、赤の他人を見るような素っ気無いものだった。
「十七年ぶりかしら」
 ヴィヴィアンと名乗った筈の美女は、目を細めた。
「…ディアーヌ。名前を覚えていて貰っただけでも、感謝するといい」
 アーチは、冷たく応えた。腕の中のサロメの体が、小刻みに震えていた。それは、何か生理的な反応のように止められない震えだった。
 夜の闇は、灰色の雨雲に覆われて仄かに町の明かりを反射していた。全くの暗闇ではない事への恐怖が、動く人間を苛むだろう。
「どういう事なんだよ?」
 ジンは、兄と妹の顔を見比べた。確かに向き合っている姿は似ていた。瞳の色は違う。何れも劣らぬ美形だが、妹の方が幾分繊細で、譬えていえば皹の入ったガラス細工のような儚さがあった。それは、男女の差とは別の物だ。
 不気味だ。十七年という年月は、幼い兄妹にとって相当な歳月だと思われる。にも拘らず、二人はまるで水に浮いた瀝青のように溶け合わない感情を持て余している。そんな風にも見えた。
「変わらないわね、兄さんは。ちっとも驚かないの」
 ディアーヌは、ジンの言葉を無視した。視線は一瞬だけ、ジンを認めたものの、それは殆ど実の兄に向けられていた。
「判っている。サロメが現れた時点でな。幾ら何でも、こんな時間に一人で邸を抜け出すなんて、おっかない父親に見付かったら只では済まないからな」
 アーチは淡々と答えた。
「久しぶりに会って、いきなりなんだけれど。こんな夜更けに何をしているの?」
 ディアーヌは、低く威嚇するように言った。湖のように冷めた瞳に暗い光が宿った。
「見ての通り、墓掘り以外の何に見える?」
 アーチは皮肉でもなく、事実を述べた。
「墓堀りとは、は頂けないわね」
 ディアーヌは、其処ら中に散った黒い土の小山を見遣って言った。
「墓を暴く事が、この町の人間にとって如何に非常識か、モラルがない事を意味するのか、それくらい兄さんは知ってるでしょう?」
「お前にモラルをどうのこうのと言われるようでは、オレも地に堕ちたもんだな」
 と、アーチは殆ど皮肉ともいえる言い方で返答した。
「冗談を言ってる場合じゃなくてよ」
 ディアーヌは薄笑いを浮かべつつ、右手を差し出した。ジンは瞠目した。
 その白い柔手に握られていたのは、パウダーガンだった。暗がりで見るにしても、それは一目ででブラスターなどではないリヴォルヴァーだと判った。
 銀白色の銃身が鈍く光り、ベンチレーターリブが目立っていた。だが、《パイソン》の類型よりは流線型に近い、《トルーパーMK-V》タイプと思われた。二つ名があるかどうかは、ジンには判らない。だが、恐らくは銘は無いのだろう。
ディアーヌは、さながら神託を寄越す巫女のように厳かな調子で続けた。
「この墓はヴァレンタイン家当主の夫人のもの。死者を冒涜するなんて、とんでもないわ」
「冒涜かどうかは、本人を起こして聞いてみるといい」
 アーチは、凄絶ともいえる表情で美しく笑った。ディアーヌの薄青い瞳は、動かなかった。氷が張ったように冷たい光が湛えられていた。
「バカな」
 ディアーヌは、せせら笑った。銃口をアーチの額に向ける。
 ジンは腰に再び痛みを覚えた。やはり、危惧していた通りの展開だ。金髪のパウダーガン使いは、間違いなくディアーヌだ。
 ジンは唸った。
「てことは、まさか…」

 ディアーヌは薄く笑った。赤い唇に酷薄な光が宿った。
「誤解しないで」
 鈴を鳴らすような声だった。場面を見ずに、声だけ聞けば如何にも美しい場面を想像出来るだろう。
「私は、貴方が考えているような輩ではないわ。生憎だけど」
 声が低く変調した。ジンは、我知らず握っていた拳を開く。汗ばんでじっとりしていた。それでもディアーヌの右手に握られたパウダーガン《トルーパーMK-V》は、明らかに四十五口径六発を抱くシリンダーを備えている。
「オレが考えているような?」
 と、わざとジンは訊き返した。
「シルヴァー・ブレットというお尋ね者の事でしょう?」
 ディアーヌはあっさりと答えた。そして、血のように赤い舌を覗かせて笑顔を作った。これの何処が無垢に見えるのだ、というような妖美な笑みだった。
「…知ってるのか」
「悪いけど、兄さん達が何をしようとしているのかなんて、お見通し」
「ふっ」
 と、アーチは笑声を立てた。
「千里眼でも持っているのか?それとも覗き趣味でもあるのか?」
「顔に書いてあるわ。兄さんは、自信過剰でひねくれてるように見えて、本当は臆病で他人を信用出来ない、判り易いタイプね。昔からそうだと思ってた」
 ディアーヌは、楽しそうに言った。
「知ってるわ。兄さんが何で、その男とシルヴァー・ブレットやらを探しているのか。一体誰が兄さんにそうさせたのか。兄さんがすごく大事にしてる人の事もね…」
