第十九話
 〜千年の孤独 mille-solitalio  
(前編)


第一章 隠者の道 孤独の谷 THE HERMIT PALACE 

 (3)

 ミルザは、アラムート城塞の西に住む医師の家に生まれた。ここらでは、一軒しかないという町医者である父フサーム・ハーン・アッカーと二人暮しだった。
 いずれ、少年も父親と同じ医者になりたいと、熱心に勉強していた。
「父さんは、人に恨まれるような事なんて何もしてなかったと思う」
 ミルザは、言った。
 それが、約一月ほど前から、事情が変わって来た。
 明らかにフサームを狙って、診療所に投石がなされたりする事があったり、或いは街を歩いていて何度も怪しい男達に付狙われた事があった。
「《千年の孤独》を請け負った時からなんです」
「その《千年の孤独》ってのは何だ?」
 ジョーは尋ねた。だが、少年はやや口篭った後で、溜め息を吐いただけだった。膝の上に痩せた黒猫を抱いている。猫はごろごろと喉を鳴らしていた。ミスティ・サファイアは、仏頂面のジョーを横目で嗜めた。少年は、まだ父親を失って半日と経たないというのに、次から次へと矢継ぎ早に質問したところで、答えられるわけが無い。普通はショックで口も聞けないのではなかろうか。
 細々と答えるだけでも、気丈ではないか。
 或いは、もしかしたら少年もこうした結果を予測していたのかも知れないが。
「お宝だという噂だよ」
 石榴売りが、脇から口を挟んだ。
 殆ど青空食堂のような店で、ミスティ、ジョー、ミルザが円卓を囲み、その脇に石榴売りがちょこんと座っていた。フサームの亡骸を自宅に運ぶように手配したのは、この気が利く石榴売りだった。
 ジョーは些か訝しい目付きで、湿気た煙草を咥え、石榴売りを見遣った。
 別段、下心がありそうには見えない。たかが石榴ジュースを売りつけられたところで、知れているのだが。もしかしたら、別の商売を持っていて、ジョーのあからさまに玄人っぽい雰囲気を嗅ぎ付けでもしたのだろうか。
「お宝?よくある話だなァ」
「いやあ、何でも《千年の孤独》は、イスマイリ全盛時代の至宝で、それが復活した日にゃ、またこのアラムート城塞も破竹の勢いで栄えるとかいう曰く付きのものらしいんで」
「ほおう」
 石榴売りの尤もらしい説明に、ジョーは皮肉な表情で返礼した。その顔を、ミスティは横目で見た。
「このアラムートが陥落したのが十三世紀とすると、今で約千年というわけね。イスマイリ派そのものは、十五世紀以降にインド半島や東南アジアに流入して、未だに連綿と続いているというわよ。つまり、イスマイリと言っても、早い話がここら一帯のイスマイリ派ニザリ教団の話ということになるんでしょう?」
 ミスティは、神託を下すかのように厳かに言った。
 歴史的に言えば、アラムート城塞の陥落は、モンゴル将軍キドブハの侵攻によってである。当時のニザリ国の王ムハマッド三世の愚行がモンゴル勢の来襲を招いたとされ、王の変死後、長子フールシャーが王位を継承した。その後間もなく、フールシャーは敵の手に落ち、降伏を余儀なくされた。1250年代の頃であったという。
 以後、ニザリ教団は歴史上国家として滅亡した形になっている。
「ヌォーヴォ・ニザリの復活か?」
 ジョーの発言に、石榴売りもミルザもきょとんとするばかりだった。
「まさか、今だに《山の長老》様方が暗殺教団など結成してる筈がないよ」
 石榴売りは、確信を持っているかのように首を横に振った。ミスティとジョーは、無意識に顔を見合わせる。どうやら、アラムートの住人は、新たなるニザリ教団の存在に気付いていないらしい。表面的には。
「だけど、何度も言うけど、フサームを殺った男の手口は、明らかにプロの暗殺者のものよ」
「よく判んねえなぁ」
