第二十一話
 〜叛逆の暗天使 Vivo per la tua morte〜
(前篇)


第二章 天使が棲む町 FOR THE TASTE OF KILLING 
 
 (2)

 ジョー・クリサンスマムが言った事実は、ミスティを更に困惑させた。
「オレが呼ばれたのは、そうさなァ。五月の半ばだったかな。サフィール卿にだよ、無論」
 饒舌な前置きはどうでも良かったが、あながち関係なくも無いだろうと、ミスティは半分聞き流すつもりで耳に入れていた。
「異端審問官としての仕事はさておき、オレにやって欲しい仕事があると」
 ジョーは、いたって真顔で言った。
「ジン・スティンガーって男のお守をしろ、と言われたんだ」
「はぁ?」
「今は別の男が守役をしているが、いずれその男はお役御免になるからだとさ」
 ジョーは、幸いにして《赤鼻のジョー》という渾名を頂戴せずに済みそうだった。ミスティは、奪ったタバコを壁にぎゅっと押し付けたのだ。
「どういう意味なの?」
「知るわけがない。オレが言われたのは、それだけだ」
 と、ジョーは肩を竦めて見せた。
 ミスティは、タバコの火を揉み消してしまったのを酷く後悔した。
「…その意味がいちばん判ってんのは、あんたの方だろう?」
 ジョーは静かに言った。ミスティは、神父の顔から視線を逸らした。
「シルヴァー・ブレットやらに会うまでジンの面倒を見る、っていう約束は何処にも無かったんだろう。ドットーレの場合。役者は途中交替、いやむしろ本来の仕事をしに戻ったわけだ」
「アナタが言っていることの意味が判らないわ」
 ミスティは、首を振った。青い瞳が潤んでいた。やや焦慮を含んだ表情が、少女じみて見えた。卵型の顔が色気たっぷりのクセに嫌味が無いのは、小作りで上品な小鼻の所為だろう。
 その尖った愛らしい鼻先に、ジョーはヤニ臭い人差し指を突き付けた。
「またまた、しらばっくれて。考えても見ろよ、お嬢さん」
 何だか形勢が逆転したみたいだ。
「ドットーレ・ブールヴァルドが男のお守、って柄じゃなし」
「それはそうね」
「柄じゃないのはまあ、百歩譲っていいとしても、同じ無名、無《称号》のパウダーガン使い同士って組み合わせはバランスが悪いと思わないか?」
 ジョーは殆ど強引に、ミスティに同意を求めた。
「バランスの問題じゃなくてよ」
「言っちゃ悪いが、パウダーガンの腕を磨くに己と同レヴェルかそれ以下の人間同士でのらりくらりしていたんじゃあ、進歩が無い。どちらか一方が抜きん出て優れているとか、それを目標として或いは好敵手としてやり合うってのなら、判るがな」
 ミスティは、ジョーの言葉に些かむっとした。
「じゃあ何?アーチの腕がヘボいとでも言いたい訳?」
「そう恐い顔しなさんな。ヘボくはないが、格別上手い訳じゃない。それを言うなら、ジンの方がずば抜けてセンスがある。生まれ付きのものかどうか知らないが、ヤツはオレやあんたよりもずっと、パウダーガン使いとして適格者だろう」
「それがどう関係するのかしら」
 と、ミスティは試すように言った。
 ジョーは、白い歯を見せてニヤリ、と笑った。
「つまりは、本来のお守役はオレということだ。一応《称号》保持者、それもお高く止まらない程度の人間が面倒見てやるってのが、正道じゃないか。あんたはそういう訳にはいかないし、《銃聖》(サンテ)の連中は揃いも揃って三人共クセモノばかりだ。それも、己が本来は《神鎗》であれかし、と鵜の目鷹の目で狙ってる。そんなヤツらに任せられるか?」
「本来ならシルヴァー・ブレットの座を狙うのは自分達なのに、どうしてこんな若造が、って思うでしょうね」
「そうさぁ。虎の穴にウサギを放り込むようなもんだ」
 かはは、とジョーは声を立てて笑った。己の理論に酔っているのではないか、とミスティは小首を傾げた。
「で、結局アナタの推測では、ドットーレ・ブールヴァルドは何の役目があったの?」
「…うーむ」
 ジョーは唸った。
「はて、何だったんだろうな?男を磨く?傷付けないで女と別れる方法を身に付ける?」
「あほくさ」
 ミスティは、思わず額を押さえた。この神父、何処まで冗談なのか本気なのか、全く判らない。
「確かに言ったわ、あのひと。日本人の遺伝子サンプルを欲しいので、請負ったとね。『極東にいる日本人に最先端の遺伝子的進化発現を見ることが出来るというのが、隠れた偉大な人類学説だ』とも」
 成る程、とジョーは唸った。お守という関係が有意義なのはジンにとってではなく、アーチにとってなのだ。視点を変えればそれは直ぐに判然とした。何も、主体はジンのみではない。
「それで、充分に研究対象となるサンプルを採取出来たっていうんで、さっさかローマへ戻ったか?」
 ジョーは口許を皮肉に歪めた。
「いいえ。そうじゃないわ。それならとっくに戻っていておかしくない筈。そうではない何かが、起こったのよ」
 ミスティは、長い睫毛を伏せた。言い知れない不安と綯い交ぜの苛立ちが、その顔に宿っていた。