「そんなにオレの事を知っているのなら、今頃のこのこ顔を出すなよ」
 アーチは冷たく首を振った。余人が感情を挟む隙の無い仕草だった。
 ディアーヌの顔色が変わった。懊悩を抱え込んだかのような強張った頬、引き攣った目の端。軽く噛んだ唇。《トルーパーMK-V》を握る手指に、微かに震えが走った。
 余りといえば、余りな仕打ちだ。十七年振りに会った可愛い妹に対する兄の態度としては、ほぼ最低の域に位置するだろう。
 この男の神経は、やはり計り知れない、とジンは思った。同じ女でも血の繋がらない他人に対する接し方とでは、まるで天と地の違いだ。
「今更ですって?今更も何も…私はどれだけ兄さんに会いたかったか!」
 戦慄の微妙な波動が、空気に満ちた。
「一日たりとも忘れた事はなかったわ」
 それ以上の言葉、もしくはそれ以下の言葉も無かった。
「会いたかったのに」
「それ以上近寄るな」
 アーチはきっぱりと言った。その一言で、ディアーヌの足元が凍り付いた。不思議だ。あれほどジンには強気な態度だったのに、実兄の言葉の威力は絶大だ。水爆を落とせと言ったら、即座にそうするのだろう。
 アーチが腕を離すと同時に、ジンは少女サロメの身体を抱き止めた。
「オレを撃つのなら撃てばいい。どうせ、そんな物で死にはしない事はお互い判っているだろうが」
「その通りよ」
「だがな」
 アーチは眉をきつく顰めた。
「お前は自覚が無いのか?」
 ディアーヌは、目を瞬いた。
「ヴィットリアやシモーネの時もそうだが、総てにおいてお前がやった事は正気の沙汰じゃない。何がお前をそうさせるのか、オレにはさっぱり理解出来ないな。憎くて殺すのなら、真っ先にオヤジやオレを殺してしまえば簡単なのに」
「……」
 ディアーヌは唇を半分開いたまま、何か言おうとして声を出せなかった。青い澄んだ瞳の中には、兄の姿が投影されていた。劇的な奔流が、彼女の身体の中を駆け巡っているかのようだった。
「《PE》を持ち出すようにティクスを脅したのも、お前だ」
 ジンは、何がなんだか判らなかったのだが、その単語を聞いて再び目を見開いた。
「全く、オレとしたことがお粗末だ。《PE》の存在に気付く人間など、世界中で十本の指にも満たない数だ。オレが知っている事は、当然お前も知っている。ティクスのパスワードを使ってマザーをハッキングしやがったとはな」
「そうよ。鈍いのよ、兄さんは。昔は兎も角、今は余りにも生温い感情にどっぷり満たされてるから」
 強がりのように聞こえる台詞だった。語尾が震えている。それは、実の兄に、慕っていた兄に素気無い態度を取られた事への怒りか悲しみなのか、ジンには判断が付きかねた。
「とんでもない事ばかりするヤツだな、お前は」
 アーチは、唾を吐き捨てた。日頃そんな無作法な事はしないのだが、どうにも酸っぱいものがこみ上げてきていけなかった。己を律していないと、とても立っていられそうにない程気分が悪かった。
「お説教なの?久しぶりに会ってみれば」
 ディアーヌは毒づいた。その右手に握られたパウダーガンは、殆ど効果を発揮していなかった。いや、ディアーヌ自身の精神安定の為にはなっていたかも知れない。
「説教もクソもあるかい!ふざけるな、バカ野郎!今更何だ、今更お前の顔など見たくもない!」
 アーチは強く言った。
 瞠目する、ジン。相方がこういう風に厳しい言葉を言ったのは、初めてのような気がする。
「…何の目的で《PE》を持ち出した?まさか、人体実験てワケじゃあるまいな?それともお前も誰かの操り人形か?」
 ディアーヌは、即答しなかった。青い瞳がガスライターの炎のように燃えていた。
 沈黙が流れる。
 遠くで雷鳴が轟いた。雨雲は、既に彼等の頭上にあった。
 ポツ。ポツ。
 小さな雨粒が落ちてきた。
「少なくとも、私の意志ではないわ」
 ディアーヌは、小さく答えた。そう答えるので精一杯だった。そうして、ディアーヌはジンの方を向くと、苦笑を頬に押し上げた。
「あの時、路地裏で病院で貴方を襲ったのも、私」
「……!?」
 ジンは改めて、ディアーヌの持つリヴォルヴァーを見た。確かに、ホンコンで被弾したのは、この銃と同じ四十五口径だった。
 辻褄は合うのだ。病院の五階から平気で飛び下りたのも、逃げ足の速さも。フォーティファイドなら総て納得が行く。
「死んだ男は単なるカモフラージュ。《PE》の犠牲者を替え玉にしたのよ」
「アストリアを誑かした男というのも…」
「私よ」
 ディアーヌの頬に雨粒が落ちて、つと流れた。
「この身長なら充分男と言ってもおかしくないし、もう少し髪を短くしていたから、遠目には気付かないでしょう。彼女は男には興味無かったのよ、実際」