「…ボクにも判りません」
 少年は、円らな瞳を瞬いて言った。
「ただ、《千年の孤独》は、《山の長老》の城にあるんだそうです。ボクは行ったことないけど、父さんはここ一月ばかり、ずっと街を出て、城へ通ってたんです」
「《千年の孤独》っていうのは、単なる宝石や貴石の類ではない、ということね」
 ミスティは言った。城という単語そのものが、《山の長老》の住いを示していた。
「これ以上恐ろしい目に遭うといけないので、《千年の孤独》なんてものに係わるのはやめて、とボクは父さんに言ったんだけど…」
 ミルザは声を詰まらせた。嗚咽が込み上げてきたらしい。だが、少年は涙声を堪えていた。黒猫がみゃあ、と鳴いた。
「おねえさん達は、これから何をしようというの?」
「大事な仕事をしに来たのよ。場合によっては、その《千年の孤独》を確かめてみる必要があるわね」
 ミスティは、ジョーに向かって言った。
「…まあな」
 ジョーは渋々肯いた。楽しくないオマケが付いてきたみたいな気分だった。

 山城の東西の麓には、ハシール・ハーンの二条の川が流れている。城に登る路は、その東方しかなく、城とその背後の荒涼たる山岳を繋ぐ一条の脊梁の彼方には、只一点の緑さえなくすべて紫色と灰色に塗り潰された山地だ。急な崖をそのまま利用した階段を上って行くと、景色は一変した。
 アラムート河畔の対岸には、遥かに連峰が聳え、シール・クー(獅子山)の彼方に峠を囲む山々が連なる。城塞の胸壁にの下には、秋咲きのコスモスが一面に咲き乱れていた。
 あながち「楽園」と謳われたのも、嘘ではない。
「もうじきですよ」
 一人の男が振り返った。
 アーチは、男の無愛想な表情に、作り笑いを返して見せた。だが、思わしい反応は返って来なかった。
「ち。ブアイソな連中だな、何処が美女と酒とヤクの酒池肉林の楽園に向かってるんだか」
 こんなことなら、あの歌姫の所に居座っておいたほうが良かったかも、とアーチは一瞬考えた。
 金になりそうな話なので、二度返事で付いてきたのだが。
「アラムート城塞は、十三世紀に陥落していると聞くが、これは模造か?」
 アーチは問い掛けた。後列の若い男が黒いターバンの端をひらめかせ、再び振り向いた。
「模造ではありません。廃墟だった城を復興したのです。ですので、階段は昔のものと比べてやや低くなってます。削ってるんですからね。下にあったのは水槽で、昔はそこに飲料水を溜めて、下の住人が生活していました」
「町の規模は今の方が大きいというわけだな」
 アーチは、眼下を見遣った。手摺も何も無い狭く急な階段は、足が竦みそうな高さだ。町そのものが高地に位置しているが、城は更に高みにある。海抜千メートルはあるだろう。
 思わず、気が遠くなりそうになるのを、目を背けて防いだ。
「…気を付けて下さいよ。こんな所で落ちないで下さいね」
「まあ、落ちたって生きてるとは思うがなぁ」
「城にはもっと恐ろしいものがいますよ」
 男は奇妙に愛想良くなって喋った。何処か少年じみた甘さを、表情に残していた。
「恐ろしい裸の美女か?そういうのなら大歓迎だが」
「いえ、伝説では口から火を吐く七頭の巨大な黒犬が棲み付いているというんです。空中を飛んで、城に近付く余所者を脅かし、城の至宝を守護していたと言います」
「ふん。今でもいるのなら、お目に掛かってみたいもんだね」
 アーチは揶揄するように言った。男は、クスリと声を立てて笑った。
「知りませんよ。本当に火を吐かれたって」
「オレを丸焼きにしても美味くは無いと思うがな」
 小声で談笑するアーチと男を、先に進んでいた大柄な男が横目で睨んだ。咳払いをする。無駄口をきくな、という合図なのだろう。若い男はそそくさと、大男の後を追った。
