第十八話
〜アーツ・オブ・カース Il fucile maleddetta 〜
(後編)
終章 それすらも日々の果て TOMORROW NEVER SHOW
『コリンズ研究所』に戻るや否や、アーチの胸に向かってピーチィが飛び込んで来た。
「どうかしたか?」
心臓の鼓動に耳を寄せているかのような、少女の頭をアーチは撫でた。いつにない優しい仕草だった。
「おっちゃんが!」
ピーチィは、白衣の胸に顔を埋めながら叫んだ。
急いで屋内を進む。暗い廊下を飛ぶように走り、とりあえずティクスの寝室まで行った。
ドアを開けた目の前に、ジン・スティンガーが立っていた。サングラスに隠れて瞳は見えない。だが、緩んだ口元が総て物語っていた。
ベッドの膨らみに近付くアーチ。
漂白剤の効きが悪くて、やや黄ばんだシーツの下に、ティクス・コリンズが横たわっていた。びん底眼鏡は外されていた。アーチは、枕元まで進み、ティクスの顔色を伺った。
触れて見るまでも無く、もう生命活動の息吹を感じられはしなかった。独特に不吉な臭いが芬々と漂う。喉元に掛かったシーツに手を伸ばしてみる。
「見つけたのは、ピーチィなんだ」
ジンは、言った。
「地下室の真ん中で首を括っていた」
アーチは相棒の済まなそうな声を、黙って聞いていた。首には青黒い絞首班がくっきりと浮かんでいた。一目で、死後四時間程度だと判った。
「何も死ぬことはないじゃねえか」
ジンは我が事のように、言った。
エンリケ、いやジャバー・ウォックのイメージが重なるのだろうか。嗚咽混じりに変わっていた。
「助けられなかったのかよ」
アーチは只黙していた。ジンの言葉が自分に向けられたものではなく、漠然とした不条理に対するものである事は判っていた。だが、無意識に己の存在を譴責(けんせき)されているかのようにも感じられた。
不自然な存在、人為的に作られた存在であるレミンカイネンとしてのアーチ。ディアーヌ。
それが恰もティクスだけではない、サロメの母親アデル・ヴァレンタインやその夫ジャメインまでも。町の大勢の人間を。
ディアーヌの言ったように、「誰も欲しがらなければ、作りはしない」という言葉はある一極で正しい。
だが、人間の飽く無き好奇心と欲望を刺激するような物を徒に与える存在は、害悪なのかもしれない。神は悪戯が過ぎる時もある。
ジンは無言で、アーチに走り書きのようなメモを渡した。
余り上手とは言えない字で書かれた言葉に、アーチは事務的に目を通す。
『私の身体は自由にしてくれ。献体にしても構わない。サンプリングくらいにはなるだろう。それと、寝室の机のいちばん長い引き出しの奥にROMを入れて置いた。尊敬するドットーレ・ブールヴァルドへ』
素っ気無い言葉に、何らかの感情を滲ませていたのだろうか。綴りは後半になるに従って、読みにくいものになっていた。いや、神経が麻痺仕掛っていたのだろう。
最後の力を振り絞って、ティクスは自らの首にロープを掛けたのだ。
アーチは、机の引き出しを開けた。鍵も掛かっていない。掛かっていても、難渋する事はないだろうが。
真新しい原稿用箋の奥に、ケースに入れられ、丁寧に布で包まれた四角い薄いものが出て来た。
見慣れない青い空の下で、金髪が揺れていた。
『見てよ、ねェ。これ』
雲ひとつ無い青空は、どんな絵の具を白いキャンバスに塗ったところで叶わない自然の造形美。水平線が斜めに走る。走る。少女が走る。白いワンピースを微風にはためかせて、少女が無邪気に走っていた。
カメラは背中を追っていた。画面に散ったスポッツは、海の匂いでも運んで来そうな潮の呟きだ。
打ち寄せる波が、少女の裸足の足元をくすぐる。
『冷たい』
少女の呟きが、波に打ち消された。
場面はそこで途切れる。
『お兄ちゃんは…』
小さなベッドの中で寝返りを打つ、少女の顔。熱に浮かされ、寝ぼけた瞳にはカメラのレンズしか映っていない筈だ。
スクロールする事も早送り出来ずに、只ぼんやりとアーチは映像を見ているだけだった。
感情抜きで、芝居っ気抜きで機械的に取られた記録のような映像であっても、それには人間の視線があった。人間の持つ幼い者への愛情めいたものがあった。
ディアーヌの無垢な表情しか撮られていないのは、撮影者の無意識の意識の現れだろう。
推測するに難渋はしなかった。
撮影者は二人。ディアーヌが八歳になるまでくらいの映像と、それ以降では視点がやや違っていた。前者はとても間近な視点が感じられたのだが、後者は一歩引いている感じが伺えた。
記録はROMのインデックスを見れば瞭然とするのだが、ディアーヌが十七歳までしか無かった。
ティクスは、記録とともに手紙のようなものをアーチに置いていた。おそらくは副作用が出る前に書いたものなのだろう、綴りは几帳面に続いていた。
その書き散らしたまんまの雑文に拠ると、ディアーヌは十七歳で研究所を出て行ったのだという。それでまた今頃戻って来たようだが、その間に何があったのかは一切話す事はなかった、とも書いてあった。
大学にでも通ったのか、もしくは放浪していたのか、久しぶりに見たディアーヌは、見違えるように切れ味の鋭い印象を受けたとティクスは述べていた。むしろ、恐ろしいくらいだと。
こっそり持ち物を調べてみたが、其処には偽りの身分証があったという。