 淡々と告白する内容の濃さに、ジンは低く唸った。何ていう事だ。シスター・アストリアのレズビアン趣味は兎も角も、間接的ではあるが、マルド・スタウトはこの女に殺されたようなものだ。
 もう、何がなんだか判らなくなって来た。

 雨は次第に強まって来た。
「お前の意志だろうが、意志でなかろうが、やったことは取り消せない。オレは謝れとは言わないが…」
 アーチは白衣の下から《キングコブラ・バニッシュメント》を抜いた。瞬く間に、落ちる大粒の雨が黒い銃身を濡らしていく。
 ディアーヌは沈痛な面持ちで、兄の無表情な顔を見た。
「医局長の命だ。いや、正式に法務省から通達されている。『ヴァティカンにおけるレヴェルS極秘事項を無断で国外持ち出した者は、死を以ってその罪を贖え』と」
 アーチは、トリガーに右手人差し指を掛けた。
 無慈悲な銃口が、黒くぽっかりと口を開いてディアーヌの瞳を見詰めた。
 当然ながら、こんな物でディアーヌを殺害する事は不可能だ。縊り殺して、完膚なきまでに肉体を破壊してしまわない限り、レミンカイネンを絶命させる事は出来ない。
 本当は、組み付いてその腕をへし折り、首をもぎ取ってしまわないと。惨たらしいまでの屍に変えない限りは、死なないのだ。
 だが、それは出来そうに無かった。今のアーチには出来そうに無い。何故かそれが最初から判っていた。だから、パウダーガンを抜くしか手段が無かった。
 上手くやれば、何とか脊髄を貫く事が出来る。即死でなくとも、そうすれば長くは持たないだろう。
 そうしてやる事が、今選択出来る最良の方法だ。
 ディアーヌの口元が綻んだ。泣き笑いのような表情が、美しい顔に浮かぶ。
「…また、私を殺そうとするの?お兄ちゃん」
 小さな呟きだった。アーチの耳に届いたかどうか。
 雨粒は小さくなる。だが、止め処なく降り注ぎ始めた。
「おい…」
 ジンは思わず、腰のホルスターに手を掛けた。
「止めて!」
 その時だ。ジンの腕を振り切って、少女が身を躍らせた。雨の冷たさで目覚めたのか。
 サロメは、ぐっしょりと濡れた黒髪を顔に首筋に貼り付かせ、ディアーヌの腰にしがみ付いた。
「お姉ちゃんを撃つのは止めて!」
「サロメ…」
 ディアーヌは、少女の身体に手を置いた。
「離れろ。離れないと、キミまで撃つ事になるぞ」
 アーチは、冷ややかに言い放った。サロメは、茶色い瞳をアーチの方へ向けた。強い意志を持った瞳だった。だが、アーチは瞳の威力で動かされるような、意志の柔らかい男では無いようだった。
「イヤ!お姉ちゃんを撃つのなら、あたしも一緒に撃って!」
「バカな」
「バカは手前ェだ」
 バキッ。
 ジンの右拳が、アーチの左頬にまともに命中した。鈍い音の後で、アーチは不意の事に片膝を突いた。横からの力には、幾らフォーティファイドでも油断したものだ。
 《キングコブラ》から手を離し、アーチは起き上がろうとした。だが、倒れた姿勢がまずかったので一瞬遅れた。ジンが飛び掛る。
「離せよ、この朴念仁!」
「るせぃ!バカ兄貴!」
 アーチは、ジンの両膝に組み敷かれた。本気を出せば、何の事は無い。ジンの身体など吹っ飛ばしてしまえるのだが、アーチはすんでの所でそれを自制した。
「あんな子供に向かって、何抜かす!」
「一緒に撃てって言ってるじゃないか」
 再び、ジンの拳が飛んだ。今度は、そう上手く入らなかった。アーチは、左手で軽く受け止めた。だが、反撃はしなかった。
「だから手前ェは…!」
 ジンはアーチのネクタイをひっ掴んだ。素早く馬乗りになり、力任せに押し倒す。水を含んだ芝が、アーチの背中を受け止めた。泥混じりの雨が、跳ね返る。アーチの金髪は、最早太陽に照らされた目映い程の輝きを失っていた。
 ジンは何度も、その端整な顔に拳を食らわせた。手加減は無しだ。普通の人間なら顎が砕けてしまうだろうくらいに。
「ムカツクんだよ!手前ェのそういうトコが!」
 アーチは、黙って殴られていた。そうするしか、やはりこの際最良の方法は無かったからだ。
 殴られる事に、反論の余地が無い訳ではない。だが、最早何を言ってもいい訳にしかならない時は、そうするのが善策だった。
 雨足は強まって来た。墓地の丘には霧がけぶって来た。
 ディアーヌは、サロメの小さな身体を抱いたまま、少しずつ遠ざかっていた。アーチは、その様子を横目で見た。ディアーヌの顔はもう既によく見えなかった。だが、青い瞳はいつまでも自分を見詰めているように思えた。
 

第三章(3)に続く

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