 城塞の内部は、遠めに見る荒れた雰囲気は感じられず、歴代のイマーム(正当継承者)が植えたといわれる薔薇の花が、ところどころで芳しい香りを放っていた。
 俄かに寒さを感じる。
 アーチは、見事に復元された城壁内部に案内された。外庭には、人の気配がまるでなかったのだが、中に入ると、驚く程に大勢の人間が存在した。何れも、比較的若い男ばかりだ。成る程、とアーチは納得した。
 かつてマルコ・ポーロがその見聞記にしるしたように、《山の長老》ハサン・イ・サバーは、血気盛んな若者達を花園に誘い入れ、夢を育む薬酒を振舞ったという。それがハシーシュであり、彼等は「楽園」離れ難さに、暗殺者として歴史の裏で跳梁した。
「まさか、異教徒のオレに改宗しろというんじゃあるまいな」
 と、アーチは呟きつつ、光景に見蕩れた。
「うぷ」
 アーチは突然何か柔らかい壁にぶち当たった。見上げると、小山ほどもある大男だった。道案内の大男とは比べ物にならないくらいの目を剥くような巨漢だった。まさしく巨漢という言葉が相応しい。身長はゆうに二メートル半を越しているだろう。
「失敬」
 アーチは大男から離れた。巨漢はにやりと黄色い歯を剥いて、凶悪に笑った。巨漢は背を向けてアーチの前を歩き出した。
「あんなボディーガードがいるのか。たまらんな」
 道行く間に見守る若者達の視線は、アーチを奇異な存在として捉えていた。多少の日焼けはしていても肌の色の浅い、金髪碧眼の人間が、まさか城の内部まで入るなどということは無かったのだろう。
 薄物を着た美女達もいた。女達は、もっとあからさまにアーチに対する興味を示して見せた。だが、生憎それに応えている暇はアーチには無かった。先導の男達は、黙々とずんずん城の奥へと進んで行くのだ。
 やがて、王宮の最も深遠な部分へ辿り着くと、男達はさっと二手に分かれ、身を潜めるようにして絨毯の上に膝をついた。訓練された素早さを、アーチは見た。あの巨漢でさえ、普通の人並みに動いた。
 ちょっと困惑している間に、目の前の階段に一人の男が現れた。白いターバンに、彫りの深い顔立ち。薄っすらと伸びた白い顎鬚。堂々たる体躯、そして仄かに香る竜涎香の匂い。
「シャイフ・アル・ジャバル(《山の長老》)、ハサン・イ・バルキヤック様ぞ」
 男の太い声が、紹介した。
 アーチは澄ました顔のまま、立位で《山の長老》と対面した。
「アーチレリー・ブールヴァルドです。お招きに預かり、光栄です」
 ハサン・イ・バルキヤックは神妙な顔で、眼前の見目麗しい青年を見詰めた。まるで生まれて初めて見る何かに心打たれたかのように。それ程、この金髪碧眼の男の容貌は、長老のエキゾチシズムを掻き立てたようだった。
 そしてこの対面が、実は歴史的に珍奇な出来事である事など、誰が今考えようか。

 人が一人通れるか否か、という狭い石の階段を上り詰めると、そこには宮殿があった。
「ひょええええ〜」
 下を見ると、途端に全身の毛穴が縮み上がった。股間まで縮み上がるのを感じながら、ジンは漸く最後の石段を踏み締めた。
 目の前には、『義賊の七つ道具』と称する怪しい小道具を詰め込んだリュックを背負ったピーチィ・フィズが身軽に進んでいた。まるで、ジャングルの樹上を縦横無尽に移動するテナガザルのようだ、とジンは思った。
「男のクセになっさけな…」
 あからさまな軽蔑の視線を向けるピーチィに、ジンは反論の一言も無い。高所恐怖症なのだ。とはいえ、今までこんな高い崖を上るった経験もなければ、また上る必要も無かった。
 ジンは足元を見ると、思わず落ちてしまいたくなるような虚脱感と、同時に緊迫感に襲われるのだった。
「ひ、人には得て不得手ってもんがあろーが!」
「ほなら、分をわきまえときや」
「お前みたいなサルと違うわい」