 サン・タルカンジェリスの朝は早い。夜明け前から、ジープだかサンド・バギーだかのエンジン音がぱらぱらと規則的に響いていた。
 ジョーは目を覚ました。考え事をしつつ本を読んでいて、真夜中を過ぎた頃に記憶が無くなった。どうやら、机に突っ伏して寝ていたらしい。肩が突っ張るように痛かった。
「オレとしたことが」
 と、呟きながら椅子を引いた。窓の外はすっかり明るんでいた。カーテンを開けると、町長宅へと向かうトラックがのろのろと走っていた。道は舗装が剥げており、土煙がもうもうと舞い上がる。
 同行者二人は、まだ就寝中の様子だった。
 ジン・スティンガーは、バールに居る間中、殆ど話をする事も無く、ひたすらアルコールのお世話になっていた。飲むことで何か考えたくない事を追い払おうとしているのか、それとも町の連中と話すのが鬱陶しいと感じていたのか。それはジョーの想像に難くない。
 むしろ、正解だっただろう。只でさえ、胡散臭い旅人だ。ジンは決して愛想が好い、という訳ではない上に左頬の三条痕。濃い色のサングラスで、童顔の人相を隠している。妙に見知らぬ人間に追従笑いなどすると、却って怪しまれるものだ。
 ムサイ神父の根暗な用心棒、くらいに思われていて丁度良い、とジョーは考えていた。
 そのジンは、バーボンの四角い瓶を五本開けたところで、漸く眠った。余程か酔えなかったのだろう。それとも酒が薄かったのだろうか。
「そんなに相方が気になるか…」
 いや、それも兎も角、奪われたパウダーガン《ブラックホーク・ディオファイア》が気にならない、と言えば嘘になるだろう。
 若者は一時にいろんな物を失くした喪失感に、苛まれているに違いない。
「まあ、暫く休んで考えろや」
 と、ジョーはジンの呆けたような寝顔を確認すると、寝室のドアを閉めた。
 ジョーは階下へ進んだ。僧服は肩に引っ掛けたままである。
 教会の敷地の最も西に、住居はあった。変死した前神父の住いを仮の宿にする、というのも気味の悪い話だが、宿代が無料となれば遠慮するわけにはいかない。只でさえ、懐具合は危ういのだ。
 ピーチィ・フィズは渋ったが、それでも疲労とタダ、という魅力には勝てなかった。
 昨晩は礼拝堂を見回った時、誰か訪れていたような気がしたのだが、そのような痕跡は今は感じられない。もしかしたら告解にでも来た物好きか、さもなくば臨時神父の値踏みに来たのかも知れない。だが、生憎留守にしていた。
 ジョーは明るい朝の光の中で庭を見回し、改めて手入れが必要だという事実を悟った。起き抜けにミルクをがぶ飲みし、腹の調子が収まったところで、ジョーは手拭いを引っ掛けると、シャツを腕捲りした。
 まず、礼拝堂の南、日当りの良い場所から草むしりに取り掛かった。
「よっこらしょ」