ヴィヴィアン・ガレという名前の心理学者のライセンスだった。何処かで聞いたかも知れない名前だ、とアーチは思ったがそれ以上の詮索はしなかった。ディアーヌが本名で社会生活に困難であるのは、判り切っていることだ。
とはいえ、ディアーヌは一体どうやって偽のIDを取得し、誰の庇護を受けているのか。もしかしたら、自力でそうしたのかも。同じ能力を持つ兄妹なら、想像に難くない。
「だが、こんなものオレに見せてどうするつもりなんだ…」
アーチはふと思った。
捨ててしまおうと、一瞬そんな考えが過ぎったものの、それは思い止まった。
「オヤジは本当にディアーヌを葬り去る事など、毛頭無かった筈だ。だのに、戸籍上は消してしまった。その事が何の意味を持つのか。そうする事で、ティクスという科学者に犠牲を強いてまで、何をしようとしていたのか…」
アーチは、机の上に両脚を投げ出した。靴の真横で、パソコンのディスプレイが明るくなったり暗くなったりしている。
ティクスの別れた妻に連絡が取れたとの伝言が、カッサンドラから残されていた。
実際に電波を通じて話してみるティクスの元妻は、神経質そうな小太りの女だった。既に別の人間と婚姻関係を結んでいるらしい。アーチの男振りに、元妻は目を剥いてうっとりした。カッサンドラが交渉役をアーチに回した理由が、判然としたものだ。
だが、ティクスの死亡を告げると愛想の好い笑顔が一変した。
「ティクスの事なんて、今更きいても仕方ないわ。まあ、お悔やみだけは言っておくけれども」
と言った。名状しがたいような不愉快な表情であったのは、確かだ。
「で、遺産でもあるというの?」
「キャッシュで七千万ダッシュほどありました。貴女に慰謝料を支払っていた以外にです。随分質素な生活だったようですが」
アーチの言葉が黄金を紡ぐのを、元妻は必死に聴いていた。七千万ダッシュというと、普通に科学者としてやっていたなら百年以上のキャリアがないと積み上げられない財産だ。つまり、人一人が真面目に働いても不可能な蓄財だった。
「受取人は、貴女にするつもりだったようですよ」
「まあ」
「但し、貴女が独身だった場合にだけ」
元妻の顔色が急に蒼白になった。
「女の一人身では金も充分ないと生きていけないだろう、という配慮ですかね。尤も、今の世の中はそうでもないようです」
「ど、どうなるの?」
「七千万はコリンズ博士が犯した罪の償いに充てさせて頂きます」
アーチはきっぱりと言った。元妻は卒倒しそうな表情になった。
「人間の命や健康は、そんな金で充当できるものではないんですがね…」
言うや言わんやの内に、通信は一方的に切断されてしまった。
アーチは、何の感慨も無くディスプレイを閉じた。不快感は無かった。毛頭、赤の他人に快い言葉を期待などしていない。その事を感じただけだった。
「アナタは私にそんな言葉は期待してない。いえ、私だけじゃなくて他の誰にだって。いつもよ」
ミスティ・サファイアの言葉が、脳裏に甦った。
「そうかしら。本当の事を言いなさいよ。…怖いと感じるの?他人に期待されたり愛される事が」
怖いといえば、そうかも知れない。他人に望まれた時の喜びは、やがて何かによって打ち消されるのだ。それが苦痛だ。「お前は不要だ」と、言われた時の苦しみは。
だが、求めずにはいられない。受けた物を返す術も無いのに。
『殺人兵器』としてのレミンカイネン。だが、決して存在が許容されるものではない存在。だから、医師として形ある厚意を示す仕事を選択したのだ。
「彼等にとっては、いずれ兄さんも消耗されて後は始末されるだけの御仕舞い、という存在でしかないというのにね」
ディアーヌの言う、その通りなのだろう。
利用されて、消耗されて行く存在。『殺人兵器』としての道を選ばなければ、今在るようにしか無い。
黙っていても、自己の存在は雄弁だ。
天才的遺伝子工学者だった、ジャック・フィリップ・ブールヴァルドの息子。むしろ実力の世界である科学畑に於いては、父親の名前を借り出そうなどという輩は皆無に等しい。だが、その存在自体が特異なものだったら。一般人ではなく、フォーティファイドだったなら。
天才科学者が唯一残したデータそのものだったなら。
「人を殺す以外に、誰かに望まれる存在でありたいと思う事はオレの心を飢えさせた。人を殺す以外に。…それがオレの唯一無二のバルネラビリティ(弱点)か」
アーチは、茫洋と映像を睨んでいた。
「そうして、オレは自ら死神を引き寄せたのかも知れない」
白衣の下に眠っている《キングコブラ・バニッシュメント》の存在が重さを増した。
アーツ・オブ・カース。呪われた武器。
ドロレス・タウンに朝が訪れた。
雨上がり四日目にして、はじめて地面は泥濘を脱していた。
『コリンズ研究所』の扉は閉じられた。大仰なチェーンを掛け、古びた前世紀の錠前を落として。
「『ドロレス』の意味を知っているかい?」
今日も旅人が問答している。
「『悲しみ』という意味なのさ」
「へえ」
「神の悲しみが涙になって降り注ぐ。流した涙は、三日三晩町に留まって水浸しだ。だから『悲しみ』の消えない町なんだ」
「そうなんだ。消えるといいのにね、いつか涙が早く乾く日が来れば…」
「そんな日は来るのかな」
<DISMISSED!>・・・CONTINUED ON NEXT DUEL
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