 ジンの言葉を聞き逃さなかったピーチィの手が、素早くその襟元に伸びた。
「何やて?」
「男だの何だのとカンケーねえやい、お前はサルみたいだって言ったんだよ」
「むか」
 乙女心を酷く傷付けられたのか、ピーチィはジンの頬にビンタを食らわせた。
「いってえ〜。あにすんだよ!?」
「目ェ覚めたか?」
 ピーチィは、ジンの胸元から手を離し、にんまりと笑った。ジンは腹が立つというよりは、呆気に取られるばかりだった。
「・・・キショウ、オレの顔を殴るとは」
 ふん、とピーチィは背を向けて歩き出した。最近なんだか、相方のヤロウに似た言動を取ってやがる、とジンは忌々しげに唾を吐き捨てた。
 その相方アーチレリー・ブールヴァルドの姿を追って来た所が、現在地だった。
 しけ込んでいた美女の家から追い出されたと思い、ジンは内心ザマミロ、と舌を出していたのだが。何故か様子が違っていた。美人局(つつもたせ)などではない。
 訳のわからない、恐らくはイスマイリ派の中心にいるだろうと思しき男達に先導されて、アーチは城下をずんずん北へ進み、ついに険しい城塞の頂点まで達した。
 アラムート自体が高地にあるが、ここは更に高みにあった。
「果たして、一体連中は何の目的でヤツをこんな所なんかに?」
 ジンとピーチィは訝った。だが、雰囲気的には誘拐でも商談でもなさそうだ。どう見ても、不測の事態で病人が出て、一応流しの医者としては高名なドットーレ・ブールヴァルドを招聘した、というのが第三者にとっての普通の見解だろう。
 しかし、全くの企みが無いとも限らない、というのもジンの思考の選択肢中には存在した。それ程、友情なるものとは別の意義で相棒に信用が置けないのだ。
「ええやん、《千年の孤独》、お宝に近づける絶好のチャーンス!しかも、何かあったら『将来を誓ったあのお方にもしもの事があったらと思って尾行して来たの』とでも言えばええやん」
 将来を誓ったあの方、という誤解も甚だしい表現は兎も角、口実はあるわけだ。ジンは、何だか納得行かないまま、こうして目も眩む高さの城塞に来てしまった。
 はてさて、件(くだん)のアーチ本人は、既に城壁の内部に通されていた。そして、宮殿の前には当然のごとく警護の者達がうろついている。此処まではいやにあっさりと辿り着けたものの、先は見えない。顔パスで入れるような場所どころか、一歩間違えば警護の男達が腰に下げたする曲刀に、なますにされかねないだろう。
「じゃーん!」
 と、ピーチィが取り出したのは、リュックの中に仕舞いこまれていた水鉄砲。ではなく催涙銃だった。
「これでヤツらにおねむして貰うて、中に入るんや」
 ジンは一瞬呆気に取られたものの、首を傾げるに至った。
「…お前バカか?」
「はぁ?」
「そんなモンが一体どんだけ効果あると思う?宮殿内部に何人いるかも知らないってえのに」
 ピーチィは、ふん、と鼻で笑った。
「そんなモン、入ってみな判らへん。入ってからの事は入ってから考える!」
「あのなぁ…!」
 と、思わず拳を握り締めたジンは、ピーチィの首根っこを掴もうとした。それは、少女をいなす為ではない。風だ。ある筈の無い風が不意に起こった。そして、ジンが咄嗟に身を前傾させたとほぼ同時に、平たい金属片が二人の頭上を飛び去った。
 危うくテンガロンハットを後方に飛ばされ、ジンはやや動揺した。顎紐が、喉仏を締め付けたのだった。
 問答無用で、急角度を描いた金属片は次々に飛んで来た。
「やべえ、入る以前の問題だ!」
「いやー」
 ピーチィは絶叫した。掠った金属片が、衣服を切り裂く。
 警護の男達は、口々に何か喚いているが、ジンには何の事か聞き取れない。恐らくは「曲者」ぐらいのことなのだろう。
 《ブラックホーク・ディオファイア》が、腰のホルスターから抜かれた。