 麦藁帽子に開襟シャツ、という出で立ちである。後から見れば、そこらのオヤジと大差無い。しかも、年齢の割には随分ジジ臭い掛け声で、ジョーは諸手に草を毟り始めた。
 こうしていると、何故か懐かしいアイルランドの故郷を思い出す。
 実家は古い大地主で、少年時代に牧場の草刈などした記憶がある。もう二昔ももっと前の話だが。末っ子だったジョーは、よく兄姉達に連れられて農作業に出掛けたものだ。小作人は数名いたが、それも出稼ぎのようなもので、事実クロスフォード家の家人だけで切り盛りしていた。
 ちなみに、クロスフォードというジョーの名字は地名から来たものだ。アングロサクソン的な地名である。クロスは十字であり、フォードは津、渡し場を意味した。実際、家の周囲には川の渡し場の名残があったという。
 そんな他愛も無い昔を思い出しながら、ジョーは鼻歌混じりに草を毟った。
「おはよう」
 明るい声が、ジョーの背中に呼び掛けた。振り返ったジョーは、アンドレアの姿を認めた。
「よう、キミこそ早いな」
「朝の散歩は日課なんで」
 アンドレアが引き連れていたのは、狼犬に似た黒い大型犬だった。青い眸に尖った口吻が凛々しいが、極めて大人しかった。ジョーを見ても、においを嗅ごうともしない。
「スター・バックっていうんだ。死んだ父さんが可愛がってた」
 アンドレアは、犬の鼻先に掌を持って行った。スター・バック号はくんくんと少年の手の匂いを確かめた。
 少年は、天使の微笑を浮かべた。
「あなたはいい人みたいだね。スター・バックが吠えないもん」
「アヤシイ人物には吠えるのか」
「そうでないと、番犬の役目にならないよ」
 アンドレアは、笑声を立てた。
 全く、昨日の今日だが、この少年は物怖じしないし、人見知りもしない。姉であるエヴァ・スプモーニに比べたら、随分堂々とした態度だ。ジョーは、内心怪訝に感じたが。
「草むしりなんて、大変だね」
「仕方ないだろ。幾ら仮の、とはいえ一応ここの責任者を任されたんだからな」
 ジョーは、腰を伸ばして少年の明るい瞳を見た。
「ふうん。責任感ってヤツね」
「そういえば、昨夜誰か礼拝堂に来なかったか?」
「さあ。僕は出歩かないからね。冷やかしじゃないの、どうせ。この町には毎日告解に来るような熱心な信者はいないから」
 アンドレアは、にこっと笑って神父に歩み寄った。まるで、仔犬が擦り寄るように、少年の身体はジョーに寄り添った。
「それより。昨日言い掛けたこと、聞きたくない?」
「あ?『呪い』のことか。まあ、興味はあるがな。姉さんに叱られやしないか?」
「平気だよ。昼御飯が済んだら、家の裏庭まで来てよ」
 アンドレアは、一方的にそう告げて、ジョーに背中を向けた。
 スター・バック号は太い尾を悠々と振って歩き出した。まさに狼の風格だ。あんな犬に本気で噛まれたら、一溜まりもありゃしないな、とジョーは思った。