 ジンは警護の連中には銃口を向けず、飛来する金属片を撃つのみだ。それすらも、通常の人間からみれば実に異常な業と言えた。優れた動体視力を持たない限り、闇雲に撃っているだけのバカに違いないのだから。
 キンキンキン。音は軽やかだが、自体は深刻だ。ジンは飛散した金属片を踏みつつ、後退った。
「ここは一先ず引揚げようって!」
「そんなんいややぁ」
「死にたいのか手前ェは!」
 それ程に《千年の孤独》とやらが拝みたいのなら、一人で行け、とピーチィを突き出そうとしたところ、ジンは瞠目した。
 警護の男達の姿の前に、何者かの影が立ち塞がった。濃紫色のターバンに、殆ど目元まで顔を覆った男の姿があった。男は単身、屈強な猛者どもとジン達の間に割って入ったのだった。
「え?」
 声を掛ける間も与えられず、戦闘は再開した。爆ぜる肉の匂いと共に、火薬の臭いが立ち込めた。《ブラックホーク》の発砲は無い。
 ターバンの男が両腕に抱えた得物は、旧型M3A1グリースガンSMG・HWと思しきマシンガンだった。装弾数三十発の軽量マシンガン二丁を抱える男は、後姿のまま、ジンに言った。
「リロードするくらいの時間は稼いでやる」
 ターバンの男は華麗な動きで、警護の者達を翻弄した。旧型M3A1グリースガンSMG・HWの有無など関係ないかのようだった。
 確かに宮殿警護の男達が暗殺者としての資質を持ち合わせているのなら、差し詰めこの男は傭兵隊長の風格がある。などと、思いつつジンは貴重な十秒間を費やし、パウダーガンのリロード(再装填)に成功した。
 幾ら高所恐怖症とはいえ、このあたりは自負するだけのパウダーガン使い。
「助かったぜ、大将!」
「礼を言うのはまだ早い」
 男はやや掠れた声で答えた。マシンガンは、城壁内部の床を無残に穿っていった。
 そして、男は振り返った。浅黒い目の周りの皮膚が汗ばんでいた。
「中へ入るつもりか?」
「ああ。こいつがうるさいんでな」
 と、ジンは耳を塞いでしゃがんでいるピーチィの背中を掴んだ。
「それは止したほうがいい」
 男は短い言葉でジンを制した。言われなくても判っている。縦しんばこの状況で、侵入したとして、実際生きて出られるかどうかが問題だ。そこまで考えられないほど、ジンは短慮ではない。
「二度と出られないぞ」
「あんたの忠告に従うか」
 ジンはあっさりと答えた。気乗りがしなかった所為もある。いざ、脱兎のごとく撤収するべし。
 警護の男達が、何やら叫んでいる。人が矢庭に増えてきた。
「さて…」
 と、急ぎもと来た道を引き返そうと、ジンは踏み出したものの、次の一歩が踏み出せなかった。
 此処に来て、ターバンの男の存在が安堵となったのか、不意に訪れたものがあった。足下を見るや、ジンの心臓は縮み上がった。冷や汗がサングラスの下を、つっと這った。
「何をしてる!早く!」
 ターバンの男の叱咤にさえ、ジンは声を返す気力も失ってしまった。《ブラックホーク・ディオファイア》をホルスターに戻す事も出来ず、ジンは黙って石像のように固まったままだった。
「アカン!おっちゃん、ジンは高所恐怖症なんやて」
 ピーチィは叫んだ。
 ちっ、とターバンの男は軽い舌打ちの後グリースガンを背に担ぎ、ピーチィの細い身体を左腕に抱え上げた。
「お、おっちゃん!?」
 ターバンの男は続いてジンの背中を掴むと、階段から一気にとん、と突き放した。
「お」
 ジンは強張った表情のまま、四肢を空中に投げ出す形になった。
「…おわああああああ!」
 絶叫と共に、みるみる落下するジンの身体を追って、間髪入れず、ターバンの男はピーチィを抱えたまま断崖を飛び降りた。


第二章(1)に続く

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