 さて、ジン・スティンガーは目覚めると誰もいないのに気付いた。ジョーもピーチィも出掛けた様子だった。それもそうだ。もう太陽は中天に差し掛かっていた。
 頭が酷く痛む。昨夜は何ともなかった酒が、今頃になって復讐を仕掛けてきたとみえる。
「チクショウ、二日酔いか」
 何年ぶりに宿酔いになったのだろう。ジンは酔い覚ましに、少し歩こうと教会を出た。じっとシーツを被っていても意味がない。
 それよりも、どうにかして《ブラックホーク・ディオアファイア》を取り戻す術を考えるのが、前向きだった。
 どうにもこうにも、締りが無い。ガンベルトに提げるべき得物がないのだ。重みのなさから来る不安は、さながら下着を付けないでミニスカートで歩く女性のように、奇妙に落ち着かないものだった。
 町そのものは、実にすかっとするくらい寂れていた。若者が少ない所為もあるだろう。
 メインストリートらしきものは、既に過去の遺物になっているらしく、商店がぽつりぽつりとあるだけだ。昨晩飲んだバールが漸く目に付いたが、それもじっと観察しなければ夜目に見たのとは随分趣を異にしていた。
 一体、この町の住人は何を持って生計を立てているのか、とジンはふと疑問に思う。産業と呼ぶに相応しいものが一見して見当たらないのだ。
「どいたどいたっ」
 ジンの背中をどやし付けた者がいた。聞き覚えのある声だ、と思いきや、それは運送屋のモンゴだった。
「お!昨夜の…」
 モンゴは急に立ち止まった。
「何か用かい?」
 ジンは振り返った。サングラスをかけていない為に目の下に隈が出来ているのが、丸判りだった。モンゴは、ジンの意外な童顔を一瞬訝しんだが、それも取り敢えず、喋り出した。
「いやあ、また出たんだ」
「何が?」
「死人が」
「また、ってそんなにしょっちゅう出るのか?こんなド田舎で」
 ジンの惚けた返答に、モンゴは首を捻った。
「ド田舎はまあ仕方ないとして、病死人とかじゃねえ。これで十一人目だよ、ったく」
 モンゴは頭を掻いた。ジンには何の事かさっぱり判らなかったが、殺人となると剣呑だ。教会にも満更関わりがない話ではない。
「雑貨屋のオヤジだよ」
「死んだからって、何もあんたが慌てる必要はないじゃねえか」
 またしても、ジンの惚けた返答に、今度はモンゴは怒りを顕にした。
「何でい。オレ様はこの町の葬儀委員長だからな。そりゃもう大変よ。ここんところ暫くってもの、次から次へと死人が出て。しまいに神父までおっ死んだひにゃ、どうなることかと思ったよ。まぁ、今はその心配はねえがな」」
「ジョーを捜してんのか?」
 おうさ、とモンゴは威勢良く答えた。
「普通、神父より先に医者を呼ばねえかな」
「ここらにゃそんなモンいねえ。医者もついこないだ殺されちまったんでね」
 ジンはふと、相棒アーチレリー・ブールヴァルドを思い出した。しかし、この場に居たからといって唯々諾々と只で蘇生や検死などするとは考えられなかった。考えたって、仕方ない。ジンは自分にそう言い聞かせた。
「ジョーならいないぜ。オレも捜してんだ」
「何だ。仕方ねえな、戻るか」
 あっさりとモンゴは踵を返した。
 というわけで、暇をもてあましていたジンは、何となくモンゴに付いて行く事にした。
 件の雑貨屋は、メインストリートの最も西に位置していた。はやくも西日が傾きつつあった。ちょっとした物々しい人だかりが出来ていた。モンゴは雑貨屋の店先から住居の方へと入って行った。
「そりゃあ、ちいとばかし胡散臭い所はあったが、殺される程他人に恨まれるようなオヤジじゃあなかったんだがな」
 モンゴは独りごちる。
「『呪い』…?」
 ジンは呟いた。やはり、密集した人々の中からそういった言葉が漏れ聞こえて来たからだった。
 住居の奥の居間と思しき部屋には、数人の男が居り、その中央に遺体が置かれていた。あまりに素っ気無い扱いに、ジンは呆気に取られた。辛うじて雑貨屋のオヤジの顔と胸の辺りまで、白い布が被せられていた。
「うっ」
 部屋の中ほどまで足を踏み入れて、ジンは血臭に鼻を摘んだ。既に死体は、微かな腐臭を放っていた。臓器と体液の酸化する嫌な臭いだ。だが、ジンは恐る恐る布を摘み上げた。
「イヤなら見るんじゃねえよ」
 と、モンゴは言った。ジンは口許を押さえつつ、オヤジの遺体を見遣った。
 驚くべき事に、オヤジの屍には二つの弾痕があった。
「うう」
「何だよ?」
「銃、しかもパウダーガンで撃たれた痕だ」
 ジンは思い切り噎せ返った後で、そう言った。モンゴをはじめ、其処に居た男達はめいめい頷いた。
「そうとも」
「パウダーガン使いの仕業か?そんなヤツがここら辺に居るのか?」
 ジンはそれまでの薄らぼんやりした顔色を、既に拭い去っていた。血色はむしろ蒼褪めていたが、眼の色が違った。
 認めた弾痕の大きさと貫通力からして、少なくとも38口径以上と見た。もしかすると、という懸念がジンの胸中に嫌らしい鎌首を擡げて来たのだった。
 だが、一同は押し黙ったまま答えない。
「どういう事なんだ?」
 ジンは詰問した。
 
 
 第二章(3)へつづく

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